第二話 コルトゥールの女神
翌朝、領主の執務室で溜まった書類を片付けていたエイデスは、扉のノックの音に顔を上げる。
「エイデス様。今よろしいでしょうか?」
「ああ」
扉の向こうから聞こえた声は、まだ若々しい男の声だ。
それですぐに誰か理解して、エイデスは頷いた。
すぐ扉が開いて、二人の青年が入室してくる。
片方は赤い髪に黒の瞳、つり目の騎士。
もう片方は碧い髪に黒の瞳、垂れ目の騎士だ。
どちらも身長は同じくらい。顔立ちもよく似通った二人組だ。
コルトゥール騎士団の装束を纏い、腰に剣を差した二人組は執務室の机の前まで来るとびしっと敬礼した。
「カロン・イリューガー。ただいま国境の巡回を終えて帰還致しました」
「同じくネイ・クリューガー。同じく巡回を終えて帰還致しました」
「ご苦労。様子は?」
カロンと名乗った赤髪の青年と、ネイと名乗った碧髪の青年の言葉にエイデスは彼らをねぎらうと国境の様子を尋ねた。
「現在は問題ありません。
タチアナの国境の向こうも確認して参りましたが、見える範囲に砦らしきものや人の姿はありませんでした」
「カロンの視力で見える範囲になにもなかったということは、まだタチアナは我が国に攻め入るだけの力を蓄えられていないものと思われます。
また私の耳でも感知出来た音の中で、人的なものはありませんでした」
「わかった。下がって休んで良い」
満足そうに頷いたエイデスだったが、二人がそれでも下がらず興味津々な顔でこちらを見ているのに気づいた。
「なんだ……?」
「あの、エイデス様。結婚されたって本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「じゃあ奥方様がもうこちらにいらっしゃる?」
「ああ、正式な挙式はまだだが」
二人の矢次の質問に答えながら、エイデスは「そういえば昨日は二人はこの城内にいなかったか」と納得する。
「頼むから早く結婚してくれ」とエイデスを王都に送り出した騎士たちの中にはこの二人もいたのだから、当然気になるだろう。
「ど、どんな女性ですか!?
エイデス様がお選びになったのですからそれは凜々しい女性だとは思いますが」
「いや、エイデス様がお選びになったのだからアマゾネスみたいな女性かもしれない」
「確かに」
「お前たち、俺の女性の好みについてどう思ってるんだ?」
「「女性の好みについては存じませんがとんでもない武術馬鹿」」
「一分の隙もなくハモった返答をどうも。褒め言葉か?」
エイデスはやや複雑な心境で答える。
今の今まで結婚に興味を示さなかった自分が悪いのだが、それにしても、もしかしてムキムキマッチョの女性を娶ってきたと思われているのだろうか。
そう思っていた時、扉が再びノックされて、返事をするとユミルがカップとポットの載ったトレーを手に入室してきた。
「失礼します。エイデス様、紅茶をお持ちしました。
そろそろ休憩をされてはいかがかと」
「ああ、そうしよう。ありがとう。
しかし、こういった雑務は使用人の仕事のはずだがなぜ君が」
「もぎ取って来ました。
使用人の方々が『自分たちが言ったのでは旦那様は休憩してくれない』と嘆かれていたので」
「おや怖い。もしかして物理で落としに来たかな?」
「いざという時は物理で締め落としに来ました」
トレーを机の上に置き、真顔で答えたユミルにエイデスは愉快そうに笑う。
本当に彼女のこういうところが好みなんだよな。
そう考えてから、ふとユミルを見たまま固まっているカロンとネイに気づく。
エイデスはゴホンと咳払いをして、
「紹介する。俺の妻のユミルだ」
と紹介した。
「……奥方様? この方が?」
「エイデス様の奥様? この方が?」
「そうだ。マッチョのアマゾネスではないぞ。ある意味生き様がアマゾネスだが」
驚愕に凍り付いている二人にエイデスは重ねて言った。
一瞬の沈黙。その後大きな声が執務室に響いた。
「嘘ぉ!? こんな可愛らしい、虫も殺せないような女性というか少女がエイデス様の奥様!?」
「こんな清楚可憐を地でいくような女性が!?」
「それがどうした。俺が清楚可憐な少女を妻に娶ってなにが悪い」
結婚して来いと言ったのはお前たちだろう、とエイデスは顔を引きつらせる。
「あ、あの、大丈夫ですか?
