前編 出会い
「それは本当に俺の子か?」
ユミル・アイリントン。伯爵令嬢。17歳。
婚約者のクリス・レドモンド伯爵令息に妊娠を告げたら、上記の台詞を返されました。
同時にその衝撃で脳裏に蘇ったのは、前世の記憶。
その結果、
「拒む私に強引に婚前交渉迫っておいて妊娠したら俺の子か?って言うって貴様どんな最低男だああ?」
「いだだだだだだだだだだ!」
ドレス姿なのも、その場が王家主催の舞踏会であることも構わずクリスにオモプラータ、別名腕ひしぎ身体固めを決めていました。
「お前が強引に関係迫ってきたんだろ?
『身体の相性がわからないと結婚出来ない。許してくれないなら破談にする』とか言って脅して。
なのにその結果妊娠したらその台詞言うってどんだけ女を下に見てるんだ?
あ?」
「いだいいだいやめてやめて!!!」
綺麗に決まったオモプラータにひたすらばんばんと床を叩いてもがくクリス。
そしてその叫びで周囲の舞踏会に参加していた貴族の令嬢や令息たちが「なんだなんだ?」と集まってくる。
と、そこで不意に頭上から「まあ待ちなさい」と穏やかな声がかかった。
「なんでしょう?
私はこいつを徹底的に痛めつけるまでやめる気ないんですが」
「私がここにある壺を『手が滑った』と言ってこいつの股間に落とすと言っても?」
「それなら話は別です」
頭上からの提案にぱっとクリスから手を離した私が視線を上に向けると、一度見たら忘れられないような全身真っ白の美丈夫が真横に佇んでいた。
「……あなたは」
「私はエイデス・コルトゥール。不躾だが、君はなぜそんな真似に及んだ?」
「妊娠したと言ったら『本当に俺の子か?』と言われたからです。
こんな最低男は滅するべきです」
「……『本当に俺の子か?』と言われて?
それでオモプラータ?」
「はい」
確認されたので真顔で頷いたら、その短い白髪に眼鏡、白銀の瞳に病的なほど真っ白い肌、全身真っ白の装束を纏った世にも美しい男性は改めて確認したあと、口元を手で押さえたと思ったら腹を抱えて笑い出した。
「そ、それで、年若いご令嬢が、オモプラータ……っ」
「悪いですか。こちとら強引に関係持たされたんですよ。
この最低男を地獄に落とさなければ気が済まないんです。
処すのです。最低男に死を!」
「ふ、ふふっ、そ、それは随分と、苛烈な、ご令嬢で」
「なにがそんなに面白いんですか」
むすっとしてしゃがみ込んでいる真っ白男、もといエイデス・コルトゥールを見つめたら、彼は笑いを収めると目尻ににじんだ涙を拭って、
「いや、最高だ」
と言った。
「むしろオモプラータでは足りん。ジャーマンスープレックスくらい決めてやるといい。
頭を舞踏会場の床に埋めてやるといい」
「その手が!」
「その手が!じゃない!」
エイデスさんの提案にぽん、と床に座ったまま手を打ったら、痛みで床に倒れ込んでいたクリスが起き上がって叫んだ。
「とんだ暴力女だ! どうせ腹の子も俺の子ではないに違いない!
破棄だ! この婚約を破棄する!」
「君はクリス・レドモンドだな?」
「は、それがなに……」
悔し紛れに怒鳴ったクリスにエイデスさんが眼鏡を押し上げ、立ち上がって片足を座ったままのクリスの股間に乗せた。
「このまま片足に力を込めて君が二度と悪さを出来ないように男としての機能を潰してやってもいいわけだが、君も構わんな?」
「構わないです」
「構ううううううううううううう!!!」
エイデスさんの提案に私が即答したらクリスが絶叫した。
返す返すもうるさい男だな。
「私は責任も取れない男が大嫌いなんだ。
彼女の家に慰謝料金貨300枚、支払わないなら本気で実行するが?」
「しますしますします! 速攻支払います!」
「その慰謝料を持って、彼女に復縁を迫る・金を返せと脅す・世間に彼女の悪評を撒くなどの迷惑行為を行わないことを誓え。
そうしないなら私の全ての権限を持ってお前を前線送りにする」
「誓います!!!」
最大音量で誓ったクリスにエイデスさんは「よろしい」と冷ややかな視線と声で言って、クリスの股間から足を退かした。
有り難いんだけどこの方、クリスの関係者だろうか?
