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藤田のぞみはコスメ用品を扱うブランド『ヌヴィーロ』のオンラインストアのカスタマーサポート部門のリーダーを担当している。彼女は入社2年目だが、その能力の高さから異例のスピードでリーダーに任命された。カスタマーサポート部門では、オンラインストアのお客様対応が主たる業務となっている。藤田はその部門でプレイングマネージャーとしてメンバーの業務管理と現場を兼務している。
ヌヴィーロはここ数年で着実に成長していて、売上規模は年間50億円を超える規模にまでなっている。あと数年で株式市場に上場するのでは?とその界隈では一目置かれている。
業界的にも注目されているということもあり、藤田は以前に「若きシゴデキウーマン」として、いくつかのビジネス系配信メディアから取材を受けたこともあった。それは動画やWEB記事として公開されたのだが、キラキラした内容で都合良く編集されていた。藤田の実態は文字通り激務の日々であった。
業績が急成長している最中ということもあり、藤田の部門以外も、とにかく人手が足りていなく、制度・マニュアルが整備されていないことが多々ある。いずれの従業員も目の前の業務をこなしていくことに精一杯という状況だ。その中でも藤田のような中間管理職は特に多忙を極めている。現場からは常にトラブル案件・イレギュラー案件がエスカレーションされ、上からは目標達成に向けた進捗管理の鬼詰めで、完全に板挟み状態であった。
それでも藤田はこの環境で働きがいを感じている。年上の部下もいる中でのマネジメント業務は困難なことも多く、泣きたくなるような夜もあるのだが、そんな怒涛の日々の中で確かに自身の成長を実感していた。
そんな中、藤田にカスタマー対応のエスカレーションが上がってきた。
「藤田さん、ちょっとお客様がお怒り気味でして…」年齢的にはひとまわり以上歳上の豊本が困り顔で相談しにやってきた。
「お客様から入電があったのですが、お客様がご利用のクレジットカードの明細にうちの名前が書いてあったようなのですが、使った覚えがなく、どうなってるんだ、と。お前のところは詐欺でもやっているのか、とかなりお怒りでして…」
客からの相当なプレッシャーを電話口越しに感じたのか、豊本の声は細く若干震えているようであった。
「ご対応いただきありがとうございます。かなり激昂されているということですね」
「そうなんですよ。それで…あの…わたしのほうでなんとか対応をしていたのですが…」
どうやら責任者を出せというような要求があったのだろうが、豊本はそれを言い出しにくい様子だ。
「上司を出せ、とおっしゃられているんですかね?」
「あ…はい。そうなんですよ」
「承知しました。ありがとうございます。まだお電話は繋がっていますか?」
「はい。繋がっています。外線3番になります。すみませんが、お願いします」
豊本が本当に申し訳なさそうに頭を下げながら自席に戻るのを見送りながら、藤田は受話器を取った。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。お電話かわりました。責任者の藤田と申します」
藤田の地声では威圧的な客に舐められてしまうので、地声よりも少し低めを意識して電話をかわった。
「どれだけ待たせるんだよ。人のカードから勝手にお金を引いておいて。どんな商売してんだよ」
豊本から聞いていた通り、怒り心頭なようで、電話口から唾が飛んできそうな勢いであった。電話口は男性なのだが、声色から察するに年齢は40〜50代といったところだろうか。
「ご迷惑をおかけし申し訳ありません。改めて確認させていただきたいのですが、お客様のご利用のクレジットカードのご利用明細に『ヌヴィーロ』という記載があり、そのご利用についてはお客様の覚えがない、という状況でお間違い無いでしょうか?」
「そうだって言ってんだろ。何回言わせんだよ」
「失礼いたしました。念のための確認になるのですが、お客様ご自身がご利用されていなくても、お客様のご家族の方などがお客様のクレジットカードをご利用されて、というケースがあったりするのですが、そういった可能性はございますでしょうか?」
「あるわけねぇだろ、こっちは独り身なんだから。ばかにしてんのかよ、おい。とにかく早く金返せや」
この手の問い合わせは過去にも受けたことはあるのだが、本当に忘れてしまっていたか、家族や身内が利用していたというパターンで収っていた。しかし、今回はそうはいかないようだ。
「承知しました。それでは詳細をこちらで調査させていただき、改めてこちらから今後の対応についてご連絡をさせていただくかたちでもよろしいでしょうか?」
客の頭に血が上っている状況においては、この電話のやり取りの中で決着をつけることはハードルが高い。そのため、一旦時間をおいて頭の冷却期間を設けるようにしている。そうすることで次回のやり取りの際にはお互いに冷静に対話ができるようになり、落とし所に持っていくことができるようになるのだ。
