襲撃
ハルカはまたもや、背筋を這うようなざわりとした嫌な感覚に叩き起こされた。
そろそろ夜明けも近いと思われるが、外はまだ暗い。ヴェチカもまだぐっすりと寝入っていた。
また魔獣の襲撃だろうか?ハルカはベッドから降りて窓まで近づくと注意深く周囲を窺った。
そこにアルゴが慌てた様子で入ってきた。昼間は着けていなかった巨大なガントレットを両腕に嵌め、脛には鋼鉄製のグリーブを装着している。すぐにでも戦闘が可能な格好だった。
「姉ちゃん!…をぉ!起きてたか。ヴェチカを起こして急いで支度してくれ。魔獣の群れが近づいてるみてぇだ。」
窓から外の様子を見ていたハルカに気が付くと、アルゴはすぐにここへ来た目的を口にした。
やはり危険が迫っていた。しかし、レベルが8へと倍に上がったおかげなのか、今回はだいぶ余裕をもって異変を感じる事が出来たようだ。
「わかった…」
ハルカは頷き、ベッドに戻ると、たった一つきりの持ち物であるナイフを枕元から拾い上げ、腰のマウントに装着した。それからヴェチカを起こしにかかる。彼女は未だ夢の中だった。
「ヴェチカが準備出来たら、中庭に来てくれ!」
言い終えると同時にアルゴは踵を返して外に出ていった。
ハルカとヴェチカが身支度を済ませ、中庭に出て行くと、男たちは何やら相談の真っ最中だった。
全員が各々違った意匠の鎧を装備し、弓、斧、槍といった武器を手にしている。アルゴだけが武器を持っていなかったが、ガントレットから短く突き出た刃を見ると、格闘戦主体なのだろうと想像できた。
視界の端に二人を捉えたアルゴは、話を中断し彼女たちへ近寄る。
「来たか」
「どうなっているの?」
ハルカは尋ねた。
「森の中程に新たな魔獣の痕跡を見つけた。おそらく群れの斥候のものだろう。まだ森の周辺を探っている状態で草原までは出て来ていないようだが、奴らも鋭い。こっちの事もそう時間を待たずに感づかれる」
「足跡から見るに向こうはワーグの群れですね。一匹一匹はそう強くないですが群れなのが厄介です。奴らは足が速く、連携も取れています。恐らく今からここを引き払って撤収しても、街道の途中で追いつかれるでしょう」
アルゴのざっくりとした説明に、横からエナルセルが補足する。
「そんな訳でだ。俺たちはまずここで先遣隊の奴らを迎え撃つ。頃合いを見てから街道沿いに撤退する予定だ。お前たちは先行して退避。途中、街道から外れて近道でタルタ平原の野営地まで行ってくれ。そこで落ち合おう」
「大丈夫?」
ハルカも群れの討伐の厄介さは理解している。明らかな実力差が無ければ容易に物量に押されてしまう。群れの規模はわからないが、彼女の予感が危機を訴えかけていた。
「心配するな。奴らもこのテリトリーを確保する事が一番の目的のはずだ。そう深追いはして来ないさ。それに昨日から準備もしている。お前たちみたいな足手まといがいなけりゃ、…ま、俺たちだけならどうとでもなる」
アルゴはニヤリと笑い、軽口を叩いた。計画を変更するような気は毛頭無いようだった。
「でも…」
「それより姉ちゃんの得意な武器は何だ?まさかそのナイフがメインって訳じゃねえだろ」
ハルカにそれ以上言う暇を与えず、彼女の腰にあるナイフを指さし、確認してきた。
「え、ああ…得意なのは剣。もっと言えば刀の方がいいけどね」
「さすがに刀みたいな高級品はねえが…おい!ラッセ。お前の予備を貸してやれ」
「俺の!?あ~この間新調したばかりなんだけどな…ちゃんと返してくれよ」
文句を言いながらも、ラッセは袋から剣を取り出してハルカに放り投げた。
