第三話 戦火の足音
ふっと目が覚めて、窓から差し込む朝陽の光を見つめながら、ふとエイデスは横を向いた。
同じベッドの上、こちら側を向いて寝息を立てているユミルの顔が見える。
その穏やかな寝顔を見つめて、ふっと口元を緩ませた。
一方的に惚れ込んで求婚したというのに、なんやかんやうまくいって彼女は今、自分の妻だ。
こんなに年の差がある女性、普通ならばまず異性として見れないはずだったが、出会いのあの鮮烈さにすっかりやられて、今は彼女に夢中だ。
手を伸ばして、そっと髪を撫でる。
柔らかい髪は、コシの強い自分の髪質とは違っていて、指先に触れる感触が心地良かった。
「んん」
不意にユミルがむずがるように声を漏らし、瞼を震わせる。
「ああ、すまない。起こしてしまったか?」
「ああ……エイデスさま……おはようございます……」
ユミルはむにゃむにゃ言いながら、閉じそうになる瞼をこじ開けた。
「朝食までまだ時間があるから、眠っていていいぞ?」
「いえ、……城主の妻がいつまでも惰眠を貪っているというのも……」
「そんなことは気にしなくていいのだが」
「それに、私も稽古をしないと落ち着かないというか……」
ふぁ、とあくびをしながらユミルが起き上がる。
それを見てエイデスも上体を起こした。
そういえばそうか。あれだけ見事なオモプラータが出来るのだから、日常的に稽古をしていると考えるべきだったか。
「そういえば」
こしこしと目を擦って、腕を頭上に伸ばし伸びをしたユミルが、先ほどよりはっきりした声で言う。
「なんだ?」
「エイデス様って着痩せするタイプなんですね」
「うん?」
「いえ、こうして見るととても立派な筋肉の持ち主だとわかるのに、普段のお姿は優男にしか見えないもので」
しみじみ、と感動したようにユミルがコメントしたので、エイデスは納得して自分の腕を軽く見た。
「ああ……」
今は寝間着一枚だから、身体に無駄なくついた筋肉がわかりやすいのだろう。
「少し、触ってもいいですか?」
「あ、ああ、構わない」
「では、失礼して」
寝起きで恥じらいがすっこぬけているのか、あるいは夫婦だから良いと思ったのか、興味津々に頼んだユミルが手を伸ばしてエイデスの腕や胸に触れる。
「やっぱりしっかり無駄なく筋肉がついてますね。
実に理想的です」
「もしかしてなんだが、ユミルは筋肉フェチなのか?」
「その気はあります」
「あるのか」
初夜もまだの夫婦。それもエイデスのほうはユミルに惚れているので内心ドキドキしながら、表情には出さないよう気をつける。
ユミルはエイデスを男として意識しているのかいないのか、まるで恥じらいのない無邪気な少女の顔だ。
「なので、クリスみたいな軟弱男はちょっと……」
「露骨にげんなりした顔で言うな君は。気持ちはわかるが」
「だって今はまだ若いからいいですけど、四十代くらいになったら腹が出そうな身体付きと言うか。
腹というのはですね、六つに割れていてしかるべきものなんですよ」
ぐっと拳を握って力説した彼女に、やはり可笑しくなって笑ってしまう。
「ふ、ははは。君は本当に筋肉が好きだな」
「駄目ですかね?」
「いや、気持ちはわかる。貴族である以上、貴族同士の付き合いというものはあるが、それで会う貴族連中の男がだらしない身体付きをしていると、……この軟弱者としばき倒したくなって」
「わかります」
「腹は六つに割れていてしかるべきだよな。男は」
「全く同意見ですね」
うんうん、と向かい合って頷き合うあたり、似た者夫婦なのかもしれない。
「ちなみに、そう仰ると言うことはエイデス様も六つに」
「割れているとも。むしろうちの騎士団で割れてない奴はいないな」
「なんて理想的な空間。
あ、てことはアルフィージ様もそうなんですね。
エイデス様以上に細身でいらっしゃるのでどうなのかな、と思ってましたが」
ふとユミルが副官のアルフィージの腹筋について興味を示す。
