1000年後の世界
「おい。また顔色が悪くなってきたみてぇだが、大丈夫か?」
アルゴが心配そうに尋ねてきた。
「え?あぁ…、まだ、少し本調子じゃないかも」
ショックでうわの空になっていたようだ。とっさに誤魔化す。
「出血がひどかったからな。まだ暫く寝てろ。どうせ今日はここで野営だからな」
「色々ありがとう。親切な人で助かった」
素直にお礼を言うと、アルゴはそのいかつい顔を照れたように笑わせた。
「俺は他の奴らと少し打ち合わせがあるんで行くが、ヴェチカはどうする?」
アルゴも何かと忙しいようだ。
「ここにいてもいい?」
ヴェチカはハルカとアルゴを交互に見ながら答える。
「そうだな。何かあったら魔導具で知らせろ。いいな」
アルゴはヴェチカに言い聞かせると、そのまま部屋を出ていった。
ヴェチカはベッドの傍まで来ると、さっきも使っていた椅子を取り出して座った。
「さ。お姉ちゃんは寝てて」
そう言いながら毛織物を掴んで掛けようとする。お世話係を自任しているらしい。微笑ましく、可愛かった。
「あ、うん。ありがとう」
そう言って横になって目を瞑る。
ここが1000年後の世界なのだとしたら、もう仲間のプレイヤーには会えないだろう。元の世界の事を知っている者が自分一人だと思うと、途轍もない寂しさに襲われる。でも…優しい人たちに出会えた。これは十分幸せな事に違いない。この世界の事はまだまだよく解らないけれど、いずれ旅をしてプレイヤーの痕跡を訪ねて回るのも良いかもしれない。ハルカはそんな事を考えながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
アルゴが砦から出ると仲間の男たちが待っていた。彼は少し目を細め周囲に目を配ると、おもむろに尋ねた。
「で、森はどうだった?」
「アルゴの予想通りだ。あのブラックハウンドは[はぐれ]だったらしい。仲間の物らしき痕跡は見つからなかった」
ラッセというサブリーダー格の男が代表して答えた。
「となると…奴が死んで空いたこの縄張りに他の奴らが押しかけて来るまで、どんくらい時間が残されてると思う?」
アルゴは思案しながらみんなにも意見を聞く。
「僕は早急にここから撤退する事をお薦めするよ」
エナルセルはすぐにでもここを離れた方が良いと進言してきた。確かにどんな魔獣が現れるのか、気まぐれな奴らの行動を予測するのは難しい。群れを率いた魔獣に囲まれでもしたら、クラン内でも精鋭とされるこのメンバーでも、ヴェチカを守りながら無傷で撤退するのは厳しいだろう。他の仲間たちも異論は無いようだ。
「今すぐは無理だ。が、明日の朝には出発できるだろう。ラッセ、リューグ、ガストは引き続き周辺を警戒してくれ。エナルセルは念のため俺とトラップの準備だ」
アルゴはそうみんなに声をかけると腕を振った。それを合図に男たちは各々行動を開始した。
なんだかいい匂いがする。ハルカは美味しそうな香りに釣られて目を覚ました。
「目、覚めた?お昼だよ」
ちょうどヴェチカが部屋に入ってくる所だった。手にはちょっと大きめなマグカップを二つ持っている。ハルカが上半身を起こすとマグカップが一つ差し出された。
「ありがと」
受け取ると中身はスープだった。ぶつ切りの大きめの肉と野菜が入っているのが見える。
「いただきます」
スプーンで肉をすくって口に入れる。実に5日ぶりのまともな食事は、すごく美味しく感じた。
スープをゆっくり味わいながら飲んでいると、ヴェチカが落ち着かない様子でこちらを見つめている。何かを迷っているような、そんな雰囲気だった。
「どうしたの?」
「あのね…お姉ちゃんに聞いても良い?」
