後編 求愛
「なにを! 馬鹿やってるんですかー!!!」
そう、迫力のある大声が王都にあるコルトゥール家別邸の主人の部屋から響いた。
コルトゥール辺境伯が王都にいる間、滞在する別邸の書斎、立派な細工の机の前に座り、行儀悪く両足を机の上に載せて笑っているエイデスを見て、目の前に立った薄灰色の長い髪を後ろでひとまとめに結った細身の男性、もといコルトゥール騎士団の副団長、アルフィージ・イェニーはありったけの声で怒鳴り、バンと机を叩いた。
「確かに、確かに僕はいい加減早く結婚しろと言いました!
その相手を見つけろと今回の舞踏会に参加することを勧めました!
だからって婚約者に種付けされたバツ付きのご令嬢を強引にかっさらってくる男がいますか!」
「いい年をして結婚していないのはお前も一緒だろう?」
隣国との争いが続くコルトゥール辺境領で、常に前線に立つ副団長だからこその肺活量でよく響く声を上げたアルフィージに、エイデスは真顔で全く悪びれずに答えた。
ちなみにエイデスは30歳。アルフィージは28歳である。
「だから本来、コルトゥール領を守る俺とお前が揃って領を離れるのを良しとしないのに、部下たちが『自分たちがどうにかするから』と押し切って舞踏会に行かせたんじゃないか。
あとアルフィージ。彼女は種付けされていないしバツも付いてない。あくまで婚約者だ」
「だから僕も王女殿下といい感じにはなってましたよ!
まあ僕の家格で王女殿下の婿は難しいからどのみちでしたけども!
あと年齢差あるし!」
「どうだかな。王太子殿下のお立場を邪魔しないためと考えれば、伯爵家の令息ならどうにかなるんじゃないか?
さすがに子爵、男爵家になると難しいだろうが」
「はいはい、その超良縁の芽をむしったのはどなたでしょうね!」
あくまで冷静に返すエイデスに、八つ当たり気味にもう一度アルフィージは机を叩く。
だが、
「あのクリスだろう。あいつが馬鹿な発言をしてユミルにオモプラータ喰らったのが悪い」
と、真顔のまま言われた。違う。そうじゃない。いやそうだけども。
「そこにのこのこ見物に行った上その貴族令嬢のオモプラータに見惚れて求婚したお前のことを言うんですよ馬鹿とは!」
「なにを言う。あれほど見事なオモプラータは早々ないぞ。
あれをあの小柄な体格で繰り出せる体幹と積み重ねた修練に俺は惚れた」
「どこを庇ってるんだ」
「お前も一回彼女のオモプラータを受けてみるといい。
俺はクリスに嫉妬した」
やや憮然とした顔で言うから、「嫉妬した」は本気なのだろう。
アルフィージはなんだか脱力してしまい、
「……なんでそっちで嫉妬してるんだ」
と力無くツッコんだ。
なんでこいつは貴族令嬢にオモプラータをされたがってるんだ。
ああ、そうだ。こいつはとんでもない武術馬鹿だった。
だからいっそ貴族じゃなく女騎士を娶れと誰かが言ったくらいだったんだ。
生憎、コルトゥール騎士団に女騎士はいなかったが。
「じゃあアルフィージ。お前、彼女とクリスの話を聞いてどっちが悪いと思う」
「一分の隙もなくクリス・レドモンド伯爵令息ですね。
婚約破棄をちらつかせて婚前交渉を迫っておいて、いざ妊娠したら捨てるとか男の風上にも置けない。股間のブツをむしって獣の餌にすればいい」
「即答するくらいにはお前もクリスの行いに腹を立ててるんじゃないか」
下手したら俺以上の紳士であるお前が、そんな行いをする男を許すわけがない。
そうわかりきった顔で言ったエイデスに、アルフィージは深いため息を吐いた。
「ええ、そうですよ。ユミル・アイリントン嬢にはなんの落ち度もない。
