暴食の獣
いったい、いつ頃からのことだったか。
『彼女』とて、別に生まれたその時からバケモノじみた食欲を発揮していたわけではありません。少なくとも、まだ学都に来たばかりの頃は一般的な常識内で語れる範囲の大食いだったはずなのです。
まあ、あえてボカすまでもなくレンリのことなのですが。
一頃、まだ神力の制御に不慣れだった迷宮達の近くにいると、生物の生命力やら戦闘力やらが無闇に活性化されてしまう微笑ましいトラブルがありました。
当時、世界各地で頻出したご当地伝説の魔物シリーズについては都合よく忘れておくとして、その神秘的な不思議パワーの作用によってレンリの食欲が必要以上に増強され、それがそのまま固定されてしまったのではないか。
そんな仮説が立ったこともありましたが、結局真相は謎のまま。
なにしろ、お金だけは人一倍あるので食費に困りはしませんでしたし、むしろ本人としては色々な味を楽しめるようになってラッキーくらいに捉えていました。そんなわけで仲間内の誰も大した問題だとは思っていなかったのでしょう。
ですが、誰もがそう呑気にしてはいられません。
「『奴』が来たぞーッ! 厳戒態勢発令、厳戒態勢発令!」
「調理担当者は総員持ち場に。休憩中の者も割増で手当てを出すから頼めんか?」
「あの御方が選んだ店以外は、食材の在庫をなるべく店舗間で融通してやってくれ。可能なら調理や配膳の人手も。では……戦闘開始ィィィィッ!」
学都の中央広場付近。
飲食店が多く並ぶ通りの端をレンリが通りがかっただけでこの大騒ぎ。
単一の店だけで彼女を満足させられるとは最早誰も思っていません。複数の食べ物屋を次々とハシゴしていくのは前提。近隣の同業者が一丸となって人員や食材を融通し合わなければ、とても太刀打ちすることなどできないでしょう。
「今日は何を食べようかな? とりあえず、このメニューに載ってるの全部お願いね」
どうせ全部食べるなら一旦迷う意味はあったのか?
そんな疑問を抱くヒマさえありません。
まあレンリは単に量さえあれば満足というタイプではなく、味に関してもそれなりにこだわる種類の大食いなので、軽く味見をしてみたいとでも考えたのでしょう。
「急げ急げ、油断したら一瞬で追いつかれるぞ!」
「皿洗いは後回しで構わん。とにかく早く運ぶんだッ」
なにしろ、大盛りの料理が瞬き一つの間に食い尽くされるほどの早食い。
銃弾を見てから余裕で避けられる頭のおかしいバトルマニア達ですら、本気を出したレンリの早食いはロクに目で追うことすらできません。それでいて服やテーブルを汚したり零したりしないあたり、本人の認識としては十分な余裕を持って味わっているらしいのが恐ろしいところです。
「ふぅ、美味しかった。ご馳走さま」
メニューに載っている品書き全種を各十回ほど制覇したあたりで、ようやくレンリも満足した様子。これまで極度の緊張状態を維持していた店のスタッフも、ようやく肩の力を抜けました。
「ありがとうございましたー!」
「またのお越しをお待ちしております……ははっ、今日は臨時ボーナスを出すぞ!」
再来店を希望しているのも嘘というわけではありません。
レンリの金払いは非常に良いため、店側の儲けはかなりのものになるのです。
どうせ食材が残っていないのでは営業も続けられませんし、彼女に選ばれた店はさっさと早じまいして臨時収入でパーッと遊ぶのが、ここらの飲食店では日常の一幕となっています。
「さて、前菜を済ませて調子が出てきたことだし、次はどこに入ろうかな?」
とはいえ、他の店が一息吐けるようになるのはまだ先のこと。
恐ろしくもあり、嬉しくもあり。神すら上回る食欲の怪物と学都の飲食業界との付き合い方は、大体こんな感じのものとなっておりました。




