第七話 夜会
「王宮の夜会の招待状が届いた」
城主の執務室、机の前にあるソファに並んで腰掛けていたエイデスが、一通の封筒を取り出してユミルに切り出した。
「それはまた、突然ですね?」
「だろう?」
「というか、王家主催の夜会って、この間開かれたばかりなのでは」
そう、ユミルとエイデスの出会いの場となったあの夜会から、まだ一ヶ月経っていない。
「今回は王宮のホールを貸し切って、の公爵家主催の夜会らしい」
「はあ」
それはまた、随分と大がかりな夜会だ、とユミルは思った。
公爵家の邸宅でも充分だろうに、わざわざ王宮のホールを借りてとは。
そもそも、
「公爵家主催の夜会に、エイデス様が呼ばれる理由ってなにかあったでしょうか?」
そこが気にかかった。
この前の夜会だって、エイデスが参加したのは嫁探しのためで王家から是非にと頼まれたわけではない。ただでさえコルトゥール領から長く離れてはいられないエイデスをわざわざ呼ぶ理由とは一体。
「いや、俺と君はついでだ」
「ついで?」
「本題はアルフィージだ。要するに、王太子殿下の婚約者である公爵令嬢とその実家である公爵家の立場を盤石なものにするために、万が一にも王女殿下の婚約者にほかの公爵家の嫡男が名乗りを上げてはならない。
だから王女殿下が懸想している、と噂の伯爵令息であるアルフィージとの仲を確実なものにしてしまおう、と言う魂胆の夜会だ」
あっさりとエイデスはその実情を答えた。
ひら、と封筒を振って、困ったように。
「伯爵令息ならば、王太子殿下とその婚約者の地位を揺るがすことにはならないからな」
「なるほど。その夜会でアルフィージ様と王女殿下の仲を見せつけよう、というお話ですね」
「そうだ。……とはいえ」
そこでエイデスは非常に悩ましい表情になる。
「隣国の侵攻があった矢先に、また二週間かけて王都まで行き来するのは、ちょっとどころではなく困りますよね……」
「そうなんだ……。また二週間もコルトゥール領を留守に出来るわけがない。
とはいえ、公爵家と王家連名の招待状だからな。どうしたものか」
エイデスが眉根を寄せた時だ。部屋の扉がノックされ、アルフィージが顔を出した。
「ああ、その招待状。お二人にも届いていたんですね」
「出たな元凶」
「出ました元凶ですよ。すみませんね。まさかこんな大事になるとは思わず」
軽く睨んだエイデスに、アルフィージはしれっと悪びれもせずに答える。
「お前本当に王家に嫁ぐのだけはやめてくれよ。お前がいなくなったら真剣に困る」
エイデスは心底と言った口調で、こめかみに指を押し当てた。
アルフィージがコルトゥール騎士団からいなくなった時のことを考えただけで頭が痛いらしい。
「善処します」
だよなあ。魔術のかかった武器でもないただの武器であれだけのことが出来る戦力を、王家に持って行かれたら困るよな、とユミルも思う。
「ただ、今回の夜会に関しては、王家のほうが融通を利かせてくれまして」
「なんだ?」
「こちらです」
アルフィージが自身に届いた小箱をソファの前の机の上に置く。
中身を見て、エイデスは目を瞠った。
「これは、腕輪……?」
中に入っていたのは美しい細工の腕輪が三つ。
「これは回数券のような魔術がかかった魔導具だそうです。
一度でも行ったことのある場所なら、この腕輪をつけて念じるだけで一瞬で移動が出来る転移の力の宿ったもので、これを使えば王都からコルトゥール城まで、日帰り出来ます。
ちなみに使用出来る回数は二回なので、ちょうど往復で使い切れますね」
「なるほど。王家が利かせる融通としては最適なものだな」
「なので、どうにか夜会には参加して欲しいとのことです。
王家としても王位を巡って三つの公爵家が争うのは避けたいんだそうですよ」
我が事なのにアルフィージはどこか他人事のような軽い口調だ。
