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以前に転送倉庫を配送先とする不正注文が相次いでいたが、対策を講じることで不正注文の波は収まっていた。カスタマーサポート部門にて商品の出荷前に人の目で、怪しい配送先に指定されているものはないかどうかを確認してから出荷するようなオペレーションに変更した。そのオペレーションへの変更直後は、該当する注文が相次いでいたのだが、それから2週間ほど経過すると、その波は一気に落ち着いているように藤田には見えていた。
その波が収まったとしても不正集団は忘れた頃にやってくるという荒川からの助言や部長からの進言もあり、不正注文が収まったと見られる状況でも、引き続き出荷前にチェックする運用は継続していた。
JCペイメントサービスからの不正利用調査も藤田はしばらく目にしていない。
出荷前のチェックの業務フローが現場にも定着してきた頃に、藤田宛に部門のメンバーから、とある1件の注文の相談があった。
「藤田さん、いまいいですか?」
「はい、どうしましたか?」
「今日の出荷前のチェックで気になる注文が1件ありまして…」
「配送先が怪しいとかですか?」
「いえ、配送先は普通のアパートっぽいです。倉庫ではないです」
「となると?」
「パフュームキットをご注文いただいているのですが、それが複数なんですよ。さらにいうと、おそらく注文者が男性の名前っぽいんですよね」
「たしかにパフュームキットは、ディフューザーのスターターキットのような商品なので、それを複数注文しているっていうのは、あまりない注文の入り方ですね。しかもそれが男性の名前っぽいとなると、更に…って感じですね。ちなみにお名前は?」
「えーっと…こちらです」
メンバーは手元のPCのディスプレイを藤田側に向けた。
そこには【佐藤拓也】と表示されていた。
「確かにこれは男性でしょうね」
藤田は今後の対応を少しだけ考えた。短考。
「そしたら、念のために電話で本人確認しておきましょうか。これで何もせずに不正注文だったらイヤなので」
「承知しました。ではメールで本人確認しましょうか?」
「いや、電話しちゃいましょう。最近はメールのやり取りを普通にしてくる不正集団もいるみたいなので」
「そうですね。確かに電話の方がより正確に確認できそうですね」
「ちょっと注文者の雰囲気を確認してみたいので、私が架電してもいいですか?」
「あ、もちろんです。むしろ藤田さんにやっていただくのは申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいですか?」
「はい。大丈夫です。このあと電話しちゃいます」
「ではよろしくお願いします」
そう言ってメンバーは開いていたノートPCを閉じて、小脇に抱えて自席に戻っていった。
藤田はカスタマーサポート部門のリーダー職に就いているため、現場の仕事もやらないこともないのだが、今回のような顧客への架電やメール対応は基本的には現場メンバーに一任している。しかし今回の注文に関しては、藤田自身が怪しさを感じたため自身で確認したいという欲求が生じたため、藤田が対応するという判断をした。
受注後の出荷作業は日々規則正しく時間に沿って運用が行われているため、早めに出荷指示を出す必要があった。今回の本人確認が完了しないと出荷指示が出せないため、藤田はすぐに例の注文者に対して架電をすることとした。
藤田は会社の電話機の受話器を左手で取って、注文者情報に登録されている携帯電話番号を入力する。電話番号の打ち間違いはトラブルにつながる可能性があるため、一つ一つの番号を慎重に画面と電話機を交互に見ながら入力していく。
プププ、プププ、と相手の電話への接続方法がIP電話か否かの識別をする発信音が鳴った。そして1回、2回と呼び出し音が鳴っていく。
平日の昼間の電話のため、出ないかもしれないと藤田は呼び出し音を聞きながら思った。
10回以上は呼び出し音を鳴らしていたのだが、出る様子はなかった。いや電話を発信している状況においてその表現は適切ではないのだが。あと3回呼び出し音が鳴ったら切ろうかと藤田が思ったときに呼び出し音が消えた。
「…はい」
電話の向こう側から男性と思われる声が藤田には聞こえた。はっきりと聞き取ることができなかったため、男女の判別さえままならなかった。
まず藤田は架電時のマニュアル通り名乗った。
「ヌヴィーロカスタマーサポートの藤田と申します。佐藤様の電話番号でお間違いないしょうか?」
少し間が空いて相手側からの返答があった。
「はい。佐藤です」
今度は男性であることがわかる声量だった。しかし相手は警戒心をいただいているようなことが電話越しでも伝わってきたので、藤田はできるだけ腰を低くすることを意識した。
「お忙しいところ申し訳ありません。確認させていただきたいこがありお電話をさせていただきました。いま少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
