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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: 伊達ジン
第4章:二度目の遺言

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第54話 見えない未来

 都心の高台に建つ豪奢な洋館。

 その南側に面した広大なリビングに、秋の穏やかな朝日が差し込んでいた。

 平和な朝の象徴とも言える、柔らかく暖かな光だ。


 窓際に設置された、天井まで届くほど巨大な木製のキャットタワー。

 その中段にあるハンモック型のベッドで、二つの小さな命が寄り添っていた。


「……ミャ……ムニャ……」


 シルバータビーの先住猫『ハイ』が、気持ちよさそうに寝言を漏らしながら前足を伸ばす。

 すると、その腕の中にすっぽりと収まるように丸くなっていた漆黒の仔猫『ロー』が、目を覚ました。


「ニャ?」


 ローはまだ眠そうな金色の瞳を瞬かせ、大きな欠伸をした。

 路地裏で拾われた時は警戒心の塊で、ハイに対しても威嚇ばかりしていたローだが、今ではすっかりこの家に馴染んでいる。特に、温厚でおっとりとしたハイのことは「頼れる兄貴分」として慕っているようだ。


 ハイが目を覚まし、優雅に背中を伸ばして毛づくろいを始めた。

 右足をピンと上げ、お腹の毛をザリザリと舐める。

 それを見たローも、「僕もやる!」とばかりに真似をして右足を上げてみた。

 だが、まだ体が小さくバランス感覚が未熟なローは、ゴロンと後ろに転がりそうになる。

 慌てて体勢を立て直し、今度はハイの真似をして自分の胸毛を舐めようとするが、野生の血が騒ぐのか、ついつい力が入ってしまうらしい。


「フギャッ!」


 勢いよく噛みつきすぎて、自分の毛をむしってしまったローが、痛みに驚いて変な声を上げた。

 ハイは舐めるのをやめ、呆れたようにローを見下ろした。

 そして、「仕方ないニャ」とでも言うように、不器用な弟分の頭を優しくペロペロと舐め始めた。

 ローは目を細め、喉をゴロゴロと鳴らしてハイの愛情を受け入れている。


「……朝から尊いわね。世界平和の象徴だわ」


 コーヒーマグ片手にリビングに現れた森舞永が、その光景を見て顔をほころばせた。

 彼女はスマートフォンで数枚写真を撮ると、「これで今日の仕事のモチベーションは完璧ね」と呟いた。


「平和なのは結構だが、少し静かにしてくれ。……数字が読めない」


 リビングの奥にある書斎のドアが開いたままで、そこから井上健太郎の低い声が聞こえてきた。

 井上は白のドレスシャツ姿で、マホガニーのデスクに座り、複数のモニターを険しい目で見つめている。

 昨夜の九条グループのパーティーでの一件以来、井上の纏う空気は一段と張り詰めていた。


「あら、ごめんなさい。でも、たまには息抜きも必要よ、ボス」


 舞永が肩をすくめたその時。

 洋館の廊下を、慌ただしい足音が駆け抜けてきた。

 ドタバタと無遠慮な足音。この家でこんな走り方をするのは一人しかいない。


「おっさん!! 大変!!」


 バンッ、と書斎のドアを勢いよく開け放ち、木村心が飛び込んできた。

 普段は昼過ぎまで起きてこない彼女が、パジャマ代わりのパーカー姿のまま、タブレットを握りしめて息を切らしている。


「朝からどうした、心。……ハッキングでも受けたか?」

「違う! これ見て! 今速報で出たニュース!」


 心は井上のデスクにタブレットを叩きつけるように置いた。

 舞永も何事かと覗き込む。

 画面には、経済ニュースの巨大な見出しが赤い文字で踊っていた。


『【速報】東都重工、民事再生法の適用を申請。負債総額は1兆2000億円超』


「……東都重工だと?」


 井上は眉をひそめ、モニターのニュースフィードに目をやった。

 そこにも次々と、信じられないような速報が流れ始めている。

 東都重工といえば、日本を代表するインフラおよび重機メーカーだ。歴史もあり、技術力も高く、国内外に無数のプロジェクトを抱える巨大企業である。

 そんな大企業が、なんの前触れもなく突然倒産したというのだ。


「えっ……東都重工って、あの一流企業よね? なんで急に?」

「資金繰りの悪化らしいわ。……連鎖倒産の規模は計り知れないわよ」


 騒ぎを聞きつけて、清水南と斎藤冴子も書斎に集まってきた。

 南の表情も、いつになく険しい。


 だが、井上が感じていた衝撃は、彼女たちのそれとは全く次元の違うものだった。

 井上の心臓が、冷たい手で鷲掴みにされたように早鐘を打っている。


(……あり得ない)