「いや、おれは金を返して欲しいだけなんだけど」
なかなか一筋縄ではいかないようだ。
「申し訳ございません。一応弊社内だけではなく決済会社のほうでも調査が必要になりますので、ご理解いただけないでしょうか?」
「ケッサイガイシャ?そんなんしらねぇけど。それはそっちの事情だろうよ。それを押し付けてくるなよ」
その後も15分以上に渡ってこのやり取りは続いた。藤田は折れることなく、しかし、あくまで腰は低く説得し続けた。
「―では、こちらで調査しますのでその結果が分かりましたら、またご連絡をさせていただきます。それでは失礼いたします」
そう言って藤田は静かに受話器を置いた。どっと疲れるとは正にこのことだ。稀に見る電話口での攻防であった。電話が終わったのを確認した豊本が駆け寄ってきた。
「藤田さん、ありがとうございました。面倒なお客様のご対応をいただきまして」
「全然大丈夫ですよ。なんとかご納得いただけましたし」
そう言ったものの、豊本はおずおずと腰が低いまま再度自席に戻って行った。
今回のような客からのクレームはスピード対応が重要であるため、早速藤田は調査に取り掛かることにした。
まずは該当の取引が存在するのかどうかというところから確認を進めていく。
電話口でヒヤリングした情報は、客の明細に記載されていた日付と金額、それから氏名、電話番号、住所。こちらからのメールが届いている形跡はなかったようなので、この少ない情報で調査をおこなっていくことにした。
オンラインストアの受注を管理しているツールがあり、過去に受注に至った取引や受注の手前まで進んだ取引がデータベース化されている。氏名や注文番号などの情報で検索して、該当する取引をピックアップすることができるようになっている。
そのツールで、まずはヒヤリングした電話番号で検索をしてみる。
——検索結果:0件
続いて住所で検索してみる。
——検索結果:0件
該当する取引は無かった。
となると、やはり家族等の身内が実は使っていた、という可能性は低いようだ。電話口では独身だと言い張っていたのだが、怒りのボルテージが上がっていて、とにかく相手を否定したい心理が優先され、つかなくてよい嘘を力任せについてしまう、というケースは無くはない。類似の問い合わせで今回と同じように客が激昂していて「家族なんていない」という発言があったものの、調査をしてみると客の住所に使われている受注が発見され、実は家族や身内が知らないところで注文しただけだった、というオチになることも藤田は経験済みだった。今回の調査も同じオチを迎えるものだと思い調査に臨んでみたものの、住所が検索で該当しないところを鑑みるとその可能性は低いといえるようだった。住所以外にも客の氏名の漢字・フリガナでも検索してみたが、合致しそうなものはなかった。
ヒヤリングした決済日と注文金額から、該当する取引を類推していくしかないわけなのだが、ヌヴィーロでは数千の商品を取り扱っていることと商品単価も様々であるため、特徴的な金額(かなり高額など)でない限り類推することは困難である。該当の取引の金額は数万円であり、その額の取引は珍しいわけではない。一応該当の日付で確認してみるが、該当する取引は数十件あるため、どれが今回の問い合わせに該当するのか、または該当しないのかを確定させることができない。
ヌヴィーロ内でできる調査は以上となる。ここまでの結果としては日付と金額的に該当しそうな取引はあるもののそれを特定することはできない、ということだけだった。ここからの更なる調査は社外に協力を要請するしかなさそうだが、その術を藤田は知らないため、部長に相談してみることにした。
「部長、カクカクシカジカで当社内で該当する取引があるかどうかを調査してみたのですが、どれがその取引かどうかを特定することができなくて。ただ、お客様の明細には確実にうちの名前があるようなので、どうにか取引を特定したいのですが、このような場合はどうしたらよいでしょうか?」
部長は黙って正面から藤田の話を聞いている。
「部長であれば何か策をご存知なのでは無いかと思いまして…」
部長は藤田よりオンラインストアに携わっている歴が長い。ヌヴィーロのオンラインストア立ち上げ期より参画しているメンバーのひとりであった。それゆえ、藤田は部長であれば何かしらの解決策を示してくれるのでは無いかと考えたのだ。
「…なるほど」
部長は静かに言った。
「それは不正利用の可能性がありそうですね」
「…フセイリヨウ、ですか?」
藤田には聞き慣れないワードだった。
「そう、不正利用。クレジットカードの不正利用のことね。厳密にいうと第三者利用による不正利用みたいな言い方だったかもしれないけれど」
「はあ」
「うちで調べられることはもうないので、まずはJCペイメントサービスに相談してみるといいですよ」
JCペイメントサービスとは、ヌヴィーロが契約している決済会社のことだ。
「やはりそうなんですね。承知いたしました」
藤田は部長へのお礼を告げて、早速自席に戻ろうとした。
「あ、藤田さん」
「はい、まだ何かありましたか?」
そう部長に呼び止められ、藤田は部長の方を振り返った。
