第一話 コルトゥール城へ
その日はとてもよく晴れた日だった。
王都にある教会で、コルトゥール家とアイリントン家の結婚式が行われたのは、二人が入籍してわずか五日後のことだった。
あまりに急すぎる挙式は、この王国の西端・コルトゥール領の防衛を担う最強の矛と盾であるエイデスとアルフィージを長く王都に留めておけない、というもっともな理由から、正式な挙式はコルトゥール領で落ち着いてから行うということで取り急ぎ、王都で仮の挙式を挙げることになったのだ。
そのため一から仕立てた花嫁衣装ではなくレンタル品のドレスを纏ったユミルとその隣に並ぶエイデスが神父の問いに誓いの言葉を返す。
ユミルの両親は涙ぐんでいた。
式が終わり、教会の外に出て参列者からの祝福の花びらを浴びる二人に近づいて、アイリントン伯爵は真っ赤な目をエイデスに向ける。
「コルトゥール様、どうかうちの娘を末永くよろしく────」
お願いします。と言い終わる前にアイリントン伯爵はなにか言いたげな顔でエイデスの頭の先から爪先までを見て、自分の娘と比較した。その後、ちょっと青ざめる。
「ご安心を。お義父様。
ご息女のお身体の負担になるようなことは決して致しません。
夫婦の絆を深める行為だったとしても、ご息女のお身体を最大限慮って行いたいと思っておりますし、ご息女のお身体の負担になる場合は、例え何年だろうと待ちますとも」
そうエイデスは優しい笑顔で告げる。
曰く「あのクリスのような無体を大切なご息女に働いたりは致しませんのでご安心ください」という意味だ。
「ああ、安心しました!
うちの娘は聡明で淑やかでどこに出しても恥ずかしくないと自負しておりますが、いかんせん身体が小さすぎるために、いろいろ不安なこともございまして……!」
伯爵は露骨に安心する。
まあ要するにだ、エイデスに抱かれてユミルの身体は大丈夫なのか、というのを伯爵は心配したということだな、と参列していたアルフィージは察する。
無理もない。あれほど小柄なご令嬢では、普通サイズの男性のものですら受け入れられるか怪しく思えるというものだ。
それを考えると、無理矢理に婚前交渉を迫ったクリスの外道さがわかる。
「一番不安なのはご息女だとよく承知しておりますから。
ただでさえ、そういった行為は女性の身体に負担を強います。
それも考えず自分の欲望だけを優先出来る男を見ると、本当に男か?と性別を疑いたくなりますね」
「全くです! あのぼんくら息子、自分がチビで短足だからって小柄なユミルに言い寄ってきて腹立たしい……!」
イイ笑顔で断言したエイデスに、伯爵も思い出し怒りをしている。
アルフィージはそのぼんくら息子を見ていないので身長を知らないが、エイデスの笑顔を見るに「短足でチビだったんだな……」と思った。
挙式が終わり、ユミルが王都の友人たちとの別れを惜しみ、娘の幸福を願う両親に見送られて、エイデスとユミルは馬車に乗り込み、コルトゥール領へと出発した。
アルフィージは後続の馬車に乗っているので、邪魔者はいない。
「すまないな。慌ただしくて。もっと別れを惜しみたかっただろう」
「お気遣いありがとうございます。
もちろん別れは淋しいですが、もう一生会えないというわけではありませんから。
それに、」
「それに?」
一旦言葉を切ったユミルに、エイデスが尋ねる。
ユミルはふっと遠い目をして、
「クリスのせいで私についた悪評が薄れるまでは、あまり王都に帰りたくないなあという気持ちが」
と答えた。
「なるほど」
それにはエイデスも納得する。
クリスの非道な行いも新聞で公になったものの、人は自分に無関係な人間のことならどこまでも面白おかしく噂に出来る生き物だ。
特に女性を見下しているような男。それも伯爵家より下級の貴族家の令息たちはここぞとばかりに婚前交渉を行ったユミルを「誰にでも足を開く阿婆擦れ。うまく脅せば自分にもワンチャンあるかも」と囁くだろう。
同性としてそういった愚かな人間がいることをエイデスはよく承知していたし、だからこそその思考回路も容易に想像がついた。
それは、ユミルもほとぼりが冷めるまで王都から遠ざかりたいと思うはずだ。
「そういうことなら俺はなんの呵責もなく君を独り占め出来そうだな。
実は君を惜しむ暇なく連れ去ってしまった悪人として、君との触れ合いには少し自重せねばならないと思っていたところだ」
「エイデス様にもそんな呵責あったんですね」
「あったんだ。心底『生まれつき欠落しているのでは?』みたいな不思議顔しないでくれ」