回りくどい表現ではあるのだが、いまや顧客側がどんな影響力を持っているのか分からない時代のため、丁寧に一歩ずつ話を進めていく必要がある。
「少しであれば」
佐藤と思われる電話の相手は声色を変えずにできるだけ短くこの電話を済ませたいという欲求があるのだろう。藤田はそれを感じ取り、また一歩丁寧に足を踏み出していく。
「ありがとうございます。昨今オンラインストアでの不正注文が相次いでおりますため、変申し訳ないのですが、このような形でお客様にお電話で確認をさせていただいております。ご理解いただけますと幸いです」
マニュアルのトークスクリプト通りのセリフを藤田は伝えた。
「はあ…」
電話の相手は要領を得ていないようであったが、藤田はそのまま続けた。
「大変失礼な質問になってしまい申し訳ないのですが、先ほど佐藤様から弊社のオンラインストアでパフュームセットのご注文をいただいているのですが、こちらは佐藤様がご自身でご注文されたものでお間違いないでしょうか?」
これが本当に不正注文でなかったら、かなり失礼な質問にあたるので、藤田はできる限りの丁寧さを丁重さを、電話口に込めて質問を相手に投げかけた。
そして藤田は本人が注文しているという答えが返ってくることを強く願った。これが不正注文でないことを祈った。
「はい。注文しました」
相手からの返答に藤田は安堵した。
そしてその安堵を申し訳なさが、ものすごい速度で追い越していく。
「左様でございますか。それは失礼いたしました」
しかし、これで本人が注文したからといって、それをそのまま飲み込めるわけではないので、マニュアル通り追加の問いを投げかける。
「ちなみにですが、こちらは佐藤様のご本人様のご利用でのご注文になりますでしょうか?」
「…」
相手からの反応がない。おそらく藤田からの質問の内容が分かりにくかったのではないかと藤田は察した。言葉を変えて質問をし直すことにした。
「質問が悪くて申し訳ありません。また、大変失礼な質問になってしまうのですが、転売等の目的でのご注文ではないでしょうか?念のために確認させていただけますでしょうか?」
「はい…」
短く低い返答があった。
どうやら藤田の不正注文の疑いは取り越し苦労だったようだ。
今回のように不正注文の疑いがあって本人確認の電話をした際、それが実際に不正注文の場合は、そもそも電話が繋がらないことが大半を占める。繋がらないというのは、電話番号自体が使われていなかったり、第三者の電話番号で全く身に覚えがない、というのを含む。ないしは、電話は繋がるのだが、電話の相手が明らかに日本人ではない=日本語が流暢ではなさそう、というケース。注文者氏名は純度の高い日本人名なのだが、電話口の相手がそれに伴っていないというケースだ。このケースにおいては、確かに本人が注文している可能性は高いのだが、こちら側を欺こうとして日本人名で注文を行なってきているわけなので、かなり不正注文の可能性が高い。このケースにおいては、適当な理由をつけてクレジットカード決済での注文は受けられないので、別の方法(例えばコンビニ払いや代金引換、銀行振込)で支払って欲しい、それで支払ってもらえたら商品を発送する旨を伝えて終話することとしている。そうすると9割9分、支払いは行われずに商品は在庫へとリリースされる。つまりは結局、カード決済でしか支払うことができない、第三者のカードを利用しようとしていた不正利用者だった可能性がかなり高かったというわけだ。これらの対応マニュアルはJCペイメントサービスの荒川から送られてきた不正対策のガイドブックの受け売りだが、かなり役に立っていて、この本人確認の電話で防ぐことができた不正注文は数回確認することができていた。
ここまでのやり取りで藤田は佐藤と思われる電話口の相手は不正利用者ではない、という判断ができたため、最後に改めて謝罪の意を伝えて電話を締めくくることとした。
「承知いたしました。大変失礼な質問をしてしまい申し訳ありませんでした。予定通り発送手続きに入らせていただきますので、商品がお手元に届くまでしばらくお待ち願います」
電話越しではあるのだが、藤田は頭がデスクにつきそうになるくらいに深く頭を下げた。
「はい。よろしくお願いします」
電話口から流暢な日本語で短くそう聞こえてきて電話は切られた。文字起こしをするなら「よろしくお願いします」だったが、実際には「よろしくおねしゃす」というような砕けた口語的日本語だった。
改めて藤田は純度の高い日本人男性からの注文だったことを再認識した。
そして、佐藤拓也からの注文のステイタスを「保留」から「出荷準備」に変更した。
その翌日、藤田がオフィスの外で同僚と遅めのランチを楽しんでいた。