「これが本当に不正利用だとしたら…」と部長が何かを言いかけたところで、デスク島の端から「部長!お電話です」と声がかかった。
「りょうかい。出ます出ます」
そう言って部長は電話を取る体勢になり、藤田に対しては片手で「ごめん」のジェスチャーを作り、そのまま電話を取った。
藤田は部長に軽く会釈をして、再度自席に自身のベクトルを向けた。
藤田は自身のデスクに着席し、早速JCペイメントサービス社に問い合わせをしてみることにした。名刺ファイルでJCペイメントサービスの担当者の名刺を見つけ、そこに記載されている電話番号に電話をかけた。3コール目で繋がった。
「はい、荒川です」
「ヌヴィーロの藤田です。いつもお世話になっております」
「あ、藤田さんでしたか。こちらこそいつも大変お世話になっております」
荒川はJCペイメントサービスでヌヴィーロを担当している。おそらくヌヴィーロ以外にもたくさんのクライアントを抱えているのだろう。電話するといつも出先のようで周りの雑音が荒川の背景から聞こえてくる。
「どうされましたか?」
「実は弊社にお客様からカード決済に関するお問い合わせがありまして―」
藤田は今回の概要を説明した。すると荒川は時間を空けることなく、こう回答をした。
「それはおそらく不正利用でしょうね」
部長と同じコメントだった。
「不正利用ですか?」
今度はカタコトにならずに発することができた。
「ええ、不正利用です。クレジットカードの第三者利用による不正利用です。藤田さんもニュースでご覧になられたことがあるかもしれないのですが、第三者のカード情報を悪用してオンラインストアでモノを購入する行為のことをそう呼んでいるんです」
荒川のターンは続く。
「そういった不正利用を行う輩を不正利用者とかって呼んだりするんですけど、組織的に不正利用を繰り返し行い、購入したモノを転売して現金を得るのが目的なんです」
「そうなんですね。それは知らなかったです」
「ニュースでもそんなに大きく取り扱われないですからね。知らなくても無理もないです」
さらに荒川は話を続けていく。
「今回のケースでいうと、おそらく問い合わせをされてきたお客様のカード情報がどこかから漏れてしまって、不正集団がその情報を仕入れて、御社のサイトにやってきた、という流れかと思われます」
きっと荒川は今回のやりとりをヌヴィーロ以外の取引先とも何回もしているのだろう。澱みなく、迷いなく、溢れるように言葉を並べていた。
「御社って過去に不正利用が集中して発生したことってありましたっけ?」
藤田は急に話を振られて反応が一瞬遅れたが、荒川の質問に回答した。
「いや、私の記憶にはないですね…おそらく私が担当になってからは無かったかと思います」
「承知しました。まずは不正利用かどうかを確定させる必要があります。そのためには不正利用調査というものを行うのですが、それを行うためにはお客様から利用されているカード会社に直接お問い合わせいただく必要があります。クレジットカ―ドの裏面にカード会社の問い合わせ先が記載されているので、御社からお客様に対してカード会社にお問い合わせされるようご案内いただくとよろしいかと思います。で、お客様のカード会社への問い合わせがトリガーとなってカード会社から不正利用調査が始まります。その手続きが始まると、最終的には御社にも調査の協力依頼が入ります。そこでカード会社が持っているお客様の情報と御社の注文情報を突合します。その突合を経てカード会社側で不正利用なのかどうかを判断する、という流れになります」
まるでマニュアルを読んでいるかのように一連の流れを全く噛むことなく荒川の説明が小休止となった。
確かにカード会社側から調査が始まるのであれば、取引は特定できそうではある。カード会社側は明細を発行しているので、該当の決済を特定することができる。そしてカード会社、決済会社、そしてオンラインストアの3社間ではカード決済の取引ごとに一意の番号が付番されている。それらの情報を突合すれば、その明細がヌヴィーロのどの注文に紐づいているのが分かるということだ。
「ご丁寧に教えていただきありがとうございます。それであれば取引を特定することができるし、不正かどうかを判断することはできそうですね」
さらにカード会社側ではカードを持っている人の氏名、住所、電話番号等の情報は保持・管理しているため、それがオンラインストア側で確認している注文で使われた情報と異なっていれば、不正利用だと判断できるということなのだろう。
藤田はそこまで理解すると、藤田の中で新たな疑問が生まれてきた。
「ちなみに不正利用だと判断された場合、その不正利用された分のお金はどうなるんですか?」
今回の客からは「早く金返せ」と何度も怒鳴られたし、仮に藤田自身が同じ立場だとしても同じところを一番気にするだろう。
「お客様にはお金が返ってきます。クレジットカードの締めのタイミングにもよりますが、引き落とし前であればカード会社のほうで決済のキャンセル処理がなされるので、明細からは削除されます。すでに引き落としがされてしまっているのであれば、次の引き落としのタイミングで相殺されようになります」