「良心が欠落しているとは思ってませんが、自制心ってあったかな?くらいのことはちょっと思ってます」
「なんてことを言うんだ君は」
「自制心ある方は新婚ほやほやの花嫁にオモプラータをねだらないんですよ?」
真顔でユミルに言われ、エイデスは反論の余地なく顔を覆って呻いた。
「だって、だってあんなに見事なオモプラータ、滅多にお目にかからないし」
「アルフィージ様は出来ないんですか?」
「やる気なら出来るが、俺とだと武器を持ってのつばぜり合いになってしまうからな……」
接近戦の肉弾戦はなかなか、とエイデスは困った顔で零す。
「じゃあ、エイデス様に技を仕掛けられる人間はもしかして私しかいません?」
「そうなるな。なので是非とも夫婦喧嘩をした暁には容赦のないオモプラータやリアネイキッドチョークやジャーマンスープレックスを仕掛けてきて欲しい」
「すみません。私とエイデス様の身長差ではジャーマンスープレックスは無理かと存じます」
「リアネイキッドチョークが可能ならそれでもいいから」
「そんな物騒な『それでもいいから』って世にあるんですね」
そんな、子どもが欲しい玩具の代替品をねだるような感じで、とユミルはしみじみと呟いた。
「アルフィージは踵落としなら仕掛けてくれるんだがなあ」
「なんでちょっと残念そうなんですか」
「武術オタクだからな。
コルトゥール領には多いぞ。こういう武術オタク」
「もしかしてエイデス様にオモプラータ仕掛けた人間としてマウント取れる感じですか私」
「取れる。なんだったらねだられる」
「ねだられるんだ……」
ユミルは心の底から「常識が王都と違いすぎる」と思った。
王都の貴族だったら「貴族がそんなはしたない」と眉をひそめられるところだ。
「……ん」
馬車が出発してからそんな感じで雑談をしていたが、不意にユミルがふぁ、とあくびを漏らした。
「ああ、昨夜は家族と過ごす最後の夜だったから、それで夜更かしをしてしまったかな?」
「はい……。父が特にずっと泣いていたので、それでつい昔の写真などを一緒に見て話していたら、すっかり遅く……」
「それなら挙式を急かしてしまったこちらに非がある。
心配せずともコルトゥール領に到着するまで一週間はかかるんだ。
今日は無理せず寝てしまいなさい」
「ですが」
「俺たちはもう夫婦なのだから、気遣いすぎると却ってまだ距離があるようで寂しいぞ?
いいから甘えなさい。
俺のほうがずっと年上なのだから」
エイデスに優しい微笑みで促され、また眠気を抑え込めなくなってしまい、ユミルは「では、すみませんが、おやすみなさい」と切れ切れの声で言ってクッションのある座席に横たわる。
その身体がゆっくりと上下し、眠りに就いたと確認すると、エイデスはあらかじめ室内に用意してあったブランケットを取り出し、ユミルの身体にかけてやる。
そして頬杖をついて、そのまだあどけなさの残る寝顔を見下ろして、笑みを零した。
馬車を走らせ約一週間。エイデスとユミル、アルフィージがコルトゥール領の領主の城に到着したのは晴れた日の午後だった。
「お、閣下がお帰りになられたぞ」
城の敷地内。騎士団の宿舎がある区域で、騎士たちが顔を上げる。
「閣下。ちゃんと婚活して来れたかなあ」
「あの人、領の防衛が最優先すぎて女性に興味あるのかわかんないもんな」
「あんなに美形なのに、死神閣下の異名を恐れて女性も寄りつかないし」
「まあそれを言ったらアルフィージ様もだけど」
皆、いい年になってもそういった噂一つない騎士団の団長と副団長が心配である。
せめて今回は気に入った令嬢の一人や二人出来ていればいいと思っていたため、出迎えに向かった城の前で、一人の少女の身体を抱えて馬車から降りてきた団長の姿を目にして固まった。
「ああ、皆、今帰った」
「おや、エイデス。彼女は眠ってしまったんですか?」
「馬車の揺れが心地良かったらしくてな」
「豪胆なお嬢さんだとは思ってましたが本当に肝が据わってますね。
城の手前にある道なんて切り立った崖の上にあるし、橋なんか落ちたら絶対助からないという高さなのに」
「ギリギリでいつも生きていたいから、とか言いながら眠りに落ちたな」
「どんな座右の銘なんですか伯爵家のご令嬢が」
しかもどこか天然気味なエイデスに比べて遙かに頭のねじがしっかり嵌まったアルフィージまでもがにこやかに会話している。
一体なんなんだあの少女は。まさか、まさかとは思うが、と騎士団の騎士たちは青ざめた。
「だ、駄目ですよ閣下!」
「そうですよ閣下!