だからこの結婚自体は非常にめでたいんです。喜ばしいです。嬉しいです。
ただ! 惚れた理由がオモプラータだったっていうトンチキぶりにツッコみたいだけで!」
ロマンスどこ行った!と全力で叫ぶアルフィージにエイデスは「ロマンスならあるだろう」とやはり真顔のままだ。
「オモプラータによる、胸のときめき」
「それは要らないときめきか恐怖のドキドキです」
アルフィージはエイデス以上の真顔ですぱっと言い切った。
それは要らないんだ。本当に。
「は────、まあ、もう結婚しちゃったんだから文句言ってもしょうがないですよね。
腹をくくるしかないんだそうだ大人になれアルフィージ・イェニー」
「わかってるじゃないか。アルフィージ」
「お前はもうちょっとブレーキというものを使え」
と、真顔でドスの利いた声で説教をしたアルフィージは「で?」と腕を組んで尋ねる。
「なにがだ?」
「その新婚の奥方様はいずこに?」
「まだアイリントン伯爵家にいるぞ。
なにしろ急な結婚だったからな。送り出す家族の心の準備が出来ていない。
それに結婚した以上、俺がコルトゥール領に帰る時には彼女を伴って行くことになる。
だからその前に王都で挙式を上げることになるから、それまでは彼女は実家にいることになるだろう」
「まあ、確かにそうか」
エイデスの言葉にアルフィージも納得して相づちを打つ。
だが不意に組んでいた腕を解いて、踵を返し扉まで歩いて行くと、勢いよく扉を開けた。
「おや、噂をすればなんとやらですね。
お初にお目にかかります。コルトゥール家の奥方様」
そこにメイドと一緒に立っていたユミルを見て、アルフィージはにっこり微笑んだ。
「初めまして。ユミル・アイリントン、じゃなかった、コルトゥールです。
突然お邪魔してしまいすみません」
「これはまた、小柄なお嬢さんで」
身長178㎝のアルフィージに比べ、ユミルはあまりに小柄で見上げる首が痛そうだなとアルフィージは思う。
夫のエイデスは185㎝あるから、大丈夫だろうか、とちょっと心配したりして。
「ユミル!」
エイデスが立ち上がって大股で近寄ってくる。
「どうしたんだ? なにか用事があったか?」
「馬鹿ですね。妻が夫に会いに来るのに理由がいりますか」
「だが、俺はオモプラータで一方的に恋慕して求婚した男だぞ?
普通会いに来たい男か?」
「お前がおかしい自覚があるならなによりですよ。
やっぱりどうあがいてもオモプラータで惚れたっていう一文が異常なんですよね」
せめてその一文さえなければ、とアルフィージは遠い目になってしまう。
まあ、エイデスにも自分がおかしなことをしたという自覚があってなによりだ。
「あの、わたしはお飲み物をお持ちしますので、奥方様はどうぞ中に」
「あ、ありがとうございます」
不意にメイドが気を遣ってそう申し出、ユミルは軽く頭を下げる。
この屋敷で働く使用人たちもユミルがコルトゥール家の奥方だということは知っているため、扱いが丁重だ。
メイドが立ち去った後、ユミルはエイデスに招かれて室内に入る。
「ノックをしようと思ったのですが、先に気づかれてしまって。
凄いですね」
「ああ、職業柄、気配には敏感なもので。
でも驚きました。かなりぎりぎりまで僕が気づかないほどに気配を感じなかったので」
「そうだな。アルフィージは俺より気配に鋭敏だから、それが扉の前に来るまで気づかなかったのには驚いた」
うっかり本気で感心してしまったアルフィージに、エイデスが頷く。
「ああ、まあ、曲がりなりにも空手合気道柔道黒帯で……いえ、なんでも」
「か……?」
「くろおび?」
「いいえなんでも!」