彼女は軽く左手でキャッチすると、剣を鞘から抜いてみる。所謂バスターソードと呼ばれるタイプの剣だ。なかなかの業物だと彼女にも解る。軽く二三度振って感触を確かめると鞘に戻した。これでブラックハウンド程度の敵なら、数匹現れても十分対処できそうだった。
「きちんと取りに来ないと貰っちゃうよ」
ハルカがニッコリと笑みを浮かべてそう言うと、ラッセは大げさに肩をすくめた。
その間にアルゴはヴェチカにしっかりと言い聞かせていた。
「ヴェチカ。お姉ちゃんをしっかりと案内してくれよ。お前に任せたからな」
「うん。アルゴもちゃんと帰ってきてね。タルタの野営地で待ってるから」
「心配すんな」
しゃがんでヴェチカと話していたアルゴは、笑いながら、そのまま乱暴に彼女の頭を撫でた。そして、立ち上がるとハルカに声をかける。
「道はヴェチカが知ってる。この娘の事は頼んだぜ。姉ちゃ…いや、ハルカ」
アルゴは真剣な目でそう言った。
ハルカとヴェチカを見送ったシルバーロアの男たちは、廃砦から森に一番近い壁の裏側まで移動していた。思い思いの格好で戦闘開始の時を待つ。
「ヴェチカをあのハルカという女一人だけに任せておいて大丈夫なのか?」
普段からムッツリと黙り、今までほとんど意見らしい意見を言ってこなかったガストが珍しくアルゴに問いかけた。
「まぁお前たちはハルカとほとんど話してねえからな。言わんとする事は分かる。だが今回は俺を信じろ」
「信じてない訳じゃないが、あっちのルートだって結構危険だぜ…」
手にした槍をクルリと回しながらリューグも不安を口にした。
「それは心配ない。おれの見立てだとハルカはそうとう腕が立つ。あの剣さえありゃ、ブラックハウンドの群れだって一人で殲滅できるだろうよ。なぁ、ラッセ」
アルゴがラッセに話を振る。
「確かに。あの無造作に振っただけの剣筋すら惚れ惚れとする良い動きだった。ヴェチカがいなけりゃこっちに参加してほしかったぜ」
「少々怪しいところもあるが、それは俺たちを騙そうとしているとかじゃねぇ…何かを言いあぐねているような、そんな感じだった。何よりヴェチカがあんだけ懐いちまった。信用するしかねぇだろうよ」
「…そうだな。」
ガストはぶっきら棒に一言いうと手にした巨大な斧を地面に突き刺し、そのまま押し黙った。
「それより今は目の前の敵だ。またヴェチカを泣かせるわけにはいかねぇからな。気張っていくぞ!」
アルゴは己に気合を入れるべく、声を張り上げた。
ハルカとヴェチカは既に街道を外れ、林の中を走っていた。ヴェチカは思っていたよりもずっと体力があるようだ。昨日、本人から聞いた7歳という年齢からはちょっと想像できないくらいのスピードで林の中を進む。この世界ではこれが標準的なんだろうか?と前を走るヴェチカを眺めながら彼女は思った。
(それにしても、なんだか嫌な感じだな…)
もう随分と廃砦から離れたというのに、ハルカの首筋に纏わりつくような嫌な感覚は消えていなかった。
周囲に気を配りながらヴェチカを追いかける。
その時、ゾクリと背筋が凍った。ハルカはヴェチカを抱きかかえると、力の限り跳んだ。大きな音がして左手にあった木の幹が爆発し、炎に包まれる。
ハルカは着地するとすぐに周囲を探った。
いつの間に現れたのか…その魔獣はいた。
今のはほんの威嚇に過ぎない、とでもいうように悠然と立っている。
「ブラッドレオ…こんなところにいる筈ないのに…」
ヴェチカが呆然と呟く。
ブラッドレオと呼ばれた魔獣の赤茶けた鬣がゆらりと揺れていた。その視線は冷たく鋭くこちらを睨みつけている。
ハルカは闘って勝つ以外にこの魔獣から逃れる方法は無いと、目を合わせた瞬間に悟っていた。




