第30話 孤軍虐殺
「森が騒がしいですね」
「そうだな」
調査を開始して数時間。熱心に調査をしている騎士たちを横目に、イラとエクスは森に異変が起きていることを察していた。
常ならば、森のどこかで魔獣同士がぶつかっているのかと考えるところだが、生憎今この森に魔獣はいない。未だに森には黒の精霊が満ちているし、魔獣は命の危険には敏感だ。他所から入ってきたとするには早すぎる。とすれば人と人が戦っていると考えるのが自然な流れだろう。
「どうにも嫌な臭いがしますね」
「臭い、か」
「はい」
それはきっと鼻で感じる臭いではないのだろう。イラの目にドロリとしたものが浮かぶ。深い藍と緑の瞳に濁りが見えた。渦巻き、引きずり込まれそうになる澱んだ黒。見る者の背筋を凍らせるような恐ろしげな色だが、エクスは特別動揺することもない。
予想できたことだし、見慣れたものだ。
「どうします?俺一人で行きますか?それとも騎士団全員で行きますか?」
といってもまだイラには一人で突撃しない理性が残っていたらしい。眉間に深いしわを寄せて、エクスに問いかける。
「ふむ」
エクスはチラリと他の騎士たちの様子を伺った。彼らはそれぞれ調査をしたり、指示を出したり、周囲の警戒をしているが、二人の他に森の異変に気づいた者はいないらしい。
エクスからしてみれば、今感じられる異変は明白なものであるのだが。これは後で鍛え直す必要があるかもしれない。
「トコイル」
「はっ?なんでございましょうか」
素早く判断を終え、エクスは副官のトコイルを呼んだ。彼は顔に疑問を浮かべながら、エクスのもとへ走り寄る。
「森の様子がおかしい。私とイラで調べてくる。トコイルたちはここで引き続き調査を。異常が起きたら空に『狼煙』を上げて伝えてくれ」
「な!?で、でしたら“透徹”ではなく私を」
「駄目だ」
イラと調べると聞いて、トコイルはいきり立つ。だがエクスはにべもなく答えた。
「事態は急を有するかもしれない。お前では、いやお前たちでは遅すぎる」
「そ、それは我々が役立たずということでしょうか」
声を震わせ、目に絶望を浮かべるトコイル。エクスはフンと鼻から息を吐いた。
「全てを言わせてくれるな。……頼んだぞ」
「り、了解……いたしました」
トコイルは肩を落として、とぼとぼと調査隊の方へ戻っていった。
「随分と優しいんですね」
「何がだ」
そのやり取りを見ていたイラがつい口からこぼれたといった様子で言った。エクスの返答はぶっきらぼうだ。
「いえ、はっきり言ってやることも優しさということも最近気づきましてね。彼に相当期待をかけているのかなと」
「……急ぐぞ」
「えぇ」
エクスはイラから顔を背ける。玉石たちが異変に向かって走り出した。
*
エクスはイラの三歩後ろを走っている。イラはドクン、ドクンと高鳴る胸を押さえてながら走る。
玉石二人の足は速い。木々の隙間をするすると駆け、足場の悪さも感じさせない。軽装のイラはともかく、重装のエクスも同じ動きをできるのはさすが玉石といったところである。
(エクスさんの場合、あの槍があるからだけどな)
目の前の枝に手を引っかけて、強く押し出す。左右に伸びる枝を足場に、一気に加速する。軽業師顔負けのイラの動きだ。エクスも邪魔な木々を手刀で払いながら、真っ直ぐに進んでいる。
走りながら、この異変の原因は何だろうかと考える。考えるまでもない。おそらく帝国。あの生きる害悪どもがまた来たのだと、思考の余地なく断定する。
(俺の本能が言っている。奴らがいるぞと。あのクズどもがいるぞと)
イラの憎悪の炎はわずかにも陰っていない。押しこめただけ。押しこめた炎に酸素が与えられたらどうなるか。もし帝国の人間を見たら……。イラですら自分がどうなるか予想できない。
「イ……ラさん」
「エクスさん!」
「シイナか」
向かう最中、イラたちは負傷を押して走るシイナを見つけた。
シイナは右肩を、衣服を切って作った包帯で縛りつけていた。包帯の上に血がにじんでいる。シイナほどの隠密に負傷を負わせたのか。シイナは血の気のない青白い顔をしていた。顔の白さは冬の寒さのせいではないのだろう。シイナはイラの所までたどり着くと、力尽きたように倒れ込んだ。
弱々しいが息はしている。意識もはっきりしているようだ。エクスはシイナの前に膝をついた。
「何があった」
「しくじ、ました」
負傷したシイナを前に、エクスはあくまで冷静だった。冷静な口調のまま質問し、シイナも最低限の言葉で答える。
