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第78話 セレナ・ルーンロイド

また一万字越えです。


 一人の少女の話をしよう。


 少女の名前はセレナ・ルーンロイド。彼女はヘルミオット大陸最大の国家「帝国」に古くからあるルーンロイド家の八人兄弟の末っ子として生を受けた。父は帝国軍少将ヤイバ・ルーンロイド。幼い頃の彼女は、天真爛漫(てんしんらんまん)な性格をしていた。


「おとーさん!」

「どうしたセレナ」

 セレナが五才の頃の話だ。ヤイバは帝国軍少将として、普段は戦場にいるため、めったに家に帰って来られない。セレナは久しぶりに家に帰ってきた父のために、プレゼントを用意していた。


 セレナの父ヤイバは、他国との戦争で数々の功績を上げた男だった。精霊術の盛んではない帝国と言えど、将官に上がるには精霊術を習得する必要がある。けれど、ヤイバは大剣一本で身を立てた。精霊術を用いず、己の肉体だけで戦うヤイバは、帝国の剣士たちにとって英雄のような存在だった。

 そんな父にセレナは懐き、ヤイバも可愛らしい末の娘を、目に入れても痛くないくらいに愛した。


「はいこれ!」

 セレナは顔に花が咲き誇ったような笑みを浮かべて、ヤイバに小さな箱を渡してきた。手渡された小箱はヤイバの手の平に収まる程度のもので、不器用でも丁寧に、包みとリボンがしてあった。

 娘からのプレゼントにヤイバは顔をほころばせ、リボンをほどく。ヤイバが蓋に手をかけると、セレナはにんまりと笑った。


「うわっ!」

「やったぁ!!」

 ヤイバが蓋を開けると、中から珍妙な顔をした人形が取り出してきた。いわゆるびっくり箱だ。気を緩めきっていたヤイバが驚いて箱を取り落とすと、セレナはピョンピョコピョンピョコ飛び上がって大喜びをした。

「わーい! さくせんだいせいこう!!」

「セレナ!」


 驚いた反動に、ヤイバはセレナをしかりつける。しかしセレナは意に介した様子はない。つまるところ、幼い頃のセレナはやんちゃで悪戯好きであった。


 ヤイバも突然のサプライズにどうするものかと思ったが、心底嬉しそうにはしゃぐセレナを見ていると、叱る気も失せた。見ていた他の家族たちもくすくすと笑っていたし、まぁいいかと思う。

「全く……セレナはいつもいつも」

「えへへ! おとーさんだいすき!」

 困った顔で頭をポンと撫でるヤイバに、セレナは抱き着いた。


「わたし、おとなになったらおとーさんとけっこんするんだ!」


 五才の頃のセレナの口癖はおおよそ、そのようなものであった。


「俺じゃなくて、同じ年くらいのいい人を見つけなさい。セレナが大人になる頃には、俺はもういいじいさんだ」

 そしてそんなセレナに対し、ヤイバはいつも生真面目にそう返すのであった。


   *


 それから二年が経ち、セレナは初めて剣を握ることになった。帝国の武家では男は五才、女は七才頃から剣を握ることが多く、セレナの五人の兄、二人の姉も同様であった。

「これが剣……?」

 セレナが初めて手にした剣は刀身も短く、軽い金属で作られた鋳造(ちゅうぞう)品だった。初心者未満のセレナにはその程度の剣で十分。初めから業物を手にしてしまえば、武器に頼る癖がついてしまう。


 初めて剣を握る時に刃のついたものを渡すのも、帝国の習わしだった。


「さぁセレナ。戦ってみなさい」

 ルーンロイド家の練武場で上座に立ったヤイバがセレナに言った。普段とは違い、ピリピリとした雰囲気の父をセレナは怖いと思い、同時にかっこいいとも思った。

「どこから来てもいいから」

 セレナの目の前で同じく剣を構えているのは二つ年上の姉。帝国では剣を持った初日に模擬戦をする。当然勝てるはずがない。帝国の剣は自分の弱さを知るところから始まるのだ。


