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第79話 イラ・クリストルク

イラの名前回です。


『私、イラのこと好きだよ』

『うっさい。恥ずかしくなるようなこと言うな!』

 遠い記憶は甘やかで辛い。


『その復讐を、焼けるような想いを遂げたいのなら、私が力を貸してやろう』

 誰かの声が頭に響いた。


『ねぇ、イラは私と、お父さんの希望なのよ? だから、だからだから立派な精霊術師になってねぇ?』

『……わかったよ。母さん』

 遠い記憶は辛くも恋しい。



 この体は一体、何なのだろうか。



『イラは、イラだよ』


 人は、どこまでならパーツを置き換えても人間と名乗っていいのだろうか。


『イラ。あの子たちにに精霊術を教えてくれないだろうか』


 両目を義眼に取り換えても人間か? 筋肉と神経に無数の糸を織り込んでも人間か? 仮に人間とするならば心臓を抜き取り変えて。脳すら、取り換えても人間と言えるのか? 言えたとして、それは果たして同じ人間と言えるか?


『イラが精霊術師でも、先生でも、ただの村人でも、イラはイラ。私にとっては何にも変わらない』


 俺はイラ・クリストルクなのか? それともイラ・クリストルクという肉体を複数の兵器が操っているだけじゃないのか?


 あるいは、イラ・クリストルクという人間はもう死んでいて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


『イラがどんな風になっても、私はイラが大好き。それは絶対に変わらない』

 遠い記憶がイラを温める。だから、


『いやぁ。たすけ、助けてイラ! お願い!』

 遠い記憶がイラを嬲る。


『やめて! いや、いやだ……あっ、あぁ! ああああああああああ』

 遠いはずのあの悲鳴が忘れられない。


『やめろ! やめてくれ! お願い……お願いします! ヘルミナをそんなことを、代わりに俺が何でもするから! どんなことをしてもいいから、だからヘルミナだけは! 俺の!!』


『助けてイラ!』


『ヘルミナ!』



『だぁめ♡』



 ぐちゃり



 ……あぁ



 ヘルミナが死んだ。



『だがそれを願ったのはお前だ。死んでもいい。人間でなくなってもいい。自我を失った怪物と成り果ててでも、復讐を遂げる。ヘルミナの、アイビーの、ヘンリルの、ロッドの、クラリスの、キッドの、セイの、母の、村の皆の無念を遂げる』


 イラの眼前に地獄が広がる。いいや、イラのいる()()こそが地獄だった。誰もが死んだ。誰もが惨たらしく殺された。村は焼け、血の香りが広がり、肉と骨が散らばり、生者は誰もいない。

 死に満ちた、沈黙。


『否、無念を遂げるためですらない。全てはイラ・クリストルクのエゴ。自分から(あまね)く全てを奪った帝国への復讐心。その身勝手なエゴのためにお前は戦うと言ったではないか』


 この声は、耳元で囁かれる幻の声ではない。


 そうだよ。イラは誓った。イラは願った。目の前で奪われて、空っぽになった胸に宿ったたった一つの想いのために、イラは立ち上がることを決めたのだ。


『その想いこそ尊い。不屈の精神。不屈の想い。歪んでいても、曲がっていても、壊れ、狂っていても決して折れない不変の魂。それこそ、私たちが求めるもので、故に我らが手を貸すにふさわしい』

 声は過去だ。いつかの時にイラが聞いた言葉。交わした問答。たまたま思い出しているに過ぎない記憶の欠片。


 地獄の門が開いたあの時まで、イラはあくまで才能があるだけの、どこにでもいる凡庸な精霊術師だった。“見霊の義眼”も“追憶の義眼”も“操糸”も“玉の心臓”も“偽装変遷の器”も“拡魂杯”も、“六色細剣”だって、イラには作れるはずのないものだった。

 確かに義眼や心臓を作ったのはイラだ。作れるはずのないものを、イラは作った。

 どころか、イラが肉体に収めているものは誰にも作れるはずのないオーバーテクノロジーだ。理論的に、技術的にも、数百年では追い付かないほどの技術を先取りしている。


 一度疑問に思えばおかしなところはいくつも出てくる。どうしてイラは生きている? 帝国の悪趣味のためにイラは目の前で大事な人たちの死にざまを見せられた。その後にイラが殺されなかったのはなぜだ。イラを生かしたままにしておくのはおかしくないか?

 イラが王国軍の前に現れたのは帝国が攻めてきてから半年後だった。村から王都まで一月もあればたどり着ける。空白の半年間の間に、イラは何をしていた。平凡な人間が、どうやって魔獣のいる町の外を生き延びたのはなぜだ。


 脳裏にちらつく赤銅の肌の男は、双刀を持った女は誰だ!