「まあそうだろうな。……本当に嫁ぐなよお前」
「嫁ぎませんよ。どうにかして王女殿下に降嫁していただきます」
とは言いつつ、恋情がその声からは感じられないので、アルフィージにとっては、もしかしたら王女にとってもビジネスライクのような結婚と位置づけているのかもしれない。
「じゃあ、そういうことならば行こうか。
ユミル」
「はい」
そっとユミルの手を握って、エイデスは先日のことを思い出す。
触れる手が熱い。
意識したように、エイデスが視線を逸らした。
王宮のホールを貸し切って開かれた夜会には、多くの貴族が参加している。
眩しいシャンデリアの下、思い思いに踊ったり、情報交換という名の雑談に花を咲かせたりしている。
「聞きました? 今夜の夜会の発端」
「ああ、コルトゥール騎士団の副団長を王女殿下に娶せるためとか」
「伯爵令息と聞いたけれど、身分が違いすぎないかしら」
「それが身分が高すぎても問題という話よ。ほら、王太子殿下のお立場を脅かしてしまうから」
ひそひそ、と扇で口元を隠しながら、貴族の夫人たちが今回の夜会の発端について話していた。
「まあ、確かに」
「それなら伯爵令息を宛がって、万が一にも王太子殿下のお立場を揺るがさないようにするのが最適とも言えますわね」
「あ、いらっしゃったわ」
不意にホールの扉が開いて、美しく着飾った王女の手を取り、エスコートしながら中心に向かって歩いてくるアルフィージの姿に、貴族の女性たちがほう、と感嘆の息を漏らす。
「あら、素敵な方」
「イェニー伯爵家のご令息よね?」
「そうね。爵位は兄君が継がれたから」
「でもお綺麗な方ね。あれでコルトゥール騎士団の矛と称される武人らしいわよ」
「はあ、人は見た目によらない」
夫人たちは、アルフィージの整った美貌と、王女の手を取って優雅に踊り出したその立ち振る舞いに見惚れている。
だが不意に続けてホールに入ってきた二人の男女に視線が向く。
「あら、コルトゥール辺境伯様だわ」
「お隣はご結婚されたばかりの奥方様ね」
「あのアイリントン家の阿婆擦れ?」
「それは違うわよ。レドモンド伯爵令息が拒んだら婚約破棄すると脅したって」
「まあひどい」
「レドモンド伯爵令息との愛のない婚姻からあのご令嬢を救われたのが辺境伯様らしいわよ」
「あら素敵な話じゃない」
「愛のある美しい結婚と言うことね」
楽しげに話す夫人たちの声を聞きながら、アルフィージたちの邪魔をしないように少し離れた場所で足を止めたエイデスとユミルが見つめ合った。
「なんかいろいろ言われてますね」
「だが君の評判は好意的なものに変わってきたようでよかった」
「ありがとうございます。エイデス様のおかげです」
「俺は自分の気持ちに正直に行動しただけだ。
まあ、夜会の注目の的はアルフィージたちだから、俺たちはゆっくり踊ろう」
「はい」
エイデスの言葉に頷いて、ユミルはエイデスのリードに合わせ、ステップを踏み始める。
ふと視界の端に見知った男の顔を見つけた。
あ、クリスだ。なんか完全に壁の花状態で、誰も踊る相手がいないらしい。
「こっちを向いて」
そんなことをさしたる興味もなく考えていたら、エイデスに腕を引かれた。
「あんな男の顔は見なくてよろしい」
間近に迫ったエイデスの美しい顔に、慣れたつもりでも何度も見惚れてしまう。
いや、これは自分の中の、彼への気持ちが変化したからだろうか。
こんな綺麗な人が、自分の夫だなんて。
「嫉妬でしょうか?」
「嫉妬だ」
「そうですか」
はっきり言い切られて、くすりと笑みが零れる。
なんだかくすぐったい。
「おかしいか?」
「いいえ、嬉しいです」
「そうか。……その」
踊りながら、エイデスがふと言葉を詰まらせた。
「君は、この前の話は、どこまで本当だ?」