ヴェチカが期待するような、恐れるような、何とも言えない表情を浮かべながら尋ねてきた。
「いいよ。なあに?」
「あのね。お姉ちゃんは私のお母さんの事、…知らない?私のお母さんもお姉ちゃんのナイフにそっくりなのを持ってたから…」
ヴェチカのつぶらな瞳がハルカをじっと見つめる。予想もしていなかった質問にハルカは戸惑った。「知らない」と言うのは簡単だ。しかしヴェチカの思いつめたようなその顔付きを見ると、一言で否定してしまうのは躊躇われた。
「え?…その…、ごめんね。ここに来る前の事はよく思い出せないから…」
ようやく、それだけを口にする。
「…うん」
複雑な面持ちで、ヴェチカは短く一言だけ呟くと、手に持ったマグカップをぎゅっと握りしめた。
「ほんとに、ごめんね…」
ハルカは謝りながら、彼女の頭を優しく撫でた。
人と遭遇してから初めての夜を、ハルカは昨晩と同じ廃砦の一室で迎えた。
銀の咆哮のメンバーは交代で食事をとりながら、まだ何事か行動しているようだ。ハルカとヴェチカだけが時間を持て余していたが、つい先ほどヴェチカは寝てしまった。随分と懐かれたようで、今はハルカの横にくっついて安らかな寝息を立てている。
ハルカは何をするでもなく漫然と彼女の寝顔を眺めていた。
「ちょっといいか?」
ぬっと、申し訳なさそうにアルゴが部屋に入ってきた。
「傷はどうだ?動けるか?」
確認するように聞いてくる。
「もう大丈夫そう。薬が効いたみたい」
「そうか。ここは危険な場所なんでな、明日の早朝には発ちたい。そのつもりでいてくれ」
それだけ話すと沈黙が訪れた。アルゴは眠っているヴェチカを眺めている。
「ヴェチカに何か聞かれたか?」
おもむろにアルゴが話を切り出した。
「うん。お母さんを知らないか?って…」
「そうか…」
しばらく何かを思案するように押し黙っていたが、意を決したのか真剣な表情で話を始めた。
「ヴェチカの両親は俺のクランに所属するハンターだった。もう2年前になるか、ちょっとした依頼で二人でここに来てたんだが、そこで運悪く魔獣のスタンピードに遭遇してな。この砦に詰めてたガーディアン達と協力して、どうにか住人達が避難する時間を作ったんだが…本人たちは撤退が間に合わず死んじまった。…亡骸は二人とも出てこなかった。だからだろうな。ヴェチカは両親が死んだことを未だに受け入れられてねぇんだ。この砦にしょっちゅう、薬草だなんだと理由をつけて来たがるのも…両親がひょっこりと帰ってくるんじゃねーかと、希望を捨てられずにいるんだよ」
アルゴはヴェチカの寝顔に視線を移した。
「そんな中でヴェチカはあんたに会った。こいつがここで倒れているあんたを見つけた時、叫んだんだよ。[お母さん!]ってな。よく見りゃ母親じゃないってのは分る。だけどこの場所とあんたが握りしめてたナイフに何かを感じたんだろうな…」
「……」
ハルカには何も言えなかった。
「これはは虫のいい頼みだとは分ってんだが…あんたが何かを思い出すまででいい、ヴェチカと一緒にいてやってくれねえか?こいつは今も3人で住んでた家に一人っきりで暮らして、そこを動こうとはしねぇんだ」
そう言ってアルゴはハルカの目を真正面から見据えると、勢いよく頭を下げた。
この真っ直ぐな男にはすべてを話してもいいのかもしれない。いや、ハルカが何かを抱えている事に彼は薄々感づいているだろう。それでもそれを飲み込んで彼女にヴェチカの事を託してきた…ハルカはその信頼に応えるべきだと思った。
「この娘は何も持たない私に、何かを与えてくれるのかもしれないね…」
ヴェチカの寝顔を見つめる。
「あなたの提案を飲むよ。私もこの娘をほっとけないもの」
「すまない。恩に着る」
アルゴは頭を上げると短く礼を口にした。