ついうっかりなにかの口を滑らせたユミルにエイデスとアルフィージが首をかしげた。
ユミルは全力で誤魔化していたが。
「そういえば、もしかして君は俺に会いに来てくれたのか?」
「あ、はい。と言いますか」
「言いますか?」
ふとエイデスが尋ねるとユミルは視線を彷徨わせて、
「え、ええと、その、少々外聞が悪いのですが、…………………父が、折角決まった結婚が白紙にならないよう弱みの一つや二つ握って来いと」
とぶっちゃけた。
「それ花嫁に命じる父親いるんだ」
「速攻で父親を売ったな」
「すみません。うちの父、私と一緒でちょっと苛烈なんです」
「それは君を見ればわかる」
ついあさっての感心をしてしまったアルフィージに、エイデス。
申し訳なさそうに答えたユミルにはエイデスが頷いた。
「ああ、紹介する。コルトゥール騎士団の副団長のアルフィージ・イェニー。
私の副官だ」
「お初にお目にかかります。
これから先、長い付き合いになると思いますので、この変わり者の当主をどうぞよろしくお願い致します」
「お前、さっき散々言っておいて手のひら返しが凄いな」
エイデスに紹介され、にっこり微笑んでユミルに挨拶したアルフィージに、エイデスがちょっと呆れる。
「結婚自体は歓迎しています。
こんな豪胆なお嬢さん、逃がしたらそれこそあなたの結婚は絶望的ですからね。
逃がしてなるものか」
「よくわからないんですけど、それ本人前にして言っていいことなんですか?」
「いいんです。決して逃がしませんのでよろしくお願いします。奥様」
「ひえ、面と向かって言ってきた」
最後だけ低い真声で言ってきたアルフィージにユミルは首をかしげたが、アルフィージは生憎腹をくくっていた。つい身を引いたユミルを見て、エイデスは、
「アルフィージは腹をくくると俺より凄いことを言うぞ」
とはっきり述べた。
「外見の儚さだけで言えばエイデス様といい勝負なのに度胸が似たり寄ったり!」
「それを面と向かって言う君も大概だな」
身も蓋もないことを叫んだユミルに、エイデスは面白くなって晴れやかに笑った。
「はいはい似た者同士お似合いでいいじゃないですか。
では僕はこれで失礼致します」
「おや、どこに行くんだ?」
「王女殿下からお誘いを受けていますので。
あと、新婚夫婦を邪魔するほど無粋じゃないですよ。
挙式がまだなだけで、もう結婚同意書は提出しているご夫婦でしょう」
それだけ言って、アルフィージはさっさと部屋を出ていってしまう。
「あいつ、本当に王女殿下に嫁ぐんじゃないだろうな。それはそれで困るぞ?」
「そうなんですか?」
「ああ、アルフィージの代わりになる副団長候補なんてまだ育ってないからな……。
まあ、そんなことを新婚初日に話している俺も仕事馬鹿か。
おいで。ユミル」
「へ?」
微笑んで手を差し出したエイデスに、手を重ねた瞬間抱き上げられる。
そのまま窓から庭へと飛び降りたエイデスに、ユミルはびっくりして固まった。
なお、部屋に紅茶を届けに来たメイドはそれを目撃して「ああ、またか」と慣れた様子で窓を閉めたので、まあいつもの光景なんだな、と地上に降り立ったエイデスの腕の中から下ろされたユミルは納得した。
「突然失礼した」
「あ、いえ、エイデス様が突然なのはいつものことなので」
「出会って三日目なのにそう言われてしまうのは恥ずかしい話だな」
はっきり述べたユミルの豪胆さに惚れ直しながら、エイデスは気恥ずかしそうに笑う。
「少し歩こうか」
「はい」
薔薇の咲き誇った庭を並んで歩きながら、ユミルは背の高いエイデスの横顔を見上げた。
「あの」
「なんだ?」
「本当に、私でいいんでしょうか?