 広い練武場を囲むのは一族の面々。家族全員からたっぷりの愛を与えられて育てられたセレナだが、彼女を思って剣を握らすまいとする軟弱者はいなかった。

 それでも不安そうに見守る家族たちの視線の中、セレナは不思議な感覚にとらわれていた。

「使いにくい。何ていうか、これは私の使うべきものじゃない」

 七歳のセレナには剣が重い、という話ではない。剣の性質が気に入らないのだ。


 これではきちんと触れない。セレナは険しい顔をする父に向けて言った。

「お父さん」

「今は甘えている時間では……」

「剣ではない、別の武器を使ってもいいですか?」

「なに?」

 ヤイバは武器を変えたいと言い出した愛娘の顔をまじまじと見た。戦いたくなくて、どうにか逃げようとしている少女の顔ではない。純粋に、剣を気に入っていない顔だ。


「……わかった。なら好きな武器を選ぶといい」

 そういうとヤイバは息子の一人に命じ、セレナが持っていた剣と同程度の武器を持ってこさせた。片手剣、両手剣、戦斧、ナイフ、ハンマー、刀などなど。セレナはずらりと並べられた武器をざっと眺め、迷うことなく刀を手に取った。

「これにします」

「わかった」


 セレナは改めて、不安そうな顔をした姉と向かい合った。セレナとは違い、気の弱い戦いには向かない姉だ。とはいえ姉には二年間修業を積んだという経験がある。七才と九才の体格差もある。

 セレナが勝つはずがない。誰もがそう思っていた。


「はじめ!!」


 だがその予想はあっけなく覆る。ヤイバの号令と同時に姉に向かって走り出したセレナは一振り目で姉の剣を払い上げ、流れるような二振り目で首に刃を突き付けた。姉は自分が何をされたかを理解もできず、降参を言うこともできずに呆然としていた。

 見ていた家族ですら一様に目を見開いたまま固まる。違ったのはヤイバ一人。彼だけは幸福を味わうようににっこりと微笑んでいた。


 これが将来“七天将”の“剣聖”候補と言われた、ヤイバや長男のスパーダに勝るとも劣らないセレナの天性の才が日の目を浴びた瞬間だった。


   *


 その後、セレナはヤイバと一騎打ちをした。結果は当然敗北。セレナは実の父から容赦なく叩きのめされることとなった。だがセレナはそれで父を嫌いになることはなく、一層ヤイバに懐くことになった。

 彼女の持つ才覚が、ヤイバが自分を正しく導いてくれると理解したのかもしれない。


 その後ヤイバは戦場の前線を一度引き、帝都の教導隊の隊長になった。セレナのためだ。帝国の新兵育成の輪の中にセレナは混じり、毎日父の指導を受けることとなった。

 ヤイバ・ルーンロイドという師と、厳しい訓練を共にする仲間。恵まれた環境で、セレナはちゃくちゃくと力をつけていった。そのあふれんばかりの才能は周囲から嫉妬を買ったが、時に父や長男のスパーダが跳ね飛ばし、時にセレナ自身が解決した。


 七才から十一歳までの父と過ごした四年間は、彼女にとって最高の日々だったと言える。表立って父を好きということは少なくなったが、父の教えに従い、兄や父と毎日刀を振りあう日々は幸福としか言えなかった。


 帝国軍の入隊は十二歳になってから。いつかは自分も帝国軍人になり、父とともに戦場を駆け抜けるのだ。セレナは夢を見ていた。とろけるような甘い夢を。

 それが壊れたのは、セレナが十一歳の時の誕生日。オウルファクト王国との戦争が予想外の劣勢ということで、ヤイバにも召喚がかかったのだ。

「すぐに帰ってくるから」

 父はそう言い残して家を出て、そして、


 セレナの元に、最愛の父が帰ってくることはなかった。


   *


 王国との戦争が終わり、ヤイバが死んだ後、ルーンロイド家は長男のスパーダが新たな当主となった。兄弟の序列を見ても、実力を見ても何の問題もなかった。

 誰からも慕われていたヤイバの死はルーンロイド家に深い影を落とす。母は 悲しみのあまりに心を病み、兄弟たちは王国憎し、“透徹”憎しと寸暇を惜しんで武技を鍛えるようになった。