なにか弱みを握られていたりとか」
「騙されていたりとか」
「お前たちは俺をなんだと思ってるんだ?」
「立派な君主だと思ってますけど」
「最強の君主だと思ってますけど、女性の好みに関してはいまいち信用がないと言うか」
「お前たちが俺をどう思っているかよーくわかった」
エイデスはつい半眼になって声を伸ばしてしまった。
だってその印象はひどい。
「ゆ、ユミル。ユミル。なにか言ってくれ。具体的にフォローしてくれ」
「と、言われましても。
夜会会場で婚約者にオモプラータかました姿に惚れて求婚してきた、という実情のほうがひどい気がして」
「冷静なツッコミありがとうその通りだった」
困った様子のユミルに言われてエイデスは机に突っ伏した。
実情のほうがひどかった。
「え、オモプラータを、かました姿に惚れた、ということはあなたはエイデス様が見惚れるような見事なオモプラータが出来るということでよろしいでしょうか?」
「その通りです。オモプラータやリアネイキッドチョークは得意技です」
「なるほど! これはエイデス様が求婚してくるに相応しい女性だ!
さぞや見事なオモプラータに違いない!」
「手のひら返しがひどい」
感動したカロンにエイデスが顔を上げてツッコんだ。
ネイも瞳を輝かせているのでいい勝負だ。
「ところでエイデス様、こちらの方々も騎士団の騎士様たちですよね?
昨日紹介していただいた中にいらっしゃらなかった気がして」
「ああ、そうだったな。
二人はカロン・イリューガーとネイ・クリューガー。
双子のようにそっくりだが、従兄弟同士だ。
ユミルとそう年が変わらないが騎士爵を得ている騎士で、カロンは視力に、ネイは聴力に優れているんだ。
そのため、国境の巡回を任せることが多い」
「なるほど。お二方にはお初にお目にかかります。
ユミルと申します」
「「こちらこそよろしくお願いします。奥方様」」
双子のように息の合ったハモりで挨拶をした二人は、
「どうせだから休憩ついでに庭を散歩されてきてはどうです?
奥方様はまだこの城に慣れていらっしゃらないでしょう?」
「そうですよ。エイデス様が案内してあげてください」
とエイデスを息抜きに行くよう促した。
「それもそうだな。
ユミル。これから庭を案内しても構わないだろうか?」
「はい、喜んで」
「では行こう」
椅子から立ち上がって笑みを浮かべたエイデスに、ユミルも寄り添って部屋の外へと歩いて行く。
その様子を眺めて、カロンとネイはぐっとガッツポーズを決めた。
「……おや?」
コルトゥール城の敷地内で鍛錬を行っていたアルフィージは、不意に騎士たちが騒ぎ始めたのでどうしたのかと視線を動かす。
騎士たちは鍛錬中だと言うのに剣を放り投げ、植え込みに隠れて花の咲いた庭のほうを眺めている。
そこに寄り添って歩いてきたエイデスとユミルに、「ああ」と納得した。
皆、城主の恋模様が気になるらしい。
まあ、そもそもエイデスの一方的な一目惚れで結婚に至ったわけで、ユミルのほうはまだエイデスに恋はしていないだろうが、結婚に同意するくらいには良い印象を抱いてくれていると思っていいのだろうか。
にしても、
「行け! そこで手を繋げ!」
「いや、いっそキスだ閣下!」
ひそひそ声ではやし立てている騎士たちを生暖かい目で見てしまう。
いい見世物、というか娯楽だなあ。
まあエイデスほど奥手じゃないだけで皆、戦馬鹿の脳筋だからな。
あんな小柄すぎるご令嬢、遠目でもないとどう扱ったらいいかわからないんだろう。
だからって君主とのデートを出歯亀するなよ、と言いたいが、自分もなんだかんだ見物してる時点で人のことは言えない。
あの武術馬鹿なエイデスにやっとやってきた春なのだ。気になる気持ちはわかる。
「エイデス様はこんなにお美しいのに、本当に今まで縁談の一つもなかったのですか?」
不意にユミルの声が風に乗って流れて来た。
「いや、それはまあ、顔写真を見たご令嬢からの縁談の申し込み、とかはあったのだが」
エイデスはなんとも言えない顔で頬を掻く。
「だが?」
「城に招いた時に限って敵襲が来て怯えさせてしまったり、俺が武術馬鹿すぎて『理想のイケメンだと思ったのに中身が違いすぎる』と失望されたり」
「まあ、そんな」
とんでもない、とばかりに頬に手を当てたユミルに、「お、さすが清楚可憐なご令嬢。あのエイデスを見てもなおフォローを入れてくれるか」と考えたアルフィージだったが、
「この見た目であの中身だから面白いのに」
とユミルは真顔で宣った。
アルフィージと出歯亀していた騎士たちがずっこけそうになった。
「面白いことは君も否定しないんだな」
「否定しません」
「してくれ」
「嫌ですよ。せっかくの長所じゃないですか」
だが心底といった口調で告げたユミルに、エイデスもアルフィージたちも目を瞬いた。
「私だって大概武術馬鹿ですけど、そういう私の性格を含めて、エイデス様は『おかしい』じゃなく『面白い』って好きになってくださったんでしょう?
