疑惑の王子
摂取カロリー消費のため、わたしが散歩を提案すると、ロッテは露骨に面倒くさそうな顔をした。もう少し取り繕っておくれ。
そりゃあね、お菓子をバクバク食べて無駄な栄養を取り込み続けたのはわたしであり、ロッテは摘まむ程度しか食べてないし、「動くのダルいっすわ〜」と言う気持ちは分かるんだけど!
「お、お庭のお花が綺麗に咲いたのよ」
「花かあ……花より、ごろ寝がいいなあ」
健全な八歳児の言う台詞じゃないな!
前世の“わたし”が八歳のときと言えば、毎日門限ギリギリまで近所の公園を走り回ったり、木に登ったり、自転車で学区外まで冒険に出たりしていたのに。
「……今の時間なら」渋るロッテに、取って置きのカードを切ってやる。「お兄様が庭で剣の稽古をしてる頃合いかしらね」
「ぜひお庭を案内してくださいな。わたし、お花大好き」
釣れた。楽勝過ぎて怖い。友達がミーハー過ぎて心配になる。将来、彼女まで悪役令嬢になったらどうしよう……
――いや、わたしも悪役になんかならないけどね!?
良く晴れた午後の庭園は、少し日差しを暑く感じるほどだった。
屋敷の外にはほとんど出してもらえないけれど、その分、敷地内は比較的自由に歩き回れる。わたしとロッテは日傘を差して、花を眺めながらてくてくと歩いた。
「あ、ライラック。いい匂いね」
「うん」
ウォーキングにもならないヌルいお散歩だけど、何もしないで部屋でゴロゴロしているよりはマシと思おう。
ライラックの他にもハナミズキやアザレア、ツツジと見慣れた植物に溢れていて、心が落ち着く。もちろん、前の世界にはなかった、知らない植物も混じっている。
この国の気候は日本と良く似ているけれど、夏はだいぶ過ごしやすかった。以前は関東に住んでいたので、あの酷暑を思い出すだけでげんなりする。いつか太陽に殺されると思ったのも、一度や二度じゃない。マジで。
でも夏が過ごしやすい分、やっぱり冬は少しだけ厳しかった。豪雪とまではいかないけれど、王都にもそこそこ雪は積もる。地方はきっと、もっと積もるのだろう。
このファンタジー世界で、雪に包まれた静かな夜を暖炉のそばで過ごすなんて、以前の“わたし”が夢見た物語のような暮らしそのものだけど、豪華な調度品も華麗なる一族も、わたしの理想を大きく上回り過ぎていて押し潰されそう……
家を没落させるわけにはいかないので、平民落ちとまではいかなくとも、せめて穏便に降嫁したい。駆け落ちは後々面倒なことになるので、なるべくなら平和的に、合意の上で。
「ロッテは、どんな人と結婚したい?」
先日、ベティ達にぶつけた質問をロッテにも投げてみる。
「うーん……もし、どーしてもこの人と結婚しなさいって言われるのなら」
前を向いたまま、くるりと日傘を回してロッテは言った。
「毒にも薬にもならない人がいいかな」
「夢がないにもほどがある」
わたしの言えた義理ではないですが、それでいいのか八歳児!
意外とミーハーなロッテのことだから、てっきりもっと夢のある答えが返ってくると期待していたのに……
「ほら、王子様は?」
「何言ってるのよ。イライジャ様にはもう婚約者がいるじゃない」
「じゃなくて、アマーリ様の方」
正確にはまだ“王子様”ではないけれど、可能性は五分五分だ。ロッテの家格なら十分チャンスがある。
だけどロッテは手をヒラヒラ振って、「バカ言わないでよ」と、からりと笑った。「グラニースミスの兄妹に台頭するわけないじゃない」
「群雄割拠してくれて構わないのに……!」
この、キープ第一軍みたいな扱い、ホントにイヤ。
もし仮に殿下が“王女様”となった場合、やっぱりギル様と結婚するのかな……。そうなるとわたしは、未来の女王の義妹になるわけで……
あれ? でも、殿下が女の子になればヒロインなんて関係なくなるワケだし、わたしが悪役として破滅の階段を転げ落ちていく運命も回避出来るんじゃない?