 頭をちらつく何者かの残像。


『私たちは知っている。いずれ神代の悲劇が再現されるだろう。再現しようとしている愚か者がいる』

 怒り。


『私は信じてる。彼が返ってくることを』

 恋慕。


『私たちは待っている。我らは過去の存在。神代よりの残骸』

 澄み切った妄執。


『私は待つわ。何年も、何十年も何百、何千、何億年と、その果てに再会があるのなら、永遠に待つの』

 澄み切った狂気。



『『私たちは願っている。お前が“ここ”までたどり着くことを』』



 満天の星空より、無限に広がる天と地よりも深い願い。



「か……」

 イラは知っている。自分の復讐心などごみくずに思えるほどの深い想いを。


 イラは知っている。それでもこの感情は、自分にとって何より価値があるのだということを。


 イラは知っていた。この感情が、この真っ黒で醜い憎しみは、途方もなく美しい感情から来ていることに。深く誰かを愛さなければ、執着しなければ願わなければ、想わなければ、こうも深い憎悪は生まれないことを。


 結局、ルーメンド(大馬鹿野郎)の言っていたことは正しかった。


 たとえ、この身が全て機械と化そうと、肉体と精神が紛い物と偽物の代替品になろうとも、あの日、あの時、あの場所で抱いた感情は本物だ。

 そして、醜い憎しみの裏にある、暖かで美しい感情もまた、確かにイラの感情の一つのはずなのだ。


「この憎しみを」

 イラは六色細剣を握りしめる。


「この復讐を」

 イラは全身に張り巡らせた操糸に意識を傾ける。


「この想いを」

 じんわりと、イラの心に熱がこもる。あらゆる全てを憎悪に焼き尽くそうとする炎ではなく、春の暖かな日差しのような想い。そこを通じて、イラは根源にある感情に触れる。“憤怒”。それはイラの手を離れてもイラとつながっている。

 でも遠い。“憤怒”をここに呼び出すには距離が邪魔だ。力が足りない。力が欲しい。

 不確かなイラの視界は、目の前の女をとらえる。セレナ・ルーンロイド。イラを追い詰め、イラを憎む女。帝国の一人ではなく、一個人としてセレナを認識する。こいつを()()()()、イラはまだ戦えるだろう。


 全身に張り巡らせ、筋肉と神経の代替をする精霊器である操糸は、イラの作った精霊器ではない。だからイラの知らない機能を、あの赤銅の肌の男が仕込んでいてもおかしくはない。

 操糸。制限解放。心の中だけで唱えると、全ての操糸が震え始めた。これまで以上に震え、蠢き、獲物を探して空を舞う。


 とりあえず、収まりが悪いから六色細剣に張り付いておいてくれ。胸に空いた穴が冷たい。作り物の心臓が晒される。誰かが玉石のことを化け物といった。人間の領分を超えた人間の形をした人間ならざる存在だと。

 少なくとも、イラに関して言えば間違いではない。体の何割かは本当に人間ではないのだ。人を人たらしめる魂すら、全てがイラのものではない。


 ふらふらの剣をセレナに押し当てる。“霊装”のせいだろう。頑丈な布だ。しかし操糸はそんなもの構いはしない。餌を求めて、宿主であるイラを生かすために何でも食らう。


「っつあ……!?」

 操糸がセレナの肩を(えぐ)り食らった。歓喜に震える操糸。操糸はセレナだけでは我慢できないのか、イラの肉体を、神経をも食らう。制御しきれていない。イラがますます人間離れしていく。人間離れするほどに、イラの意識ははっきりしてくる。


「この……化け物が!!」

「だろう、な」

 セレナは生きたまま食われたという恐怖を憎しみで塗りつぶし、イラと対峙する。距離を取り、動きにかなり慎重さが出てきた。食いづらいな。なら攻めるか。


「っしぃ!!」

 イラは六色細剣を両手に構え、セレナに突っ込む。シリンダーを回転。青。セレナに水槍の雨を降らせる。

「ぃぃぃィィィッ!!」

 セレナは這いつくばり、イラの背後に回り込む。後方の蜘蛛の巣に飛び移り、地を這うように接近。鋭い刃がイラを襲う。


 イラは六色細剣を地面に突き刺して白銀の刃と受ける。火花を散らせる銀と銀。覆い隠す銀糸。操糸は“神狩”を食えない。だからうぞうぞと刀身を這い上り、セレナの腕に食らいつく。

