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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: 伊達ジン
第4章:二度目の遺言

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第53話 若き捕食者

 高台の洋館は、朝からけたたましい奇声と打撃音に包まれていた。


「シャァァァーッ!」

「ミギャッ! フギャァァ!」


 リビングのド真ん中、ペルシャ絨毯の上で、銀と黒の毛玉が激しく入り乱れていた。

 先住猫であるシルバータビーの『ハイ』と、新入りの黒猫『ロー』による、仁義なき大喧嘩である。

 事の発端は、井上が買ってきた新品の『またたび入りネズミのぬいぐるみ』だった。

 ハイが大事そうに両手で抱え込んでハムハムと舐めていたところへ、ローが横からロケット頭突きをかまして強奪したのだ。


 温室育ちのハイも、こればかりは黙っていられなかった。

 お気に入りのおもちゃを取り返そうと、全身の毛を逆立ててローに飛びかかる。

 だが、路地裏で生き抜いてきたストリートファイターであるローは、ハイの単調な飛び込みを低い姿勢で潜り抜けると、そのままハイの腹の下に潜り込み、前足でガッチリとホールドした。


「ミャッ!?」


 そして、ローの必殺技が火を噴いた。

 ケリケリケリケリケリッ!!

 凄まじいスピードで繰り出される、強烈な連続猫キック。

 後ろ足の連打が、ハイのふかふかのお腹に容赦なく炸裂する。


「ミギャァァァ……ッ!!」


 想像以上の痛撃に、ハイは本気で悲鳴を上げた。

 たまらずローから離れて転がり、文字通り涙目になりながら、キッチンにいる井上の足元へと全速力で逃げ込んだ。


 『ご主人様ぁ、痛いニャー! 叩かれたニャー!』と訴えかけるように、井上のスラックスにしがみついて鳴き喚く。


 一方のローは、勝利を確信したように「フンッ」と鼻を鳴らし、奪い取ったネズミのぬいぐるみを自陣へと持ち去っていった。


「……おい、お前ら」


 キッチンでコーヒーを淹れていた井上健太郎は、ため息をつきながら歩み寄った。

 泣きつくハイと、ソファの下でドヤ顔をしているローの首根っこを、両手でそれぞれひょいと摘み上げた。

 