ギル様のあの様子だと、殿下とはかなり親しい間柄のようだった。年の差も三歳なのでちょうど良い。
――これ、アリだな。ギル様とアマーリ殿下の結婚は、わたし的にアリ寄りのアリだな。
王家と縁戚関係になるのは不安があるものの、わたしなんて謂わば食玩に付いてくるラムネやガムのようなものだ。存在を消して壁になろう。大丈夫、慣れている。わたしは壁になれる。
それに、妹として兄がどこの肉食獣やも知れぬ御令嬢と結婚するのは避けたいところではあったので、これはもしや、謂わゆるひとつのウィンウィンと言うやつでは……?!
実兄を人身御供に差し出す作戦を思い付いてウキウキしていたわたしは、しかし、ここで致命的な見落としに気が付いた。
王家の跡目争いである。
いくらイライジャ殿下とギル様が親しくても、そこに政治的なアレやコレが絡んできたらどうなるか分からない。昨日の友が今日の敵になることなんて、なんら珍しくない世界なのだ。
もっとも警戒すべきは、第一王子の婚約者であるルシル嬢の父君――現宰相のルグルス公爵である。
もちろん、会ったことなんてない。ただ、万が一ここが乙女ゲームや漫画の世界だった場合、どう甘く見積もっても確実に悪役ポジションのわたしは、無為に死にたくない一心でこの国のこと、王家や上流貴族のことを死にものぐるいで調べたのだ。
ブレナム王国三大公爵家のひとつ、ルグルス公爵家には、イライジャ様よりひとつ年上の御令嬢がいる。ルシル・ガレ・カメオ様だ。
世継ぎ誕生に湧いた当時、王太子の婚約者に相応しいのはルシル様しかいないと騒がれ、生まれて間もなく御婚約式までされたのに、その三年後にはアマーリ殿下が生まれたのを理由にイライジャ殿下の立太子は白紙に戻された。
もっとも割を食ったのは言うまでもなく第一王子だが、ルグルス公爵家も負けてはいない。
めちゃくちゃ失礼を承知で言うけど、カメオ家にとったらハズレくじを掴まされたも同然だもの……
この状況を、当事者であるイライジャ様やルシル様がどう思っているかなんて、当然わたしには分からない。
彼女は、公爵家の中では唯一わたしと年齢の近いお姉様なのだけれど、公の場には滅多に現れない。過去に二回ほど、ご挨拶をしたことがある程度だ。
けれど、あのお茶会の日はイライジャ王子に会いに来ていたらしく、騒動を知って真っ先にお見舞いの品と手紙を送ってくれた。
美しい文字と便箋から香る花の香水に、わたしがベッドの中でメロメロになったのは言うに及ばず……
ルシル姉様は、まさにわたしの理想のお姫様そのものだった。珍しい銀の髪にアンバーの眸をした、雪花の妖精のように綺麗な女の子。とても、権力に固執するタイプとは思えない。
儚げで嫋やかなそのお姿に、誰が呼んだか“白百合姫”と二つ名まで付いている。
まさに生まれながらのお姫様――対極の位置にいる悪役顔のわたしでは、どう足掻いても敵うまい。ほら、わたしって権力に固執しそうな顔してるじゃない? 理不尽。
正直、かなり羨ましい。
わたしだって、この庭園に咲く春の花のように、美しい花に例えられたい。遠巻きにされて、「今日もお美しい……」とかため息混じりに言われたい。
だけどせいぜい、わたしなんて、“毒林檎姫”が関の山なんだ……
「どうかしたの、ハリー? 変な顔して」
「……なんでもない」
この世の不条理に気付いて泣きそうになっているだけです。
◆
東の庭園を抜けて、さらに小径を歩いたその先に、我が家の護衛騎士や警備兵達が寝泊まりしている宿舎と、演習場がある。
この国では、貴族が私財で兵団を持つことを禁止している。国境を守る辺境伯は軍事貴族として国境警備隊の任に就いているので別枠だけど、それ以外はせいぜい、護衛騎士や警備兵を所有する程度だ。国民は兵力として扱われるため、規定の年齢に達すると二年間の徴兵義務が課せられる。
騎士見習いになれるのは九割が貴族の子女であり、一般市民が騎士になろうと思うと貴族の紹介が必要だったり、アカデミーで優秀な成績をおさめないといけなかったり、なかなかに狭き門だ。そんな中で、我がグラニースミス家の採用間口が広いのは一部で有名な話だった。
とにもかくにも実力主義。
貴族じゃなくてもウェルカムトゥー。
傭兵上がりだってなんのその、出張先でお父様が直々にスカウトしてきたこともあるくらいだ。
多種多様の人間が集まる公爵邸の一角は、今日もどったんばったん大騒ぎなのである。
まあ、そうは言ってもさすがに邸宅内なので、治安が悪いわけではない。それじゃ本末転倒だ。
ただ、雰囲気は独特である。
前世で男性とは縁遠かったわたしが、今世でも出来れば積極的に関わりたくないと思う人種の巣窟――そう、平たく言うと、ここは陽キャの集まりだった。
剣を振るうフレンズ達の中に兄の姿を見つけたわたし達は、邪魔にならないよう日傘をたたみ、木陰に隠れてその姿を眺める。
今日の指南役はマイヤー兵長だ。グラニースミス家護衛騎士分隊統括分隊長の彼は、国境付近に住むダーニャ神族の出身で、傭兵から騎士に成り上がった異色の経歴の持ち主である。
傭兵経験から実戦向きにアレンジされた兵長の剣術は、「あいつがいちばんやり難い」と兄には概ね不評だ。
その評価通り、ギル様は押され気味に見えた。対する兵長は余裕綽々である。十一歳の子どもと現役の騎士様だもの、当然よね。
やっちゃえ兵長、その調子だ!
