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 渋谷駅、平日の朝9時。佐藤は人の波に飲まれながら、ハチ公口から駅を出た。改札を抜けスクランブル交差点を渡り、道玄坂を登っていく。坂の中腹に差し掛かったところでホテル街に通じる横道に入っていく。先ほどの人の群れとは違い、横道に入ると人がほぼいない。佐藤は、その道からさらに枝分かれした細道に入っていき、一角にある古びた雑居ビルに足を踏み入れていく。エレベータに乗り込み、行き先を最上階に指定する。エレベータの扉は荒くゆっくりと閉まっていく。佐藤を乗せたその箱は大きく揺れて上昇し始めた。ビルは5階建てなので、エレベータに揺られる時間は短いのだが、その間に急加速と急減速の起伏があり佐藤の体には多少のGがかかっていた。最上階に着くと「ガッチャン」と激しい揺れを伴って箱の運動は停止する。


 エレベータを出ると目の前に固く冷たい廊下が伸びている。その廊下を挟んで全部で6つのテナントが入っている。そのうちの1つに佐藤は向かっていき、セキュリティカードを入り口の扉にかざす。ピッという電子音と共にドアが開錠される。佐藤が入室するとすでに大山がデスクでPCに向かって仕事を始めていた。


 「おはようございます」


 佐藤が挨拶をすると「あ、佐藤さん、おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」と相変わらず丁寧かつ朝にちょうどよい声量で大山は挨拶を返した。


 佐藤が自分のデスクに着き、PCの電源ボタンを押す。PCの立ち上げには少し時間がかかるので、その間にコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ出す。


 「そういえば新しい豆を入荷したんですよ。パプアニューギニアの豆なんですけど、フルーティーでなかなかに美味しいですよ。よければ佐藤さんも飲んでみてください」


 「ありがとうございます。いただきます」


 佐藤はすでに別の豆でコーヒーを淹れてしまっていたので、新入荷の豆はまた次回使わせてもらおうと思った。


 「早速ですけど、佐藤さん。今朝は結構ご新規さんからの問い合わせが入ってきているので、まずはその対応をお願いしますね」


 「承知いたしました」


 ちょうど佐藤のコーヒーが淹れ終わる頃合だった。そのまま淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを持って、自分のデスクに座る。PCは無事起動が完了したようだ。熱々の黒い液体をすすりながら、問い合わせ内容を確認していく。大山が言っていたように、昨晩から今朝にかけての問い合わせが10件ほど溜まっていた。古い順から対応をしていくことにした。


 昨晩の22時頃に来ている問い合わせだ。こちらがSNSで出している募集メッセージを見て問い合わせをしてきたのだろう。短く「興味があります。詳しく教えてください」とだけ送られてきた。マニュアルに沿ってメッセージを返信する。




——お問い合わせいただき誠にありがとうございます。


  弊社は海外でオンラインストアを運営しております。


  海外ではメイドインジャパンの需要が非常に高いので、弊社では日本の商品を中心に取り扱っているのですが、人手が不足していて商品の仕入れ業務が追いついていない状況です。そういった状況があり今回の募集をかけさせていただいております。そこであなたにお願いしたいのは、商品の仕入れのお手伝いをしていただきたい、ということです。業務内容はシンプルで私からの仕入れ情報(オンラインストア、商品名、数量など)をもとに、代理で購入いただくのみになります。作業時間は1件あたり5分程度になり、お手持ちのスマホで全て完結します。報酬は仕入れ業務が確認できましたら1件ごとにお支払いさせていただきます。ぜひご協力いただきたいのですが、いかがでしょうか?




マニュアル通りの返信なので、作業自体はコピペで完了する。他に来ていた問い合わせも同様の内容だったので、佐藤は溜まっていた10件ほどを流れ作業で一次対応を完了させる。こういった問い合わせ対応はできるだけ即時に対応したほうがよいかもしれないのだが、あまり深夜帯にやり取りが円滑に進むと怪しい会社なのではないか、と思われてしまうことがあるため、一般的に人が活動している時間で対応をすることにしていると大山から聞いたことがあった。


 すると、一次対応したもののうち、1件返事が返ってきた。




——興味があるので一度やってみたいですが、一度だけでもいいのでしょうか?




 あとは即レスでやり取りを進めていく。




——もちろんです。一度やってみて合わないな、ということであればそのままお辞めいただくこともできます。無論、1回分の報酬はお支払いさせていただきます。




——了解です。では一度やってみます。どうしたらいいのでしょうか?




