第五話 抱きしめてくれるひと
騎士団の部下と共に帰城したエイデスは、血相を変えた使用人から城内に敵の侵入があったことを知らされた。
青ざめた顔をして廊下を走り、夫婦の居室に飛び込む。
「あ、お帰りなさい。エイデス様」
ソファに座っていた探し人は、何事もなかった顔でエイデスを見上げて微笑んだ。
「で、結局その侵入者はユミル様を人質に取ってコルトゥール領を落とそうとしていたわけですか」
「そのようです。申し訳ありません。
おれがついていながら、みすみすユミル様を危険に晒して」
その翌日、城主の執務室で話しているのはアルフィージとネイで、心底悔やんでいるネイにアルフィージはまなじりを緩ませる。
「目を見た人間の意識を奪う魔導具を相手が瞳に仕込んでいたなんて思わないでしょう。
あなたの落ち度では、……いいえ、そんな落ち度すら作ってはいけないのがコルトゥール騎士団でしたね」
「その通りだ」
ネイを慰めようとして、すぐアルフィージは意識を切り替えた。
それに机の前に座っていたエイデスが真剣な表情で同意した。
「ネイでなくても不意を突かれただろう状況ではあるが、だから仕方ないで終わらせていてはこの城は国境の絶対の防壁とはなれない。
いかなる状況であろうとも常に万が一を想定し、行動してこそのコルトゥール騎士団だ」
「はい。申し訳ありません」
エイデスが告げた言葉に、ネイも賛同するように謝る。
不測の事態ではあったが、そんな事態すら許してはならないのがこのコルトゥール騎士団なのだ。
「ただ、おれが言うことではないですが、ユミル様に万が一のことがなくてほっとしました。
これでユミル様になにかあったら、おれの命を以てしても購えませんから」
「そのことなんですが、侵入者に深手を負わせて行動不能にしたのはユミル様ですよね?
ユミル様は本当に無事だったんですか?」
「どういうことですか? まさか」
「いえ、命に別状はなく、怪我もなく、というのは僕も把握していますが、帰城した僕たちを出迎えた時どことなく様子がおかしかったようにも見えて」
思案しながら答えたアルフィージに、エイデスが深いため息を吐いた。
「お前の人を見る目は確かだな。アルフィージ」
「どういう意味です?」
エイデスのほうに視線を向けたアルフィージとネイに、エイデスは表情を曇らせる。
「ユミルは貴族の娘だ。俺たちのような戦場が常の騎士ではない。
侵入者が運良く死ななかったとはいえ、人を殺しかけて平常心で済むものか」
「あ……」
「そういえばそうでしたね。僕たちはもう慣れていますから、どうとも思いませんが。
……ん?」
ネイはハッとしたが、アルフィージは同意しかけてなにか引っかかったように声を漏らす。
「どうしました? アルフィージ様」
「いえ、それはその、ユミル様は人を傷つけたことなどないような貴族のご令嬢なんでしょうが」
「が?」
「そんな貴族のご令嬢が、目の前で血を噴き出して人が死ぬ光景を見て平然としていられるものですか?」
不可解そうに聞いてきたアルフィージに、エイデスは一瞬意味がわからず「うん?」と尋ね返してしまう。
「ほら、城の庭にスパイと思しき人間が入ってきた時のことです。
僕が剣を投げて串刺しにしたでしょう?
あのときのユミル様、目の前でそれを見たのにあまりに平然としていたような」
「……そういえば、今回も魔導具を使ってとはいえ、戦場の様子を見ても青ざめる様子もありませんでしたね」
「確かにそうだな。アルフィージの槍で貫かれた敵将なんて、普通の人間が見たら卒倒しそうなグロテスクな光景になっていたというのに」
確かにそう言われてみると不可解だ、とネイもエイデスも考え込む。
不意に扉が開いて、ユミルが顔を見せた。
「エイデス様」
「ユミル!」
「すみません。お話中でしたか?」
「いえ、もう終わりましたから。どうぞ」
素早く椅子から立ち上がったエイデスに、ユミルは気にしたように話しかける。
アルフィージがユミルを気に懸けるエイデスの背を押すように、
「エイデス、行って来なさい。一番心配なのはお前でしょう?」
と小声で囁く。
「ああ」
エイデスはそれに短く頷いて、ユミルと一緒に廊下に出た。
「なんか、お邪魔でしたか?」
「いや、そんなことはない。ちょうどユミルの話をしていたところで」
城内を歩きながら、ユミルは心配そうに聞いて来る。
「私の?」
「ああ、その……いや、」
なんて言って切り出せと言うんだ。おそらく初めて人を刺しただろう娘に。
「もしかして、心配されてます?
