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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: 伊達ジン
第4章:二度目の遺言

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第51話 王の朝食

 西園寺家という巨大な悪を討ち滅ぼし、帝都グループを『新生・帝都ホールディングス』として生まれ変わらせてから、数年の月日が流れた。


 東京の都心、閑静な高台にそびえ立つ豪奢な洋館。

 それが、現在の井上健太郎と、彼が選び抜いた7人の「共犯者」たちが共に暮らす城だった。

 復讐に燃え、血と嘘にまみれたかつての殺伐とした空気は、今はこの屋敷にはない。


 朝6時。

 高く取られた天窓から、初夏の爽やかな陽光が、広大なアイランドキッチンに降り注いでいる。

 井上健太郎は、白のオックスフォードシャツの袖を捲り上げ、静かな集中力でまな板に向かっていた。


 今朝のメニューは、各々の好みに合わせた完全なオーダーメイドだ。

 オーブンからは、こんがりと焼けたチーズとベシャメルソースの濃厚な香りが漂っている。森舞永や斎藤冴子といった「朝からガッツリ派」のために用意した、極上のクロックマダム。カリッと焼いたカンパーニュに極厚のハムとグリュイエールチーズを挟み、完璧な半熟の目玉焼きを乗せた一品だ。

 そしてミキサーには、アサイーと各種ベリー、自家製ヨーグルトをブレンドした特製スムージーが冷えている。


 だが、井上が今、最も神経を尖らせて調理しているのは、それらではなかった。


 「朝はさっぱりしたものがいい」という清水南や林優香のための、ベトナムの伝統料理『ゴイクン』――生春巻きだ。


 井上は、ぬるま湯を張ったボウルに、極薄のライスペーパーをサッとくぐらせ、濡れ布巾を敷いたまな板の上に広げた。

 ライスペーパーはまだ少し硬いが、具材を巻いている間に水分を吸って完璧な柔らかさになる。この時間差の計算が命だ。


 まず、サニーレタスと千切りにしたキュウリ、大葉を敷く。

 その上に、ベトナムの極細米麺と、八角や生姜を加えた特製スープでしっとりと茹で上げた豚バラ肉のスライスを重ねる。

 そして、ミントとパクチーをたっぷりと乗せ、下から一度、きつく巻き上げる。


「……ここからが、見栄えの勝負だ」


 井上は、半分にスライスした茹で海老を、赤い模様が下になるように3つ並べて置いた。さらに、ニラの青い葉を、海老を挟むように長く配置する。

 そして、左右を折り込み、最後まで一気に巻き上げる。


 完成した生春巻きは、まるで宝石のように美しかった。

 半透明になったライスペーパーの向こう側に、海老の鮮やかな赤と、ニラやハーブの瑞々しい緑がくっきりと透けて見えている。

 これを10本、等間隔のサイズで寸分違わず作り上げる。プロのベトナム料理人顔負けの芸術的な仕上がりだ。


 つけダレは2種類用意した。

 一つは『ヌクチャム』。上質なナンプラーに、ライムの絞り汁、パームシュガー、すりおろしたニンニクと生の赤唐辛子を合わせた、甘酸っぱくも刺激的な万能ダレ。

 もう一つは、海鮮醤にピーナッツバターと砕いたローストピーナッツを混ぜ込んだ、濃厚でコクのあるタレだ。


 これに合わせる飲み物は、キンキンに冷えた強炭酸水。

 フランス産の『ペリエ』をクリスタルグラスに注ぎ、大きくカットしたライムと、フレッシュなミントの葉を浮かべる。

 シュワシュワと立ち昇る気泡が、目にも涼しげだ。


「よし。……完璧な朝食だ」


 井上がエプロンを外したのとほぼ同時に、ダイニングルームの重厚な扉が開いた。


「おはようございます、旦那様」


 最初に現れたのは、完璧なタイトスーツに身を包んだ池田茉莉だった。

 彼女は今や、新生・帝都HDの社長となった井上の筆頭秘書として、絶大な権限を握っている。

 その背後から、次々と女性たちがリビングに現れる。


「あー、いい匂い! おっさん、今日の朝ごはんは何!?」


 ショートパンツにオーバーサイズのTシャツというラフな姿で飛び込んできたのは、木村心だ。17歳だった彼女も今や20代に差し掛かり、少しだけ大人びたが、相変わらずの中身だ。彼女は新会社のCTOとして、サイバーセキュリティの全てを統括している。


