第八話 初めての
三人がコルトゥール領に戻ってきた翌日の昼だ。
城の一階にある騎士団の食堂で、食事をしていたアルフィージの話を聞いたカロンが驚いたようにその顔を見た。
「え? じゃあアルフィージ様、侯爵になるんですか?」
「王女殿下と結婚が成立したらの話ですけどね」
「もうほぼ当確だろうなにを言っているんだ」
アルフィージに用事があって食堂に来ていたエイデスが呆れ顔でツッコんだ。
「まあそうなんですけど、あの年の差はまだ躊躇いがあるんですよ……。
ああ、そうですよね。お前たちと大して変わらない年の差ですもんね。
お前にとったら今更か」
「うるさい」
ついぞんざいな口を利いてしまってから、エイデスは我に返る。
「アルフィージ」
そして神妙な声でアルフィージを呼んだ。
「なんです?」
「突っ込んだことを聞くんだが、お前、女性関係は」
「ここ数年は全くなにもありませんが」
「そうじゃなくてだな、その……女性経験は」
シチューをすくいながら答えたアルフィージに、エイデスは顔を赤らめて声を絞り出す。
「うわ、すっごいごにょごにょ声」
「言うの恥ずかしいんでしょうねえ。こいつ童貞だから」
「うるさい本当に」
「僕はそれなりに経験ありますもん。知ってるでしょうお前。
武術一本で生きて来たお前とは違うんですよ」
さらっと言い切られ、エイデスは胸に手を当てて「痛い」と呻いた。
「アルフィージ様、そんな致命傷与えたら駄目ですよ」
「い、今までの彼女は、どうしたんだお前」
「大体の恋人はコルトゥール騎士団に入る前の付き合いでしたからねえ」
「そういえばアルフィージ様って、エイデス様にスカウトされたんでしたっけ」
ふと思い出したカロンが口にする。
「そうですよ。エイデスがコルトゥール家を継ぐ時に『一緒に来ないか』って。
それまでは王立騎士団に入ってましたから。
病める時も健やかなる時も一緒に生きようってどこの結婚の誓いだみたいな言葉で」
「エイデス様、男にそんなことしてるから童貞なんですよ」
「本当にお前らうるさいぞ」
カロンに痛いところを突かれてエイデスは泣きたくなった。
「ところでなにを聞きたかったんです?
僕の経験人数?」
「そんなトドメを刺すこと言っちゃ駄目ですよアルフィージ様」
「いや、そうじゃなくてだな」
「じゃあなんですか」
言いづらい。非常に言いづらい。だが聞ける相手がほかにいない。
「その、……や、やり方」
「やり方?」
「それはその、性交渉の知識はあるんだが、実地がないから」
「そんなのユミル様との初夜を済ませれば……………………。
あれ、もしかして初夜済ませました?」
「ま、まだだから聞いているんだろう!」
顔を真っ赤にしたエイデスに、アルフィージは少しホッとする。
「そうですよね。よかったもう童貞じゃなかったのかと思いました」
「なにがよかったなんだなにが!」
「本当にアルフィージ様さらっとひどいなあ」
そう言っているカロンも大概ひどいということを本人が自覚していない。
「だから! 初夜のやり方を聞いているんだ!」
「あ、そういう話ですか?」
「そういう話だ」
「あー、じゃあ、なんかこう、いい感じになったんですか?
初夜いける感じになったんですか?」
隣に座っているエイデスを見て、アルフィージは小声で確認してきた。
「まあ、その」
返事にはならなかったが、赤らんだ頬とうわずった声、それだけでわかったようだ。
「そうですか……。それはめでたい」
「チキン焼きます? お祝いに」
「やめろ」
微笑ましそうな顔をしたアルフィージに対し、カロンは「お前が食いたいだけだろう」という話をしている。
「だからその、手ほどきをだな」
「ああ、そういう話ですか」
「そういう話だ」
「簡単ですよ。こう、ベッドに押し倒して」
アルフィージは緊張した面持ちのエイデスに手を伸ばすと、椅子から立ち上がって、おとがいを掴む。
「こう」
「エイデス様」
「あ、」
不意に声がかかって、その体勢のまま視線を向けるとユミルが立っていた。
カロンがまずい、と言いたげな声を漏らす。
「いや、ユミル。ちが」
「すみません。お邪魔しました」
「お邪魔じゃないいいいいいいいいいいいいいいい!」
ぺこりと頭を下げて背を向けたユミルにエイデスが追いすがる。
「チッ、遊びすぎた」
「あまりエイデス様で遊ばないでやってくださいね」
思わず舌打ちをしたアルフィージに、カロンが苦笑していたという。
「あははははは」
「笑い事じゃない。本当に、アルフィージの悪ふざけが過ぎてだな」
その日の夜、夫婦の寝室で事情を説明したエイデスに、ユミルは腹を抱えて笑っている。
エイデスは恥ずかしいやら悔しいやらで顔が赤い。
「は、はい、すみません。別に本当に誤解してないから大丈夫ですよ」
「それならいいんだが……」
「それで、初夜の手ほどきを受けていたんですか?」
気になったようにそう聞いたユミルに、エイデスは頬が熱くなるのを感じた。
大きなベッドの縁に並んで腰掛けて、シーツの上に置いた手が、少し動かせば簡単に触れてしまう。
「……あ、ああ」
「どんな風に?」
「だから、その、……こう」
震えそうな手を動かして、そっとユミルのおとがいをすくう。
「君を、愛していると」
「はい」
「君は、俺を愛してくれているか?」
そんなことを尋ねるだけでも、ひどく緊張した。
「私、前世は恋をしたことがなかったから、恋って未知のもので、よくわからなかったんです」
ユミルはこちらを見上げて、柔らかく微笑んで言う。
「でも、こんな気持ちはクリスにも、誰にも感じたことがなかった。
くすぐったくて、甘酸っぱくて、狂おしいほどに抱きしめていたい気持ち。
これを恋だと呼ぶなら、きっとそれが正解でいいと思うくらいには」
ユミルが手を伸ばして、エイデスの頬に手を当てる。
「私は、ちゃんとエイデス様が好きだと思います」
「……ユミル」
堪らなくなって、顔を寄せるとそっとキスをする。
「ん、ふ」
徐々に深くなる口づけを離して、そのままベッドの上に押し倒した。
ぎし、と軋む音がする。ユミルの長い髪が白いシーツに散らばっていた。
「その、大事にする。
一生、大事にする」
「はい。私も、一生エイデス様を大事にします」
「君も誓うのか?」
「結婚なんだから、片方ばかり誓うのは変でしょう」
顔を間近まで寄せて愛らしくはにかんだ恋しい少女の表情を見つめる。
「ふふ、そうかもしれないな。
君といると、新しい発見ばかりあるよ」
「私もです。私も、新しい発見ばかり」
「はは、……好きだ」
くすぐったくて少し笑って、それ以上に愛おしくて言葉にした。
「はい」
シーツの上、置いた手を繋ぐ。
「幸せにする。いや。
一緒に幸せになろう」
「……はい」
そっと、もう一度唇を重ねる。涙が頬を伝ったのは、どちらだったのか。