 井上は、自分の脳内にある『1周目の記憶』の引き出しを必死に漁った。

 灰谷守として生きた、この先の10年間の記憶。

 株価の変動、企業の倒産、世界的パンデミック。その全てを完璧に記憶している。


 その記憶の中で、東都重工という企業は、絶対に倒産などしない。

 むしろ、今から3年後に画期的なクリーンエネルギー関連の技術を発表し、株価を現在の3倍にまで跳ね上げる『超優良銘柄』のはずなのだ。

 だからこそ、井上も新生・帝都ホールディングスの資金の数パーセントを、東都重工の株に中長期投資として振り分けていた。


「……なぜだ。なぜ、東都重工が」


 井上は呟き、猛烈な勢いでキーボードを叩き、東都重工の財務データを引っ張り出した。

 確かに、直近のキャッシュフローが異常なほどの赤字を記録し、ショートしている。


「原因は、我々です」


 南が、冷徹な声で事実を告げた。


「帝都グループの再編……つまり、井上さんが実権を握り、西園寺猛が進めていた無謀なリゾート開発や、採算の取れない海外のインフラ事業を、次々と『凍結・中止』させたでしょう?」

「ああ。帝都の負債を切り離すための、当然の処置だ」

「その、凍結された事業の最大の元請けが、東都重工だったんです」


 南の言葉に、井上はハッとした。


「猛元専務は、東都重工に莫大な発注をかけていました。彼らはそれを見越して、設備投資や人員確保に巨額の資金を投じていた。……しかし、我々がそれを白紙撤回した。違約金を払ってでも切るべき悪性プロジェクトだったからです」

「……その煽りを真っ先に食らったのが、東都重工だったと?」


 冴子が腕を組みながら言った。


「ええ。数年前の契約解除から資金繰りが悪化し、彼らは必死に耐えていました。しかし、そこへ九条グループが裏で手を回して銀行の追加融資を止めさせ、トドメを刺したのでしょう。……典型的な連鎖倒産です」


 井上は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 バタフライエフェクト。

 自分が西園寺家への復讐のために歴史を改変した代償が、経済という網の目を通じて波及し、今になって牙を剥いたのだ。


「……俺のせいか」


 井上は両手で顔を覆った。


「おっさん……」


 心が心配そうに声をかける。

 井上が動揺しているのは、東都重工に投資していた数十億の資金が紙屑になったからではない。

 そんな金は、痛くも痒くもない。

 井上が真に恐れているのは、自分の最大の武器であった『未来の知識』が、ついに完全に使い物にならなくなったという事実だった。


 これまでは、答えが書かれたカンニングペーパーを見ながらテストを受けているようなものだった。

 どこに投資すれば勝てるか。誰が裏切るか。全てを知っていた。

 だからこそ、無敵の王として振る舞うことができたのだ。

 だが、東都重工の倒産は、明確なシグナルだ。

 歴史はすでに、井上の知らない「未知の領域」へと突入してしまった。


「失礼いたします。旦那様」


 そこへ、筆頭秘書の池田茉莉が、タブレットを持って入室してきた。

 彼女の完璧なスーツ姿は、緊急事態でも一切乱れていない。


「……なんだ、茉莉」

「東都重工の倒産に関する、もう一つの重要な情報が入りました」


 茉莉はタブレットを井上のデスクに置いた。


「民事再生法の適用を申請した東都重工に対し、すでに『スポンサー』として名乗りを上げ、事業譲渡に向けた交渉に入っている企業があります」

「……展開が早すぎる。倒産を事前に知っていたような動きだ。どこだ?」


 茉莉は、能面のような無表情のまま、その名前を口にした。


「『九条グループ』です」


 その名を聞いた瞬間、部屋の空気が一気に凍りついた。

 舞永の目が鋭くなり、南が微かに顔をしかめる。


「九条……。昨夜、おっさんに『帝都をよこせ』って因縁つけてきた、あの若造のところか」

「ええ。……九条蓮は、東都重工の持つ最高水準のクリーンエネルギー技術と、軍事転用可能な重機部門だけを、底値で買い叩くつもりのようです。不要な人員と負債は切り捨てて」