ヌヴィーロのオフィスは表参道駅のB3番出口を出てすぐのところにあるビルのワンフロアを借り切っている。ほぼ駅直結の場所に位置しているので、雨の日でも濡れることなく出勤することができる。傘を持たずに出勤することもできる。いや、正確には藤田の自宅から最寄駅までは濡れてしまうので、傘を持って家を出る必要はある。ただ、最寄駅に着いて電車のホームに向かう途中で折り畳み傘を畳んでカバンにしまってしまえば、その後の激混みの電車および駅構内での傘によるストレスを感じることなく会社まで向かえることは確実だ。それが実現できるだけでも相当な価値、クオリティオブライフが向上することは間違いない。
藤田にとっては、このランチタイムが唯一心休まる一時であった。表参道という土地柄、ランチのバリエーションに困ることはもちろん無いし、そのランチのクオリティは間違いなく高い。藤田は毎日同僚たちと「今日はあのパスタ屋にしよう」「明日は定食屋さんにしよう」「新しいカレー屋さんが美味しいらしい」などと話しながら、どのようにしてこのオフィス周辺を食べ尽くしていくのかという話題に余念がない。
周りから見たら羨ましい限りのランチ環境であるのだが、2つ難点があった。
まずは、どのお店も単価が高いということだ。絶対に千円以上する。なんなら二千円弱はかかってしまう。藤田にとって、そのコスト感は痛くないわけではないのだが、この表参道周辺には安いランチが存在していなく、安く済ませようとすると最早コンビニランチになってしまう。藤田はコンビニの食事を信頼していない、体に良くない、という教育を受けて育ってきたため、ランチをコンビニで済ませるというという行動はできるだけ避けたいと考えていた。ランチを取る時間もないほど忙しい日もあるため、そのときは例外的にコンビニで済ませる日もあるのだが、藤田にとってそれは最終奥義的な位置付けにしていた。
2つ目の難点は、どこもかしこも行列ができてしまうということだ。行列ができること自体はよいのだが、それによりヌヴィーロの就業規則で定められている休憩時間の1時間を超えてしまいそうになるのが難点であった。せっかくの美味しい食事なのだから、ゆっくり味わいたいわけだし、同僚とのおしゃべりも堪能したいのだが、行列待ちが長くなってしまうと、実質10分程度で食事を済ませなければいけないということが多々ある。行列に並んでいる間も同僚とのおしゃべりを堪能することはできるのだが、それはこのあとゆっくり食べられるかどうか、休憩時間内にオフィスに戻ることができるのか、を頭の片隅に起きながらのおしゃべりであるため、また味わいは変わってくるものなのだ。
しかし、この2つ目の難点については、藤田は回避する方法を見出したのだ。
それはランチに出かける時間を遅らせるという手法だ。
ただそれだけなのだが、行列が落ち着いた頃合いを見計らって13時頃を目安に休憩時間を取り出すと、割とゆったりとしたランチ休憩を過ごすことができる確率が高いということが最近の藤田の調査からわかってきた。
藤田的には最近自身の調査により発見したという認識であったため、世紀の大発見くらいの勢いで先輩社員に共有したところ、すでにそれは判明済みの、周知の事象であったことがわかり、藤田はえらく落ち込んだ。自分の恥ずかしさと無知さにショックを受けたのだ。
しかし、その大発見をしてからは、藤田は同僚と示し合わせて13時頃からランチ休憩を取るようになった。
そういった理由があり藤田は遅めのランチ休憩をとっていたのだが、ランチも一通り食べ終えて同僚としばし談笑をしているときに、テーブルに置いていた藤田の社用携帯電話が鳴った、震えた。
会社メールに自分宛のメールを受信したり、社内のコミュニケーションツールでメッセージを受信すると通知が社用携帯のほうにも通知が入るような設定になっているので、外出先で社用携帯が鳴ることはよくあることではある。しかし、このときの藤田の社用携帯は鳴ること、震えることを止めずに、震え続けている。それに気付いた藤田は、テーブルに伏せていた社用携帯を手に取りディスプレイを表に向けた。
そこに表示されていたのは取引先である配送会社の担当者の名前だった。ヌヴィーロが商品の配送を委託している会社だった。珍しい相手からの電話だ。藤田は席を立ってランチ中の店の出入口に向かいながら電話に出た。
「はい、ヌヴィーロの藤田です」
「あ、ご無沙汰しております。亀山運輸の土井です」
「こちらこそご無沙汰しております」
「いま大丈夫でしたか?」
「はい、大丈夫です。どうされました?」
「あ、実はちょっと急ぎ確認したいことがあって電話したんですけど…いま出先とかですかね?」
「そうですけど…」
「あ、じゃあ手短に」土井はそう言って要件を伝え始めた。
「昨日御社から配送いただいた注文の中に、1件ちょっと怪しい注文がありまして。実はもうすでにうちの配達スタッフがお届け先まで到着しているんですけど。そのうちのスタッフからその届け先がちょっと怪しいということで、私の方までエスカレーションがあったんですよ。ついいまさっきなんですけど」
「はあ、お届け先が怪しい…ですか?」
「そうなんですよ。その、うちのスタッフいわく、お届け先は一般的なアパートの一室なんですけど。そのアパートの玄関の前に段ボールがいくつか積んである状態みたいなんですね」