——誠にありがとうございます。では、ここからは具体的な業務内容のやり取りをさせていただいたり、あなた様の個人情報を含むやり取りが発生しますので、弊社が指定するセキュアなアプリのインストールをお願いします。こちらがインストール先のURLです。https://chatiees.com




——このアプリじゃないとダメなんですか?




——はい。このSNSのDMですと弊社の機密情報や、あなた様の個人情報が漏洩してしまうリスクがございますので、こちらのアプリでのやり取りを必須としております。




——このアプリ、犯罪集団とかが使っているやつじゃないですか?




——そういった方が使われているという話は聞いたことはありますが、弊社の本部では日常的に利用しておりますので、弊社としてはセキュアで安全なやり取りができるアプリとして活用しております。何卒ご理解いただけますと幸いです。もしこちらのアプリでのやり取りが厳しいということでございましたら、ご応募を辞退いただいても構いませんので、あなた様にてご判断いただければと存じます。




 すると先ほどまで小気味良く続いていたラリーは途絶え、向こうからの返事は返ってこなくなった。


 よくあることだ。問い合わせがあったうちの半分以上は別のツールの誘導の段階で離脱する。そこで警戒心が生まれ危なく見えた橋を渡るのを断念しているのであろう。


 佐藤は大山にここで離脱してしまった応募者にリマインドなど追いかけたほうがよいのでは?と聞いてみたことがあったが、大山からの答えは「それはナンセンスなんですよ」というものであった。この仕事を真剣に真面目に取り組んでくれる人は、ここを乗り越えられる人だという。過去に離脱した応募者を追いかけて半ば無理矢理仕事をしてもらったことがあったようだが、その仕事の出来は杜撰で後々にトラブルになってしまうこともあったようだ。なので、このまま返事がなければそのまま放置ということになる。


佐藤は先ほどの応募者と並行して複数の応募者と同じようなやり取りを行なっていた。佐藤はあくまでマニュアルに沿った対応を遂行するのみなのでほぼ手間はかかっていないのだが、並行して似たようなやり取りをしているのでメッセージの送信ミスには細心の注意を払わなければいけない。そういったミス1つで応募者との信頼関係が崩れてしまい、大事な戦力の卵を失うことにつながってしまうという。佐藤はこの仕事に就いた当初に大山から直接研修を受けたのだが、応募者との信頼関係がいかに重要であるか、そしてその信頼関係はいかに脆いのか、というのを何度も説かれていた。そのおかげで佐藤はこの仕事に就いてから、送信ミスは1回も犯していない。


 並行して10件の応募者とのやり取りをしていたのだが、別のツールの誘導を行ったところで、ぱたっとやりとりは止まっていたのだが、20分ほど経過したところで、1人の応募者から返信が返ってきた。




——アプリのインストールができました。




——お忙しいところ早々にインストールのご対応をいただき誠にありがとうございます。それではChatiees上で「takuya_bluenets」でユーザー検索をしてください。そこで表示されたユーザーが私のアカウントになりますので、フレンド申請をお願いします。そちらでフレンド申請を受け取りましたら、あとはそちらのアプリで業務の詳細をご案内させていただきます。




 佐藤がメッセージを送信してから5分ほどで、Chatieesの方の通知があった。どうやらフレンド申請が無事に行われたようだ。早速、Chatieesにてお礼のメッセージを送信する。




——早速のフレンド申請、誠にありがとうございます。あなたのように仕事が早い方からの応募をいただけて大変光栄です。これから契約等の事務的な手続きが少しありますが、今後もよろしくお願いいたします。




 佐藤はそうメッセージを送信して、簡単な契約手続きのやり取りを進めていく。必要な手続きとしては、業務委託の契約の締結、ならびに本人確認のための身分証の提示だ。契約内容はかなりシンプルなものであったことと、電子署名での締結となるため、締結完了まで問題なかったのだが、身分証の提示については若干応募者から渋っている反応が窺えた。しかし、ここも先ほどのロジックと同様に、ここを乗り越えられる人でないとこの先の仕事に支障をきたしてしまうので、身分証を提示できないのであれば結構です、という割とドライな返しを交えて応募者とのやり取りを行うようになっている。そのやり取りの末、身分証の画像の提示をしてもらい手続きは完了となった。


