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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: 伊達ジン
第4章:二度目の遺言

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第52話 黒い招待状

 秋も深まり、都心の木々が鮮やかな錦に染まる頃。

 井上健太郎たちが暮らす高台の洋館は、穏やかな昼下がりを迎えていた。


 南向きの広いサンルームには、ぽかぽかとした陽だまりができている。

 その特等席のラグマットの上で、二つの小さな命が奇妙な膠着状態に陥っていた。


 シルバータビーの『ハイ』と、漆黒の『ロー』だ。

 拾われた当初は警戒心剥き出しだったローだが、今やこの家を完全に自分の「縄張り」として認識し、特に先輩猫であるハイには絶対的な信頼を寄せていた。

 その信頼の証が、今の彼の姿だ。


 ローは、ハイの目の前で、これ以上ないほど無防備な格好で爆睡していた。

 仰向けになり、短い四肢を「大」の字に広げた完全なる『ヘソ天』。

 ピンク色の小さな口は半開きで、時折「ぷすー」とマヌケな寝息を漏らしている。黒い毛並みに覆われたお腹は、呼吸に合わせてポコポコと上下に動いていた。

 野生動物としての危機感はゼロ、いや、マイナスである。


「……ミャ?」


 一方のハイは、そのローの姿を前にして、困惑しきっていた。

 ハイとしては、先輩猫の威厳を見せるため、そして弟分を労るために、立派な毛づくろいをしてやりたいのだ。

 しかし、ローの寝相があまりにも無防備かつダイナミックすぎるため、どこから舌を当てていいのか分からないらしい。


 ハイは恐る恐る前足を伸ばし、ローのふくふくしたお腹をちょんちょんと突いた。


 『起きるニャ。毛づくろいしにくいニャ』という合図だ。


 だが、ローは起きるどころか、「にゃむ……」と寝言を言いながら、伸びてきたハイの前足を自分の両手でむぎゅっと抱え込み、そのまま抱き枕にしてしまった。


「ミャァァ……!?」


 前足をホールドされ、身動きが取れなくなったハイが、助けを求めるように振り返る。

 その情けなくも愛らしい姿に、ソファでコーヒーを飲んでいた井上健太郎は、思わず吹き出しそうになった。


「……お前も、随分と手のかかる弟を持ったな」


 井上は苦笑しながら立ち上がり、ローの額を指先で優しく撫でた。

 ローは気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らし、ようやくハイの前足を開放した。

 自由になったハイは、ホッとしたように井上の足元にすり寄り、「全く世話が焼けるニャ」とでも言いたげな顔で顔を洗う仕草をした。


 平和だ。

 血で血を洗う復讐劇の末に手に入れた、この温かな日常。

 かつての灰谷守には、想像することすら許されなかった光景がここにある。


「……このまま、ずっと時が止まればいいのにね」


 不意に、背後から声がした。

 振り返ると、部屋着姿の林優香が、微笑ましい瞳で猫たちを見つめていた。

 彼女もまた、この平穏な家を愛している一人だ。


「そうだな。……だが、世界は止まってはくれない」


 井上は窓の外を見た。

 澄み渡る青空。

 だが、彼の脳裏には、最近頻発している「未来知識のズレ」という暗雲が立ち込めていた。

 自分が歴史を大きく改変したことで生じた、バタフライエフェクト。

 知っているはずの未来が、少しずつ、しかし確実に未知の領域へと足を踏み入れている。


「……そろそろ行くよ。午後は定例の役員会議だ」


 井上は優香に小さく笑いかけ、ジャケットを羽織った。

 平和な時間はここまでだ。

 彼は再び、冷徹な『王』の仮面を被り、城へと向かう。


 午後3時。

 大手町にある『新生・帝都ホールディングス』の最上階、社長室。

 井上はマホガニーのデスクに座り、各部門からの報告書に素早く目を通していた。

 旧経営陣を一掃し、彼が新たに編成した組織は、見事なスピードで業績を回復させつつあった。


 コンコン、と静かなノックの音が響いた。


「入れ」


 ドアが開き、筆頭秘書の池田茉莉が滑るように入室してきた。

 洗練されたタイトなビジネススーツ。一分の隙もないシニヨンヘア。

 だが、今日の彼女が纏う空気は、いつもの業務報告の時のそれとは違っていた。

 氷のように冷たく、張り詰めた緊張感。


「……どうした、茉莉」


 井上が顔を上げると、茉莉は無言のままデスクに近づき、銀のトレイを差し出した。

 そこに乗せられていたのは、一通の封筒だった。


 漆黒の和紙で作られた、重厚な封筒。

 表には宛名がなく、封をする蜜蝋には、見慣れない金色の家紋が押されている。

 九つの星を象った、九曜紋だ。


「……これは?」

「招待状でございます、旦那様」


 茉莉の鈴を転がすような声が、僅かに低く沈んだ。


