プロローグ
「—まあ、ちょっと物騒なことがありまして」
「どうした?」
深夜のタクシーの車内では関西出身のお笑い芸人のラジオが流れている。特に運転手と話したい気分でもないので、ラジオを聴き入っていた。
「そこそこ売れているので現金も結構持っているんですけど、カードも持ってるんですよ。」
「そんなん言わんほうがええで。」
「ある日カードで払おうと思ったら、なんか払われへんくて。店員さんも、あれ、これ使えませんね、みたいな。」
「まあ、でもたまにあるよな。お店によって、このカード使えませんってやつ。」
「でも違う日もタクシー乗ってカード使おう思ったら使えませんって。」
おそらくコンビでラジオをやっているのだろう。相方が小気味よく相槌を打っている。
「あれ?タクシーで使えないことなんてないよな、って思って。でも前もあってんけど、磁気不良かなんかで読み取れませんみたいなことはあったのよ。だからそれかなあ、って思っていつか再発行しないとなと思ってたのよ。」
うん、と相方がエピソードトークを邪魔しない程度にラジオの空白を埋めている。
「そしたらカード会社から電話かかってきてんけど、なかなか出られなかったのよ。あんまり電話好きちゃうから」
「まあまあいまどきの奴は電話苦手とかいいますからね。」
「でも何回もかっかってくるし、ちょうどケータイ見てたタイミングだったから電話出たのよ。もしもしって。そしたら、福井さんでよろしいでしょうか?って。はいそうですって言って。そしてら、カード会社の人が、あのー…不正利用されてました、って。」
「あらっ」
「もうそこで結構血の気引いてさ。で向こうが、えっとー…昨日80万円の買い物されてますかね?って。」
「っえっぐぅ…」
「で、してないですって。」
「したんちゃうん?」
「するわけないやろっ!」
ラジオブース内にスタッフもいるようで、複数の笑い声が入ってくる。
「いや、でも怖いね」
「怖いやろ。でもこれさらに続きがあって。向こうの人が、10日前にネットで百何万のお買い物してますか?って。おれは、してないです、って。で7日前に十何万、3日前に40万…って恐ろしい額の。」
「でも買い物が成立してるってことやろ?」
「そう…成立してん…。で、それ全部聞いたら百何万、西丸屋。ベビー用品の。おれ新米爆買いお母さんにめっちゃカード使われてん。」
「なんやねん。そのフレーズ。」
「爆買い新米お母さん、か。」
「どっちでもいいわ。」
「赤ちゃんの買い物めっちゃされてんねん!」
「えっぐいね…」
「ベビー用品、めっちゃ買われてんねん!」
「意外と高いからな。ベビーカーとか。」
「もうびっくりして…」
「びっくりするな…こわいこわい」
「で、おれも、ええってパニクって。電話口で、それ僕の知り合いの誰かのお母さんですかね?みたいな。」
「そんなわけないやろ」相方が笑いながらツッコむ。
「それは分かりません、落ち着いてください、って向こうの人になだめられて。で、僕ほんとうに買ってません。独身ですし。って。そしたら向こうも、わかっておりますって。」
「ほんでわかっておられるやん」
「そしたら、福井さんが不正に利用されたことはわかっております。わかってますので大丈夫ですよって。」
「それはよかったやん」
「で、ちゃんとその不正利用っぽいお金は保険みたいなんで適用されるみたいな」
「じゃあ返ってくるというか大丈夫なん?」
「そう、大丈夫。」
「なんか嫌やな。怖いね。どんな子、育てんかな?」
「そうやで!その哺乳瓶で育った子はろくでもないぞ!まじで!百何万ってなんや!ベビーカーに車輪何個ついてんねん!」
「それは4個やろ」
「おかしいやろ!」
「いやいやそんなことよりお前のカードのグレードいかついのが気になってそのトーク入ってこおへんねん。」
「なにがやねん」
まさかの切り返しでブース内にはまた笑い声が響いている。
「限度額いかつない?一撃百万の買い物ってないで?」
「いやいやいやー」
タクシーが路肩に停車するかしないかのタイミングでタクシーの運転手が「お客様、着きました」と低すぎる声で目的地到着を告げた。「カードでお願いします。」とカードを出しながら伝えると、後部座席にある端末でタッチか挿し込みで支払うように促された。そのままタッチで支払いを完了させると後部座席のドアが自動で開いた。こちらも明るすぎない声色で「ありがとうございました」と言いながら降車した。
ラジオでカード関連の話があったので、支払いの際に運転手から何か気の利いたコメントがあるかなとうっすらと期待をしていたのだが、無駄な会話はなかった。無機質な運転手であった。そのほうがこちらも気を遣う必要もないのでありがたいのだが。
しかし、さっきの芸人は何百万もの身に覚えのない買い物がされているにもかかわらずそれを数日間放置していたとのことだった。かなり不用心というか、今の時代ああいった危機管理の意識の低い人はまだまだ多いのだなと感じた。
そういった連中のおかげでこちらが稼げているのではあるのだが。