 茉莉の報告を聞き、井上は全てを悟った。

 九条蓮。

 あの色素の薄い、冷酷な捕食者。

 彼は、井上が帝都グループを崩壊させたことによって生じた「経済的な歪み」を正確に予測し、ハイエナのように美味しいところだけを掻っ攫おうとしているのだ。


「……あいつ、最初から東都重工の倒産を狙って……いや、仕組んだのか?」


 舞永が嫌悪感露わに吐き捨てた。


「おそらく、東都重工の体力が限界に達するタイミングを計算し尽くしていたんでしょうね」


 冴子が忌々しそうに言う。

 圧倒的な資金力と、政治・裏社会を巻き込んだ暴力的なまでの根回し。

 九条蓮は、未来を知らない。

 だが、彼は「現在」の力を使って、力技で未来を自分の思い通りに創り上げているのだ。


 対する井上は、頼りにしていた「未来の記憶」という羅針盤を失った。

 濃霧の海に、手漕ぎボートで放り出されたようなものだ。

 このままでは、遠からず九条の巨大な波に飲み込まれ、新生・帝都ホールディングスごと海の藻屑となるだろう。


「……どうするおつもりですか、井上さん」


 南が静かに問うた。

 全員の視線が、井上に集まる。

 不安、期待、そして信頼。


 井上はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳から、動揺の色は消え去っていた。


「……未来が見えなくなったのなら」


 井上は立ち上がり、窓の外の東京を見据えた。

 かつては、この街の未来図が全て頭の中に入っていた。

 だが今は、真っ白なキャンバスだ。


「自分たちで創るしかないだろう」


 井上の言葉に、微かな笑みが混じっていた。

 それは、全てを知っていたがゆえの退屈さから解放された、純粋な戦士としての笑みだった。


「これまで俺たちは、答えを知っているゲームをプレイしてきた。だが、ここからは違う。一瞬の判断ミスが命取りになる、本物の戦争だ」


 井上は振り返り、自分を取り囲む美しくも頼もしい仲間たちを見渡した。


「カンニングペーパーは燃えた。……だが、俺には君たちがいる。天才ハッカー、最高の弁護士、最強の盾、無敵のペン、そして完璧な目と耳。……これだけの武器が揃っていて、ただの財閥のボンボンに負ける気がしない」

「……フッ、言うじゃん、おっさん」


 心がニカっと笑い、ヘッドフォンを首にかけ直した。


「最初からそう言ってくれればよかったのに。私、予定調和の未来より、ハラハラする方が好きだからさ」

「同感ね。……死神を飼ってる男なんて、最高の獲物じゃない」


 舞永も拳を鳴らし、好戦的な笑みを浮かべた。


「法的にも、彼らの強引な買収にはいくつも突っ込みどころがあります。……叩き潰しましょう」


 南が眼鏡を光らせる。

 冴子も、茉莉も、静かに、しかし確かな闘志を燃やして頷いた。


「よし。……まずは東都重工の買収を阻止する。九条蓮に、これ以上この国のパイを食い荒らさせるな」


 井上はデスクをバンッと叩いた。


「新しい戦争の始まりだ。……俺たちの『見えない未来』を、この手で勝ち取るぞ」


 高台の洋館。

 そこはもう、復讐鬼の隠れ家ではない。

 新たな歴史を創り出すための、最強の司令部へと変わっていた。


 そしてリビングのキャットタワーでは、そんな人間たちの喧騒を他所に、ハイとローが互いの体を枕にして、平和な寝息を立て続けていた。

 この小さな温もりを守るため。

 彼らの戦いは、次のステージへと進んでいく。

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