エイデス・コルトゥールってどっかで聞いた名前だけど。
「妊娠して婚約破棄? なんてふしだらな」
「あら、でもエイデス様があの令嬢の味方をなさっているみたいよ?」
「え? エイデス様ってあのコルトゥール辺境伯!?
コルトゥール領の白い死神と呼ばれる!?」
「その方がなぜそんな娘の味方を……」
「はー、恐ろしい死神閣下だけど、見た目は本当にお美しいわねえ……」
「本当。見た目だけなら儚げな天使のようだわ」
なんかいろいろ言われてるけど、そうだ。エイデス・コルトゥールってあの敗北知らずの辺境伯、別名コルトゥール領の死神だ。
あまりの強さに恐れられ、この絶世の美貌があるにも関わらず未だ独身と聞くけれど。
「身体に痛みはないか? 今夜の舞踏会で一番の見物だったが身籠もった女性があんな無茶をするものではない」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
不意にエイデスさん、じゃなかった、エイデス様が私に手を差し出して立たせてくれた。
そのままエイデス様は自分の纏っていた上着を脱いで、私の肩にかける。
「身体を冷やすのはよくないからな。なるべく安静に。
今夜はもう帰ったほうがいいだろう」
「あ、はい。そうします。あの、これ」
「それは君に差し上げよう。気にしないでくれ」
上着をどう返そう、と思った私にそう答えて、エイデス様は「なんの騒ぎか」と周囲に問う国王陛下の元へ説明に行ってしまった。
残された私は肩にかけられた上着に触れて、
「……あったかい」
と、その温もりにじんわりと心が癒やされるのを感じていた。
「ユミル! とんだ騒ぎになっているぞ!」
その翌日、アイリントン伯爵家の邸宅の一階の居間でメイドが淹れてくれたホットミルクを飲んでいたら、父が新聞を手に駆け込んできた。
その新聞には昨夜の舞踏会で私が起こした騒動が載っている。
クリスの不始末──結婚前なのに婚約者に関係を迫った上に妊娠した途端にひどい台詞をぶつけ、婚約破棄を迫った、という一連の行いも載っているため、これはあの夜、会場にいた誰かが新聞社に流したものなのだろう。
クリスはエイデス様がじっくり脅していたから、多分それを破ることはないだろうな。
「全く、あのぼんくら息子の責任ではあるが、お前もなんということを」
「仕方ないではありませんかお父様。婚前交渉を迫っておいて妊娠したら『俺の子か?』ですよ? しかるべき報いを与えるのが世の常ではありませんか」
「それに関してはわたしもあのぼんくら息子にしてやりたいことが沢山ある。
だが、よりによって舞踏会場で制裁を加えなくともいいだろう!?
おかげでお前の嫁のもらい手がいないぞ!?」
大声で私を指さした父は、真顔で、
「制裁はこっそりと、人のいないところ見えないところでが鉄則。
人のいないところで不能にするんじゃ駄目だったのか」
と囁いてきた。それでこそ私の父である。理不尽に遭わされたら末代まで祟る、か鉄則の人だ。
「そもそも、お前よくオモプラータ?なんて技を使えたな?
この年まで清く正しくお淑やかに育ててきたはずだが」
確かにそうである。私は斜め横の位置にある鏡の中に映る自分を見つめた。
長く艶やかな薄紫色の髪に碧色の瞳、身長145㎝ほどの華奢な体躯の少女。
どっからどう見ても内気そうな少女である。
「ああ、それは前世で……」
「うん?」
「いえなんでも」
私はにっこり笑って誤魔化した。危ない危ない。
実のところ、ユミル・アイリントンという令嬢はお淑やかで内気な令嬢だった、はずである。クリスもそれを知っていたからあんな暴挙に出たのだろう。
間違っても理不尽に遭わされたら速攻実力行使してくる女性ではなかった。
これは私の前世に深い関わりがある。
私の前世はどこにでもいそうな日本の社会人の女性だった。
そんな前世の私には特技があった。
空手合気道柔道黒帯、という特技もとい武器が。
それは私の祖父に理由がある。祖父は初孫の私を溺愛していた。
私が幼い頃に、祖父は案じた。私が幼いうちは自分がそばで守ってやれるが、大きくなったらそうもいかなくなる。可愛い初孫におかしな虫を近づけないためには、孫を鍛えるしかない!と。
そんなわけで高校生の頃には黒帯が三つ。そんな私に手を出した痴漢は速攻で報復に遭う。そんな、平穏な人生を送っていた。まあ交通事故で死んだんだけどね!