確かにアルフィージはコルトゥール騎士団の中でも特に細身なのだが。
「あいつは重力制御の魔術なんてかかってない巨大な槍を得手としているから、察してくれ」
「なるほど素晴らしい筋力」
しかし、戦場でのアルフィージを知っている人間は誰しもが同じことを言うだろう。
察してくれ、と。
ユミルは瞳を輝かせたまま、
「あの、」
「なんだ?」
「お願いがあるのですが、」
と口を開いた。
昼過ぎ、城の敷地内にある鍛錬場で、騎士たちが鍛錬を行っていた。
巨大な槍を一閃したアルフィージが声を張り上げる。
「そこまで! 一旦休憩!」
アルフィージの声に騎士たちが返事をし、それぞれ座ったり水分補給したり汗を拭ったりし始める。
そんな中、水分補給を済ませてからアルフィージに近寄ってきた騎士が口を開いた。
「アルフィージ様」
「なんです?」
「アルフィージ様って、王女殿下といい感じになったって仰ってましたけど、どんな感じだったんですか?」
ずっと気になっていたという様子で尋ねてきた若い騎士に、ほかの騎士たちも興味をそそられて耳を傾ける。
「艶っぽいムードになったんですか?」
「いえ全く」
「全く」
「いやだって、年齢差考えてくださいよ。
僕が28歳で向こう18歳ですよ。
そういう対象として見たら僕がとんだ変態じゃないですか」
きっぱり言い切ったアルフィージに騎士はオウム返ししてしまったが、真顔で答えたアルフィージに「まあ確かに」という心境にはなる。
「じゃあいい感じになったって言うのは?」
「この国における政治とか、隣国との関係性をどうコントロールしていくべきかとか、国家運営の基本とか、王女として王太子夫妻を支えるにはどう立ち回るべきかとか、そういった質問に答えていたら突然『あなたは私の夫にもっとも相応しい人だわ』と太鼓判押された感じなので、色恋のどうのではなく、政治的手腕を見込まれたみたいな」
「あー、なるほどそっちか」
「でも王女殿下としてはそういう婿選びになるよな。
万が一にもアホな婚約者は作れないし」
「わかる」
アルフィージの返答に、騎士たちが納得したように頷く。
「え? じゃあ雑談の延長線上で終わった感じですか?」
「どうでしょう。『王家に婿に来ない?』と言われて『それが実現するとしたらあと十年は先になります』と答えたら『私が嫁に行ったほうが早いか』と思案されてらっしゃったので」
「ガチめにロックオンされてますね」
「降嫁してまでも欲しい旦那候補なんだ」
アルフィージ様、伯爵家なのにそこまで言われるってのはガチですよ、とは最初に話しかけて来た若い騎士談だ。
「で、なんですいきなり。僕も結婚したほうがいいって話ですか?」
「いや、それもあるんですけど」
「ど?」
「閣下と奥方様って実際、ちゃんと初夜済まされました?」
小声で耳打ちしてきた騎士に、アルフィージはなんとも言えない顔になった。
「なんでそんな踏み込んだ疑問が出てきました?」
「いや、なんか手を繋ぐのにも緊張してらしたように見えたので」
「あー……」
アルフィージはつい、さもありなんという響きの声が出てしまう。
だってあれ下手したら初恋なんじゃないかって感じの惚れ方だったしなあ。
あの武術馬鹿なエイデスだ。今までまともに異性に興味を示していなかったわけで。
そんな彼が婚約破棄の翌日に求婚しに行くくらいには、ガチ惚れなわけで。
「いや、まあ、いつ隣国からの攻撃があるかわからないときにユミル様が身籠もっても、安心して過ごせないでしょうし」
アルフィージは考えることを放棄した。
だって、なんかすぐに手を出せないくらいの惚れ方っぽいし、よく考えたらあいつ童貞だし。
「あ、先延ばしにした。それはコルトゥール領にいる限りいつでも同じことでしょうに」
「違います。エイデスが奥手なのが悪いんです」
「まあそれは言えてる」
「それは事実」
