帰途
体が雲の上でも歩いているかのように、ふわふわと揺れている。
規則正しく繰り返される、その優しい揺れはひどく心地よかった。
疲れ切った体が目覚める事を拒否していたが、何かがしきりに(早く起きろ!)と訴えかけてくる。
彼女は仕方なく、その何かに従う事にした。
ハルカの瞼がゆっくりと開かれる。
最初に彼女の目に入ったのは精悍なアルゴの横顔だった。その顔の向こうには星空が見える。漆黒ではなく、藍や紫紺が複雑に混ざり合った夜の空に星が瞬いていた。
その夜空がなんだかゆらゆらと揺らいでいる。そこでハルカはようやく自分が抱きかかえられて夜の草原を移動している事に気が付いた。
「…起こしちまったか?」
アルゴは前を向いたままハルカに話しかけた。
「ちょいとばかり急いでるんだ…乗り心地は悪いかもしれねぇが、まぁ、我慢してくれ」
「…あ、降ろしてくれれば自分で歩くよ」
気を失っている間に、また手当をしてくれていたのだろう、動けないほどではないとハルカは感じていた。
「姉ちゃんの回復力は確かにすげぇが、ここはひとつ、黙って抱えられててくれや」
「でも、悪いよ」
それに男の人にお姫様抱っこされての移動というのも、ちょっと恥ずかしかった。
「自分の胸のとこを見てみな」
「え?」
言われて視線を胸元に移すと、そこには胸に顔をうずめて寝息を立てているヴェチカがいた。猫耳が時折ぴくぴくと動いている。
「しがみ付いて離れねぇから、一緒に運んでんだ。それに姉ちゃんもさすがにまだ本調子じゃねぇだろ?」
「そう、だね。…ありがとう」
ずいぶんとヴェチカには心配をかけたようだ。彼女の小さな手がしっかりと服の端を掴んで、眠っているというのに少しも緩んでいなかった。
ハルカはヴェチカの頭を撫でながらアルゴに尋ねる。
「私が倒れてからどのくらい経ってるの?」
「そろそろ夜明けだから、ほぼ丸一日ってところだな」
言われてみると草原の向こうに見える地平線がごくわずかに明るくなってきている。
「もうじき危険地帯を抜ける。そうすりゃゆっくり歩いても俺たちの街まで2日程度だ。その時まで体力を温存しときな」
街…この星に降りてからそんなに経ってないのに、色々な事があった。
「どんな所なんだろ…楽しみだな…」
ヴェチカのサラサラの髪を撫でていると、急速に眠気が襲い掛かってきた。
「もうしばらく寝てな」
「うん…」
アルゴの言葉から、そう間を置かずにハルカは再び眠りに落ちた。
アルゴは眠る二人を抱えながらも、かなりの速度で草原を駆ける。
地平線からは太陽が覗き始めていた。
前方、そして左右に人影が現れる。アルゴの仲間たちだった。
「露払いは終わりましたよ」
「楽勝過ぎて物足りないくらいだぜ」
エナルセルが報告し、ラッセが軽口を叩く。リューグとガストも特に問題には遭遇しなかったようだ。無言で首を縦に振った。
「ご苦労さん。ラッセはこのまま先行して街へ戻り、ギルドに報告を頼む。俺たちは姉ちゃんの体力次第だが、まぁ、明後日には到着できるだろう」
「俺だけ不眠不休ですか?」
口では不満を言っているが、顔は笑っている。
「私が代わってあげましょうか?」
ニヤリと笑いながらエナルセルが言った。
「冗談だろ、こんな美味しい役、譲れるわけないぜ。いや~今からギルドマスターがどんな顔して驚くか、楽しみだよ」
「エナルセル、あれをラッセに渡しとけ」
アルゴが声をかけると、エナルセルが腰に下げたリングを取ってラッセに向かって放り投げた。中にはブラッドレオの死骸が収納されている。
「異変がこの程度で終われば、俺もギルマスが驚く顔を単純に楽しめるんだがな…」
アルゴは渋い顔で呟いた。
「…まさか」
「アルゴはまだ異変が続いていると?」
「もっと詳しく調べなきゃわからんが…俺の勘がやべぇって、しきりに言ってきやがる」
「ふむ。アルゴの勘は意外と当たりますからね」
エナルセルが思案顔で頷いた。
「意外は余計だ。まぁ、おそらくギルマスも俺と同じ判断をするだろうが…、その辺も含めてラッセは報告を頼む」
「わかったよ。で、姉ちゃんの事はどうする?」
「そいつは俺が帰ってからギルマスに直接話す。海岸に流れ着いた女を保護したとだけ伝えておいてくれ」
アルゴは自分の腕の中で眠るハルカを眺めた。何かが始まる…そんな予感がアルゴの中で渦巻いていた。