いえ、もう結婚同意書を国に提出してしまったわけですが」
「君は、後悔しているか?」
ふと神妙な顔をして尋ねてきたエイデスに、ユミルは首を横に振る。
「いいえ。きっと、あのままクリスと結婚したほうが後悔していました。
あんな男の風上にも置けない人だとは思わなかったので」
「はは。俺とアルフィージみたいなことを言っているな」
「そうなんですか?」
「そうだとも。あれは男と呼ぶのも恥ずかしい。
あんなのを男と呼んだら、同じ男の俺たちが惨めになる」
エイデスは女性なら誰でも見惚れるような微笑で言って、「だが」と続ける。
「普通の女性は、そんな男に出会っても打ちのめされて泣くしかないと思っていた。
俺が結婚に積極的じゃなかったのも、そんなか弱い女性をどう扱ったらいいかわからなかったのかもしれない」
そう呟くように口にして、エイデスは足を止めた。
「だが君は違った。俺の思い描いていた女性とは全然違っていて、強く気高くて」
同じように立ち止まったユミルの顔を真っ直ぐ見下ろしたエイデスの真剣な顔を、まだ眩しい陽光が照らす。風を受けて真紅の薔薇の花弁が散り、夢のように美しいエイデスの姿を彩った。
「婚約破棄を告げられて泣くのではなく、見事なオモプラータを決める凜々しい君の姿に惚れたんだ」
「……エイデス様」
そんな世にも麗しい光景を目にして、ユミルは息を呑み、
「そんな動機で大丈夫ですか? あの、頭を打ったりしていませんか?」
と真顔でエイデスの頭の心配をした。
「そこで真っ先に頭の心配をするようなところもまあ俺好みなんだろうな」
「仕方ないじゃないですか。だいぶエキセントリックな求婚動機ですよ。
オモプラータ決めた姿に惚れたって」
「自覚はあるんだ」
「あるんだ……」
ユミルはちょっと引いた。いや、割と引いた。
エイデスが「引かないでくれ。傷つく」と弱った声で言う。
「あるんだ。生憎と。自分が武術馬鹿な自覚はある。
だが、だからこそ! 俺は俺にオモプラータを決められる女性と結婚したい!」
「すみませんがそんな男性はどんなに資産家でも美形でも女性から逃げられると思います」
「………………君は逃げるか?」
「生憎逃げませんが。面白いので」
「なら良し」
ぐっと拳を握ったエイデスに、ユミルは驚嘆したように、
「いいんだ……」
と呟いた。
「君に逃げられないならいいんだ」
そう笑って答えると、エイデスはユミルの眼前に傅いて、その手を取る。
「もう結婚した後に言うのもなんだが、生涯君を大事にすると誓う。
俺の妻として、俺と一緒に生きて欲しい」
「……ふつつか者ですが」
真摯に愛を告げたエイデスの手を握り返し、ユミルは微笑む。
「いいのか?」
「もう、いやだって言ったって逃す気ないんでしょう?
アルフィージ様もそう言っていました」
「ああ、そうだ。生憎俺はもう君を逃がす気がないんだ。
だから、変な男に目を付けられたと思って諦めてくれ」
「自分で言うんだ」
「言うとも」
くすくすと可笑しそうに笑うユミルに、エイデスは立ち上がってそっとユミルの肩を抱く。
「惚れた女の前では、どんな男だって格好悪くなるさ」
「そういうものなんですか」
「ああ、そうだ」
ユミルの華奢な肩を抱き寄せ、エイデスは頷くと少し黙り、意を決したように、
「あの、……一つ頼みがあるのだが」
と口にした。
「しまった。忘れ物をした。
……と?」
コルトゥール家別邸の前に停まった馬車から降りてきたアルフィージが走って屋敷の中に向かっていたら、ふと薔薇園の前に横になったエイデスの身体が見えた。
その腕に足を絡めたユミルが頬を赤らめ、
「す、すみません。クリスの時は楽に決まったんですけど、エイデス様鍛えてらっしゃるから足で腕が挟みづらくて」
とオモプラータを決めながら恥じらい、エイデスは大変イイ笑顔でその技を受けており、
「花嫁になにさせてんだごらぁ!」
とアルフィージがエイデスの腹に蹴りを入れに行ってしまったのも無理からぬことだった。