「敵、三人。マコト……単独、です。別、狙撃、あり」
「そうか」
敵は三人。真琴が単独で戦闘中。そして三人の他に狙撃手が一人いる。なぜ駄目だと言っていたのに森に入ったのか、言いたいことはいくらでもあるがエクスは言わない。言うべき時ではない。
「シイナさん。敵の正体は?」
ボソリと、イラが口を開いた。イラは目を閉じ、考え込むように腕組みしている。
「敵は」
そんなイラの様子に不穏なものを感じながら、シイナは口を開いた。
「臙脂の軍服を着ていました」
「イラ!」
瞬間、イラはエクスとシイナを無視して森の奥へ飛んでいった。臙脂の軍服。知っている。臙脂の軍服がどこの国で使われているのか、よく知っている。
劣悪な表情を浮かべて平和だった村を滅ぼしたクズども。逃げる村人を笑いながら、遊び感覚で痛めつけた畜生ども。素朴な村に火を放った害悪ども。大事な教え子たちを惨たらしく殺した外道ども。
ヘルミナを俺の目の前で犯して殺した帝国の××××ども。
イラ。
心が安らぐ柔らかな声が、耳元で聞こえた。幻聴だ。それはよく分かっている。なにせこの声の持ち主は、イラが泣いている時、苦しんでいる時、いつもそばで慰めてくれていた彼女は。嬉しい時、楽しい時、いつもそばで喜びを分かち合ってくれた彼女は。
たすけ……助けてよぉ。イラぁ。
「殺す」
二人のそばを去る直前、イラはただ一言だけ呟いた。
「イラさん」
走り去ってしまったイラに、シイナは絶句した。シイナは戦争時代のイラのことを知っているし、戦後、復讐心を折られて憔悴しきったイラのこともよく知っている。もちろん今の穏やかなイラのことも。
しかし、さっきのイラはまるで戦争中、復讐に狂っていた時のイラそのものだった。
ありえないと思っていたのに、それでも彼は一瞬で、八年前に戻ってしまった。
「シイナ。君はここで隠れていなさい」
「エクス……さんは」
「私は」
シイナは動揺を隠しきれない。すがるような目でエクスを見上げる。エクスはすでに姿の見えないイラを見据え、これまでにないほど険しい顔で言った。
「イラを止めにいく」
*
憎い。憎い。憎い。頭の中が灼熱の炎で満たされる。頭の中は真っ白で、心の中は真っ黒だ。
イラの口には自然とおぞましい笑みが浮かんでいた。
帝国。
その言葉を思い浮かべる度にその笑みは大きくなる。
「くく……ひはは」
胸の内に残る憎悪の炎は、イラの感情を燃料にますます燃え上がる。押し込められた憎悪の炎は黒々と燃え、積み上げてきた八年間の記憶を彼方へと追いやる。
「邪魔ぁ!」
道を阻む障害物を透徹の剣でぶった切り、イラはさらに加速する。肉体に埋め込んだ精霊器の数々はすでに活性化済み。左目の『追憶の義眼』は敵を求めてぎゅるぎゅると蠢く。
急な精霊器の起動はイラの体を傷つけ、傷だらけにしたがそれを気にするイラではない。
ピタリ。イラの暴れ狂うように周囲を探っていた左目が動きを止めた。その先にあるのは臙脂色。
「見つけたぁ……!」
臙脂色どもが何をしようとしているか、誰を殺そうとしているかなど、すでに頭にはない。イラは大地が深くえぐれるほどに地面を蹴りつけて帝国軍の前に着地した。
「くひひ」
一、二、三、四、五。クズどもの数は五人。つまり帝国の人間を五人も殺せるということだ。なんと素晴らしいことか。
クズは存外息のあった動きでイラに攻撃を仕掛ける。ナイフ使いが二人に剣使いが同じく二人。そして後方にいるのが精霊術士か。
ナイフの片方がおかしな材質でできているが、まぁいい。不都合があればその都度修正していくだけだ。
こいつらを殺すことには変わりない。
イラは醜悪な笑みを浮かべ、感情こそ憎悪と殺意に満ちているが、理性はしっかりと敵のことを分析していた。昔からそうだ。どれほど憎しみに溢れていようと、イラは感情にだけ支配された獣にはならない。でなければイラは今ここにはいなかっただろう。玉石と呼ばれることもなく、愚かな復讐鬼として名も残さずに命を落としていたはず。
まずは一匹。イラは透徹の剣で近くにいたクズに斬りつける。ゴゥン。イラの剣はクズに命中したが、クズの体は両断されない。口から血を吐きながら後ろに飛ばされていった。
斬れない。だが衝撃は伝わる。動揺も、困惑もなく、イラはそのことを理解する。原因を理解するのは後。今はこいつらが斬れないことだけを理解すればいい。
上空から風。詠唱は聞こえなかった。無詠唱か。
「エザク」