「この前の話?」
「だから、その」
「私がエイデス様を好きだという話でしょうか」
もしかして、と思い口にした途端、エイデスの真っ白い肌が朱に染まる。
「そ、そうだ」
「本当です」
それが嬉しくて、微笑んで頷いた。
「全部、本当です」
「そ、そうか。その、いつから」
「なんというか、気づいたら、惹かれていて」
最初は面白くて。それからは徐々に、降り積もる雪のように音もなく、徐々に惹かれて。
「ただ、あのときエイデス様が、前世の私ごとすくい上げてくださったから、きっと」
それが、あのときに弾けた。
震える心臓ごと抱きしめてくれた、この腕の中が好き。
「初恋、だと思います」
「そう、そうか。初恋……」
エイデスは頬を赤らめ、かみしめるように口にする。
「じゃあ、俺たちは初恋同士ということだ。
こんなに最高なことはない」
「あの、エイデス様」
はにかんだエイデスに身を寄せて、間近で囁く。
「だから、いいですよ」
「え?」
「初夜、しちゃっても」
「え、うわ」
不意にエイデスがびっくりしたような声を上げて、よろけかけた体勢を立て直した。
「す、すまない危うく君の足を踏むところだった」
「大丈夫ですよ」
「俺みたいな鍛えた男が君の可憐な足を踏んで大丈夫なわけがあるか。
と、というか君はなにを」
エイデスの声は余裕なくうわずっている。
こんな大人の男の人が、自分の言葉一つで意識して赤くなって、なんて可愛いんだろうと思った。
「だから、初夜です初夜」
「し、しかしだな、俺は君の負担になることはしないとお義父上に約束して」
「だからそこが違うんですってば。
エイデス様との行為は、私の負担にはなりませんよ。
そもそもいくら体格がエイデス様のほうが上と言ったって、全く気遣いなし好き放題にやったクリスと比較したら、どう考えても私を精一杯気遣ってくれるエイデス様との行為のほうが負担が少ないに決まってるんですよ」
そうだ。どう考えてもあのクリスに比べたら、いや比べ物にならないくらい誠実なエイデスとの行為が、クリス以上に負担になるはずがない。
「ほう? 脅して無理強いをした上、そんな好き勝手な行為を君に強いていたと?」
「エイデス様、鬼みたいな顔してます」
想像したらしい。エイデスの顔がそれはもう悪鬼羅刹のような形相になった。
「だから、いいんですって。もうあんな男のこと気にしなくて」
ユミルはそう窘める。
「でも、あの男が最後の男なのは私も嫌だから」
そう囁いて、その身体にそっと抱きつく。
「エイデス様が上書きしてください」
その言葉にエイデスが息を呑む。
「そういうんじゃ、駄目ですか?」
「君は、……俺をその気にさせるのが上手いな」
「そうですか?」
「ああ、勝てる気がしないよ」
エイデスは真っ赤に染まった頬に軽く手をやると、ユミルの手を取って見せつけるようにその唇にキスをした。
夜会が無事終わった後、王宮の一室で、エイデスとユミルは一人の少女と対面していた。
長い金の巻き髪に碧眼の、気品と華を兼ね備えた姫君の名はブランシュ。
この国の第一王女だ。
「このたびはご足労いただき助かった。感謝する」
エイデスとユミルに感謝を述べたブランシュに、エイデスは、
「アルフィージとはうまくいった……というか、国王陛下と王妃陛下に納得していただけたのですか?」
と気になっていたことを尋ねる。
「さすがに貴族としての立ち居振る舞いを見せたところで陛下たちは家格を気にするとわかっていたので、これを」
「手鏡、型の魔導具?」
ブランシュが見せたのは手鏡の形をした魔導具だ。
「アルフィージに頼んで先日のタチアナとの戦闘を記録したものをこちらの『魔導具で映したものを転送する』魔導具で見ていただいた」
その言葉にエイデスとユミルは思わず半眼になった。