 とはいえ、それははじめの一年間だけ。時間とともにせわしなく毎日は流れ、憎しみは薄れ、ヤイバのいないことに慣れていった。


 たった一人。セレナを除いて。


「セレナ!」

 ヤイバの死後。セレナは変わってしまった。天真爛漫に目に澄んだ色を宿していたセレナはもういない。死を知ってからセレナは執念深く“透徹”の情報を集めるようになり、自らを追い詰めるように修業を行うようになった。


「何?兄さん」

 ヤイバが死んでからしばらく、最初の頃はルーンロイド家で寝泊まりをしていたセレナだったが、軍に入り、“七天将”直属となり、次第に家に帰ることが少なくなった。たまに帰ってきたかと思えば、荷物を取ったり、置いたりしてまた出ていく。

 当主のスパーダ以外は、セレナをいないものとして扱うようになっていた。ルーンロイド家はヤイバの死を乗り越えて前に進もうとしている中、セレナだけが、ヤイバに囚われていた。


 その日、スパーダがセレナを捕まえられたのは偶然だ。セレナはしつこくセレナに構うスパーダを避けるようにしていたから。実際、スパーダに声をかけられたセレナは嫌そうな顔をした。

 スパーダも数年ぶりにセレナの顔を正面から見てぞっとした。

「何? じゃない。セレナ。最近ちゃんと飯は食っているのか。何か悪いことはされていないか?」

「別に……いつも通りですよ」

「いつも通り?」

 いつも通りという言葉にスパーダは絶句する。血の気のない真白な肌に暗い瞳。黒かった髪はぼさぼさで、色が抜け落ちて灰色に変わっている。


 それでいつも通り?


 スパーダはセレナにまとわりついた匂いに気付いた。甘ったるい、頭がおかしくなりそうな香り。帝国で使用を制限されている淫行で用いられる麻薬の類だ。

「何もないなら、行くわ」

 かけるべき言葉を失ったスパーダをセレナは冷たく見た後、屋敷を出ていった。セレナの家族は誰一人としてセレナを引き留めることができなかった。


   *


 セレナからスパーダに声をかけたのは、ヤイバが死んで八年後。一族で会議をしていた時のことだ。

「ルーンロイド家の宝刀をいただきに来ました」


 屋敷の広間に突然入り込んできたセレナは、家族を前に開口一発言い放った。当然、場は騒然となる。

「何を言っている?ふざけるのも大概にしろ」

 真っ先にセレナに応えたのは、先々代当主で、セレナの祖父に当たる老人だった。


「ふざけるとは?」

「貴様の言い分のことだ。あの宝刀は初代帝から賜った大事な品。放蕩(ほうとう)娘にくれてやるものではない!」


 セレナが欲しているのはルーンロイド家に昔から伝わる二振りの宝剣の一つだ。大罪の魔剣“傲慢”の数打ちと聖銀と真金を鍛えて作られた宝刀“神狩”。“傲慢”はヤイバが王国との戦争で使い、王国に奪われてしまったから残っているのは“神狩”一つ。

 しかもそれは現当主のスパーダが使っている。おいそれと渡せるはずがなかった。


「放蕩娘……ですか」

 だがセレナは祖父の罵倒に大した反応を見せるでもなく、目は真っすぐスパーダに向けられていた。

「あなた方がそう思うのならそれでもいいです。ですが刀はもらいます」

「駄目だ。この刀は……」

「なら私と戦ってください兄さん。それで兄さんが認めてくれたら、“神狩”を私に」


「馬鹿な!」

 祖父はセレナの横暴な言い分に憤慨した。セレナが幼い頃は彼女をかわいがっていた祖父だが、妄執に囚われたセレナにかける情はない。唾を飛ばしながら、「誰かこいつをつまみ出せ!」と叫んでいる。


「わかった」

 だからスパーダは“神狩”を持って立ち上がった。スパーダが了承したことに一族たちは驚きを隠せない。

「何を考えている。情にでもほだされたか!」

「違います」

 祖父にスパーダは首を振る。


「ルーンロイド家は武を受け継いできた一族。ならばルーンロイド家の家宝である“神狩”は強い人間が持つべきです。この挑戦を受けないわけにはいかない。セレナの言う通り、戦って、セレナの方がこの刀を持つにふさわしいと思うのなら、渡せばいいんです」

