3 粒餡
日差しが少し傾きかけた商店街を、キヌは静かに歩いた。
シャッターの降りた店舗が並ぶ通りの中に、小さく蒸気を上げている和菓子屋があった。ガラス戸の向こうに、鉄板の前に立つ老人の背中が見える。
キヌは足をとめ、ガラス越しに鉄板の上で丸く焼き上がる大判焼きを見つめた。 引き戸を開けると、使い古された木製のレジスターと、甘いあんこの匂いが店内に満ちていた。
「大判焼き、ひとつ」
「粒餡でいいかい?」
「はい」
百五十円を差し出すと、店主は紙袋に包んだ大判焼きを手渡してくれた。薄い褐色の紙越しにも、ずっしりとした重みと強い熱が掌に伝わってくる。
キヌは商店街を抜け、線路をくぐり、荒川の土手へと階段を登った。
広く開けた河川敷には、冷たい秋の風が吹き抜けている。遠くで電車の走る重い鉄の音が響き、ゆっくりと夕暮れが広がっていた。
枯れ草の混じる斜面に直接腰を下ろす。買ったばかりの深緑のトレーナーの裾を軽く引き上げ、膝を抱えるように座った。
紙袋を開け、大判焼きを取り出す。 表面の生地は柔らかく、あたたかい。端を少し噛み切ると、中から熱いあんこが覗いた。
甘い。ただ甘かった。 その甘さを舌の上で確かめながら、キヌはぼんやりと川面を見つめた。
組織のこと。自分のこと。
幼い頃から与えられてきたのは、名前と、必要最小限の衣食住と、人を傷つけるための手順だけだった。「黒紡」と呼ばれるその場所には、命令以外の会話がほとんど存在しなかった。怒りも、暴力も、かえって淡々としていた。感情を挟む隙間がないからこそ、キヌはそこで育ち、ただ命じられるままに刀を握るようになった。
それが自分のすべてであり、他と比較する発想すらキヌにはない。
ふと、昨夜の車内の風景が浮かぶ。
暗闇の中で静かにくすぶっていた、倉持の缶ピース。 あの濃厚で、焦げたバニラの香煙。
倉持は組織の中でも異質だった。 命令を伝えるときも、死体を片付けるときも、いつもうっとうしそうにタバコを吸っていた。キヌに何かを教え込むわけでもなく、ただ
「無駄な真似はするな」
「自分の後始末は自分でしろ」
とだけ吐き捨てる。
あの男が何を考えているのか、キヌにはわからない。なぜ組織にいて、なぜあんなに重く甘い煙を吐き出し続けているのか。
キヌは大判焼きをもう一口噛んだ。 あんこの温かさと甘さが口の中に広がり、昨夜の男の胸に刃を突き立てたときの、あのヌラリとした手応えと血の熱を一瞬だけ呼び起こす。
熱いものは、すぐに冷める。 血の温度も、手に持ったこの大判焼きも、時間を置けば同じように温度を失う。
「……あまい」
小さく呟き、残りを口に放り込んだ。
指先に少しだけついたあんこを拭うこともせず、キヌは膝の上に両手を置き、静かに暮れていく荒川の景色を眺め続けた。 深緑のトレーナーの生地は、吹きつける風をしっかりと遮っていた。




