第31話 玉石と玉石①
こいつは一体誰だ。真琴は目の前にいる男が、イラだとは思えなかった。真琴の知るイラは毒舌で容赦はないが、決して真琴を見捨てることはない男だ。冷静で自分を見失わない人だ。善人か悪人で言えば善人。小説でいうところの師匠キャラ。
イラが帝国に恨みを抱いていることは、これまでの暮らしで何となく察している。戦争経験者で真っ当平和な暮らしを送ってきたわけでもないことも分かっている。玉石と呼ばれる人間で、途方もなく強いことは身をもって理解している。
「死ね」
イラの顔が醜悪な笑みに歪む。でもこんな風におぞましい笑みを浮かべる人間だとは知らなかった。愉しそうに人を殺す男だとは知らなかった。イラの目には真琴は映っていない。イラの頭の中に真琴はいない。
今のイラはただの……。
水晶を遠くへ放ったイラは「ちっ」と舌打ちした。
「外れたか」
それっきりイラは水晶の行方から目を離すと、澱んだ目で残った軍服たちを見る。イラが軍服たちに一歩足を踏み出す。残った三人の軍服たちは無表情のまま、しかし確かな決意を込めてじりと前に進む。イラと軍服は衝突寸前だ。張りつめた糸が切れようとした瞬間。
「しぃっ!」
残った軍服たちの首が飛んだ。
「……エクス」
「落ち着けイラ」
軍服たちの首を飛ばしたのはエクスだ。ここまで走ってきたはずなのに、エクスは息切れ一つ起こしていない。
エクスは目に冷えた色を宿してイラをにらみつけた。
「なぜ邪魔をした」
イラもまた、冷たい殺意をもってエクスに応えた。
「邪魔?何が邪魔だと言うのだ?」
「帝国のクズどもを殺すことを、だ」
イラの言葉を聞いて、エクスは槍の穂先をイラに向ける。青い。穂先に目が痛いほどの青の精霊が集まっていることが、真琴には分かった。
(これが“青の玉石”エクス・ナイツナイツ)
ビリビリと肌を刺すような感覚。息苦しさを覚えるほどの威圧感。相対する者に恐れと畏れを抱かせる覇気。これが玉石。これが真の強者。
エクスの覇気は重みがあって揺らぎがない。それはまるで偉大なる海のよう。積み上げてきた途方もない努力に裏付けされた、どこまでも正道を征く鋼の精神と大海の強さ。
女神様からチート能力をもらっただけの自分がいかに薄っぺらな紛い物か、エクスを見ているとそれを自覚させられる。
並の者なら向かい合うことすら困難な覇気を前に、しかしイラは微塵も臆する様子はない。それもまた当然。エクスが玉石であるように、イラもまた玉石だ。
“黄の玉石”イラ・クリストルク。イラの周囲は空間が歪んでいるかのような錯覚を受ける。それはイラが重く停滞した殺気を放っているからだ。
地獄の底から這い上がってくるような怖気。逃げ場なく迫りくる殺意と憎悪。エクスとは正反対の、正しさなど求めてもいない邪道の気配。
正道では届かない。けれど求める強さがある。そのためにイラは手段を選ばなかった。汚れきった渇望の末に手に入れた血にまみれた強さ。汚泥まみれの勲章。イラが持っているのはそんな強さだ。
二人に共通していること。それは玉石として二人とも、呆れるほどの屍を積み上げてきたということだ。
“黄”と“青”。王国最高峰の戦士が互いに敵意と殺意をぶつけあっている。さきほどまで戦いが幼子のままごとであったかと思えるほどに、二人の放つ戦士としての気配は真琴の知る“普通”からはかけ離れている。
立っている次元が違うとは、このことを言うのだ。
「せっかく向こうから攻めてきてくれたんだ。盛大に仕返ししてやろうじゃないか。そら」
イラは近くに転がっている軍服の死体を指さす。脳をぶちまけた死体は胸に血肉で汚れた国章をつけていた。
「帝国の国章だ。これはつまり帝国がまた、王国を攻めてきたってことだろ?なら殺せる。名目がある。あの畜生にも劣る、生きている価値のない害悪どもを殺せるんだ。だからどけ。まずは森にいるクズどもを皆殺しにする」
「そして帝国に一人攻め込む、か?馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しい?」