 人間には分というものがある。“神狩”をスパーダが持つべきか、セレナが持つべきか。それは互いに戦えばわかることだ。

 スパーダの言い分に祖父は押し黙る。その様子を、セレナは感情を映さない瞳で見ていた。


   *


「ここでやろうか」

「はい」

 広間から場所を映して練武場。スパーダとセレナは装備を着込んで向かい合っていた。


「懐かしいですね。初めて剣を握ったことを思い出します」

 向かい合う相手は姉の代わりにスパーダ。そして上座に父であるヤイバはいない。


「ところで、その軍服はなんだ?」

 スパーダは軽い革鎧に“神狩”を差した状態だが、セレナはチェーンやベルトで帝国軍服を悪趣味に改造したものを身に着けていた。


「……気にしないでください」

 言及すると、バツの悪そうな顔でセレナが答えた。不意に見えたかつてのセレナの痕跡に、スパーダは嬉しくなる。おかしなものを着てはいるものの、不本意なものらしい。セレナは腰に初めから差していた刀ではなく、練武場にいつも置いてある刀を手にしていた。


「ふざけているのか?」

「いいえ。この刀は家族に向けるものではないですから」

 愛用であろう武器を使わないことに、スパーダは顔をしかめるが、セレナはそう短く答えた。


「それに兄さんくらいなら、武器を選ぶ必要はないですから」

 続けて平然と言われた言葉。その一言にスパーダの顔が真っ赤になる。セレナはスパーダ程度簡単に倒せると言ったのだ。“七天将”の一角“剣聖”に届くと言われたスパーダにだ。

 セレナは、スパーダに一度も勝ったことがないのにだ。


「そうか。……あんまり俺を甘く見るなよセレナ」

「それは私のセリフですよ。兄さん」


 辻斬りのような戦いに、審判のような高尚なものはいない。“神狩”を抜き放ったスパーダは瞬歩でセレナとの距離を詰めた。

 スパーダは“神狩”の峰でセレナの腹を切りつけた。すぐに終わらせる。そしてセレナの目を覚まさせる。


 そんな意思とともに振り抜かれた一閃はセレナの刀によって阻まれる。冷たい目をしたセレナが伸ばした刀はスパーダの全霊を軽く受け止める。

「なっ……」

 その事実にスパーダは戦慄した。刀を止められた。それなのに、振り切った感覚がなかった。つまりスパーダの一閃がセレナによって完全に受け流されたということで、それは並みの技量でできることではなかった。


「そんなに驚くことですか?」

 スパーダは素早く後退し、中段に刀を構える。セレナは脱力したように下段に刀を構えた。

 今のやり取りを見ていた一族からざわめきが起きる。古い武家であるルーンロイド家に、セレナの技量を理解できない者はいなかった。


 そして否応なしに理解させられる。スパーダとセレナのどちらが強いのかも。


()()()()()()()()()()()の兄さんが、私に勝てる理由があるんですか?」

 攻守反転。今度はセレナが攻めに出る。


「くっ……」

 セレナの視線は茫洋(ぼうよう)としてつかみどころがなく、歩法は幻惑のそれ。幽霊のように迫り、歩みの継ぎ目が分からない。

 セレナがスパーダの間合いに入り、放たれたのは横薙ぎの一閃。受け太刀したスパーダは手がしびれた。


「重い……!」

「油断」

 入り際の一閃に続き、今度は斜め上からの袈裟斬り。スパーダは身を反らして避ける。手首を返しての追撃を再び“神狩”で受ける。

 剛の三撃はまさしくルーンロイド家の剣だった。そしてセレナの振るうルーンロイドの剣は、セレナが扱いやすいように他流派の技が組み合わされ、スパーダよりも高い領域でまとまっていた。