つまり不正利用であることが確定すれば、お金はちゃんと手元に返ってくるということだ。
「なるほど…」
藤田はさらに沸いてきた疑問を投げかけてみることにした。
「質問ばかりで申し訳ないんですけど、不正利用って認められる確率って低かったりするんですか?つまり調査が厳しかったりするんですか?」
「そんなことないですよ。本当に身に覚えのない取引であれば、不正利用が認められますよ。基本的にカード会社は消費者保護の観点が強いので、割とすんなり認められるんですよ」
半分笑いながら荒川はこう続ける。
「半分冗談ですけど、本当は自分が使った取引であっても、それを身に覚えのない取引としてカード会社に言い張って不正利用が認められるケースもあるみたいですよ。もちろん私はやったことないですけど」
荒川の補足が、すかさず入る。
「あ、藤田さんなら大丈夫だと思いますけど、これは御法度ですからね。噂で聞いたんですけど、それが嘘だったとバレるとブラックリストに登録されてしまって、二度とクレジットカードを作ることができなくなってしまうらしいです」
そりゃそうだろうけど、カード会社はそこまで消費者保護の意識が強いことに藤田は驚いた。
「わたしはそんなことしませんよ」藤田も笑いながら返す。
「色々と教えていただきありがとうございました。では、お客様にはまずカード会社にお問い合わせするようにご案内したいと思います」
藤田は聞きたい情報を入手することができたので、そろそろ電話の締めに入ろうとした。
「あ、藤田さん、藤田さん。ちなみに不正利用が確定するとお客様にはお金が返ってくるのですが、そのお金はカード会社が負担するわけではないんですよ」
「え、どういうことですか?」
藤田はてっきりカード会社が負担するのが当然だと思って話を聞いていた。
「その分のお金はチャージバックとしてカード加盟店である御社にご負担いただくことになるんです」
「ウチが負担するんですか?…え、それは…」
藤田が言葉を詰まらせていると荒川は続けた。
「カード加盟店は不正利用が起きないように対策を講じることが求められていますので、不正利用が発生した際にはカード加盟店にご負担いただく契約になっているんです。弊社とのカード決済に関する契約の中にそういったことを取り決めさせてもらっています」
「そうなんですね…ちょっと契約内容はあとで確認してみます。これは荒川さんに言ってもどうしようもないと思うのですが、そもそもカードが不正利用されてしまったのは、カード会社側に責任があるように思うのですが…」
藤田は納得がいかないため、お門違いかもと思いつつ荒川に思ったことをそのまま聞いてみることにした。
「そうなんですよね。カード会社側でなんとかしれくれよ、という藤田さんのお気持ちは痛いほどわかります。私もそう思います。ただ、カード会社側でも様々な対策を講じているのですが、それだけでは不正利用を防ぎきれていないんですよ。なので、いまではカード加盟店側でも対策してくれないと、という背景があり、そのような契約内容になっているんです」
荒川もこの問いをよく聞かれるのだろう。テンプレ的な回答であった。
藤田はこの状況を受け入れるしかないのだと理解し、再度今度の流れを確認し電話を切ることにした。
タイミングによりけりなのだろうが、今回の取引の売上金がJCペイメントサービス社から入金された後に、不正利用が確定するのであれば、その売上金は債権買戻し、チャージバックとしてJCペイメントサービスに返さなければいけないという。実際には毎月のJCペイメントサービスとの売上金の精算があるので、その中で相殺されるのだが、そこで返された売上金が最終的に客の手元に返っていく、という構造ということだ。しかし、ヌヴィーロが不正利用により注文された商品は発送済みであろうから、すでに不正利用者の手元にその商品は渡っているはず。その商品はすでに転売などで現金化されている可能性が高い。つまり、オンラインストア側からすると売上は入らずに商品だけ取られてしまう、オンラインストア上で万引きをされたような状況ということだ。
リアルな店舗での万引きであれば犯人を捕まえることもできるが、今回のようなオンラインストアでの不正利用においては、犯人を捕まえることは相当困難だという。もし犯人を捕まえたいということであれば、まずは警察に被害届を提出してみるとよいかもしれないとのことだった。藤田が質問しなくても、荒川は電話の切り際に今後の選択肢も教えてくれた。それもテンプレだったのかもしれないが。
藤田が知りたかったことはほぼ抑えることができた。いずれにしても、今回の取引が不正利用である、ということが判明されてからの話だ。まずは不正利用なのかどうかをはっきりさせる必要があるので、先ほどの客にその旨を案内することにした。
藤田は早速、客に電話をかけることにした。しばらく電話のコール音が鳴っている。また時間を改めてかけ直そうかどうかを考え出した頃合いでコール音が途切れた。
「…はい」
面倒くさそうに男が出た。