「ミャ〜(あいつが悪いニャ)」「シャーッ!(寄こせ!)」


 宙吊りにされてもなお、二匹は空中で短い手足をバタつかせている。

 井上は両手に一匹ずつ猛獣をぶら下げたまま、呆れたように言った。


「ぬいぐるみくらいで争うな。もう一個買ってやるから」


 井上が二匹を少し離してソファに下ろすと、ハイはまだ涙目のまま井上の影に隠れ、ローはぬいぐるみを前足でガードしながらそっぽを向いた。

 それでも、数十分後には喧嘩したことなど忘れたのか、二匹は陽だまりの中で背中合わせにくっついて、一緒に寝息を立て始めた。

 喧嘩するほど仲が良い、というやつだ。


「……まったく、騒がしい奴らだ」


 井上はコーヒーを飲みながら、その無防備な寝顔を見下ろして小さく息をついた。


 ――そして、日がとっぷりと暮れた夕刻。


 平和なリビングの空気は、艶やかな緊張感へと一変していた。


「そろそろ時間よ、ボス」


 奥の部屋から、ドレスアップを終えた森舞永が現れた。

 今夜の彼女は、深いスリットの入ったワインレッドのイブニングドレスを纏っている。ブロンドの髪は夜会巻きにされ、ルージュはドレスと同じ深紅だ。


「野良猫の喧嘩の次は、マフィアの総会のお時間ね」

「ああ。……行くか」


 井上もまた、漆黒のタキシードの襟を正した。

 平穏な時間はここまでだ。

 これから向かうのは、見えない未来に潜む、新たなる捕食者の巣穴である。


 夜の東京湾。

 黒くうねる海の上に、まるで移動する巨大な要塞のような船が浮かんでいた。

 九条グループが所有するプライベート・クルーズ船『九曜号』。

 全長100メートルを超えるその船体は、ライトアップされて煌びやかに輝いているが、どこか近寄りがたい冷酷な威圧感を放っていた。


 桟橋に降り立った井上と舞永は、黒服の屈強な男たちによる厳重なボディチェックを受けた。

 金属探知機が舞永の太もも付近で微かに反応したが、彼女が妖艶な笑みを浮かべて「ガーターベルトの金具よ。……触ってみる?」と囁くと、男たちは気圧されてそれ以上の追及を諦めた。

 もちろん、その奥にはチタン合金製の極薄ナイフが忍ばせてある。


 船内へと足を踏み入れる。

 広大なメインデッキは、カジノとボールルームを兼ねたような豪奢な造りになっていた。

 だが、集まっている客層は、帝都グループのパーティーの時とは明らかに異なっていた。

 表の政財界の人間もいるが、その背後には、裏社会のフロント企業のトップ、アジア圏の武器商人、あるいは名もなきフィクサーたちの姿が散見される。

 香水の匂いに混じって、血と暴力、そして焦げた札束の匂いが立ち込めている。


「……嫌な空気ね。西園寺のババアのパーティーがお遊戯会に見えるわ」


 舞永がシャンパングラスを受け取りながら、周囲を油断なく見回した。


「ああ。これが『本物』の闇だ。……油断するなよ」


 井上はグラスに口をつけず、フロアの最奥に設けられたVIPエリアを見据えた。

 そこだけが、一段高いひな壇になっており、分厚いガラスで仕切られている。

 やがて、そのガラスの向こうに、一人の男が姿を現した。


 九条 蓮。

 年齢は、井上と同じか、少し下かもしれない。

 だが、その存在感は異様だった。

 純白のスリーピーススーツを気負いなく着こなし、雪のように白い肌と、色素の薄い瞳を持っている。

 まるで、血の通っていない大理石の彫刻のような、冷酷で完璧な美貌。


 九条蓮がゆっくりと階段を下り、フロアへと歩み出てきた。

 周囲の裏社会の重鎮たちが、まるで絶対的な捕食者を前にしたかのように、無言で道を空け、恭しく頭を下げていく。

 恐怖による絶対的な支配。

 それが、この若き総帥が持つ力だった。


 九条は迷うことなく、井上たちが立つ場所へと真っ直ぐに向かってきた。


「……君が、井上健太郎か」


 九条の声は、氷の擦れ合うような、冷たく透明な響きを持っていた。

 井上は一歩も引かず、グラスを持ったまま静かに頷いた。


「お初にお目にかかります、九条総帥。……ご就任、おめでとうございます」

「丁寧な挨拶だ。……だが、目は笑っていないな」


 九条は薄い唇を歪め、井上の顔を嘗め回すように見つめた。


「西園寺家を内側から食い破り、帝都グループを乗っ取った謎の投資家。……さぞかし狡猾な老狸かと思っていたが、随分と若い。そして、無駄に顔が良いな」

「お褒めいただき光栄です。……貴方には負けますが」

「軽口を叩く余裕があるのか」


 九条はウェイターからグラスを受け取り、井上に向かって軽く掲げた。


「君のやり口は嫌いじゃない。外堀を埋め、メディアを使い、法律で首を絞める。スマートな手口だ。……だが、所詮は『成金』のゲームに過ぎない」


 九条の瞳が、侮蔑の色に染まった。


「帝都のような表の財閥は、世論や株価という脆い土台の上に立っている。だから君のような『成り上がり』でも、タイミングさえ合えば乗っ取れた。……だが、我々九条グループは違う」