「兄さんが当主として役目を果たそうとしていることは知っています」

 スパーダは“気”を手繰ってしびれた体を癒す。待つように、セレナは口を開く。


「その間にも、私は強くなるために戦っていました」

「セレナ……」

 しびれは消えた。再び構えるスパーダに、セレナは左手に持った刀を見せた。しょせん安物の刀だ。“神狩”との打ち合いに耐えきれず、大きなひびが走っている。


「強くなるために。この思いを果たすために私はまずルーンロイドの剣を捨てました」

 セレナは刀を投げ捨てる。そして右手を素早く弾いた。

「あぐっ」

 撃たれたのは鉛玉。暗器だ。剣一本で戦うルーンロイドにあるまじきやり口。それをわざわざやって見せたセレナの表情は暗い。


「刀だけでは勝てない。ならそれ以外も使えばいいんですよ。使えるものは、何でも」

 イウ エタナウ セレナは父が毛嫌いしていた精霊術を放つ。鉛玉に腹を撃たれて脂汗を流していたスパーダを火が包み込む。


「あああぁぁぁっ!!」

「ウジム エタナウ ……学ぶために私は何でもしましたよ。それこそ、父が喜ばないことでも、何でも」

 一族の面々は誰も動かない。いや動けなかった。セレナの放つおぞましい気配が、セレナとスパーダの間に割って入ることをためらわせていた。

 セレナは兄につけた火を消して、言葉を紡ぐ。


「でもそのおかげで強くなれました」

「な、なら」

「はい」

 淡々と言葉を連ねるセレナに、スパーダはかける言葉を探す。見ていられなかった。今のセレナの言葉を聞くことが辛かった。セレナと向き合うことが苦しくてしょうがなかった。

 セレナと戦っていると、自分の不努力をなじられているような気になるのだ。


「なら、その強さで“透徹”を倒すのか?それだけの力があれば、“透徹”だって殺せるだろう」

「いいえ」

 復讐を果たせば、幼い頃のセレナは帰ってくるんじゃないのか?そんな切な願いを込めた言葉を、セレナは無情に切り捨てる。


「無理ですよ。今の私でもまるで足りません。私はまだ弱すぎる。仮に今の私が“玉石”と戦ったとして、たぶん一分もかからずにひき肉です」

 ぞっとするようなことを淡々と言う。嘘のないであろう言葉に、スパーダは絶句する。


「馬鹿な……」

「実際に“玉石”の戦いを見た“七天将”の“色欲”様の言葉です。今の私でも、“七天将”には手も足も出ないんです」

 だから。語るセレナの言葉には暗い熱がこもっていた。セレナは身に着けている軍服をぎゅっとかき寄せる。


「“玉石”の力は常軌を逸している。だから“玉石”を殺すためには、策を練り、全部を使って追い詰めて、私自身も常軌を外れないといけないんです」

「どうやって」

「“霊装”赤蜘蛛プロト」

 セレナが唱えると同時に、セレナの着る軍服が変形した。四本の蜘蛛の足。指先から首もとまで臙脂色の布でセレナを包み、暗く淀んだ目を帯が覆い隠す。目を隠した帯から蜘蛛のような八つの目が生える。