「ヌヴィーロの藤田と申します。〇〇様のお電話番号でよろしかったでしょうか?」
「はい」
さきほどの激昂とは対照的に静かな印象だった。一度電話を切ったことにより落ち着きを取り戻してくれたのだろうか。
「先ほどお電話させていただいた者ですが、お問い合わせいただいた件について社内で確認させていただきました。今回、お客様のクレジットカードが不正に使われてしまった可能性がございます——」
その後藤田は荒川から吸収した知識をもとに客に不正利用について丁寧に案内をしていった。
まずは不正利用かどうかを判断する必要があること。しかし、その調査はカード会社でしかすることができないということ。そのため客から直接カード会社に問い合わせをしてほしいということ。カード会社の問い合わせ先はカードの裏面に記載されているということ。その調査に時間がかかるかもしれないが不正利用とカード会社側で判明した際には、カード会社からその分がちゃんと返金されるということ。それらを簡潔に説明した。
「そうですか。わかりました」
藤田はまだ何かいちゃもんをつけられるのでないかと構えていたのだが、意外にもあっさりと淡白な回答が返ってきた。
「他にご質問などはございますでしょうか?」
「大丈夫です」
「承知しました。では失礼いたします」と言いかけたところで電話を切られてしまった。
さきほどの激昂が嘘のようではあったが、カスタマーサポートの業務ではよくあることだ。
とりあえず今回のイレギュラー対応は一段落といえるだろう。忘れないうちに問い合わせ履歴を社内ツールに記すことにした。不正利用疑いの問い合わせ対応についてマニュアルを作成しなければということを考えながら、履歴を記すことに集中することとした。
藤田はまた日々の業務に忙殺されていた。先日の不正利用のことなど頭の片隅にすら無いような忙しさに見舞われていた。そんな中、藤田宛に1通のメールが届いた。
——件名:【重要】不正利用に関する調査のお願い
JCペイメントサービス社からのメールだった。藤田は件名を見た瞬間に先日の不正利用疑いの件を思い出した。もうあれから2週間ほどは経っていた。件名をクリックし、メールを開封する。
——藤田様
いつもお世話になっております。JCペイメントサービスの荒川です。
今回不正利用の疑いのある取引につい調査のご協力をお願いしたくご連絡させていただきました。
添付のエクセルファイルに該当の取引の情報を記載しておりますので、
内容をご確認いただき、必要事項をご記載の上、
エクセルファイルのままこのメールにご返信いただく形でお戻しいただけますと幸いです。
以上、よろしくお願いいたします。
差出人は荒川だった。早速添付されているエクセルファイルを開いた。すると、ファイルの中には先日の1件以外にも疑いのある取引が記載されていた。
「…」藤田の声は出ていなかったのだが、口が開いてしまっていた。
その口を手で抑えながらそのファイルをスクロールして眺めていた。いや、眺めることしかできなかった。そうしてPCの画面を眺めていると、遠くから藤田を呼ぶ声が聞こえてきた。
「藤田さん、JCペイメントサービスの荒川さんからお電話です」
その呼ぶ声で現実に引き戻された。
「あ、ありがとうございます」
そう言って外線のボタンを押して受話器を取る。
「お電話代わりました、藤田です」
「JCペイメントサービスの荒川です。いつもお世話になっております」
「お世話になっております」藤田からするとこのビジネスマナー的なやり取りが今は煩わしさを感じた。
「いまお時間よろしいでしょうか?」
荒川はこのマナーを忘れずに徹している。
「はい。大丈夫です」
藤田は食い気味に回答した。
「さきほど不正利用調査についてのメールをお送りさせていただいたのですが、ご覧になりましたでしょうか?」
「いまちょうど見ていたところでした」
藤田は堪らず続けた。
「こないだの1件以外のものもあるのですが…これってどういうことですか?」
荒川にその責任は無いのはわかっていたが、藤田の語気は自然と強くなった。
「そうですね。先日の1件以外にも不正利用の疑いのある取引が直近で多発しているようです。全部で50件ほどですね。直近でカード会社側に利用覚えなしという問い合わせをされた方がこれだけいらっしゃったということを示しています。先日の1件はあくまで氷山の一角だったということかもしれません」
藤田は返す言葉が見つからなかった。
「先日もお伝えしたかもしれないのですが、不正利用調査に至った取引のほとんどが不正利用として認められます」
「そうなると、これらの取引の売上はチャージバックになる、ということでしょうか?」藤田は自分の言葉を自身で噛み締めながら荒川に問うた。
「…はい。おっしゃる通りです。総額が約150万円になりますが、仮に全て不正利用が認められた場合には、それらは全てチャージバックとして精算させていただくことになります」
このエクセルを開いたときから想定していた最悪のシナリオではあるのだが、改めてそれが荒川の言葉で現実味が増した。痛烈な右フックを食らったような感覚を藤田は覚えた。そんな藤田を受話器越しで感じたのか、荒川は話を続けた。