イラは上から落ちてきた風の塊に、同じく風をぶつける。イラの風は当然の如く、帝国の風を吹き払う。ついでに不用意に近づいてきたナイフ使いのクズを蹴り飛ばす。
「アマト ウジム アナシイト エラワム」
生み出すのは小さな水球。数は40ほど。それをイラは自分を起点に回転させる。イラの意図するところが分からなかったか、クズどもは一度イラから距離を取る。
(理性はある)
もしこのクズどもが、クズに見合った知性のない獣だったならば、この柔らかで無力な水球を恐れず向かってきたことだろう。だがこいつらは距離を取った。つまりこいつらは感情のない木偶人形のようで、考えることのできる頭があるということだ。
「はっ!」
ならばいい。知性のない帝国の飼い犬を殺してもつまらない。
苦しむ顏を見せろ。その無表情を苦痛と絶望に歪めろ。お前たちは俺の大事なものを皆奪った。次はお前たちが大事なものを奪われる番だ。
「くひっ。てめぇらの命を皆奪ってやるよ」
ネク オリズネウ 回る水球が鋭い刃と化してクズどもに迫りくる。クズどもは着ている服で刃を受け、その身を守る。
こいつらの強さの根幹は服か。見ているだけで不愉快になる臙脂の軍服。剣を使っているクズの胸元に国章が見えた。
大陸を包み込まんとする二つの手の平。傲慢で強欲な帝国らしい国章だ。その国章の存在が、イラをさらなる憎しみの道へといざなう。
「ひゃぁっ!」
水の刃を受けるためにクズどもの意識が寸の間逸れる。その隙間を縫うようにイラは国章をつけたクズに肉薄する。
透徹の剣でクズを五度斬りつける。だが衣服は斬れない。衝撃だけがクズに伝わる。目と口と鼻と耳から血を流し、クズの体がぐらついた。
「ひは」
ならば、とイラが狙ったのは腕の付け根。軍服の縫い目のある部分だ。上から振り下ろされた剣は寸分違わず縫い目を斬りつけた。しかし斬れない。イラはスッと目を細める。
「ちっ」
イラはクズを前に不意に脱力する。パッと剣を持つ右手が煌めく。クズの首が飛んでいく。
(首を落とせば死ぬか)
ゆっくりと倒れるクズの死体を、近くにいた別のクズに向けて蹴り飛ばす。飛んでいったクズの死体は別のクズに当たる。別のクズは体勢を崩した。
「ウレアノト アリ ウテツオト オレミザウ」
手に持つ透徹の剣をクズに突き出して詠唱。透徹の剣が砕けて飛んでいき、死んだクズともども二人目のクズの頭がハリネズミのようになって死んだ。
「無様」
男が二人。仲良く水晶に突き破られて脳髄を見せびらかしている光景は中々愉快だ。にちゃっと嗤ったイラは残る三人に目を向ける。
ジリとクズどもが後退る。逃がすわけがないだろう。イラは首をひねった。そこに突き抜けてゆく弾丸。
狙撃だ。だがイラはシイナから狙撃手の存在は聞いていた。影衆のシイナに当てるくらいの狙撃手だ。警戒しないはずがないだろう。
愚か愚か愚か。まさしくクズの浅知恵だ。
「オレイソ エザク イケツカス」
狙撃手は姿をさらしていないからこそ意味がある。イラは緑の精霊術で狙撃手の位置を確認する。……見つけた。北西の報告距離は七百メートル。殺しにいくにはやや遠い。
が、仕返しはしておくべきだろう。
「ウレアノト アリ イウク ウテツオト ウクニタグ」
イラは北西の方角。丁度狙撃手のいる方角に手をかざす。その先に複雑怪奇な陣を形成し、六色の精霊を折り込んでイラにしか使えない固有術式を編む。
精霊が虹色に輝く澄んだ水晶へと姿を変える。その美しい水晶は濁りきったイラの心とはまるで正反対で、ひどい皮肉に見えた。
「死ね」
イラの口から怨嗟の呟きがこぼれる。その言葉をきっかけに、細く伸びた透徹の杭が狙撃手に向かって真っ直ぐに飛んでいった。
虐殺というほど虐殺していないということに今気づきました。六対一で死にかけていた真琴と、圧倒したイラの実力の差を感じていただけると幸いです。
戦況管理
味方
真琴(戦闘不能) シイナ(戦線離脱) ”透徹”(無傷・狂気) エクス(???)
敵
狙撃手(???) 軍服A(死亡) 軍服B(生存) 軍服C(死亡) 軍服D(生存) 軍服E(生存) 軍服F(死亡)
まだプロット段階ですが、今週か、来週くらいに精霊世界シリーズの短編を投稿したいと思っています。投稿されてなかったら、「この作者へたりやがった」とでも思ってください。
区切りがいいところまで投稿したいので明日、明後日も投稿する予定です。ブクマ、感想、ポイント評価をしてくださると嬉しいです。