「私は生春巻きを頂くわ。……午後から雑誌の表紙撮影があるから、お腹がいっぱいになりすぎるのは避けたいの」


 林優香が、優雅なルームウェア姿で現れる。

 彼女はあの復讐劇での「悲劇のヒロイン」の知名度を利用し、今や日本を代表するトップ女優への階段を駆け上がっていた。


「豚肉と海老が入ってるから、タンパク質もしっかり摂れるわよ、優香ちゃん」


 白衣姿の山崎桃子が、けだるげに欠伸をしながら優香の肩を叩く。彼女は新会社の医療・製薬部門の顧問として、合法的な新薬開発を指揮している。


「私も生春巻きと炭酸水を頂きます。……今日の株主総会は少し荒れそうだから、胃を重くせずに頭をすっきりさせておきたいので」


 清水南が眼鏡の位置を直し、斎藤冴子を見た。


「冴子さんは?」

「私はガッツリいくわ。クロックマダムね。私のメディア戦略を法務でしっかりバックアップしてちょうだい」


 冴子が不敵に笑う。

 そして最後に、ジョギングから戻った森舞永が、汗を拭きながらテーブルについた。


 7人の「共犯者」たち。

 彼女たちは今、それぞれの分野でトップクラスの実力を発揮し、井上の創り上げた新しい帝国を支える最強の幹部となっていた。


「……ミャウ!」

「ニャッ!」


 足元では、立派な成猫になったシルバータビーのハイと、黒猫のローが、自分たちのご飯を催促して鳴いている。

 井上はそれぞれの専用ボウルに高級キャットフードを入れ、全員の顔を見渡した。


「いただきます」


 優香が、生春巻きを箸でつまみ、ヌクチャムに浸して口に運んだ。

 シャキッ!

 ライスペーパーのモチモチとした食感と、新鮮な野菜の歯ごたえ。

 そこに、豚肉の旨味と海老の甘みが広がり、ミントとパクチーの鮮烈な香りが鼻腔を抜ける。

 甘酸っぱく辛いタレが、全ての具材を一つにまとめている。


「んんっ……美味しい! さっぱりしてるのに、すごく奥深い味」


 南も、ピーナッツソースをつけて生春巻きを上品に咀嚼した。


「濃厚なピーナッツのコクが、淡白な野菜に信じられないほどの満足感を与えていますね。……絶品です」


 そして、二人はグラスの炭酸水を口に含んだ。

 シュワッ!

 強烈な炭酸の泡が、口の中に残ったピーナッツやナンプラーの香りを綺麗に洗い流す。

 ライムの酸味とミントの清涼感が、細胞の隅々まで行き渡るような爽快感をもたらす。


「ふぅ……朝からこんな贅沢ができるなんて、私たちは幸せ者ね」


 冴子がクロックマダムの黄身を崩しながら笑った。

 食卓には、絶え間ない笑い声と、和やかな会話が溢れていた。

 井上はコーヒーを啜りながら、この光景を守り抜いた自分自身の決断に、静かな誇りを感じていた。


 朝食後。

 出社までのわずかな時間、井上は自室の書斎で、一人タブレット端末と睨み合っていた。

 画面に映し出されているのは、日経平均株価の推移と、ニューヨーク市場の動向。

 そして、個別の銘柄のチャートだ。


「……おかしいな」


 井上は眉間を指で揉んだ。


 井上健太郎、すなわち灰谷守は、今から10年後の未来からタイムリープしてきた人間だ。

 彼はその「未来の記憶」を頼りに、どの株が上がり、どの企業が倒産するかを正確に予知し、莫大な資産を築き上げた。

 その「絶対的な予知能力」こそが、彼が玉座に座り続けられる最大の武器だった。


 だが。

 ここ数ヶ月、その「予知」に微細なズレが生じ始めていた。


 例えば、井上の記憶では、今週中に倒産発表があるはずだった中堅の半導体メーカーが、なぜか昨日の夕方、海外ファンドからの巨額の資金調達を発表し、株価がストップ高になった。

 逆に、安定して成長を続けるはずだったエネルギー関連企業が、記憶にはないスキャンダルに見舞われ、株価を落としている。


 一つ一つのズレは、まだ小さい。

 井上の資産や帝都HDの経営を揺るがすほどのものではない。


「……バタフライエフェクト、か」


 井上は低く呟いた。

 蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で竜巻を起こす。

 井上は、西園寺家という日本経済の一角を担う巨大財閥を、本来の歴史よりもずっと早い段階で解体し、再編してしまった。

 その影響が、経済の歯車を少しずつ狂わせ、井上が知る「元の未来」とは違う方向へ、世界を動かし始めているのだ。


「俺の持っている『未来の記憶』の賞味期限が、切れかかっているということか」


 井上はタブレットの電源を落とした。

 もし、未来の知識が通用しなくなった時。

 自分は、ただの「少し頭の回る30代の経営者」になってしまう。


 そして、嫌な予感はそれだけではなかった。

 茉莉の諜報網や、冴子の情報ネットワークから、最近頻繁に上がってくる一つの名前があった。

 旧帝都グループが手放した利権を、異常なスピードで買い漁り、政財界の裏側で不気味なほどの力を持ち始めている新たな財閥。


 『九条グループ』。


 そして、その若き総帥・九条蓮。


 井上の「1周目の記憶」には、そんな男がこれほど早く台頭してくる歴史は存在しなかった。

 歴史が、未知の領域へと足を踏み入れている。


「……旦那様。お車のご用意ができました」


 書斎のドアがノックされ、茉莉の声が聞こえた。


「ああ、今行く」


 井上は立ち上がり、窓の外を見た。

 青く澄み渡っていた空の向こうに、微かに黒い雲が湧き立ち始めている。


 復讐の過去は終わった。

 だが、守るべきものができた今、彼は「見えない未来」という、かつてない強大な敵と対峙しなければならない。


「……かかってこい。俺の城は、そう簡単には崩させない」


 井上はジャケットを翻し、力強く書斎を後にした。

 新たな戦いの幕開けが、すぐそこまで迫っていた。

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