「じぃぃ……!!」

 美味い。もっと、もっとだ。セレナは歯を食いしばり、無尽の刃で操糸を振り払う。だが操糸の数本が“霊装”を貫き、指の肌と肉を食った。操糸が皮膚を貫き、肉に突き立ち、血肉を啜る。甘美な味にイラは酔いしれる。顔に笑みが浮かぶ。

 セレナの顔に驚愕が浮かぶ。しかし恐怖はない。足りない。イラが左手を振る。飛び出したのは操糸の群れ。群れは蜘蛛脚の一本にまとわりつく。操糸はびっしりと蜘蛛脚にへばりついて、食らい侵す。


「はがっ……ぁ」

 八つの目や生えた蜘蛛の腕は、軍服の一部であるが、同時にセレナの一部分でもある。痛みはもう一つの脳が処理してくれるが、肉体を食われたという喪失感がセレナを襲う。


 戦いながら、異形に肉体を食われるという生命の根源的な恐怖。それは身がすくんでしまうほど恐ろしいことだ。しかしセレナは臆さない。覚悟を決めて、恐怖を恐怖と知った上で、イラと相対する。

 セレナは取り付かれた脚を自切する。離れた腕は瞬く間に操糸に飲み込まれ、消えた。変わりに増殖した操糸がイラの体内に帰っていく。

 イラの顔が、とろけるような笑みを浮かべる。


 操糸はまるで獲物に群がる蟻のようで、宿主を内側から食らいつくす寄生虫のようだ。何にせよ、操糸は危険な害虫。それを宿すイラも異形だ。


「あ……あぁ!!」


 胸には大きな空洞。がらんどうの胸の中央には七色に輝く結晶のような精霊器があり、どくどくと脈打つ心臓もどきから銀色の操糸が張って、周囲の肉体とつないでいる。


 両腕はもう素肌は見えない。ギチギチと蠢く操糸に埋め尽くされ、特に一度切り離され、貫かれた部分は不自然に隆起している。内側に手が残っているかどうかもなぞだ。右手だったところの先から、操糸にまみれた六色細剣がのぞいている。柄もシリンダーまで操糸に埋もれている。


 両足や胴体は腕ほどではないにしろ、紐状の操糸に覆われ、ビクンビクンと脈打っている。素肌が見える分、肉体に食い込む操糸が見えて気味が悪い。


 何より異様なのは頭部だろう。心臓から伸びた操糸は肉体の内外を通り、半分ほど切り落とされた首のあたりで一度収束されていた。喉元で一度溜まった操糸はイラの口の端にへばりつき、また伸びて二つの眼球に伸びていた。


 イラの目は義眼だ。精霊を見る藍色の右の義眼“見霊の義眼”と、動きの分析と貯蓄を行う緑色の左の義眼“追憶の義眼”。どちらも操糸と深いつながりがある。二つの義眼には操糸が入り込み、義眼の周囲を操糸が蠢いている。特に左目は操糸が眼底から義眼を押し出し、顔から飛び出していた。


 異形となったイラの目に映っているのは変わらない。イラは揺らがない。イラに宿る憎しみは、復讐心はそう揺らぐものではない。


「しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!」

 イラは右手を大きく振りかぶった。腕が伸びる。操糸だけの腕が伸びてセレナを狙う。セレナは飛んできた右手に持たれた六色細剣の軌道を見極める。見極めて、両足と両脚で跳躍する。


「じねがぁっ!!」

 一閃。妖刀の一振りが操糸ごと右手を切り捨てた。手ごたえがおかしい。伸びた腕は操糸だけ。そして操糸はイラから離れても勝手に動き回る。

 セレナは空を蹴って、操糸舞う空域から逃れる。案の定、操糸はセレナを追ってきた。着地し、イラの周囲を足と脚で這い逃げながら精霊に干渉する。


「オーノウ エタナウ」

 セレナの口から火炎が吹き出された。“霊装”の影響か、火勢は強い。操糸は炎で焼き尽くされる。

「ウレアノト アリ ウテツオト ネク」

 意識が右手に向いた瞬間に、イラが詠唱した。操糸の左手に握られているのは透徹の刀。


「く……来い」

 操糸に肉体を食いやられて、操糸の数は戦う前の倍ほどに増えた。イラの制御を離れた操糸は、変わらず獲物を探して蠢く。

 だがそれをいつまでも許してはおけなかった。

 イラは操糸から伝わる甘美な誘惑を振り払う。猛烈な飢餓感と食欲を抑え込み、理知的な思考を取り戻す。


「いい加減収まれ。もう、十分だ」

「“透徹”……」

 その時、イラの雰囲気が変わった。自他を食い荒らす化け物から、理性ある存在に。セレナは警戒して距離を取る。目に光の戻ったイラは操糸を操って六色細剣を取り戻すと、息を大きく吸い込み、そして叫んだ。