「…置き配的なことですかね?」
「そうなんですよ。置き配で荷物が溜まっている状態みたいなんですよね」
「まあ、でも置き配自体は別に怪しくないですよね?」
「そうなんですよ。だから僕もそこまで怪しくないんじゃない?と思ったんですけどね。うちのスタッフが怪しく思って、すでに積んであった荷物の伝票を見てみたところ、お届け先のお名前とかは一緒のようだったんですけど、いくつかの伝票のお届け先住所の末尾に“玄関前に置いてください”って書いてあったみたいなんですよ」
「はあ…」
「コロナとかもあったんで、そうやって置き配に対応していないオンラインストアの注文でそういう書き方をされることが無くはないんですけど、これが最近悪用されているような話も聞いたりしまして…で、そのすでに置き配の荷物が溜まっていることと、その伝票の書き方から、うちのスタッフが一応エスカレーションしてきたっていう状態なんですよ」
藤田はここまで聞いてようやく土井の話の要点を掴むことができた。
「そういうことですね。ありがとうございます。わざわざご連絡いただきまして」
そう言って藤田は電話越しだが、軽く会釈をした。会釈するつもりはなかったが、自然に、無意識に。
「で、いまそのうちのスタッフがお届け先で待っている状態なので急ぎだったんですけど…藤田さん、いま出先だからその配送について伺っても確認できないですよね?」
「そうですね。申し訳ないです」
「そうですよね…もしこの場で配達してしまってよいものかどうかの判断を藤田さんからいただければと思ったんですけどね…」
土井のその言葉のあとに、藤田と土井の間で少しばかりの沈黙が生じた。お互いに次の一手を自分の頭の中で探していた。
「あ、いま毎日目視で注文を確認しているので、その配送の情報を口頭で仰っていただければわかるかもしれないので、お届け先の名前とか住所をいただいてもいいですか?」
次の一手を指したのは藤田だった。
配達のスタッフを立ち往生させたままにするのは申し訳ないと感じた藤田は今できる最善策を提案した。
藤田が全ての受注を確認しているわけではないのだが、メンバーでは判断のつかない受注は藤田にエスカレーションされるので、藤田の記憶に無い名前。住所であれば、怪しさ度合いは低いと判断できると藤田は考えたのだった。
「ありがとうございます。藤田さん。助かります。じゃあ、今口頭でお届け先情報を申し上げますね。お届け先のお名前が【佐藤拓也】様です」
「…!」藤田はハッとした。まだあの架電対応から1日しか経っていないので、まだ藤田の記憶に新しいワードだった。
「で、お届け先の住所が東京都大田区**のサクラパレス203号室ですね。どうですかね?」
「あ、やっぱりそうですか!」
「…やっぱり、ですか?」
「あ、ごめんなさい。お名前だけで、もしかしたら昨日架電対応したお客様かなと思ったのですが、住所も一致したので、やっぱり、と言ってしまいました。すみません」
「なるほど、そういうことでしたか」
藤田は思わず出てしまった言葉を恥ずかしく感じた。それを掻き消すかのように藤田は仕切り直した。
「昨日そのお客様とは電話でお話ししまして、ご自身がご注文されたと仰っていましたので、そのまま配達していただいて大丈夫です」
「了解しました。藤田さんにすぐにご判断いただけて助かりました。では、うちの配達スタッフにもその旨伝えておきます」
「こちらこそご丁寧にご連絡いただきましてありがとうございました」
「では、失礼いたします」
土井がそう言い終わると、すぐに電話の切れる音がした。きっと配達スタッフを待たせてしまっているのだから、これからすぐに連携をする必要があるのだろう、と藤田はこのあとの運輸会社側の流れを想像した。
電話が終わった藤田は、ランチを食べ終えて談笑している同僚たちが待つ店内のテーブルに戻っていった。
その日の午後藤田のもとに1通のメールが届いた。
差出人はJCペイメントサービスの荒川であった。
——件名:【重要】配送停止依頼のご連絡
内容:藤田様
いつもお世話になっております。JCペイメントサービスの荒川です。
今回不正利用の疑いのある取引がありましたので、
取り急ぎお願いのご連絡をさせていただいております。
添付させていただいたファイルに該当する取引については、
出荷前であれば配送停止のご連絡をお願いいたします。
以上、よろしくお願いいたします。
この手の連絡は不正利用が発生して以降、時折荒川から送られてくることがあったので、珍しいことではなかった。この配送停止依頼については、まだ不正が確定していないのだが、決済代行会社もしくはカード会社側で不正の可能性が高いと判断した取引が連携され、それらの取引については不正利用の被害を最小限にするべく商品の配送を止められるのであれば止めてくれ、といった主旨のものだ。
