第一章 エピローグ
毒林檎事件の日に着ていたベージュのドレスは、「忌々しい」と言う理由で母がその日のうちに捨ててしまった。
ジュースの染みは染み抜きさえすればまた着られたと思うけど、血まで付いたしまったから仕方ない。それに、娘が死にかけた日に着ていた“いわく付き”のドレスだもの、縁起が悪いと憤る母の気持ちも分かる。
だから、それはいい。
あれ、結構気に入ってたんだけど、まあ仕方ないよね。
問題はそこじゃないのよ。
「ダメにしてしまったドレスの代わりにね、お母様、ハリーにとっても似合う新しいお洋服を用意しておいたのよ」
上機嫌に母は語る。
あのベージュのドレスを、「地味だ」と言って良い顔をしなかった人だ。どんなものが用意されているかなんて予想はついていたけど、リボンとフリル満載の、いかにも母が好みそうな少女趣味全力全開フルスロットルのドレスをいざ目の前にして、さすがに目眩がした。
「お城にご招待されるなんて、さすがはハリーね!」
「……お母様の娘だものぉ」
うふふ、と笑っておく。目が死んでいるのは見逃してくれ。
このやりとりも何度目だろうか。
よっぽど嬉しかったのだな、母よ。
メンタルの磨耗と引き換えに親孝行が出来るのだと思えば、うん……
前世では親孝行をする前に死んでしまったからなあ……
「素敵でしょう、薔薇をイメージしたのよ」
「はい、とっても」
わたしの眸と同じ赤色を基調としたドレスには、襟や袖や裾に薄桃色のフリルが幾重にもあしらわれている。パフスリーブで、胸元は編み上げ式だ。ウエストにくっ付いている大きくて赤いリボンと同じものが等間隔でスカートの裾のぐるりにも配置されており、ご丁寧にヘッドドレスまで用意されていた。
一部の隙もなく母の理想が投影されたそれは、とにかくフリッフリのぶりっぶりである。
見た目にはとても可愛い。これがビスクドールのドレスなら、わたしだって喜んで着替えさせただろう。
だが、着るのはこのわたしだ。
なぜ薔薇モチーフにしたかなんて、聞くまでもない。
奇しくも快気祝いに訪れたあの日に殿下が持ってきた薔薇に似ていなくもないのが、また小癪だった。
派手だ。すごく目立つ。
着たくない。
かなり本気で拒みたい。
クローゼットにあるどんなドレスよりも華やかで、ゴージャスで、自己主張が激しい、着る人間を選ぶドレスだ。
おそらく、選ばれた人間であるわたしはとても似合うだろう。少しも嬉しくないけど、この顔にこのドレスは間違いなく映える。少しも嬉しくないけど。
さすがはお母様、自分の娘の魅せ方を心得ている。
リアル着せ替え人形のわたしに拒否権はない。
「今日の日に間に合って本当に良かったわ」
「うん……」
そう、そうなのだ。
あれよと言う間に約束の日は訪れてしまった。
時間って平等よね。そして残酷だわ。
季節は雨季。今は雨垂れ月と呼ばれる、前世日本で言うところの師走である。
両親に「実は……」とアマーリ殿下との約束を話したところ、予想通り母が張り切り、父を介してさっさと訪問日の予定を取り付けてしまった。行動力の鬼である。
年末のクソ忙しい時期に御宅訪問なんて相手のご迷惑になりかねないので遠慮したかったのだけど、王宮にとっては一貴族の兄妹が私的に王子を訪うことなど些事であると兄に一蹴されてしまった。
「苦手なことを先延ばしにするな」
後が辛いだけだろうと諭されて、ぐうの音も出なかった。
ギル様はいつも正しい。
――あの夜、エリヤのことを思い出したわたしはベッドから飛び降りたその足で兄の部屋へ駆け出した。
「お兄様!」
夜も深い時間に突然部屋へ押し入った妹を、兄は目を丸くして振り返ったが、マナー違反だとかそんなお説教は後回しにしてもらい、わたしは思い出したことをすべて彼へ伝えた。