いくら結婚相手が見付からないからって養女になりそうなほどよい年頃の娘さんを拉致って来たら!」
「お嫁さんゲットを諦めて娘をゲットして来ちゃ駄目です!
どこのお嬢さんを拉致って来たんですか!」
そう必死な顔で迫ってきた騎士たちを見て、エイデスとアルフィージは真顔のまま顔を見合わせる。
「もしかして、俺が女にフラれて娘になりそうな令嬢をさらってきたと思われているか?」
「まあ、無理もないです。お前、実際今回まで百戦百敗でしたから」
「国境線の防衛なら百戦百勝だぞ」
「僕は女性関連の勝率の悪さの話をしてるんですよこのすっとこどっこい」
真顔でコメントしたエイデスに、アルフィージが呆れた視線を向けた。
それから騎士たちに向き直って、
「お前たち、安心しなさい。こちらのお嬢さんは娘としてでも拉致って来たわけでもない、れっきとした、コルトゥール家の奥方様です」
と説明した。
「そうだ。俺の妻だ。ちゃんと同意の上だ」
「……お、奥方様? 閣下の?」
「我が領の奥方様?」
「本当に?」
「本当だ」
はっきりとエイデスが頷いたのを見て、騎士たちはお互いに顔を見合わせる。
それから顔に喜色を浮かべて「やったー!!!」と歓声を上げた。
「やっと閣下に奥方様が!」
「我らの奥方様がやっと!」
「おめでとうございます閣下!」
「おめでとうございます!」
その歓声に、眠っていたユミルの顔を思わず見たエイデスだがユミルはすよすよと眠ったままだ。
「ここまで動じないと心配になってくるな」
「敵襲が来たらちゃんと目覚める程度には危機感がないと困りますもんね」
アルフィージも「確かに」と頷いた。
「これであとはアルフィージ様だけですね!」
「お生憎様です。僕は王女殿下といい感じになってましたよ」
「えっ? じゃあ王家に嫁ぐんですかアルフィージ様?」
「いや、さすがにそんなわけにはいかないので断って来ましたが」
「あ、よかった。アルフィージ様がいなくなったら困りますから」
などとアルフィージと騎士たちが話している間も、ユミルは穏やかな寝顔を晒していた。
その日の晩だ。
エイデスは留守中に溜まっていた仕事を片付けると、ユミルが眠っている寝室に足を運んだ。
その部屋は城内の一番奥まった場所にある、いつかエイデスが妻を迎えた時のために用意されながらその機会がないまま来てしまい、使用人たちが「いつか、いつかきっと使う機会が……!」と願いながら掃除して来た部屋だ。
エイデス自身も、余分な掃除をさせてしまっては悪い、と部下用にあつらえた一人用の寝室を使っていたから尚更だ。
それがこのたび、まさかの妻を伴っての帰還。
使用人たちは我が世の春が来たとばかりに喜び大はしゃぎし、むせび泣きしながらいつも綺麗に整えている部屋を念入りに掃除した。
そしてそんな城主夫妻のためにあつらえた立派な一室の、奥に置かれた二人用の大きな寝台で眠っていたユミルはエイデスが入室してきた音を感じて目を覚ました。
「あ、っと」
ハッと今の自分の状況を思い出し、ベッドの上に飛び起きる。
「やあ、お目覚めかな。
眠り姫」
「おはようございますエイデス様。
すみませんまた眠ってしまって」
「いや、構わない。あの渓谷の激しい馬車揺れすら子守歌に変えてしまう君の豪胆さに惚れ惚れしたよ」
ぺこりとエイデスに向かって一礼したユミルに微笑んで、エイデスはベッドの縁に腰掛けた。
「いえいえ、あの程度の揺れ、スプラッシュマ○ンテンのアップダウンに比べれば」
「スプ○ッシュマウンテン?」
