第十二話 執念の第二ボタン
私ことアリス・辰野は、オリエンテーションを無視して下駄箱へ走った。
自分でも驚くくらいに体が軽い。階段を跳び下りて、とにかく急ぐ。
自転車は空気を抜いておいたけど、あの先輩のことだ。這ってでも逃げようとしているはず!
私は靴を履き替える間も惜しんで、昇降口を出た。自転車置き場に走り……、
「まだ、ある」
空気を抜いたタイヤはぺったんこ。これなら、逃げられないはず。って、
「ああああ! 鍵が付いてるってことは、もうここに来てた!?」
自転車を捨てたのか! 無駄に思い切りがいいな、あの先輩は!
私は上履きのまま、校門へ向かった。すると、二人の生徒の背中が見えた。
とんがり頭と、もう片方は忘れた。とにかく、あのとんがり頭が私の仇敵! 鍛えた脚にものを言わせて、私は追いつこうとしたんだけど、
「ああ、もう!」
二人は校門を通り抜けて、逃げ去ってしまった。
新入生は、部活勧誘のオリエンテーションを必ず受けなきゃいけない。さすがに、外にまでは追っていけない。
悔しい、また負けた! 何をやっても、どんなに小さなことでも、私はあの先輩、竜崎勇人に敵わない!
それがどうしても我慢できなくて、わざわざこんな高校に来たのに! 留学の話を全部蹴って、あの退屈なテストを突破してきたのに!
勝負は、明日に持ち越しね。ホント、悔しくってたまらない。
はあ、めんどくさいけど、部活の勧誘を見に行かなきゃ。っていっても、私はどの部活にも入る気はないけど。
私にとって重要なのは、竜崎勇人に勝つこと。それ以外に、興味なんて無い。
どんな論文も、どんな数式も、宇宙の神秘だってどうでもいい。私はとにかく、あの先輩に勝ちたい!
でも、今日は負け。初日から黒星なんて、やってくれるじゃない……。
私は自分でも分かるくらいに肩を落として、教室に戻った。
「ん? 辰野、どこに行ってたんだ?」
担任の先生が聞いてくる。適当に誤魔化そう。
「ちょっと気分が悪くなったので」
「そうか? 体調が悪いなら、オリエンテーションを休むこともできるが……」
「いえ、治りましたから大丈夫です。ちゃんと行けます」
クラスメイトが、私を見ている。なので、愛想笑いを浮かべて、自分の席に着いた。
「ねえ、ねえ」
「えっ?」
担任が説明しているのに、隣の席にいた女子が話しかけてきた。
「もしかして、憧れの先輩に会いに行ったの?」
う、さすがに分かる人には分かるわよね。
私は愛想笑いのまま、曖昧にうなずいた。
「やっぱりー。男子だよね?」
「えっと、それは……」
「憧れの先輩を追って、同じ高校に来たんだ。マンガみたいだね。愛する人を追いかけてー、なんて」
「ちっ、ちがっ!」
私は別に、好きじゃない。あんな先輩のどこに惚れるっていうのよ!
「どうかしたかー、辰野?」
「い、いえ、なんでもありません。ちょっとペンを落としてしまって」
いらない嘘を吐くはめになった。担任は、私の言い訳を信じて、また部活の説明を始めた。
「うわー、かなり本気なんだ」
「だから、違うってば」
小声で言いかえす。でも、あっちは自分の妄想にひたっているみたい。私の言葉を完全に無視してる。
「あ、私は天野美優。よろしくね、アリス・辰野さん」
「……よろしく」
なんか、相手のノリにつられてしまった。ただでさえイラついているんだから、ほっといて欲しい。
なんだか誤解を解けないまま、私たちはまた体育館に連れていかれた。部活の勧誘なんて、中学の頃からずっとだった。今さら興味なんてない。
「あ、あなたが辰野さん? バスケどうかな、バスケ」
「文化系もお忘れなく。科学部はどうですか? あなたの知識を、ぜひ我が部に貸してください!」
「野球部のマネージャー兼コーチってことで来てくれないか? 君の噂は聞いてるぞ」
はいはい、勧誘勧誘。
私は全部やんわりと断った。あの先輩が所属している部なら行ったかもしれないけど、どうせ竜崎勇人は帰宅部だ。
運動も文化も興味なし。今さら、幼稚なことに付き合いたくないもん。
あーもう、早く終わってくれないかなあ。退屈すぎる。
「あ、辰野さん、部活決めた?」
いつの間にか隣にいたお隣さん……って、ややこしいな。さっきのクラスメイトがいた。天野、だったっけ?
「私は文芸部にするんだ。辰野さんもどう?」
「遠慮しとく。興味ないもの」
「そうなの? せっかく高校に来たんだから、部活楽しもうよー」
肩を掴まれて揺さぶられたけど、私の信念は揺るいだりはしない。
「ねね。そのセンパイは、何部なの?」
「知らない。たぶん、帰宅部」
「えー、そうなの? 同じ部活でイチャラブしたりしないの?」
「だから、あの先輩とはそんな関係じゃないの! ただの敵なの!」
「敵……?」
「そう、敵。私が絶対に勝たないといけない相手なの」
ふーん、と天野さんは頷いた。やっと分かって……、
「ツンデレってやつね!」
「違うわよ!」
くれてない!
ツンはいいとしても、ぜえったい、あの先輩相手にデレたりするもんか!
「いやー、青春だねー。まさか、隣の席の人がこんなにマンガ展開してるなんて。これから楽しくなりそうだ」
「勝手に楽しまないで。マンガなんかじゃなくて、これは本気の勝負なの」
「てことは、本気で惚れてる?」
「だーかーらー!」
ああなんでこんなにめんどくさいのかなあ!? 違うって何回も言ってるじゃない!
はあ、なんだかもう嫌になってきた。こんな学校、来るんじゃなかった。もっと良い大学とか、色んな話があったのに。
……これも全部、竜崎勇人のせいだ。アイツがいなければ、私はずっとトップを取れてたのに。
スカートのポケットに隠してる、アイツの第二ボタンを握りしめる。お情けで渡されたのが悔しくて、握り潰せるようにいつでも持ってる。
必ず、私が勝ってみせる。参りましたと言わせてやる。だから、早く終わってよ、勧誘なんて。
誰にも、私の気持ちが分かるもんか。
でも結局、オリエンテーションが終わるまで、私は解放されなかった。それがさらに悔しくて、私はずっと第二ボタンを握っていた。