「まずはこれらが不正なのかどうかをカード会社に報告する必要がありますので、取り急ぎこちらのエクセルに必要事項を記載してご返送をお願いできますでしょうか?」
「…はい。承知しました」
「あとですね。今回これだけの件数が不正利用調査として上がってきてしまっているということは、おそらくですが、不正利用者、いや不正集団が御社をターゲットにしている可能性が高いです。御社がいま狙われているということです。不正集団は狙いを定めると一気に稼げるだけ稼ぐために不正利用を繰り返してきますので、今回の調査対象の取引を確認していただき、それらの注文に傾向がないかご確認いただけますでしょうか?もし傾向があるようであれば、同様の不正利用が発生しないように早急に対策をご検討いただけますでしょうか?」
「…対策ですか?」藤田はまだ荒川の説明が咀嚼できていないので、オウム返しをした。
「弊社で不正対策を実施する際のガイドブック的なものをご用意しておりますので、のちほどメールでお送りしますね。まずはそちらのガイドブックを参考にしていただきながら、対策を検討してみてください」
「そうなんですね。わかりました」
「では、まずは不正利用調査のご返信をお待ちしております」
荒川にそう告げられて電話は切られた。
藤田は一社員であり、カスタマーサポート部門なので会社に対して売上に対する責任はないのだが、この事態を重く感じていた。ただでさえ会社の中でカスタマーサポート部門はコストセンタ―として認識されている。別に厄介者ということで煙たがられているというわけではないのだが、部門としてはできるだけコストを削減する取り組みをしている中で、いきなり150万円の損害を出してしまう可能性が高いということは何ともショッキングな事態だと藤田は認識をしていた。
藤田は荒川との電話が終わってから放心しかけていたのだが、まずはこの事態を上長である部長に報告することにした。悪いことはできるだけ速やかに報告することで仕事が上手く回る、というのは藤田が日頃から意識している鉄則のひとつだ。部長の席を見てみると、都合よく部長は自席でPCの画面を見ながら何か作業をしていた。藤田は自分のノートPCを抱えて席を立ち部長のもとに向かった。
「部長、いまよろしいでしょうか?」
「もちろん。大丈夫ですよ」
そう言うと部長はPCでの作業を中断して藤田の方に体を向けた。
「実は先日の不正利用の疑いがあった取引の件なのですが…」
「ああ、あったね。そんなこと。たしかお客様からカード会社に問い合わせしてください、っていう案内をして一旦対応が終わったんでしたっけ?」
「そうなんですよ。そのお客様対応は終わったのですが、先ほどJCペイメントサービスからその件に関連した不正利用調査の依頼がありました。調査対象の取引が50件ほどあるとの連絡がありまして。最悪のケースとしては、150万円ほどがチャージバックになる可能性があるとのことでした」
部長は藤田の話を黙って目を見ながら聞いていた。
「売上へのインパクトが小さくはないので、まずは部長に報告させていただこうと思いまして…こちらが先方から来たメールになります」
藤田はそう言って部長に藤田のPCのディスプレイを見せるように置いた。
「ああ、やっぱりそうなっちゃいましたか」
「…え?やっぱり、ですか?」
部長からは想定外の言葉が返ってきたので、思った以上に藤田は大きい声を出してしまった。
「そうそう。こないだ藤田さんからその件の相談を受けたときに、これは不正集団のターゲットにされているんじゃないかなと思ったんですよ。それを言おうと思ったんだけど、電話が入っちゃったから言えずじまいだったんですけど。まあ、でも、それだけオンラインストアとして、うちもネームバリュ―が上がってきたという証でもあるからね」
部長は全くと言っていいほどネガティブに捉えていないことに藤田は肩透かしを食らった気分だ。それを察した部長は続けてこう言った。
「つまり不正集団はできるだけ換金性の高い商材を狙うんですよね。リスクを冒して不正利用を実行しているわけなんだから、せっかく不正購入した商品が転売できなかったら意味がなくなってしまうわけですよね。今回うちを狙ってきたということは、うちの商材が転売しやすい、言い換えると買い手が見つかりやすい、と認識されているということを意味しているんですよ」
「…なるほど」
「だから一種の勲章、有名税みたいなものだと思ってもらっていいんですよ。不正利用は」
「…はあ」藤田は部長の論理展開に呆気に取られていた。
「もしかしたら藤田さんは150万円もの損害を出してしまったことに対して責任を感じているかもしれないのだけれども、そんなことは感じなくて大丈夫ですよ。オンラインストアをやっていたら、いつかは遭遇してしまうものなので。あ、あとこの件はわたしから社長には報告しておきますね」
「あ、はい。お願いします」
「それから、きっと我々がこうしている間にも不正集団はうちを狙っているだろうから、早めに対策を講じられるように、今回の対象の取引について傾向があるかどうか見てみてもらっていいですか?」