 ちなみに、念のために提示された身分証が偽造でないかどうかのチェックを行なっている。そのチェックについては、佐藤ならびに大山ではそのスキルがないため、専門業者である原田に外注している。身分証を受け取ったら、そのまま原田に転送する。転送すると1分もかからずに回答が返ってくる。今回のように午前中に送ってもすぐにチェックしてくれるし、夜中に送っても同じように即レスで返ってくる。佐藤は数度しか原田に直接会ったことはない。原田の自宅なのか作業場なのかは不明なのだが、そこを訪ねたことがあるのだが、いつ訪れても真っ暗な部屋でオンラインゲームに熱中していた。そんな彼がこちらからの依頼に即レスしてくれるのはありがたい。応募者が偽装してきているのであればそれを即刻見破る必要はあるし、そうでないのであれば早めに事務手続きを完了させ、応募者の熱が冷めないうちに巻き込む必要があるためだ。それなりの報酬を原田に支払っているのだから、即レスする義理を原田は感じてくれているのかもしれないが、その腹の中を佐藤は知らない。




 身分証は偽造されていないことも確認が取れたので、ようやくここから本題に入ることができる。




——身分証のご提示もありがとうございました。こちらで事務的な手続きは完了となりましたので、早速1件仕入れ代行の業務をお願いしたいと思います。




 そのメッセージと共に次の詳細を送信した。




——仕入れ代行先:ヌヴィーロ


  URL:https://nuvilo.co.jp


  購入商品:化粧水***、美容液***、ディフューザーセット、各1点ずつ


  配送先住所:神奈川県××市△△町*丁目*番地 ケルン103号室


  支払い方法:クレジットカード


   クレジットカード情報①


    カード番号:****-****-****


    有効期限:MM/YY


    セキュリティコード:***


   クレジットカード情報②


    カード番号:****-****-****


    有効期限:MM/YY


    セキュリティコード:***


   クレジットカード情報③


    カード番号:****-****-****


    有効期限:MM/YY


    セキュリティコード:***




——このサイトで購入すればいいだけですか?




——はい。その通りです。




——購入するときの注文者の情報はどうすればいいですか?名前とか、電話番号とかメールアドレスとか




——それはあなたの情報を入力してください。弊社のような海外バイヤーの情報で注文してしまうと、オンラインストア側が発送してくれないことがあるので、ご理解いただけますと幸いです。




——そうなんですね。ちなみにカードの情報が3つありますけど、これはどうしたらいいんですか?




——たまにカードが使えないことがあるので予備として3つお送りしています。もし①のカードが使えなかったら、他のカードを使ってみてください。




―—わかりました。やってみます。




—―よろしくお願いします。注文が完了しましたら、注文完了メールが届くと思いますので、そのメールのキャプチャをこちらに送信してください。




—―りょうかいです




 その後、10分ほどで注文が完了した旨の報告があった。そのメッセージには注文完了メールのキャプチャがちゃんと添付されていた。このキャプチャ画像が偽装されていないかどうかのチェックも原田は請け負ってくれている。原田にチェックを依頼すると、こちらも即座に「問題なし」との回答があった。




——早々にご対応いただき誠にありがとうございます。あとは弊社にて商品の受取が完了しましたら、報酬のお支払いをさせていただきます。その前に実は弊社では新規で業務を行っていただいた方にはお祝い金として本件の報酬とは別にギフト券をお送りしております。ぜひ受け取っていただければと存じます。




 そのメッセージと共に、某大手オンラインストアの5千円分のギフト券が受け取れるURLを送信する。




—―いいんですか? ありがとうございます




——喜んでいただけて何よりです。有意義にご活用くださいませ。




 つづけて佐藤は報酬の支払いについての説明のメッセージを送信した。




——さて、報酬のお支払いについてですが、現金でのお支払いではなく、仮想通貨でのお支払いになります。そのため、仮想通貨が受け取れる口座が必要になるのですが、口座はお持ちでしょうか?




——持っていないです。他の方法はないのですか?




——申し訳ありませんが、他に方法はございません。ご契約書にもその旨記載させていただいておりましたので、何卒ご理解の程お願いいたします。




 契約書には報酬の支払いの条項で、こちら側が指定した方法で支払いが行われることと、受け取る側はそれに従わなければいけないことが定められている。




——そうかもしれないのですが




——弊社はグローバルに事業を展開しておりますので、日本円などの各国の通貨でやり取りしてしまうと財務処理が煩雑になってしまいます。そういった背景がありますため、大変お手数ではあるのですが、仮想通貨口座の開設をお願いできますでしょうか?




