第10話 普通ではない報告
初めての現場を経験してから、三日が経った。
悠真は、いつもどおり《ヴェイル》の資料室でパソコンに向かっていた。
現場での出来事は、まだ頭から離れていない。
突然近づいてきた男。
端末を奪おうと伸びてきた手。
そして、誰にも知られていない数秒間。
あのとき時間を止められなければ、どうなっていたのだろう。
考えると、今でも背中が冷たくなる。
「黒瀬さん」
声をかけられ、悠真は顔を上げた。
水原紗季だった。
「先日の現場で回収した資料の整理をお願いできますか?」
「はい。何を確認すればいいですか?」
「取引先の一覧と、過去の送金記録です。今回の件に関係する企業をまとめてほしいんです」
「わかりました」
水原は資料を机に置いた。
「不明な点があれば、必ず確認してください。無理に結論を出す必要はありません」
「はい」
悠真は資料を受け取り、作業を始めた。
⸻
午前中いっぱい、悠真は資料を確認していた。
今回の依頼人は、ある企業の元社員が社外秘資料を持ち出した疑いがあると説明していた。
実際に回収された資料には、複数の企業名や送金記録が記載されている。
一見すると、どこにでもある取引の記録だった。
しかし、悠真は途中で手を止めた。
「……また、この会社だ」
先日の調査資料にも、同じ会社名があった。
別々の企業から、同じ会社へ少額の送金が繰り返されている。
金額も日付も違う。
だが、送金先の情報には共通点があった。
悠真は別の資料を開き、もう一度確認した。
すると、さらに気になる点が見つかった。
送金元の企業は、すべて異なる業種だった。
建設会社。
輸入業者。
小さな広告代理店。
互いに関係があるとは思えない企業ばかりだった。
「どうして、こんなに別々の会社から……」
悠真は画面を見つめた。
自分の考えすぎかもしれない。
そう思いながらも、気になった部分を一覧にまとめていく。
⸻
午後二時。
水原が確認にやってきた。
「進み具合はどうですか?」
「はい。ひと通り整理できました。それと、少し気になる点がありまして」
「どんな点ですか?」
悠真は画面を見せた。
「この会社なんですが、複数の企業から同じような金額を受け取っています。しかも、送金元に共通点がないんです」
水原は画面を確認した。
「……この会社、以前の調査にも出ていましたね」
「はい。僕が確認した限りでは、三か月以上前から同じような送金が続いています」
水原はしばらく資料を見つめていた。
「黒瀬さん。この会社の登記情報も確認できますか?」
「わかりました」
悠真は指示された情報を調べた。
数分後、画面に表示された内容を見て、思わず眉を寄せた。
「水原さん」
「どうしました?」
「この会社、所在地が何度も変更されています」
「何度も?」
「はい。過去の住所を調べると、別の会社が同じ場所を使っていた時期もあります」
水原の表情が変わった。
「少し待ってください」
彼女は自分の端末を操作し、別の情報を照合し始めた。
やがて、静かに口を開いた。
「これは単なる不自然な取引ではないかもしれませんね」
「何か問題があるんですか?」
「まだわかりません。ただ、私たちが以前から追っている案件と関係している可能性があります」
悠真は画面を見た。
自分が見つけたものが、そこまで大きな話につながるとは思っていなかった。
「僕は、ただ資料を確認しただけですけど……」
「その確認が大切なんです」
水原はそう言って、資料を保存した。
⸻
夕方。
榊宗一郎の執務室には、水原から送られた報告書が届いていた。
榊は内容を読み終えると、向かいに座る真壁亮へ視線を向けた。
「この会社に見覚えはあるか?」
真壁は資料を受け取った。
「あります。以前、別の案件で名前が出ていました」
「どんな案件だ?」
「資金の流れを調べていたんですが、途中で関係先がすべて消えました。会社自体は存在しているのに、実際に動いている人間が見つからなかった」
榊は報告書に目を戻した。
「今回の資料にも同じ特徴がある」
「偶然とは思えませんね」
真壁が答える。
榊は少し考えてから言った。
「久世にも確認させろ。過去の案件とのつながりを洗い直す」
「わかりました」
「それと、黒瀬の報告も残しておけ」
真壁はわずかに眉を動かした。
「新人の報告までですか?」
「新人だからこそ、余計な先入観がない。見落とされていたものを拾った可能性もある」
榊は資料を閉じた。
「まだ判断するには早い。引き続き様子を見よう」
⸻
その頃、悠真は帰宅の準備をしていた。
今日も特別なことをしたわけではない。
資料を確認して、気になる部分を報告しただけだ。
それでも、少しずつ仕事を任されるようになったことは嬉しかった。
「明日も頑張らないとな……」
会社員としての仕事も残っている。
《ヴェイル》での仕事も、まだ覚えることばかりだ。
悠真は鞄を持ち、建物を出た。
その頃、組織の別の部屋では、久世が古い調査記録を開いていた。
画面に表示された会社名。
今回の資料に記載されていたものと、間違いなく一致している。
久世は記録の最後にある一文を見つめた。
そこには、短くこう書かれていた。
『関係者、全員所在不明』
「……まさか、また動き始めたのか」
久世の表情が険しくなった。
そして、その案件の記録には、もう一つ気になる名前が残されていた。
それは、まだ悠真の知らない人物の名前だった。