「はい。もちろんです」
「じゃあ、わたしはこれからミーティング入っちゃうから、あとはよろしくお願いしますね」
そう言って部長はノートPCを脇に挟んで席を離れようとした。
「あ、はい。ありがとうございます。ちなみに部長は…」
藤田が言いかけたところで部長はこう言った。
「実は前職のオンラインストアのときに同じように不正集団に狙われたことがあったんですよ。じゃあ、お願いします」
そう言って部長は藤田からの返答を待たずに、今度こそ席を離れていった。完全に呆気にとられた藤田はそのまま部長を見送った。
藤田は自席に戻りがてら、カスタマーサポートチームの部下数名に声をかけ、送られてきたエクセルの内容を埋める作業を手伝って欲しい旨を伝えた。埋めて欲しい情報は、各取引の注文情報の氏名・電話番号・住所・購入商品。1人あたり10件ほどの取引を割り当てて、手分けして作業を進めていくことになった。
メインの業務をしながら空いた時間で各自作業を進めていたので、すべての情報を埋めるのに2時間ほどを要した。同時に複数メンバーが共同で編集ができるシートを用いて作業を行った。
「藤田さん、作業が終わりましたのでスプレッドシートのご確認をお願いします」
協力したメンバーの最後の1人からのその合図を受けて藤田は該当のスプレッドシートを確認することにした。
「ありがとうございます。確認しますー」
藤田はスプレッドシートにアクセスした。まずは情報が漏れなく埋まっていることを確認した。埋めるべきところはすべて埋まっていた。取り急ぎJCペイメントサービス社に提出しようとしたのだが、さっと目を通している中で違和感を感じた。この違和感は何なのかを確かめるために、じっくりシートを見ていくことにした。その違和感の正体はすぐに判明した。
それは50件すべての「住所」に統一感がある、ということであった。通常の住所であれば、住所の末尾は番地や建物、部屋番号になるのだが、今回調査した取引の住所の末尾はいずれも英数の羅列になっていた。例えば「〇〇県××市△△町一丁目一番地一号 **4693FXK762」といった具合だ。実はこういった形式の住所は珍しいわけではない。この手の住所は転送倉庫と呼ばれている。注文者は海外客であることが多く、日本国内の転送倉庫に届いた物を事前に登録してある海外の住所に転送をするために利用されている。ヌヴィーロのオンラインストアにも熱心な海外客や海外の転売屋がいるのだが、彼らは転送倉庫を利用している。そのため、転送倉庫が配送先であることはそこまで問題ではないのだが、今回藤田が違和感を感じたのは、50件全てが転送倉庫であるという点であった。そこは明らかな共通点があったのだが、逆にそれ以外の氏名・電話番号・商品については共通点がなさそうであった。しかし、転送倉庫を利用しているという共通点が見つかったことは大きな収穫であった。藤田は荒川のメールに情報を埋めたエクセルファイルを添付して返送することにした。
藤田は荒川にメールを送ったあと、カスタマーサポートチーム内にメッセージを送った。その内容は「配送先住所が転送倉庫の場合、発送を保留にしましょう」といった趣旨のものだ。これ以上不正利用の傷口を広げないように暫定的な対策を講じようという狙いだ。あわせて、荒川から送られてきた不正対策のガイドブックも参考にした。その中には、出荷時に怪しい取引は出荷保留にして、注文者に対してメールないしは電話で連絡を取り、本人確認をすることが効果的であることがガイドブック内で紹介されていたため、早速その運用を適用することにした。
しかし、藤田にはまだ納得できていないことがあった。
それはこうしている間にも不正利用の犯人はのうのうと不正利用を繰り返しているのだろうということだ。
ウェブで「クレジットカード 不正利用」で検索してみたところ、いくつか関連するブログ記事に辿り着いた。そのうちの何件かを読んでみたが、いずれも不正利用は犯人が捕まりにくい、そして被害にあったオンラインストアは泣き寝入りするしかない、という内容であった。明らかな悪者がいるにもかかわらず。そこに対してどうしようもない憤りを藤田は感じていた。
藤田はその後も不正利用に関連する記事を読み漁っていたところ、気になる見出しの記事を見つけた。「カード不正利用の犯人を捕まえることができるのか?」という見出しであった。その中ではカードの不正利用の被害にあったオンラインストアが実際にその犯人を捕まえた、という内容が紹介されていた。いまの藤田からすると頼りになるものであった。その記事では、まずは警察に被害届を提出しましょう、ということが案内されていた。先ほどの荒川との電話でも被害届についての言及はあった。
藤田は早速所轄の警察署に向かうことにした。チームメンバ―に警察署にいく旨を伝えてオフィスを出た。