「来い!! “憤怒”!!!」


   *


 一度は解放された“憤怒”は、王城の地下宝物庫に封印されていた。鎖につながれて、誰も訪れない暗い部屋でそっと(たたず)む。

 長い時を無為に過ごすことに“憤怒”は慣れていた。心は摩耗し、閉じ、必要な時だけ力を振るうことに慣れていた。


 だから、これは慣れていなくて、“憤怒”は驚いた。柄に触れず、鞘から抜かずに誰かが自分の名前を呼ぶ。何度も自分を呼んだ、異形の魂を持つ男の叫びであることが“憤怒”には分かった。


 “憤怒”はその男のことを気に入っていた。あの男は自分とよく似ている。心の在り方が、裏返しの憎悪が、憤怒が自分と鏡のようにそっくりだ。

 力の全てを貸してやりたい。だが刀という実体に縛られた“憤怒”には男の元に駆け付ける力はない。だから力の一端だけでも、欠片を送ろう。

 男の叫びには、それを為しうるだけの力があった。


 “憤怒”は鎖に縛られたまま鳴動した。激しく鳴動して、雄たけびを上げる。


「なんだ?」

 その鳴動に気付いたのはごく少数。刀の真上、王城の一室で眠っていたグランヘルムとリリアーナは目を覚まし、顔を見合わせた。

「地下からでしょうか」

 王城を揺るがすような振動。だが王城の兵士たちが騒ぎ出す様子はない。物質位階ではない、精霊位階かそれより上、概念位階での異変だろうか。

 二人は誰かが寝室に走ってくる足音に気付いた。足音からしてエクス。エクスもこの異変に気付いた。


「ひとまずエクスと合流して、地下に行ってみるぞ」

「ええ」

 何か、尋常ならざることが起きている。グランヘルムとリリアーナは急いで起き上がり、上着を羽織って地下へと急いだ。


 もちろん、“憤怒”の雄叫びに気付いたのは二人だけではない。同じ玉石で王都にいたフィリーネも不穏に飛び起きた。それ以外にも何人か気づけた者はいた。彼らは時に恐れ、時に喜び、時に不愉快そうに眉をひそめた。


 “憤怒”は戸惑う周囲の人間に構わない。鳴動はますます激しく、ついに刀から薄い光が飛び出していった。


   *


 朝焼けの空に一条の光が駆け抜けた。その光は真っすぐイラの元へたどり着くと、イラの作った透徹の刀にたどり着いた。


「なんだよ」


「死ね」


「なんだよそれは!!」


 しゅるしゅると、イラにまとわりついていた操糸がイラの体内に戻っていく。体外に出た操糸は最低限。深い傷の部分を覆うだけになっている。膨れ上がり、爆発しそうになっていた操糸はどこへ消えたのかと思うほどに体内に圧縮され、義眼も眼底に収まっている。

 イラは右に六色細剣。左に薄く輝く透徹の刀を持っていた。薄く開けられたイラの目は、変わらぬ深い感情の炎をたたえたままセレナを見ている。


「知るか」

 イラの言葉はいっそ投げやりだった。イラは不可解なものを見るように透徹の刀を眺め、「はぁ」とため息をついた。

「わかることは一つ。お前がこれから死ぬってことだ」

「……そうか」

 イラは二本の剣をだらりと下げて立っている。イラの気配は弱々しい。何があったのは理解はできないが、イラが今でも死にかけていることに違いはない。


「死ぬのはお前だ」

 セレナは食われて七本になった脚で地面に這いつくばった。眼前にある八つの目は休みなく、ぎょろぎょろと周囲を見回している。

 セレナは右手の“神狩”、左手の妖刀を持つ手に力を込める。


 セレナの準備していた手は全て尽きた。策は使い果たし、手札は晒し、壊れないと聞いていたはずの“霊装”は食いやられている。

 けれどやることは変わらない。父を殺した“透徹”を、イラ・クリストルクを殺す。そのためだけに、セレナはここにいる。


 イラはすでに限界を超えていた。体力は尽き、手札は晒し、いつ死んでいもおかしくないほど肉体は傷ついている。

 けれどやることは変わらない。帝国に復讐を遂げるため、町や真琴を利用したセレナ・ルーンロイドを殺す。そのためだけに、イラはここにいる。


「セレナ・ルーンロイド」


「イラ・クリストルク」


 二人の復讐者は憎悪に燃える。二人は互いに大事な誰かを奪われた。だから自分から大事な存在を奪った相手から、同じように全てを奪い取るために告げた。



「「死ね」」

復讐者同士の死闘は次話、決着です。


第80話 二人の復讐者 お楽しみに。

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