藤田はその荒川からのメールに添付されているファイルをメンバーに転送して、中身の確認を指示した。荒川から送られてくるファイルには、決済代行会社と連携している情報である取引IDくらいしか記載されていない。その中身を把握するためには、その取引IDをもとに自社内で突合する必要があるためだ。
どうやら手が空いていたメンバーがすぐに対応をしてくれたらしく、すぐにメンバーから藤田に声がかかった。
「藤田さん…」
メンバーは何か言いにくそうな雰囲気で藤田に声をかけてきた。
「どうかしましたか?」
「いや、それが…昨日藤田さんに架電対応をいただいた注文も入っていました…」
「…え?」
藤田は急いでメンバーが持ってきたノートPCを自分に寄せた。
そこには確かに昨日藤田が対応した注文が記載されていた。その注文は、すでに昨日に発送作業は完了している。そして、つい先ほど配送が完了したことも間接的に確認している。
藤田の頭の中で「なぜ?」がループした。藤田の眼前にあるディスプレイを見つめながら、注文内容に怪しい点がないかどうか何度も見返したのだが、やはり気になる点は見つからなかった。強いて言うならば、高額な注文であるということと、置き配指定をしているという2点だが、これらは不正ではない注文でも有り得る。
「—たさん?藤田さん?大丈夫ですか?」
藤田は唖然と愕然として意識が定まらなかった。
「あ、ごめんなさい。電話した時にも怪しいところはなかったんですけどね…とりあえず、配送が止められるものがあれば配送停止の処理だけしていただいてもいいですか?」
「承知しました」
そう言ってメンバーは自席に戻って行った。
そのあとも藤田の頭からは【佐藤拓也】のことが離れることはなかった。
いてもたってもいられなくなった藤田は今回の不正注文について再度麹町警察署の片橋に相談することにした。以前に相談してから一切音沙汰もないので、その後の進捗確認も含めて連絡を入れようと考えた。名刺ファイルから片橋の名刺を探し、名刺に記載されている電話番号を鳴らす。
10回ほど呼び出し音が鳴ったところで呼び出し音が消えた。
「はい」
低く重くしゃがれた片橋の声が受話器から聞こえた。警察という職業柄、セキュリティの観点から名乗らないのだろうかと藤田は考えた。
「ヌヴィーロの藤田です。片橋さんの電話でしょうか?」
「はい。そうですけど…えっと…」
どうやら片橋は「ヌヴィーロの藤田」というのにピンときていないようであった。
「あ、あの先日クレジットカードの不正利用で麹町警察署の方でご相談をさせていただいた…」
「ああ、あの化粧水とか扱っている会社の方ですね?」
「あ、そうです。その会社の藤田です」
藤田は心の中で化粧水以外も扱っているけど、という小言を思いついたのだが、もちろん口には出さなかった。
「で、どうされたんですか?」
「…」藤田はそのデリカシーのない発言に唖然としたのだが、それも心に閉まっておくことにした。咳払いを挟んで藤田は口を開いた。
「先日ご相談させていただいた不正利用の件は何か進展はありましたでしょうか?」
「あ…そうですね。まだこれといった進展は…」
「…そうですか」
藤田が思った通りの回答だった。一言一句、思った通りだった。
「実は直近でも不正利用がありまして、新たな手口と見受けられたので、片橋さんにご連絡しておこうと思いまして」
「あ、そうなんですね」
片橋の相槌は感情を読み取れないものだった。
藤田はそれにもイラッとしたのだが、それを無視して今回の不正注文の顛末について一部始終を説明することにした。
藤田の話を聞きながら片橋はメモをとっているようであった。藤田の話が終わってからラグがあってから口を開いた。
「なるほど。どうやら今までは違う傾向の手口のようだということですね。引き続きこちらで捜査を進めますので、また進展がありましたらこちらからご連絡させていただきます」
藤田は片橋がこの電話の締めに入ろうとしているのを感じたので、強めの口調で割り込んだ。
「犯人が他人のクレジットカードでのうのうと稼ぎ続けているのをいつまでうちは傍観し続けないといけないんですか?」
「藤田さん、お気持ちは重々理解しております。なので我々の捜査をしばらくお待ちください。我々の方でもできることはやっていますので」
「前回から今日までで、どんな進展があったのですか?」
「それは守秘義務等もありますので、申し訳ありませんが、申し上げることができません」
「…」
「では、またこちらからご連絡しますので」
「…はい。よろしくお願いします」
藤田はやるせない気持ちを感じたが、これ以上、片橋に何かをぶつけたところで何も変わらないことを悟った。
同時にこれは藤田自身が解決しなければいけない事案であることを認識した。
藤田は業務終了後に、いつもと違う方向の、いつもと違う路線の電車に乗っていた。向かうは、【佐藤拓也】の注文で指定されたアパートだった。現地に赴くことで何か掴めるかもしれないと淡い期待を込めてだ。
最寄り駅から徒歩10分弱でそのアパートに着くことができた。
もしかしたら、恐ろしい犯罪組織のアジトなのでは?