「差出人は、『九条グループ』。……新総帥に就任した、九条蓮氏からです」


 九条。

 その名を聞いた瞬間、井上の眉が微かにピクリと動いた。

 先日、書斎で一人分析していた際、旧帝都グループの利権を不気味なほどのスピードで買い漁っていた新興の闇財閥。


「……中を見ても?」

「すでに検毒と透視検査は済ませております。危険物ではありません」


 井上はペーパーナイフで封を切った。

 中には、黒地に金箔で印字された厚手のカードが入っていた。


『新生・帝都ホールディングス代表 井上健太郎様。

 九条家新総帥就任を記念し、ささやかな宴を催したく存じます。

 新時代の覇者たる貴殿と、未来について語り合えることを心待ちにしております。

 九条 蓮』


 日時は今週末。

 場所は、東京湾に浮かぶ超大型のプライベート・クルーズ船。


「……ささやかな宴、ね」


 井上はカードをデスクに放り投げ、鼻で笑った。


「茉莉、九条グループについて、お前の諜報網で掴んでいることを全て話せ」


 茉莉は姿勢を正し、淀みなく報告を始めた。


「九条グループは、表向きは海運や不動産を手がける総合商社です。ですが、その実態は、戦後から続く政財界の『暗部』を牛耳ってきたフィクサーの血脈。西園寺家のような表の権力とは異なり、彼らは徹底して裏に潜み、違法な資金洗浄、武器密輸、果ては海外の軍事組織との繋がりすら噂されています」

「……西園寺のババアが可愛く見えるレベルだな」

「ええ。西園寺家が腐敗した貴族だとするなら、九条家はルール無用のマフィアです。そして、今回新たに総帥の座についた九条蓮……年齢は旦那様と同じか、少し下。ですが、先代を『実力で』排除して玉座を奪い取ったという黒い噂が絶えません」


 茉莉は一歩、井上に近づいた。

 その瞳に、珍しく明確な「警告」の色が浮かんでいた。


「旦那様。これは単なる顔合わせではありません。……宣戦布告、あるいは『恭順の要求』です」

「だろうな。俺たちが西園寺家から奪い取ったパイを、よこせと言ってくるつもりだ」


 井上は顎に手を当て、思考を巡らせた。

 自分の脳内にある『1周目の記憶』の引き出しを漁る。

 だが、いくら探しても、10年後の未来において「九条蓮」という男が経済界の覇権を握っているという事実はない。

 本来の歴史では、九条グループはもっと目立たない存在だったはずだ。


(……やはり、バタフライエフェクトか)


 自分が西園寺家を崩壊させたことで、力の空白が生まれた。

 その空白を埋めるために、本来なら歴史の表舞台に出るはずのなかった凶悪な怪物が、予定を早めて台頭してしまったのだ。

 自分が変えた歴史が、今、自分自身に牙を剥こうとしている。


「……無視する、という選択肢もありますわ」


 茉莉が静かに進言した。


「相手の土俵――逃げ場のない海上のクルーズ船に乗り込むのは、あまりにもリスクが高すぎます。罠が張られていると考えるのが妥当でしょう」

「ああ。普通の経営者なら、適当な理由をつけて欠席するだろうな」


 井上は立ち上がり、東京のビル群を見下ろす巨大な窓ガラスへと歩み寄った。


 未来の知識という、最大の武器が通じない相手。

 純粋な「現在の力」だけで立ち向かわなければならない、未知の強敵。

 ここで逃げれば、一時的な安全は買えるかもしれない。

 だが、一度でも背中を見せれば、九条のような捕食者は執拗に追いかけ、井上の大切な「城」と、そこで眠る者たちを食い殺しに来るだろう。


 あの平穏なサンルームで、ヘソ天で眠る猫たち。

 そして、自分を信じてついてきてくれた、7人の仲間たち。

 それを守るためなら、俺はどんな闇にでも飛び込んでやる。


「……出席の返事を出しておけ、茉莉」


 井上は振り返り、鋭い眼光で秘書に命じた。


「旦那様……。よろしいのですか?」

「敵の懐に飛び込まなければ、見えない未来は掴めないからな。……それに、俺は売られた喧嘩から逃げる趣味はない」


 井上の顔に、かつての復讐鬼だった頃とは違う、だがそれ以上に研ぎ澄まされた「王」としての不敵な笑みが浮かんだ。


「舞永に伝えろ。当日は俺の護衛として同行してもらう。俺のタキシードと、彼女がドレスの下に隠せる最高の『おもちゃ』を用意しろと」

「……畏まりました」

「それから、心には九条グループのサーバーへのハッキング準備を進めさせろ。南先生には、奴らの表の企業の法的弱点を探らせるんだ」


 井上の立て続けの指示に、茉莉は深く、そして妖艶な笑みを浮かべて一礼した。


「全て、御心のままに。……旦那様の新たなる『戦争』、この茉莉が全身全霊でお支えいたしますわ」


 黒い招待状。

 それは、終わったはずの戦いの螺旋へと、井上を再び引きずり込む片道切符だった。

 だが、今の彼には迷いはない。

 過去への復讐は終わった。

 ここからは、「今そこにある大切なもの」を守るための、新たなる戦いの幕開けだ。

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