 そしてセレナの口が耳元まで裂け、歯が鋭い牙に変わった。


「セレ、ナ?」

「帝から直々に授かった兵装です。これを使っても百回に九十九回は殺されるでしょう。でも」

 一回は殺せる目が生まれる。化け蜘蛛と化した妹に、スパーダは名前を呼ぶことしかできない。返すセレナの言葉は悲痛に濡れ、それ以上に深い憎しみに彩られていた。


「私は、この復讐を果たすためなら、化け物に身を落としても構わない。……全員で来てください。それで私は私を証明する」

 自ら化け物を名乗ったセレナは身を倒し、本物の蜘蛛のように八本腕で寝そべる。そして戦いを見ていた動けない一族に向かって飛び掛かっていった――


   *


「セ、セレナ」

「“神狩”はもらっていきます」

 数分後。立っていたのはセレナ一人だった。誰一人として化け物になったセレナには敵わず、かかし同然に打ち倒されてしまった。

 同じように地面を這いつくばるスパーダは震える声で妹を呼ぶ。幼い頃、共に剣の修行をした最愛の妹を呼ぶ。


勅命(ちょくめい)です。私は今から王国に行って“透徹”を殺してきます。……では兄さん」

「まってくれ」

「さようなら」

 人型に戻ったセレナは“神狩”を拾い上げ、練武場を去る。別れの言葉は「また会いましょう」ではなかった。ここに帰ってくるつもりはない。刺し違えてでもとどめを刺す。

 倒れたスパーダの伸ばした手は、セレナに届くはずもなかった。



   ***   ***



   ***   ***



 セレナは自分を化け物と名乗った。霊装を使った姿は間違いなく化け物そのものだろうし、化け物にならなければ“透徹”には届かないだろうとも思っていた。

 作戦は上手くはまってくれた。手際よく“透徹”のいる町に潜入し、“色欲”からもらった“増鬼夜行”で住民を支配することができた。“増鬼夜行”の呪いだけが不安材料だったが、セレナの抱く憎しみに勝るものではなかった。

 真琴を手に入れて、“透徹”の情報を手に入れることもできた。上手く毒を仕込むことができたし、住民たちを湯水のように消費することで弱らせることもできた。


 真琴の龍のような姿は計算外だったが、それで“透徹”を限界まで弱らせることができた。不意打つこともできた。

 真正面から馬鹿のように戦っても勝てない。だから策を練り、計画を立てた。“透徹”を殺すための計画は全てはまり、計画以上の状況に追い込むことができた。


 なのに。


「化け物が」

 伸ばした四本の腕は“透徹”の四肢を貫き、大穴を開けた。付け根を狙ったから、常人であれば、手足を動かすことはできなくなるはずだった。そうでなくとも失血死か、ショック死していいレベルの負傷。


「がああああああぁっ!!!」

 四肢を穿たれた“透徹”は咆哮(ほうこう)した。そしてぞわぞわと蜘蛛の腕に銀色の糸を伸ばしてきた。


 セレナの全身に悪寒が駆け抜ける。腕を引き抜いて、糸から逃れて蜘蛛としての戦闘態勢を取る。八つの腕を地面につけて、寝そべったような姿勢。左手に“神狩”を持ち、落ちていた妖刀は伸ばした「髪」で拾って右手に収める。


 もし腕を離さなければどうなった? ……わからない。帝からもらった“霊装”は肉体との融合、変形以外にも、脳機能の拡張もある。本来の脳の他にもう一つ、戦闘に必要な情報を処理するための脳をくっつけたようなイメージだ。

 その脳が、危険だと判断した。“透徹”は空いた穴に糸を伸ばし、傷をなかったことにしようとしている。蜘蛛を模した形になっている化け物の自分であっても、その光景は気色悪いし、気味が悪かった。


 全身に銀色の糸を這わせて生きる“透徹”。全身に傷を負っていないところはなく、身に着けている服もぼろぼろだ。切れた服の隙間から銀色がのぞき、さらにその奥は黒ずんでいる。

 右手は肩口から、左手は手首の先から一度斬られ、そのくせ傷口を銀色が蠢くことで修繕している。しかも神経がつながっているのか動く。無数のミミズが取り付いているみたいだ。

 足取りはおぼつかなく、軽くつつけば今にも倒れてしまいそうだ。だが押させてはくれまい。押して飛んでくる細剣の一撃か、精霊術。

 何より目が死んでいない。“透徹”の目に映っているのは憎悪。真っ黒で、晴れそうにない汚泥のような復讐心。その矛先はセレナに、さらにその奥にある帝国そのものへ向いている。


 そのことがセレナには腹立たしくて、これ以上なく憎たらしい。

 私を見ろ。帝国などというあいまいなものではなく、セレナ・ルーンロイドという個人を見ろ。私はお前のために何でも捨てた。切り捨てて、すり減らした。


 だからお前も、私だけを見ろ。


「かぁ……しぃア!!」

 恋慕にも似た憎悪とともに、セレナは八本脚で跳躍した。イラの眼前に迫り、八本全てを使って殺しに行く。


 “霊装”は頑丈で、多少のダメージならもろともしない。特に軍服自体が傷つかないから、斬撃の類には滅法強い。

 けれど無敵になるわけではないし、赤蜘蛛のさらに前、集団用の“霊装”ほど耐久性に秀でていることはないらしい。


「ぃぃぃぃぃぃ……じがぁっ!!!」

 イラは六色細剣を振るう。ふらふらで、いつ死んでおかしくないにもかかわらず、細剣は鋭い暴威を振るう。

 一、二、三.残像を残して三つ。セレナの妖刀と打ち合い、“神狩”と切り結び、腕の一本を弾く。

 足りていない。セレナは地面についた両足に力を込めて、三本腕でまたイラを貫いた……と思ったが、イラは身を反らすことで、全ての斬撃を躱した。イラの口が詠唱を紡ぐ。セレナは六色の精霊全てが動くのを感じた。