 メッセージのやり取りに若干の間が生じる。佐藤は続けてメッセージを送信することにした。




——口座の開設のお手続きはオンラインで完結します。概ね10分ほどで手続きは完了しますので、よければこちらの仮想通貨の取り扱い事業者のURLよりお手続きをお願いいたします。




 たいていここまで案内すれば、すでに仕事を行なっているため、口座を開設するに至るケースがほとんどだ。




——わかりました。




——ご理解いただき誠にありがとうございます。それでは口座が開設できましたら、またメッセージをいただければと思います。




 その後すぐに手続きを進めてくれたのだろう。10分ほどで口座が開設できた旨のメッセージが入った。




——お手続きいただきありがとうございます。それではこちらのURLより仮想通貨をお受け取りください。1万円分のビットコインになります。必要に応じていつでも仮想通貨サービス側で日本円に換えることができますので、詳細は仮想通貨サービス側でご確認ください。




——わかりました。確認してみます。




——改めまして、この度は業務を遂行いただき誠にありがとうございました。またお仕事をやられたい、というお気持ちになられましたら、いつでもご相談ください。では、失礼いたします。




 そのメッセージを送り一旦やりとりは完了した。これであとはユーザーから相談があるのを待つのみだ。こちらからは決して追いかけない。先述のとおりであるが、追いかけることで仕事の依頼者側と受託側のパワーバランスが崩れてしまう。パワーバランスが崩れることでトラブルが起きやすくなるのを回避するためだ。






 佐藤は、引き続き新規の応募者の対応、そして既存のユーザーへの仕事の依頼のやり取りに追われて1日が終わりを迎えようとしていた。ほぼ休みなく、ひっきりなしに新規の応募者からの連絡が入っていたのだが、そのうち無事に仕事を委託するところまで辿り着けたのは、そのうちの10%程度だった。しかし、応募者から委託に繋がる割合はアベレージでそんな程度なので、まずまずと言ったところだ。たとえその数字が悪かったとしても佐藤に対して何かペナルティがあるわけではないのだが、一応佐藤は自身の仕事の指標として毎日計測はしていた。


 「佐藤さん、そろそろ上がりの時間ですけど、上がれそうですか?」


 「はい。いま仕事の依頼やり取り中の案件が1件だけあるので、それが終わったら上がりたいと思います。それと先ほど、今日の日報をお送りしましたのでご確認ください」


 「ありがとうございます。佐藤さんは本当に仕事が丁寧で助かります。なかなかこの仕事をやっている人で日報をまめに上げてくれる人種っていないですからね」大山はそう微笑みながら言った。


 「いえいえ、とんでもないです」


 佐藤はそう言って、今日対応する最後の仕事のやり取りに集中した。




 30分程度で最後の仕事を片付けることができた。その仕事も含めて日報を更新し大山への報告を行なった。あわせて、直近の対応の中で見えてきた課題に対して、マニュアルの改善案をまとめていたので、その内容についても大山に確認依頼をして本日の業務を終了することとした。


 「マニュアルの改善案までまとめてくれていたんですね。ありがとうございます。確認しておきます」


 「お願いします。ではお先に失礼いたします」


 「では、また明日もお願いします」


 佐藤は軽くお辞儀をしてオフィスの扉を閉め、オフィスを後にした。エレベーターで1階に降りて外に出るとすっかり暗くなっていた。時刻は19時を過ぎている。オフィスのある路地はほぼ人がいなく閑散としているのだが、道玄坂は家路を急ぐ人々により主流の川のようだ。佐藤もその川に合流する格好で道玄坂を下っていく。しかし、佐藤の川を下る速さは明らかに遅く、川の底で引っかかってしまっている流木のようであった。


 サラリーマン時代は終電まで残業が当たり前な環境であったため、それを比較するとかなり健全な時間に帰路に着くことができている。しかし、佐藤には今の仕事に就いてから軽い足取りで帰宅できた記憶がない。




—今日は何件対応したのだろう




—何人巻き込んでしまったのだろう




 そんなことばかり考えてしまう。身分証を確認しているため、対応した1人1人の顔を思い出してしまう。いつかこんなことを考えなくてもいいようになるのだろうか。もしくはあのままサラリーマンを続けていたほうがよかったのだろうか。そのほうが誰にも迷惑をかけずに生きていくことができたのだろうが。佐藤はそう思いながら、渋谷駅へと足を進ませていく。

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