「まあとんでもない急勾配の道だと思ってください」
実際はただのアトラクションだが、とはユミルには言えない。
前世の記憶がありますなんて、いくらこのエキセントリックなエイデスだろうが耳を疑うだろうから。
「……あれ、もしかしてまだ夜だったりします?」
「ああ、ちょうど夕食の時間だ。だから起こしに来たんだよ」
「それはお手間をおかけしました。
どうにも、一度眠ると火がついても起きない体質で」
「火がついたら起きないと駄目だぞ」
いくらなんでも、とエイデスにツッコまれ、ユミルは「冗談が、通じない!」と思った。
冗談が通じないのではなく「君ならありそうだ」と思われたのだとユミルは知らない。
「ああ、すまない。さすがに冗談だとはわかるが、このコルトゥール城は物理的に火がつく場合も時にはあるからな。一応念のためツッコませてもらった」
「あ、そういえばそうですよね。辺境を守る城なのですから」
「そういうことだ。
まあ実際、この城が炎に包まれたのはコルトゥール家が辺境伯の位を賜ってから一度もないのだが」
「歴代、優秀な武人が多いご家系だとは聞き及んでおります」
ユミルは布団の中から足を出し、エイデスの隣に座って頷いた。
王国始まって以来優秀な武人の家系。コルトゥール家から辺境伯の地位を剥奪出来るものはこの王国人にあらず。
そうとまで呼ばれるのがコルトゥール家だ。
「なので父も、苦労知らずの貴族の令息の妻にするくらいなら、それほど優秀な辺境伯の妻になったほうが幸せになれるだろうとまで仰ってくださったくらいなので」
「お義父上にそこまで見込まれたことを誇りに思うよ」
「ですので、私もあのままクリスに嫁ぐことにならなくて本当によかったと思っております」
ユミルがはにかんで告げた内容に、エイデスは「実は思ったより俺に好感触なのか?」とどぎまぎする。
なにしろここまでほぼ一方的なくらいの攻め手でユミルを妻にしてしまったため、悪感情が多少なりとも自分にあったらどうしようと思っていたのだ。
だが先ほどの言葉、向けられるこの微笑みから、そういった感情が全くないのだろうことを感じ取ってつい浮かれそうになってしまう。
「ユミル。その、君と俺はこれから毎晩、この部屋で共に過ごすことになるわけだが、お義父上に約束した通り、君に無体を働く気はない。
ただ、共に同じ寝所で眠ったり、手を繋いだりくらいはしたいと思っていることを、知っていてもらいたい」
「それはもちろん」
少し緊張して告げたエイデスに、ユミルは口元を綻ばせた。
「私は、あなたの妻なのですから」
「ユミル……!」
ぱあっと顔を輝かせたエイデスがそっとユミルの、シーツの上に置かれた手を握ろうとした瞬間だ。
「エイデス。夕食の時間ですよ。使用人が待っていますから。
というかまさかさっさと襲ってるんじゃ……」
コンコン、と扉をノックして声をかけてきたアルフィージが、扉を開けて固まった。
エイデスと目が合った瞬間に、エイデスが天使と噂される美しい顔を凶悪に歪めてにやっと笑うと大股で近づいてきて、
「今、今、やっと手の一つでも握ろうとしたのにお前というやつは……!」
と胸ぐらを掴んで来たのでアルフィージは仰け反って、
「すいません本当にすいませんまさかお前がそこまで奥手だとは思ってませんでしたもう二度とお前が彼女を襲ったとか誤解しないようにします。
あと本当に邪魔してごめんなさい」
鍛えた武人らしい肺活量で一息で謝罪した後に、心底という風に謝ったのだった。