「ウレアノト アリ ネグネク ウテツオト エソボロウ イタグ」


 イラを“透徹の暴霊”たらしめる奥義。百の透徹の礫がセレナを狙う。セレナは後方に飛びながら、生えた腕で頭部を隠す。

 帝国軍人であるセレナには、“穿つ透徹の礫”の全能力が発揮された。イラの全面にばらまかれた透徹たちは吸い込まれるようにセレナに迫り、憎き帝国人を穿ち殺そうとする。


「かっ……ぐ」

 回避不可の精霊術。セレナの体を透徹が打ち据える。たった一つでも隔絶した殺傷力を持つ礫。それが百。セレナは土石流に巻き込まれたような激痛に襲われる。

「ぐ……ひはっ」

 だがその程度で臆するセレナではない。痛みなど、セレナを止めるものにはなりえない。回避不能な透徹がセレナを貫くことはなかった。手は動く。足も動く。唯一素肌を晒している頭部を隠していた腕を開くと、目の前にイラが迫っていた。


「死……ね」

「お前がな」

 振り下ろされた六色細剣を二本の脚で受けながら身を伏せる。セレナは左下の蜘蛛の脚一本を地面にめりこませ、体を支えて、体を大きく持ち上げた。そして刀を構えて遠心力に任せて自分の体を振り回す。


「ぃあ……!!」

 体ごとぶつけるような一撃をイラは六色細剣で受け止める。勢いに負け、イラは後ろに倒れこむ。セレナはニタリと嗤って髪を伸ばす。


 化け蜘蛛に変化したセレナの髪は蜘蛛の糸と同じように自在に伸び、細く丈夫だ。蜘蛛が巣を張るように、セレナはイラの周囲に髪を巡らせる。

 セレナとイラを中心に円を描くように髪が取り巻く。それは闘技場のドームのようにイラを逃がすまいと囲う。

 髪を切り離し、セレナは跳ぶ。張り巡らせた球形の戦場。イラ・クリストルクを殺しきるために作ったセレナの灰色舞台だ。


「死ね」

「お前がだ」

 口をついて出る殺意と悪態は挨拶のようなものだ。セレナは髪で作られた殺界を跳ね、立ち上がったイラの後方に回る。

 即座にイラはセレナの方を向く。それより先にセレナは違う場所に飛び移る。


「ちっ」

「ふふ」

 跳ぶ。跳ぶ。跳ぶ。セレナはイラの周囲を高速で飛び回る。生み出した糸は粘着性よりも弾性に秀でたもの。イラの周囲を巡る度に、セレナは加速する。


 跳んで、跳んで、跳んで。ついにイラの目が追い付かなくなる。イラはセレナの位置を見失う。イラの首ががら空きだ。セレナは刀を振りぬいた。イラの首を切り落とすつもりで振るった刀は、首筋を浅く斬るだけに留まる。避けられた。


 目で見ていない。なら戦士としての勘か。死に体のイラは、積み上げた屍の数だけで戦っている。

「なら私は、お前への殺意でそれを乗り越える」

 セレナはイラの右手側に跳ぶ。イラの目が追い付く前に後方へ。背後に刀を突きだす。イラは倒れこむように転がって躱す。セレナはそのままイラの前方へ飛び越し、反転して再度攻撃。縦に回転しながら襲い来る刀の連撃をまた避ける。セレナは回転しながら糸に着地。回転の力をそのままに、八本脚に力を込め、最高速度で直線に突撃。イラは避けきれず、また右手が肘から先を切り落とされる。それはすぐに操糸が伸びて覆って塞ぐ。