さすがに空手合気道柔道黒帯でも車は跳ね飛ばせなかった。当然である。
その記憶を思い出したため、今の私は理不尽には理不尽を。目には目を歯には歯をのハンムラビ法典で生きているし、空手合気道柔道黒帯の実力がある。
どういうわけか、記憶を思い出した途端、前世の身体能力を引き継いだようだ。
とはいえ、困ったなあ。
妊娠している、と言っても医師に診断されたわけではない。
生理が来ず、胃がむかむかして食欲がなかったことから「妊娠したかもしれない」とクリスに話したのだ。
だが今日になって生理が来た。つまり妊娠していた、は私の早とちりだったわけだ。
だがあの騒ぎを起こしてしまったせいで私についた貴族社会でのラベルは「婚前交渉して妊娠した阿婆擦れ」である。嫁のもらい手がない。
弱った弱った、とソファに腰掛けたまま悩んでいたら、不意に玄関のほうで声がした。
「お、お待ちください! コルトゥール辺境伯様!」
使用人の制止する声を無視して、室内に足を踏み入れたのはあの全身真っ白く、天使のように美しい辺境伯様だった。
「こ、コルトゥール辺境伯様!?」
「失礼致します。不躾な訪問、お許しいただきたい」
ひっくり返った声を上げた父に、彼は礼儀正しく一礼する。
「な、なぜここに」
「先触れを欠いたことをお詫び致します。
ですが、私としては火急の用件があったため」
そう答えたエイデス様は私の前まで歩いてくると、そこで傅いた。
「ユミル・アイリントン伯爵令嬢。
君に結婚を申し込みたい」
そう、私の手を取って微笑んで告げる。
「け、けっこん!?」
「そうです。私は彼女に結婚を申し込みに来ました。
手をこまねいていてはほかの男にかっさらわれるかもしれないと、焦ってしまい申し訳ない」
ずっと父の声がひっくり返っている。まあ気持ちはわかる。
私もなんで!?という心境だ。
「妊娠していたとしても構わない。
私はあなたを妻に迎えたい」
「あ、妊娠は、誤解だったのですが」
「そうですか。それはなにより。
ほかの男の子の父になるのは構いませんが、あのあなたを裏切った頭の悪いクリスの子を愛せるかわからなかったので」
この辺境伯様、なかなか口が悪い。だが、私にとっては願ってもない話だ。
「あの、私の評判が今、散々なものになっているのですが……」
「そんなもの、全てあのクリスにおっかぶせればよろしい。
あなたは被害者だ。
聞けばあの男、婚約を破談にするとあなたを脅して関係を持ったと言うではないですか」
あ、詳しい。クリスを脅して聞き出したかな。
「例えどんな評判があったとしても、私はあなたを妻に迎えたい」
「……本当によろしいのですか?」
「あなたこそよろしいのですか?
私は30歳の男ですよ」
「ああ、いや、別に年齢はそんなに気にならないので……」
だって前世の私、享年が33歳だからな。独身だったし。
前世の記憶を思い出した今となっては、同い年とか十代でなくてよかった。
「それは僥倖」
「わっ」
言うなり、嬉しそうに笑ったエイデス様に手の甲にキスをされる。
「では、こちらの結婚同意書にサインを」
「……準備いいですね」
「私は、狙った獲物は逃がさない主義ですので」
エイデス様は私の手を取ったまま、世の全ての女性が見惚れるような麗しい微笑を浮かべて囁いた。