もしそうだったら逃げた方がいいのだろうか?誰か助けを呼べるのだろうか?誰か一緒に誘えばよかったかも
などの不安を抱えてその住所に向かっていたのだが、そこは一般的な、ごくごく普通な住宅地だった。アパートもあるし、一軒家もあるし、おそらくここで生まれ育った人も多いだろうし、上京してきてここに家を建てているような人も多いだろうし、という山手線の外側の駅であればどこにでもありそうな景観に、そのアパートは位置していた。
すでに日が沈んでいるのだが、街灯や周辺の家の明かりが外に漏れていることによって、暗すぎるということもなく、帰宅時間ということもあり周りには適度に人が行き交っているので、夜に女性が1人で歩いていても恐怖心を感じるような土地ではなかった。
ここが不正利用者たちのアジトで、漆黒のように暗い場所で治安が悪かったら、というような想定もしていた藤田は肩透かしを食らったような気分になっていた。
藤田は遠目からそのアパートの外観を伺ったのだが、やはり一般的なアパートのようだ。古いわけでもなく新しいわけでもなさそうであった。おそらく大きさ的には一人暮らし向けといったところだろうか。
藤田は思った。
本当にこのアパートの203号室にうちの商品が配送されたのだろうか。いや、配送されたのは間違いないのであろう。ということは、ここに不正利用者、つまり犯罪者が住んでいるということなのだろうか、と。
それを疑ってしまうほどにこのアパートはこの街に溶け込んでいる。なんの違和感もない。しかし、得てして、こういった日常の中に犯罪者は潜んでいるものなのかもしれないとも藤田は考えた。
藤田はアパートの周りをしばし彷徨いていたのだが、意を決してそのアパートの敷地内に踏み入れることにした。そして、通り沿いにあるアパートの外階段を一段ずつ昇っていく。意識的に一段ずつ昇っていかないと、息が切れて、その歩みが止まってしまいそうだった。この先、藤田に待ち受けるものが不透明すぎて、立ちくらみが襲ってきそうになった。それを振り払うように一段ずつ丁寧にシナプスを意識しながら、階段を昇っていった。
階段を昇り切ったところで2階の外廊下が各部屋に対して伸びている。その構造はアパートの外観を眺めている時から把握していた。幸い、階段を昇り切ったところで、何者かが藤田を襲い掛かってきて、藤田が階段を転げ落ちるようなことは起きなかった。
階段を昇り切ったそこには誰もいなかった。
人はいなかったのだが、藤田から見て奥の方の玄関の前に段ボールが積み上がっているのがすぐにわかった。
藤田は階段を上がったところすぐの部屋の部屋番号を確認した。そこには「201」と書かれていた。そして藤田は積まれている段ボールの方に向かっていった。202号室の部屋の前を通り過ぎたところで、この段ボールが積まれているのは例の203号室であることは確実となった。
203号室の玄関のところまでたどり着いた藤田は見えている伝票を確認した。
そこには5つほどの段ボールが積まれていた。それらの段ボールの伝票を確認すると、どれも受取人の氏名は【佐藤拓也】ではなかった。いずれも異なるバラバラの氏名が受取人になっていた。また、発送元はさまざまなオンラインストアの名前が記載されていた。アパレルショップ、家電量販店、スポーツ用品店、アウトドア用品店が発送元となっていた。
藤田がまじまじと伝票を見ていると、お届け先の住所に違和感を発見した。
それは住所の末尾に「玄関前に置いておいてください」と書かれているものがあったのだ。
藤田はこの状況に全くと言っていいほど頭が追いつかなかった。
整理がつかない藤田はこの気持ちの悪い状況から逃れたい、何かアクションを起こさねばという一心から203号室のチャイムを鳴らすことにした。
チャイムを鳴らした後に猛烈に後悔した。仮にここに不正利用者がいる場合、自分は間違いなく大人しく帰ることはできないだろうと、藤田は思った。ピンポンダッシュになるが、このまま走り去ろうかとも考えたのだが、極度の緊張のせいか、うまく体を動かすことができなかった。藤田はそのまま203号室の玄関前で応答を待った。
しかしいつまで経っても玄関の向こう側からの気配を感じることができなかった。