初めて人を殺したことについて」
「ユミル! 相手は一命を取り留めたから、まだ君は人を殺してなんて」
「でも、殺そうとしました。そのつもりで刺しました。
殺意があったのに、助かったから罪がなくなるということでもないでしょう」
あっさりと、まるで明日の天気の話でもするかのような表情と口調で言われて、エイデスは言葉を失った。
「ユミル……」
「結構、あっけなくて自分でもびっくりしたんですよね。
もっと、手とか身体が震えるものだと思っていたんですけど」
ユミルは自分の手のひらを見つめて、不意に小さな声で呟く。
「まあ、でもそうですよね。……あの人だって震えてなかった」
「……あの人? あの侵入者か?」
「……エイデス様。無敵な人って、どういう人のことを指すと思います?」
カツカツ、と長い通路を歩く靴音が響く中、ユミルの明るい口調が違和感を抱かせる。
「……無敵? つまり、それだけ強い人間のことを指すのか?」
「そうですよね。この世界は剣があるから、強さもなく向かって来た人間なんて、返り討ちにされちゃいますもんね」
どうやら違うらしい。無敵の人? なにを指す言葉だ?
いや、
「なくすものがない、死を覚悟した人間も、タチが悪いな」
「そうです」
口元に手を当てて呟いたエイデスに、ユミルはくすと笑って肯定した。
「私の世界で『無敵の人』というのは、そういう人のことを指す言葉でした」
「……君の、世界?」
「私には、前世があると言ったら信じてくれますか?」
「前世…………」
にわかには信じがたい話だが、偉人の伝承には前世の話が出て来ることもある。
違う世界から転生してきた勇者の話も、昔聞いた話だ。
「……信じよう。君は、こことは違う世界から転生してきたという解釈でいいか?」
「はい。私の世界は平和だったので、武装した人間って言うのが滅多にいなかったんですよね。
ついでに言えば馬の代わりになる巨大な鉄の塊が高速で走っていた世界で」
「巨大な鉄の塊……」
「車って言うんですけど、すごい速度が出るので、人間にぶつかると死んでしまうことが多いです。
ぐちゃぐちゃになったりして」
「そんなものが普通に走っていて平和な世界なのか……」
エイデスにはとても想像が出来ない世界だ。
「だからたまに、人を殺すために車で人波に突っ込んでくる馬鹿ってのがいまして」
「……は?」
一瞬、なにを言われたのか理解が及ばなかった。
「ま、待ってくれ。それは、なんのために?」
「本人曰く、大体は死刑になるために。
なんか、死にたいけど自分で死ぬ勇気がないから、死刑になるために大勢の人間を殺すんだそうです」
「…………ば、」
すぐには声が出なかった。擦れた声で、やっと出た音を強く響かせる。
「馬鹿じゃないのか! そんなものに巻き込まれた人間が堪ったものじゃないだろう!