最上級の褒め言葉です」
「……ユミル」
エイデスの声が感動に震えている。
アルフィージも騎士たちも「良い奥方を見つけたなあ」と安堵に涙ぐみそうになってしまった、ときだ。
「領主様! 美味しい果実が取れたので──」
城門のほうから駆け寄ってきたいかにも農民といった服装の男を見て、素早くアルフィージが剣を構えると男目掛けて投げた。
宙を舞った剣が男の胸を貫いて、鮮血が吹き出す。
「タチアナの送ってきた刺客でしょう。
懐を確認してください。
武器か、毒の入った瓶があるかと」
「は、はい!」
涼しい顔で部下に命じたアルフィージに、騎士たちが倒れた男に駆け寄る。
エイデスは思わず腕の中にユミルを庇う。
「すまない。恐ろしいものを見せたな」
「いえ、大丈夫です」
「……君は、アルフィージが領民を殺した、とは思わないのだな?」
先ほどの一連の出来事は、普通に領主に作物を届けに来た領民を突然アルフィージが殺害したように見えたはずだ。
だがユミルはまるで怯えていない顔で、
「だって、あの男の人、無害な領民を装っていましたけど全身から警戒のオーラがにじんでいましたし、エイデス様を見る目に悪意がありました。
アルフィージ様が問答無用で攻撃に転じたということは、やはり悪意ある者なんでしょう」
と答える。
その迷いのない言葉と、目の前の惨劇に動じていない姿に、騎士たちは感心したような視線を向けた。
この状況ですぐ怯えて悲鳴を上げるような女性なら、エイデスの妻は務まらない。
それ以上に副団長として研鑽を積み、常に最前線で戦ってきたアルフィージと同格の嗅覚と観察眼を備えたご令嬢など、そうお目にかかれるものではない。
これは本当にこの領にとって最良の奥方を選んで来られた、と騎士たちも、アルフィージもエイデスの見る目を褒めたい心境だった。
ふっと意識が浮上する。
ユミルは暖かなベッドの上で瞼を開け、視線を動かす。
カーテンが引かれた窓から零れる朝陽はまだ薄い色だ。
早い時刻に目が覚めてしまった、と横を向く。
まるで天使のような寝顔を晒したエイデスの姿がそこにあって、しみじみ見とれた。
こんな美しい姿をした男性が、自分を妻に望んでくれたというのは凄いことだなあと思う。
つい手を伸ばしそうになって、起こしては悪いと引っ込める。
「……散歩に行くか」
そう呟いてユミルは起き上がると、エイデスを起こさないようにベッドから降りて、部屋を出た。
城内は広く、まだ全ての場所を把握したわけではない。
足音を殺して歩いていたら、不意に大きな両開きの扉が見えてきた。
「……ここは」
ユミルは近づいて、そっと扉を開けてみる。
そこは、一見して礼拝堂のような部屋だった。
並んだ長椅子と、奥に大きな女神像。そして豪奢なステンドグラス。
「コルトゥール家を加護する女神の神殿だ」
不意に背後から聞こえた声に、ハッとして振り返ると柔らかく微笑んだエイデスと目が合った。
「すみません。勝手に出歩いて」
「いや、構わない。君はもうこの城の城主夫人なのだから」
優しい声音で答えたエイデスはシャツとズボンだけの格好だったが、それでもすぐに汚れてしまいそうな全身真っ白の装いだ。
死神と呼ばれる辺境伯が、いつもこんなに真っ白な装いなのはなぜなのか気になるところではあるが。
「神殿、と仰いましたが」
「神殿、と言ってもこんなこじんまりとした部屋一つだけだがな。
昔はちゃんとした神殿があったんだが、度重なる戦火で燃えてしまって、無事に女神を祀るには城内に一つ部屋を作るのが一番安全だという形に落ち着いて」
「なるほど」
ひとまずは今気になることを口にしたユミルは、エイデスの言葉に納得する。
確かに神殿というにはあまりに小さな空間一つ。
ただ神殿というには、という但し書きがつくだけで、礼拝堂として見るなら平均的な広さがあると思う。
「君はなぜ、声を意味する『コルトゥール』という名が我が家の家名となったか知っているか?」
不意にエイデスはユミルのそばに立って、そう尋ねてきた。
コルトゥール。ユミルが転生する前の世界での意味は違ったが、この世界では『声』という意味の言葉だ。
「その、祀っている女神様の名だからですよね?」
「そうだ。女神コルトゥール。声を司る女神だと伝わっている。
歌で人々を惑わせ、命を奪う」
「なんだか、セイレーンのような伝承ですが……」
「その通り」
この世界にも魔物はいる。セイレーンとは、ユミルの前世の世界で伝わっていた通り、この世界でも同じ伝承を持っている。