どうやらこの場で襲われる可能性は低そうだと認識した藤田の体は動くことができるようになった。この部屋の家主は現在不在なのかどうか確かめようと藤田は一旦階段を下りて、ベランダ側から203号室の様子を伺うことにした。
さっきは夜ということもあり気づくことができなかったのだが、改めて203号室の窓をよく見てみると、その部屋にはカーテンが掛かっていないようであった。そして、もちろん部屋の電気はついていない。
藤田が203号室の部屋の様子を地上から伺っていると、アパートに面した道路に軽のバンが停止した。そして停止するや否や、後部座席から黒い服を身に纏った男が2人降りてきた。藤田は顔をはっきりと見たわけではないのだが、服の上からでもわかるくらい体格が良かったので、それらが男であると判断した。
藤田は自分がついに襲われるのではないかと思い、逃げる体勢になりかけたのだが、彼らは藤田に一瞥くれることもなく迷わずアパートの外階段を駆け上がっていった。
そして、10秒もかからず彼らは段ボールを抱えて外階段を駆け降りていき、軽バンに再び乗り込んでいった。後部座席のドアが閉まり切る前に、軽バンは勢いよく走り出していき、どこかへと消えていった。
あまりの一瞬、一瞬ではないが藤田にはそれくらいに感じた、あまりの一瞬の出来事に藤田は全く身動きを取ることができずに、そこでただただ眺めているだけであった。
それらの出来事が過ぎ去ってから、藤田はハッとして念の為の確認をするために再度外階段を駆け上がっていった。すると、やはり203号室の玄関前に積まれていた段ボールは一つ残らず無くなっていた。
藤田は、いま自分の目の前で起きた一連の出来事を整理したくなり、近くにあった喫茶店に入ることにした。
喫茶店は昔ながらの純喫茶という具合で、入店するとおそらくその店のマスターの奥さんらしき女性スタッフが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。お好きな席をどうぞ」
そう言われた藤田は例のアパートが見える窓際の席を選んだ。着席すると、女性スタッフがメニューとお水をテーブルに置いてくれた。
「お決まりになりましたら、お呼びください。本日のおすすめはあちらのボードに書いてあります」
そういえば、ランチあとから怒涛のような午後であったため、おやつも食べていなかったことに藤田は気付き、急に空腹感が襲ってきた。
藤田はおすすめメニューのボードの一番上に書かれているハンバーグプレートを注文することにした。店員への注文を済ませ、早速今回の出来事について思考を巡らせることにした。
まず、今回のヌヴィーロが配送した住所は空室、誰も住んでいない可能性が高い。そこに何者かが置き配指定で注文をしている。送り状の伝票から察するに、置き配に対応していないオンラインストアでの注文の際にも置き配されるように、住所の末尾に「玄関前に置いておいてください」という文言をつけている。確かに昨今の情勢から、置き配は市民権を得ているので、オンラインストア側が置き配に対応していなくても、伝票にそう書かれていたら、配送スタッフが置き配してくれる可能性は高い。すると、誰も住んでいない部屋の玄関前に第三者のクレジットカードを使って注文された商品が溜まっていく。それらの商品が溜まってきた頃合いを見計らって商品を回収しにいく。
ヌヴィーロもそうだが、不正利用の対策の一環で過去に不正利用で使われた配送先はブラックリスト化していたり、外部のデータベースを活用している。それらのブラックリストやデータベースと突合することにより、不正利用を未然に防ぐことができる。
今回の手口のように空き家を活用することで、そういった対策の網の目を掻い潜ることができる可能性が高い。
注文内容が怪しい場合、配送先が怪しくないか、という観点でGoogleマップのストリートビューでどんな建物の外観なのか、周辺は怪しくないか、ということもチェックしたりするのだが、住宅地にある一般的なアパートの一室ということであれば、大抵のオンラインストアは疑うことなく配送してしまうだろう。
藤田からしても、ある種あっぱれな手口、よく考えられた手口だと感心してしまった。
藤田の中である程度今回の手口のあらましを整理することができた。
ここからはどう首謀者を捕えるのかという点だ。
電話に出た【佐藤拓也】と名乗る男にどうすれば辿り着くことができるのだろうか?