死にたいなら一人で勝手に死んでいろ!」
「全くその通りですよねえ。本当にはた迷惑です」
「全く、度しがたい馬鹿がいるものだな。
で、その度しがたい馬鹿がどうした?」
「それに殺されたのが前世の私の死因なんですよ」
エイデスははー、と深いため息を吐いて落ち着こうと意識する。
だが続いたユミルの言葉に今度こそ息が止まるかと思った。
「は……………?」
「いや、街を歩いていたらいきなり突っ込んできて、私も近くにいた親子連れも重傷で。
私はかろうじて生きてましたけど、とても動ける状態じゃなかったんですよね。
そしたらその馬鹿が、車から降りてナイフ持って近づいて来やがって。
一人でも多く道連れにするために、今度はナイフで刺しに来たってやつでして。
私の手前に親子連れがいて、子どもは母親が庇ったから軽傷だったみたいなんですが、そうしたらその馬鹿が子ども人質にして、血まみれの母親に言うんですよ。
『お前が死んだら子どもは助けてやる』って」
あまりの惨さに言葉が出ない。
そんなことを、たかが死ぬのが怖いなんて理由で、どうして。
どうしてそんな酷い真似が出来る。
「母親は泣いて犯人に縋って、自分を殺してくれって懇願して、それで殺されて。
子どもが動かなくなった母親に泣きついて、そしたらその犯人、子どもを刺して殺したんですよ。
嘘つきって思いました。助ける気なんかなかったくせにって。
その犯人にあの侵入者が重なっちゃって、まあそれでつい、反射的に」
ユミルはあくまで軽い口調で話す。それがひどく痛々しかった。
「……君は、」
「はい」
「君は、刺されたのか?」
「いえ、犯人が私を刺す前に、警察に捕まりました。あ、警察って言うのはこの世界で言う憲兵隊みたいなものなんですが。
でも私、車にはねられた時点で瀕死でしたからまあそのまま死んじゃいましたね」
だから一応、交通事故死みたいなものなのだ。実際に言えば、殺人だが。
「結構、びっくりしたんですよ。
人を刺す時は、殺す時は震えると思ってた。
でも、なにかが壊れたみたいに、全然震えなかったなあって。
恐怖より、あの犯人を憎いって気持ちのほうが、上回っていたからでしょうか」
考えながら、数式でも解くような気安さでユミルは話している。
「すみません」
「なぜ、謝る」
「私の手、綺麗じゃなくなっちゃったんで、そんな花嫁でもいいですか?」
その笑顔と言葉に絶句した。
この子は、一体なにを言って。
綺麗じゃなくなった? それで自分が気味悪がるとでも思っているのか?
いや、違う。
彼女はただ、怖いだけだ。
自分が、その殺人鬼と同類になったかもしれないことが。
「あ、あれ?」
不意にユミルが戸惑った声を上げる。
その手が震えているのだ。それを見て、ユミルはどうしてかわからないように声を上げる。
「な、なんで今更、震えて、おかしいな。
なんで」
身体ごと震えだしながら、それでも未だ理由がわかっていない彼女を、もうこれ以上ただ見ていられなくて腕を伸ばし、きつく抱きしめた。
「もういい」
擦れた声を必死で絞り出す。
「怖がっていいんだ。怯えていいんだ。憎んでいいんだ。
どうして自分を道連れにしたんだと罵倒して、唾を吐いていいんだ。
君はなにも悪くない!
悪いのはその殺人鬼だ!」
「エイデス、さま」
零れた、か細い声すら震えていた。
そんな最後の記憶を抱えて、彼女は生きて来たのか。
そう思ったらあまりに惨くて、言葉がうまく出なくて、それでもそれ以上になにか言ってやりたくて、その身体ごと包み込んでやりたくて。
「よく、堪えてきたな。最後まで、頑張ったな。強かった。痛かったな」
不思議。なんで、エイデスまで震えているんだろう。
そうきつくかき抱かれて、ユミルは思う。
こんな、強い人が、どうして。
「もう、そんな理不尽には決して触れさせない。君をそんな目に二度と遭わせない」
心臓の音が、同じくらいに速い。
「なぜなら、俺が守るからだ」
強い意思を宿した瞳と目が合う。
あ、そうだ。あのとき、強く願ったことを、忘れてしまっていた。
助けてって、思ったんだ。
誰か助けて。どうして私がこんな目にって、誰でもいい。誰か、誰かって呼んでた。
あの世界では、最後までそんな人は現れなかったけれど。
「助けてと、言っていいんだ。ユミル。
そうしたら、君がどこにいても俺が必ず駆けつける」
力強いその声が、胸に届く。きっと彼は、その通りに来てくれる。
あの日の、ひとりきりで死んでいった自分の、そばにだって。
「た、すけ、て」
ぎこちなく、あの日最後まで口から出なかった言葉があふれた。
「助けて、ください。怖かった、です。なにも、出来なくて」
「ああ」
「怖い。痛い。いやだ。死にたくなんてない」
「ああ、助けに行く。俺が必ず助ける。そばにいるから、何度だってそう縋って、泣いていい」
自分を抱きしめる腕の力が強くて、温かくて、堪らなくなってその大きな身体にしがみついた。
「エイデス様……!」
涙があふれた。そのままエイデスにきつく縋り付いて、感情のままに泣きじゃくる。
ああ、そうだ。あのとき私はそうやって誰かに縋りたくて。
誰かにそう、抱きしめて欲しかったんだ。