困ったように絞り出したアルフィージには、ほかの騎士たちも「それな」と同意した。
「っと」
不意に気配に鋭敏なアルフィージが立ち上がると、鍛錬場の入り口に向かう。
「ようこそ。我が騎士団の鍛錬場へ。奥方様」
と、入り口の木々のそばに佇んでいたユミルに笑顔で声を掛けた。
「これは奥方様! ようこそ!」
「どうも失礼します」
ほかの騎士たちも満面の笑みで歓迎する。
ユミルは頭を深々と下げて、鍛錬場に足を踏み入れた。
「どうしました? エイデスは書類仕事にかかりきりですか?」
「あ、いえ、私が気になって来ただけなので」
「気になって来た?」
「アルフィージ様の武器がすごく大きな槍だと」
好奇心旺盛な様子で話したユミルに、アルフィージの周囲の騎士たちが寄ってくる。
「ああ、聞いてくださいよ奥方様。
副団長ったらこんな細い身体しておれたちじゃ片手で持ち上げられないような槍を片手でぶん投げるんですよ」
「優男のような見た目に騙されてはなりません。副団長も団長も蛮族です」
「失礼な。誰が蛮族ですか」
やっと共感してくれそうな人がやってきた、とばかりに同意を求める騎士たちにアルフィージが不平を漏らす。
「蛮族ですよ。見た目だけ綺麗でそこらの蛮族より凶悪」
「ひどいですよね? 奥方様」
「褒め言葉でしょう。私もそう思いますし」
はっきりとユミルに言い切られ、アルフィージは「え」と声を零す。
「王国の敵にのみ振りかざされる武力は、王国の人間にとっては頼もしいのひと言。
それを信頼と呼ばずどうします。
王都の人間が安穏とした日々に浸っていられるのは、コルトゥール領の鉄壁があってこそですよ。
その中心を担っているエイデス様とアルフィージ様を誇りこそすれ、ひどいだなんてそんな」
「ユミル様……」
向けられた純粋な賛辞に、アルフィージは感動した声でユミルを呼ぶ。
「ユミル!」
不意に城のほうから走ってきたエイデスがユミルを探して視線を動かしたので、ユミルが顔をそちらに向けた。
「あ、はい。ただいま参ります!
では、鍛錬中失礼しました」
ぺこり、と一礼してユミルはエイデスのほうに走って行く。
それを見送って、騎士たちは微笑ましそうに笑う。
「なんというか」
「本当に良い奥方様を迎えられましたね。閣下は」
「ええ、本当に」
騎士たちの言葉に、アルフィージもしみじみと頷いた。
「それで、お願いごととはなんだ?」
朝にユミルが言っていた話だ。あのときは使用人が起こしに来たため、有耶無耶になってしまったのだ。
「実は、エイデス様に抱きつかせて欲しくて」
「な、」
やはり恥じらいすらなく告げたユミルに、エイデスは息を呑む。
「な、ななななな、なぜ?」
「なぜ、と言われましても、夫婦ですから普通のことでは」
「そ、そうだな。普通のことだな」
エイデスは頬を赤く染めて、眼鏡をカチャカチャと鳴らす。
見物していたアルフィージが「動揺しすぎだエイデス」と小声でツッコんだ。
「具体的に、エイデス様のたくましい胸筋と腹筋を直に感じたくて」
「あ、ああ……胸筋と腹筋……」
「はい」
ユミルのまなざしは曇りなき眼だ。欲もなにもない純粋な瞳。
「あ、しおれた」
「色っぽい話じゃなくてがっかりしちゃったのか」
「色っぽい話だったら眼鏡高速カチャカチャするくらい純情なのに」
とアルフィージと騎士たちが好き勝手言っている。
だが、ゴーンゴーンと城内に鳴り響いた鐘の音に、彼らは素早く立ち上がった。
エイデスもすぐに顔を引き締める。
「すまない。それどころではないようだ」
「そのようですね。これは敵襲を知らせる鐘の音ですか?」
「ああ、そうだ。アルフィージ!」
「わかってますよ!」
ユミルの疑問に答えると、そばにいるとわかっている副官を呼ぶ。
アルフィージも大きな声で答え、鍛錬場にいる騎士たちを見渡し声を張り上げる。
「総員、出撃準備!」