「……っか」

「死ね」

 飛び跳ねて斬る。


「死ね」

 斬る。血しぶきが舞う。


「死ね」

 斬る。避けられる。


「死ね」

 斬る。足が飛ぶ。操糸が飛ぶ。足が付く。


「死ね」

 斬る。首が中ほどまで落ちる。イラの首が後ろに九十度傾く。イラがセレナをギョロリとにらみつける。銀糸が塞ぐ。首がまた前を向く。六色細剣が振るわれる。空を切る。


「死ね……化け物」

 イラの肉体を隙間なく操糸が覆う。セレナが戦っているのはイラかそれとも化け物か。これではどちらか化け物かわからない。いいや、どちらも化け物だ。餓鬼のように、イラは血と銀糸を垂れ流しながらセレナをにらみつける。


「死ねよ帝国……クソアマ」

「ひはっ!」

 イラがようやくセレナを見た。帝国ではなく、セレナ・ルーンロイドを。今自分を殺そうとするセレナをだ。それが何より嬉しかった。むごたらしく殺したくなるほど嬉しかった。


 イラの血と臓腑と骨と肉と脳髄を浴びたい。注ぐ人体の雨の中で嗤いたい。想像するだけで全身が震えるほどの歓喜に襲われる興奮で、それはもう手を伸ばせば届くほどの距離に迫っている。


 セレナは糸の壁に着地。動きを止めて、イラと向かい合う。


 追いつめたセレナの顔に醜悪な嗤みが浮かぶ。


 追いつめられたイラの顔に嗤みが浮かぶ。


 セレナは八本の足に込めた力を解き放った。全身全霊の加速。イラは六色細剣を構えて迎え撃つ。


「あはっ」

 二人の距離が迫り、近づき、消える。


 イラの目にセレナが映る。セレナの目にイラが映る。虹彩異色の瞳が揺れた。イラの憎悪に満ちた目から光が消えていく。セレナから嗤いがこみあげる。


 イラは六色細剣を守りに構えた状態で止まっていた。六色細剣を通り抜け、セレナはイラの心臓に蜘蛛の脚をねじりこんだ。

 そしてそのままねじりこんだ腕でイラの胸をぐちゃぐちゃと抉り取る。心臓を潰す。


「ぁっ……はぁ」


 セレナの顔に歓喜が浮かぶ。イラの体から力が抜ける。ガクリと、イラがひざを折り、頭が倒れる。コプリと、イラの口から血がこぼれて、肺がつぶれて、息が止まった。


 殺した。殺した。殺した。いくら“透徹の暴霊”が怪物でも、心臓を失って死なない奴はいない。これで父の復讐を果たせる。

 復讐を果たして、ようやく私は……


「あはは、あはっあははは……は?」

 しかしセレナの嗤みは途中で凍り付いた。イラは心臓を貫かれてもなお止まらない。息が止まり、体から生命は途切れたはずなのに、貫いたはずの脚先から硬質な感覚を覚えた。顔を上げ、目は焦点が合っていない。イラはがくがくと震える口で嗤みを浮かべてセレナをにらみつけ、力の入らない手で六色細剣を振りあげる。


「なんだそれ」

 セレナは腕を引き抜き、イラの心臓にあるものを見た。腕をねじりこみ、肉を引き裂き、空洞になったイラの胸。そこにあるのは生身の心臓ではない。精霊結晶のようなものでできた心臓のような何か。


 心臓の形をした精霊器だった。


 “玉の心臓”。イラが戦いに向かない自分の肉体を戦えるようにするために取り込んだ異形の精霊器。無色の精霊を蓄積して鼓動する。生きるために戦うではなく、戦うために生きることを望んだイラの心臓。

 仮初の心臓から伸びるのは操糸。玉の心臓はがらんどうになったイラの胸に、宙づりになって存在している。


「あぁ」

 憎しみに燃えていた目すらも死んだ。イラの目は虚ろで、セレナを見ているかどうかも怪しい。胸に空いた空洞から血すら流れない。

 それでもイラは六色細剣を振り下ろす。


 下ろされた六色細剣は力なく、動きを止めてしまったセレナの肩口に下り、そして、


「っつあ……!?」

 操糸が這い伸び、セレナの肩口を食い荒らした。

イラは心臓に大穴が空いて、首が半分切り落とされたくらいでは死なないのです。

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