話を聞き終えたギル様は、胃の痛そうな顔をして、「バカなことを……」と奥歯を噛み鳴らしていたので、どうもあの兄弟に苦しめられるのは我々グラニースミス兄妹の宿命らしい。
以前も思ったけど、兄には中間管理職の相が出ている。
――お互い、胃腸がもっと丈夫なら良かったのにね……
「とりあえず、この件は保留だ。いいな?」
「う、うん」
初めから言いふらすつもりなんてない。
噂が下火になったとは言え、毒殺未遂事件への第一王子の関与が完全に否定されたとは言い難いのが現状だ。その上、庭園に忍び込んでいたのが事実だと分かれば、次は何を言われるか分かったものではない。
とは言え、わたしはあの兄弟を信じたいと思っているし、おそらくギル様は、わたし以上にその想いが強いだろう。
誤解のないように言っておくと、わたしは王侯貴族と積極的に関わりたくないだけであって、別に王族憎しと言うわけではないのだ。
初めて茶会を主催した弟を心配して庭に忍び込んだ“エリヤ”は、血を分けた弟の毒殺を平然と行うような人物にはとても見えなかったし、そもそも彼は果実水の入ったジャグとは離れた場所にいた。コソコソと薔薇の陰に隠れていたのはかなり怪しげではあるけども、毒を入れる機会なんてなかったと思う。
大体、他ならぬアマーリ殿下が完全に否定したのだ。――僕らは何も変わらない、と。
ならば、それ以上の言葉は必要ないだろう。
それはそうと、イライジャ殿下の愛称がエリヤだとは意外だった。リジーじゃないのね。
ベティも本名はベサニーだし、横文字の名前ってややこしいなあ。日本人のあだ名の分かりやすさを見習って欲しいよ。
おかげで、思い出すのに時間を要してしまったわ。
ところでわたし、初対面で何かやらかしてたりしないよね?
大丈夫かな、急に不安になってきた。なにしろ細かい部分の記憶が曖昧なのよ……
――また会おう、ハリー。
「…………」
……いや、ホントに。
彼と交わしたあの約束を果たす日が、わたしの命日になったりしないよね……?
「お嬢様、いきますよ!」
「せーの!」
「うぐぇっ……!」
掛け声と共に侍女たちにグイグイとコルセットを締め上げられて、令嬢らしからぬひどい声が漏れる。
たかだか八歳児のウエストをここまで締め上げる必要ってあるのかなぁ?! もはや虐待だと思うんだけど!
滅びよコルセット!
ドレスなんか大っ嫌いだ!
「おおお……死ぬぅう……!」
「お洒落は我慢です、お嬢様」
「さあ、笑ってくださいまし」
「無理ィイ!」
笑えるか!
社畜時代を思い出すから根性論はやめてくれ!
見なさいよ、この蒼白の顔面を。息が出来ないのよ。
成長期の身体なんだから、もっと大事にして欲しい。
いつにも増して張り切ってる侍女たちは、どうやら加減と言うものを忘れたらしい。わたしの金髪は、当然の如くいつもより多めに巻かれてクルンクルンしております。
鏡に映る青白い顔の自分は、コルセットの拷問による無表情も相まって本当に人形みたいだ。
「ああ、本当に愛らしい!」
「完璧ですわ、お嬢様!」
「はは……」
ベティ達が口々に褒めちぎってくれるけど、乾いた笑いしか浮かばない。
ヤバイ。
マジで今日が命日になりそう。
こんなにしんどい思いをして、得られる物がお城のアップルパイって、ちょっと割りに合わなくない?
「これで王子様もイチコロですわね!」
ベティの明るい声が恨めしい。王子の前にこっちがコロリだわ。
苦手なことを先延ばしにしてはいけない――ギル様の教えは概ねいつも正しいけれど、ひとつだけ物申したい。
コルセットの苦痛は、男性陣には分かるまいよ。
第一章 終