「魔物セイレーンそのもののような伝承がつけられた女神で、遠い昔は随分と人間に疎まれていたようだ。
だが在るとき、コルトゥール家が敵国の襲撃を受けた時に不思議なことが起こった。
周囲を敵軍に囲まれ絶体絶命。そんな時に、不思議な女性の歌声が響いたんだ。
途端、敵軍の兵士たちはふらふらと歩き出し、海に向かって次々に身を投げ、コルトゥール家の人間たちだけが助かった。
そのときに、コルトゥール家の当主の手の中にあったのが一番奥に安置してある小さな女神像だ」
エイデスが指さしたほうに視線を向けると、大きな女神像の更に奥のスペース。
小さな箱を収めるのがやっとというような空間に、大きな女神像と同じ細工の女神像が収まっている。
「普通なら気味が悪いと女神像を捨てるところなんだろうが、コルトゥール家の人間って言うのは昔からどうにも世間とずれていてね。
これは最高の戦女神だ!我が家の守り神にしよう!と祀ってしまったんだ。
それ以降、コルトゥール家は百戦百勝なのだから、我が領は女神の加護を普通に信じているな」
「戦女神というのも納得の逸話ですね」
「はは、その話を聞いてそう言えるんだから、君は本当に我がコルトゥール家の奥方に向いているよ」
エイデスは微笑ましそうにユミルを見て、それから大きな女神像の隣に飾ってあった銀色の、まるで漫画に登場する死神が持つような巨大な鎌を示す。
「それで、これが俺の武器だ」
「随分と、巨大な鎌ですね」
「武器としては扱いづらいことこの上なさそうだ、と思ったか?」
ゆっくり鎌に近寄ったエイデスを追って、ユミルは鎌の前に立つ。
「扱いにくそうだとは思います。からぶったとき、敵からの攻撃が容易になってしまいますから」
こうして間近で見ると本当に大きい。
ユミルの体長よりも巨大な鎌だ。
「ただ、確実に当てることが出来るなら、この上なく最高最凶の武器だと思います。
確実に、人の命を刈り取る形をしていますから。
その鎌が直撃してなお、生きていられる人間はいないでしょう」
「その通りだ。当てることさえ出来れば一撃必殺の武器。故に、この鎌はコルトゥールの死神の鎌と呼ばれる。
持ってみるか?」
「よろしいんですか? 女神様の御前に安置してあるような家宝を」
「ああ、危ないから両手で持つように」
そう言われて、ユミルはそっと鎌の持ち手に両手で触れ、力を込めた。
「……って重!」
だが全くびくともしない。
「ちょ、ちょっと待ってください。全く持ち上がらないんですが?
私、大の大人にジャーマンスープレックス出来る程度の腕力はあるんですが、これ一体どんな重さを???」
「その見た目で大の大人にジャーマンスープレックス出来る程度の腕力はあるって言うのも凄いがな」
エイデスは楽しそうに笑って、鎌に手を添える。
「これには、重力制御の魔術が掛けられているんだ」
「重力制御の魔術?」
「ああ、コルトゥール家の当主以外が持つと、持ち上げられないくらいの重力がかかるように。
それでいて、当主が持てば紙のように軽く感じるように」
「そういうことですか」
事実、エイデスは片手でそれを持ち上げてみせた。
重力制御の魔術の話が嘘なら、どんなにエイデスが鍛えた男であろうとあんなに軽々と持てるわけがない。
「それならコルトゥール家の当主にとっては最強の武器です。
確実に敵の命を刈り取れる上、万一敵の手に渡っても敵は持ち上げることすら叶わないわけですから」
「さすが、君は理解が早いな。
やはり我が家の当主の妻として向いているよ。
普通の女性は、そう簡単に君のような理解には及ばないからね」
ユミルの言葉にエイデスは満足そうに笑って鎌から手を離した。
「まあ、それは私も武術オタクで、ゲームも好きでしたし」
「ゲーム?」
「あ、あの、戦術ゲーム。チェスとか」
「確かに、チェスなどは本物の戦いを真似て作られているからな」
危ない、とユミルはホッとする。
本当はRPGなどのゲームのことだったが、そんなことを言ってもエイデスには通じないし。
「さて、そろそろ朝食の支度が出来ているだろう。
そろそろ戻ろう」
「はい」
エイデスがそっとユミルの肩に触れて促す。
ユミルは頷いて一緒に歩き出したが、不意に女神像を振り返って立ち止まる。
「女神様、エイデス様とこの領をよろしくお願いします」
そう深々と女神像に頭を下げてから、立ち上がってエイデスの隣に並ぶ。
「じゃあ、行きましょう」
「ああ」
ユミルの行動にエイデスは嬉しそうに顔をほころばせ、二人は並んで部屋を後にした。