エクスの言葉にイラはピクリと眉を動かす。イラの右手が存在しない剣を掴んだ。手元に剣がない事実に、イラは内心舌打ちする。
「違うか?確かにこいつらは帝国兵だろう。だがまだ、王国と帝国の休戦は解かれていない。我々が今するべきはこの事実を王に報告し、帝国を糾弾すること……」
「それでまた小さな村のいくつかが犠牲になるのか?」
イラの低い一言にエクスは押し黙らされた。
「そういうことだろう?エクス。要するに王国は弱い。その上未だに王国は戦争の傷を癒せていない。だから不用意に戦争を起こすなと、帝国を刺激するなと。そう言いたいんだろうエクス」
「そこまで分かっているなら」
「奴らがそれまで何もしないと言いきれるか?お前らが呑気にお話してる間、辺境の村々は生きた盾にでもするつもりか?」
ドロリとした殺気が場を支配する。真琴は目を疑った。イラからヘドロのように黒の精霊がこぼれ出ている。黒の精霊は人の負の感情から生まれるものだ。だがそれは微々たるもので、怒り狂った人間であろうと一つまみほどの黒の精霊を生み出すのが関の山のはずだ。
なのにイラは足元に沼ができるほどの精霊を吐き出している。とてもではないが、人の生み出していい殺気ではない。
真琴は震えていた。怖いのだ。イラが。”透徹”が。もしあの汚泥のような殺気を自分に向けられたら。濁った目でにらまれたら。そう思うと怖くてたまらない。
「思い出せよエクス。あの戦争の時、あいつらは宣戦布告をしたか?人道的な戦いをしたか?王国の白旗を聞き入れたか?」
「……」
「違うだろ?襲った村であいつらは何をした?ただ滅ぼしただけだったか?生き残った人間が、生き延びてしまった人間が何を見たか知っているか?あのクズどもが死者の尊厳を、生者の心をどんな風にして貶めたか。知らないわけじゃないだろ?」
「……」
エクスは顔をしかめ、うなるだけでイラの言葉に反論できない。イラの言うことは何一つ間違っていない。
「グランヘルムにお伺いを立てて、上の連中が話しあって、帝国にお手紙を出して、返信を待って。そうしているうちに帝国がまた攻めて来たらどうする?お前たちが手をこまねいている間にもいくつも村が滅びるぞ。人が死ぬぞ。守れずに死ぬぞ。それでいいのか?“騎士の中の騎士”」
「詭弁だ。イラ、お前は帝国の人間を殺したいだけだろう?」
「そうだよ」
苦渋の末に発せられた反駁をイラはあっさり肯定する。
「お前はそこまでして帝国を滅ぼしたいか」
「当たり前だ。それが、それだけが俺の生きる理由だ」
「本当にか?」
エクスはチラリと真琴の方に視線を向いた。その視線に気づき、イラの汚泥の殺意に酷薄なものが混じる。
「エクス」
「なんだ」
イラはジロリとエクスに視線を向けた。その瞳は昏く、清らかなものは全くない。あらゆる感情を煮詰めて淀んだものだけを取り上げたような目だ。
「俺の生き方を勝手に決めるな。俺は……」
お前のそういうところが大嫌いだよ。
「そうか」
「おまえら……」
真琴が二人に向かって手を伸ばす。だがその手は無力で争いを止めることはできない。
この場において、真琴はあまりに弱過ぎた。
「ウオシウス エタナウ」
「イケホド エロマム」
真琴が割って入るよりも速く、玉石二人の精霊術が発動した。
*
エクスの槍から放たれたのは水槍。下級の精霊術だ。だがその規模は下級というにはあまりに巨大すぎる。
膨大な質量を伴った水槍はイラの体を飲みこまんとするほどで、一度飲みこまれれば水圧で体は粉微塵になるだろう。荒れ狂う水は嵐の濁流より遙かに苛烈で、その勢いは長大な滝にも勝る。
それはもう水槍ではなく、真横に立てた巨大な水の柱だ。その熾烈な攻撃に対し、イラは大地を動かし巨大な土の壁を作る。
衝突。エクスの水槍は一瞬の膠着の後、土壁を粉砕してイラに迫った。
イラの土壁が稼いだ時はほんの一瞬。威力もわずかに弱まっただけ。だがその一瞬、わずかが欲しかった。
「ウジム」
イラは右手を水槍に突っ込む。初級の精霊術と同時にグローブの精霊器を起動。