藤田の中で考えを巡ったが、そこに辿り着くルートは霧がかかってしまい、行き詰まりを感じていた。
「お待たせしました。ハンバーグプレートになります」
行き詰まった藤田にはちょうど良いタイミングで注文の品がテーブルに配膳された。
藤田はここまで思考が整理できたことを良しとし、目の前の食事を存分に味わうことに切り替えた。
デミグラスソースと肉の香りが相まって藤田の食欲を刺激する。サッとナイフを通すと、中から肉汁が溢れ出し、徐々にデミグラスソースと混ざり合っていく。ハンバーグを一口サイズにカットして、肉汁とデミグラスソースが混ざり合ったソースをたっぷりつけて口に運んでいく。噛むごとに口の中でさらに旨みが溢れていくのを藤田は感じた。
空腹だった藤田はあっという間にプレートを平らげた。さっきまでハンバーグや付け合わせのサラダ、ひいてはライスが載っていた皿は綺麗さっぱりになっていた。米粒一つも残っていない。藤田は満腹による幸福感に満ちていた。
それを見計らったように、食後のコーヒーが運ばれてきた。
「あ、ありがとうございます」
藤田はそうお礼を言って、コーヒーカップとコースターだけになったテーブルに頬杖をつきながら、窓の外にあるサクラパレス203号室を眺めていた。しばらくこの幸福感に浸りたいところではあったのだが、やはり【佐藤拓也】のことを考えざるを得なかった。
何か足取りを掴むことはできないものかと。
「探偵さんとかなんですか?」
藤田の耳元から小声で急にそう聞こえてきた。藤田は思いもよらない出来事だったため、思わずのけぞってしまった。すると、そこにはおそらくこの店のマスターの奥さんと思われる店員が立っていた。
「驚かせちゃってごめんなさい」
「いえいえ、大丈夫です」
「いや、今日のお昼にもこの席でずーっと外を見つめている人がいたので、その方のお仲間なのかな、と思っちゃって話しかけてしまったの。ごめんなさいね」
「ほんとですか?」
「ええ、たしか3時間くらいは、いらっしゃったかしら」
「どんな人でした?日本人の男性ですか?」
「まあ、日本人だと思いますよ。たぶん」
店員は藤田からの質問がピンと来ていない様子であった。
「1時間前くらいには、この席に同じようなお客さんは座っていなかったですか?」
「そうね。そのときはいなかったと思いますよ」
「…」
藤田は意を決して見ず知らずの他人に、こんなに美味しい料理を振る舞ってくれた お店の人に、一世一代の嘘をつくことにした。
「実は、わたし探偵をやってまして、その男を探しているんです」
「え、ほんとに探偵さんだったの!?」
店員があまりに大きい声で反応してしまったので、藤田は人差し指を口の前に当てて「しーっ!」というジェスチャーをした。そして小声で店員に尋ねた。
「何かその男について覚えていることはありますか?」
「うーん、あんまり直接話はしていないんですけど、お店の外で長いこと電話をしてたわね」
「電話ですか?その電話の内容は聞いていたりしますか?」
「お店の外だったので、ちゃんと聞いていないけど…あ、でもお店の外にあるランチメニューを下げるためにちょっと出た時に、シイレがどうのこうの言っていたような気がするけど…」
「シイレ、ですか?」
「そう、シイレ。何か大事な電話っぽかったけど。電話が終わったあとにものすごく深刻そうな顔をされていたのを覚えているわ」
「そうですか…他は何か覚えていることありますか?」
「そんなところかしらね」
「そうですか。ありがとうございます」
藤田は手帳を取り出して、自分の名前と電話番号を記載し、そのページを破って店員に手渡した。
「もしその男について思い出したことがあったり、その男がまた来たとかがあれば、こちらにご連絡いただけますか?」
「あら、もちろん。なんだかドキドキしちゃうわ」
店員はこの非日常的な状況を前向きに捉えてくれたようだった。
まだコーヒーが残っていたので、そのコーヒーを一気に飲み干し、そこを後にすることにした。
いま店員から得た情報は【佐藤拓也】に辿り着くために有用的なものではなさそうではあるのだが、藤田は何やら進展したような気になった。
そしてより一層、何としてでも今回の犯人・首謀者を追い詰めてやる、という活力が藤田の内側から漲っていった。