「カッコイイ……」
両手を胸の前で組み合わせて頬を染める姿だけを見たら、今のロッテはとても恋する乙女っぽい。
「はあ……眼福……」
これさえなければ。
彼女、ミーハー度合いで言えばわたしなんかよりずっと最前線を突き進んでいる。神レベルのイケメンを本尊として拝むのは分かるとして、わたしは積極的に彼らに近寄ったりはしない。接触するとしても、あくまで偶然であることを大事にしている。そうでなければ、いつこちらに火の粉が降りかかってくるか分からないじゃないか。冤罪なんて笑えない。
推しは眺めていたいけど、認識はされたくないのだ。
「ギルバート様はもちろんだけど、お相手の騎士様も野趣に溢れていて素敵ね」
「なんでもありだな、君は」
おっしゃる通り、マイヤー兵長は浅黒い肌をしたワイルドなわんこ系男前ですけど、それにしたって、ちょっと節操がなくない?
「美形は世界からの贈り物なのよ」
「初めて聞いた」
「悔しい、こんなことならオペラグラスを持ってこれば良かった」
「オペ……」
絶句する。――いや、もう何も言うまい。
実に生き生きとした顔で訓練を覗き見……じゃない、見学する友人を尻目に、退屈になったわたしは枝で地面に落書きを始めた。
前の世界の記憶が戻ったとき、まだ日本語は書けるのだろうかと思い、五十音を紙に書き出してみたことがある。結果、平仮名とカタカナはどうにか書けたけれど、漢字は壊滅的で、せいぜいが小学一年生レベルだ。
今のわたしにとって日本語は、文字というより記号や図形に近かった。日本人だった頃、馴染みのないロシア語やアラビア語を見て、なんとなくそれと分かっても書けなかったように、「日本語ってこんな感じだったよなあ」程度の認識しか残されていなかったのだ。
それでも、せっかくなので思い出せる文字はなるべく忘れないよう毎日練習した。実は日記も日本語で書いている。
何かの拍子に役に立つことがあるかもしれないし、なければないで、それでいい。あくまで保険だ。
まったく異なる歴史や文化の異世界、あるいは並行世界に生まれたのに、前世なんてデータを引き継いでしまったわたしは、この世界にとって異分子に違いない。ゲームならばバグ、それもわりと致命的な。
わたしには、ヒロインの性格が悪魔のように捻じ曲がっていないことを祈ることしか出来ない。
だって、よく見かけるじゃない? 実はヒロインも転生者で、王子様と結婚するために罪をでっち上げて、清く正しい当て馬令嬢へ擦りつける的な展開が……
恐ろしいのはそこだ。
どれだけ品行方正に生きていても、神様ムーブでいずれ運命が強制的にデバッグされる日が来るのだとしたら、わたしには排除される未来しか待っていない。
もう、当て馬になるのは受け入れるわ。そうよね、わたし、当て馬顔だものね。将来的に婚約者を横から掻っ攫われても、「よし来た、持ってけ泥棒!」と気前良く差し出す心の準備をしておこうと思うの。
備えあれば憂いなし。
いっそのことわたしも、自分の身を守れるように剣術を習ってみるとか? 攻撃特化型の火属性だから、魔剣士になるのも一興かな。他国はブレナムほど魔法使いに恵まれていないし、公爵令嬢の肩書きを無くした後、そう言う職業で生計を立てるのもひとつの手かも知れない。
上位貴族として生まれながら、「働く」と言う行為を、わたしはごく普通に受け入れることが出来る。前世での名前も家族の顔も、慣れ親しんだ文字さえほとんど忘れてしまっても、悲しいかな「労働」の概念だけはわたしの魂の根幹に深く根付いているのだ。