 九条は一歩、井上に近づいた。

 周囲の空気が、急激に冷え込むのを感じる。


「我々の根は、この国の『闇』そのものに張っている。……君がどれほど金を積み上げようと、歴史と血の重みには勝てない」

「……何が言いたいのですか?」

「簡単な話だ」


 九条はグラスのシャンパンを床に捨てた。

 パリン、と高価なクリスタルが砕け散る。


「君が手に入れた『新生・帝都HD』。……それを、我々九条グループの傘下に入れろ。君には相応のポストと金を用意してやる。……飼い犬にしては破格の待遇だろう?」


 吸収合併。

 いや、これは事実上の「服従の要求」だった。

 せっかく手に入れた玉座を、自分に明け渡せという理不尽な命令。


 井上は表情を変えず、足元に散らばったガラスの破片を見下ろした。


「……お断りします」


 静かな、しかし絶対的な拒絶。

 周囲の客たちが、息を呑む音が聞こえた。

 九条蓮の誘いを断ることは、すなわち死を意味するからだ。


「私の城は、私のものです。……誰の下にもつく気はありません」

「……後悔するぞ、井上。君が西園寺家にした以上の絶望を、君に味わわせることになる」


 九条の瞳に、明確な殺意が宿った。

 その瞬間だった。


「……ボス、下がって」


 井上の背後に控えていた舞永が、スッと一歩前に出た。

 彼女の全身の筋肉が、鋼のように硬直している。

 その視線は、九条蓮ではなく、彼の斜め後ろに影のようについている「一人の護衛」に釘付けになっていた。


 男だった。

 長身で、痩せこけた体躯。黒のスーツを着ているが、その姿勢はどこか歪で、幽鬼のような不気味さがある。

 そして、その目。

 光の全くない、深海魚のような死んだ目。

 だが、舞永の傭兵としての野生の本能が、その男から発せられる『ただならぬ殺気』を強烈に感じ取っていた。


(……ヤバい。こいつ、格が違う)


 地下格闘技場のチンピラや、西園寺の私兵たちとは次元が違う。

 同類。いや、それ以上の、何百人もの命を奪ってきた純粋な「殺人機械」の気配。

 舞永の額に、一筋の冷たい汗が流れた。

 ドレスのスリットの奥で、指先がナイフの柄に触れる。


「……威勢のいい番犬だな。だが、私の『死神』には敵わないぞ」


 九条は舞永の警戒を嘲笑うように言った。

 護衛の男は、ピクリとも動かない。だが、その気配だけで、この場にいる全員の命をいつでも刈り取れるというプレッシャーを放っていた。


「……帰るぞ、舞永」


 井上は静かに命じた。

 これ以上、敵の土俵で挑発を続けるのは下策だ。

 物理的な暴力の差は、今はまだ測りきれない。


「いい度胸だ。……楽しみにしているよ、井上健太郎」


 九条蓮は背を向け、再びVIPエリアへと戻っていった。

 護衛の男も、一度だけ舞永を一瞥し、影のように付き従う。


 クルーズ船のデッキに出ると、夜風が潮の香りを運んできた。


「……ボス。あの護衛、本物よ」


 舞永が、少しだけ声を震わせて言った。

 彼女が敵に対して恐怖や警戒を口にするのは、初めてのことだった。


「戦えば、殺されるか?」

「……五分五分、いえ、それ以下かも。……あんな化け物を飼ってるなんて、九条グループ、マジで底が知れないわ」


 井上は暗い海を見つめた。

 バタフライエフェクトによって生まれた、未知の怪物。

 自分は今、未来の記憶という武器を持たないまま、この底なしの闇に飛び込もうとしている。


「……面白くなってきたじゃないか」


 井上はタキシードのポケットに手を突っ込み、低く笑った。


「西園寺家を潰すという『過去への復讐』は終わった。……ここからは、俺たちの城を守るための『未来を創る戦い』だ」


 強大な敵。見えない未来。

 だが、帰る場所には、自分を信じてくれる仲間たちと、あの小さな温もりが待っている。

 それらを守り抜くためなら、相手が闇の王であろうと、死神であろうと、食い殺してやる。


 黒い海の上で、新たな戦争の火蓋が、静かに切って落とされた。

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