「ああ、あの全速力で疾走する馬の上に立ってクソデカ槍をぶん投げ敵将を串刺しにしたアレ」
「そうアレ」
「陛下たちの反応は?」
「ドン引きしていた。主にアルフィージの人外ぶりととんでも戦術に」
「でしょうね。その作戦を実行させた私が言うのもなんですがあれはあいつしか出来ないとんでもです」
正直自分だって頼まれたってきっと出来ないだろうとんでもだ、とエイデスは思っている。
そのとんでもが実現可能なアルフィージは、おそらく国王と王妃のお相手をしているのだろう。
「でも我が国になくてはならない武人と一目置いてくれたようなので、今後は家格より彼の人格や能力を重視してくれると思う。
わたしと彼が結婚するとしたら、アルフィージが侯爵位を賜って、わたしが彼に嫁ぐ形になるだろう。
ご足労をかけたが、助かった」
重ねて頭を下げたブランシュに、エイデスは恐縮する。
「いいえ、お役に立てたならばなにより、と言いたいところなのですが」
お安い御用、と言ってしまえれば楽なのだが、そうもいかない。
「さすがに侵攻があった矢先に王都に呼びつけられるのはご遠慮願いたいもので」
「わかっている。今回限りだ。あとちゃんと等価交換を用意してある」
ブランシュは微笑んで、「これは眉唾ものの話ではあるのだが」と言い置いて続けた。
「捕捉した建物の内部を、見通せる魔導具が存在する、という話だ」
「そんな魔導具が……!?」
「ああ。もちろんその魔導具をタチアナが持っているという情報は得ていないのだが、もしタチアナの手に渡っていたなら」
「コルトゥール城の城内を見通すことくらい、容易いな」
エイデスは口元に手を当てて思案する。
「というわけで、これは情報にプラスした見返りだ」
ブランシュはそう言って、そばのテーブルの上に置いてあった箱をエイデスに差し出す。
中に入っていたのはオーブ型の魔導具だ。
「これは」
「この魔導具を安置してある建物に対する、出入りの制限をかける魔導具だ。
この魔導具を起動させて、その上に手を置いた人間は出入りが可能。
それ以外の出入りを禁止する。つまり、コルトゥール騎士団の者と使用人、そしてユミル嬢。これらの人間をこの魔導具に登録してしまえば、それ以外の不審人物は変装していようが魔導具が弾いてくれるというわけだ」
「なるほど。これは防衛に最適な魔導具だ」
つまり人間だろうが魔物だろうが、城内に入ることを防げる。
さすがに城が破壊されてしまえば無効だろうが、そうならない限り、城の守りは鉄壁になる。
「先ほどの情報のみでわざわざ王都まで出向いていただくのも申し訳がないしな。それにコルトゥール領が落ちれば明日は我が身。
コルトゥール領の防衛は、我が国にとって最優先だから」
「しかし、こんな優れた魔導具が我が国に伝わっていたなんて初耳ですが」
「実は先日のアルガナ公国との会談で、多額の援助と引き換えにこちらの魔導具を譲り受けた。
アルガナ公国は元は魔術が盛んだったお国柄故、多様な魔導具を所持している。
大目に援助する見返りとして、融通していただいた」
「それは助かりますね。タチアナにとってはまず我が国が所持しているはずのない魔導具だ」
悪戯っぽくウインクしたブランシュに、エイデスは喜色を顔に浮かべる。
そこにアルフィージが戻って来た。
「お待たせしました。コルトゥールに戻りましょう」
「もう少し別れを惜しまなくていいのか?
ここで離れたら次に会うのは当分先だぞ?」
エイデスの言葉に、アルフィージはブランシュの顔を見つめる。
ブランシュが手を伸ばして、アルフィージの服の袖を掴んだ。
「また、会える日を待っている」
「……はい、また」
切なげに告げたブランシュに、アルフィージは優しく微笑んで頷く。
これは、案外ちゃんと恋情ありきなのかもしれないな、とエイデスは思った。