藤田は警察署に踏み入れたことがなかったので、受付があるのだろうか、どうやって被害届を出す手筈になるのだろうか、などの警察署に入ったあとの行動を具体的に想像することができずに、多少の不安を抱えていた。警察署にいざ入ってみると正面に「受付」と書かれた看板がぶら下がっているカウンター形式の窓口があったので、藤田はまっすぐにそこに向かっていった。その窓口の近くにいた警察官に自身の名刺と共に簡単に身分を紹介し、クレジットカードの不正利用の被害にあったため、被害届を出したい旨を伝えた。
受付の警察官はよく理解していないような顔をしていたが「確認しますので少々お待ちください」と言い残して奥の別の警察官に相談しに行ったようだった。中堅の雰囲気のある警官がその相談を受けているようだ。その中堅の警官が腰を重そうに席を立ち、藤田に向かって歩いてきた。歩みは遅い。いや、トロいといっても差し支えのないくらいの速さで歩みを進めてきた。中堅の警官が藤田の目の前まで来ると「あちらで」とだけ発して、面談のできるスペースのほうを指差し移動を促された。警官が先に歩き、藤田はその後ろをついていくことになった。
「ではおかけください」と警官は藤田が座るように案内し「麹町警察署の片橋と申します」と藤田と目を合わせずに低い声で挨拶をした。
「ヌーヴィロの藤田と申します」藤田も挨拶を返した。
「えっと…今回はクレジットカードの不正利用被害に遭われたということですが、一度状況をご説明いただいてもいいですか?」
片橋はそう言うと筆圧によって辞書くらいに分厚くなった黒革の手帳を広げた。警官は本当にドラマみたいな手帳を使うのだなと藤田は思った。藤田は手帳に小さい感動を覚えたのだが、片橋に質問されたことを思い出した。
藤田は今回のいきさつを一部始終かいつまんで説明した。片橋はそれを聞きながら相槌は打たずに、忙しくメモをとっている。一通り藤田の話が終わると片橋は咳払いをした。
「で、その件で被害届を出されたいということですかね?」
「はい。そうです。犯人を捕まえたいんです」
藤田がそう言うと片橋は何も言わずに席を立った。藤田はその様子を目で追った。片橋は何かを取りに行ったようだった。
片橋は席に戻ると同時にテーブルに紙とペンを雑に置いた。
「じゃあ、これが被害届になりますので、こちらにご記載ください」
「あ、はい。わかりました」
藤田は言われるがままペンを手に取り被害届の空欄を埋めていく。その間片橋は独り言くらいの声量で話を始めた。
「えっと、すでにご存知かもしれないですが、この手の事件で犯人が捕まるのは1%もありません。犯人の手先みたいなやつらを見つけることはできるかもしれないのですが、そいつらは犯罪の意識なく関わっている場合が多いんです。で、そいつらの上の、つまり首謀者はほとんどが日本にいないんです。日本にいないとなると治外法権なので、我々も捕まえることができないんです。われわれ警察がこんなことを言うのはよくないのですが、被害届を出していただいても…っていうことなんですが、ご理解いただけますか?」
片橋の説明は淡白だった。藤田は唖然とした。警察は協力的なものと思っていた。
「それは捜査していただけない、ということなんですか?」藤田の口調は強くなっていた。同時に自然と立ち上がっていた。
「もちろんできることはしますよ」片橋は声色を変えずに淡々と答えた。
「捜査はもちろんします。ただ、捕まえられない可能性が高い。泣き寝入りになる可能性が高いということです。それをご理解いただきたかっただけなので。ね。落ち着いてください」
藤田は腑に落ちない感情もあったし、「それでも警察か」という言葉が口の手前まで出かけていたが、さすがにそれは飲み込むことにして椅子に座った。
「ごめんなさいね。こういった被害のご相談は他の会社さんからもいただくことがあるのですが、毎回説明している内容なので気を悪くされないでください。それでも警察か、って言われることもあるのですが、ちゃんとできる範囲での捜査はしますので、その点はご安心ください」
「…そうですか」藤田は出かけた言葉が片橋の口から出てきたので若干の恥ずかしさを感じた。
「では、詳細を教えて欲しいんですけど、いまその取引の詳細がわかるものってありますか?」
「あ、はい。このパソコンに入っています」そう言って藤田は持ってきたPCを指し示す。
「そしたら、早速見せてもらえますかね?」
そう言われて藤田は対象の取引を確認することができるエクセルファイルを表示して、詳細を片橋に説明していった。20分ほどに渡って不正傾向の詳細に関する藤田からの説明とそれに対する片橋との質疑応答が行われた。
「じゃあ、ちょっと今日聞かせてもらった内容をもとに捜査を進めてまいりますので、また進展がありましたら、こちらからご連絡させてもらいます」
片橋は手帳を閉じて立ち上がり藤田にも席を立つように案内した。
「あ、はい…」
藤田は言われるがままに出口に向かった。一応片橋も出口まで見送ってくれるようだ。
片橋は出口まで付いてきてくれたものの「では」と軽く会釈をして署内の奥に向かっていった。藤田も会釈かどうかわからないくらいの角度のおじきをして、警察署を背にオフィスへの帰路についた。
藤田は一息吐くのに空を見上げた。彼女の心を表すように鉛色の曇天が空の隅々まで広がっていた。