さあ、剣術指南の件をどうやってお父様にお願いしようかと思案していると、遠くに女性の話し声を拾った。
こちらに近付いてくる気配がする。
わたしはロッテに目配せをして、くちびるの前で人差し指を立てた。こんな場所でコソコソ隠れて覗き見――ええ、もう認めよう。覗き見だ――をしているのがバレたら厄介だ。ギル様に見つかったら、それこそ野良犬を見るような目を向けられてしまう。正直、最近はそれもアリかなって思い始めてる自分がいて、ヤバい。非常にヤバい。その扉はまだロックしておきたい。
じっと耳を澄ましていると、複数名の話し声が、だんだんと明瞭になってきた。
宿舎の方から聞こえてくる。
潅木の陰から視線を向けると、一回りもある大きな籠を抱えたランドリーメイドの姿が見えた。演習場をチラチラ見て、何やらはしゃいでいる。おそらく、兵長の話題で盛り上がっているのだろう。年頃の女の子だもんね。分かる。
他愛のない会話をする彼女達が通り過ぎて行くのを待っていると、不意にその中の誰かが「そう言えば」と口火を切った。
「侯爵家のお嬢様が遊びにいらしたわね」
「ハリエットお嬢様のお友達だそうよ」
「ああ……よかった、お嬢様にもお友達がいらしたのねえ」
「ねえ、本当に」
無言のロッテが憐憫の目で見つめてくる。やめろ、その目をやめろ。
あのメイド達に悪気がないのは分かるから誰にも文句は言えないけど、まさかこんなところでぼっちバレするとは思わなかった……いっそ殺せ……
「でも、アルティオール侯爵家の御令嬢よ。もしかして、ギルバート様のご婚約者候補としていらした可能性もあるんじゃない?」
――ないよ?!!
ロッテがミルクティ色の両目を見開いて、首がもげるほどブンブン振っている。いや、確かにそうなんだけど、そこまで全力で否定しなくても……
うちのギル様の何が気に入らないと言うのか。
「やっぱり? わたしもちょっとだけ、そうかな、とは思ってたの」
……思っちゃったかあ。
すっかり立ち止まった彼女らがお喋りに花を咲かせ始めてしまったおかげで、わたしとロッテはその場から動けなくなった。今逃げ出したら、絶対に見つかってしまう。
わたしたちは情けない顔を見合わせて、せめて路傍の石になろうと、さらに身体を縮こまらせた。
「じゃあ、ハリエット様はアマーリ殿下とご婚約されるのかしら」
「きっとそうよ。だって毎日、殿下から薔薇の花束が届いていたんだもの」
「きゃあ! やっぱり、そうよね!」
「殿下はすっかりうちのお姫様に夢中なのね!」
肥沃な土地で、根も葉もない恋バナが勝手にスクスク成長している。葦より早いな。
……なるほど。噂って、こうして生まれるのね。ここまで身に覚えがないと、ある種の感動すら覚えるわ。
「……でも、そうなると“あの噂”が怖いわよね」
ファーストフード店でたむろする女子高生のようなパワーに圧倒され、白目を剥きかけていると、メイドのうちの一人がやおら声を潜めて呟いた。
彼女に倣うよう、みんなが少し声のトーンを落とす。
「ああ、第一王子の……でも、本当かしら?」
「どうあれ、うちの姫様が危うく儚くなりかけたんだもの。許せないわ」
「滅多なことを言ってはダメよ、リタ。証拠もないのだし……」
「……でも、みんな言ってるんでしょう? お茶会の席で“あの方”を見たって」
リタと呼ばれたランドリーメイドが、白い頰を赤らめて尚も言い募った。
「あの日、毒を仕込んだのは第一王子かも知れないって」