一直線だった水槍の勢いが乱され、周囲に飛び散る。右手に激痛が走る。無視。溢れかえる水を掻きわけてイラはエクスに接近する。
「ぬん」
「はっ」
グリンと弧を描いて槍の石突が真横から襲い来る。対するイラは素手だ。右手は柔らかく拳を握り、左手を盾替わりには前に突き出している。
エクスの槍をイラは左手で受け止め、流れるように右手の拳で槍を下から突き上げた。絶妙なタイミングで防御、反撃を行ったことでエクスの槍が大きく跳ねる。
勢い止まらぬままイラが蹴りを放つ。エクスも合わせて蹴りを放った。
水が流れていくように、意識の隙間を縫うように繰り出されるイラの蹴撃。長い時を経た大岩の如きエクスの蹴撃。
二人の中央で蹴りが衝突する。イラもエクスも無色の精霊で肉体を極限まで強化している。玉石の中でも特に近接戦を得意とする玉石同士の蹴り合いだ。轟音が響き渡り、真琴と軍服たちとの戦いを経てなお残っていた木々が、ついに耐えきれずに折れ飛ぶ。真琴も勢いに押されて後ろに飛ばされた。
「ウレアノト……」
「ウジム」
木切れの舞い散る中、イラの詠唱を邪魔するように、エクスが水の塊を生成する。イラは即座に後退。攻撃を回避する。
イラは精霊を集めて固有術式の陣を組む。だがエクスの陣はすでに完成している。イラが六節の詠唱を唱えることはできない。
「ウオシウス エタナウ」
「ウレアノト アリ ウテツオト」
生まれた距離の空白を埋めるようにエクスが巨大な水槍を放つ。イラはそれに対して苦し紛れに透徹の水晶を生成。だが小さい。陣の形成。精霊を集める時間。詠唱する余裕。全てが足りない。イラの水晶はエクスの水量を前に脆くも散る。
「くっ」
「ウオシウス エタナウ」
水槍を横に跳んでかわしたところにまた水槍。イラは大地を強く蹴りつけブーツの精霊器を起動。空に向かって大きくジャンプする。
「ウオシウス エタナウ」
さらに水槍が放たれる。イラは空中を駆けて回避する。
「ウオシウス エタナウ」
「ウジム」
今度はかわしきれない。イラが右手を前に突き出して詠唱。エクスの水槍をイラの精霊器が無効化する。森に雨が降る。同時にピキリと音を立てて右手の精霊器が壊れた。
「エザク……」
「ウオシウス エタナウ」
イラの表情に余裕は全くない。玉石同士の戦い。エクスは完全武装で、戦争末期の八年前と何ら変わりない。否、八年前よりも確実にエクスは強くなっている。対するイラは根幹となる武装がなく、愛用していた『六色細剣』も精霊結晶を無くして持って来ていない。イラは八年前と比べて明らかに弱体化している。
エクスはひたすらにイラを攻め立て、イラに詠唱の隙を与えない。
「ウレアノト」
迫る水槍を紙一重で避けて、イラは詠唱しながら腰の投擲用ナイフを引き抜く。
「アリ」
「イマヌト」
抜いたナイフの数は五本。そこに赤の精霊を込めてイラはエクスに向けて投擲する。
「ウテツオト」
「オリト」
風を切りながらイラのナイフがエクスに飛んでいく。エクスの詠唱が完了する。グラリと、天空が揺らいだ。見れば空にはエクスの編んだ巨大な陣と天を覆う青の精霊がある。
「ネク」
「ふん!」
エクスは間近に迫ったナイフを槍で振り払う。ナイフと槍が触れた瞬間、爆発が起きるが、それもエクスにとって痛打になりえない。
イラが透徹の剣を生成する。天を覆い尽くす陣が煌めく。空中に漂う青の精霊が天高く座する陣に吸い寄せられ、現実世界に干渉する。
「嘘、だろ」
戦いを見ていた真琴が愕然として呟く。エクスの詠唱はたった二節。下級か、せいぜい詠唱の省略を重ねた中級が精一杯の単語数だ。大したことはできないはず。なのに。
冬の空を埋め尽くすような青。青で構成された陣が形を変え、イラに向かって大津波が降り注いだ。
玉石同士の争いになりました。展開おかしいだろ!なんで戦いになるんだよ!と思う方がいらっしゃったら、感想を下さい。長くなるかもしれないので、そちらでお答えします。このシーンに至るまで、実は結構悩みました。
戦況管理
真琴(観戦状態)
”透徹”(劣勢 右手を負傷)
エクス(優勢)
帝国
狙撃手(???) 軍服たち(出てきた分は全滅)




