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整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜  作者: 伊達ジン
第4章:二度目の遺言

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第49話 傷だらけの凱旋

 西園寺家という巨大な城が音を立てて崩壊してから、数週間が経過していた。

 秋は深まり、東京の街路樹は鮮やかな赤や黄色に染まり始めている。

 世間は未だ、帝都グループの解体と、それに伴う政財界の激震のニュースで持ちきりだったが、その台風の目となった男は、静かな夜の街にいた。


 神楽坂の路地裏にある、看板のない隠れ家的なフレンチレストラン。

 薄暗い間接照明に照らされたカウンター席で、井上健太郎はワイングラスを傾けていた。

 隣に座っているのは、斎藤冴子だ。

 今日の彼女は、いつもの戦闘的なパンツスーツではなく、深いエメラルドグリーンのシルクのワンピースに身を包み、大人の色香を漂わせている。


「……乾杯。世紀のスクープに」


 井上がグラスを掲げると、冴子も微笑んで自分のグラスを合わせた。

 カチン、と涼やかな音が響く。


「ありがとう。……おかげで、私の名前は業界中に知れ渡ったわ。今や、どこの出版社もテレビ局も、私に頭を下げてコメントを求めてくる」


 冴子が書いた一連の告発記事は、ジャーナリズムの歴史に残る完璧な「破壊工作」だった。

 感情を煽りつつも、証拠という絶対的な論理で裏打ちされた彼女のペンは、女帝・西園寺貴子の権力を根底から焼き尽くした。


「君の腕だ。俺はただ、ネタを提供したに過ぎない」

「謙遜ね。……でも、悪くない気分よ。長年の胸のつかえが取れたみたい」


 二人の前に、メインディッシュが運ばれてきた。


 『蝦夷鹿のロティ、ソース・グラン・ヴヌール』。


 完璧な火入れでルビー色に輝く鹿肉。その上から、赤ワインと鹿の血、そして赤すぐりのジャムを煮詰めた、黒光りする濃厚なソースがかけられている。


「いただきます」


 冴子がナイフを入れ、一口大に切って口に運んだ。

 鹿肉特有の野性的な旨味と鉄分の香りが、甘酸っぱくスパイシーなソースと絡み合い、噛むほどに深い味わいを醸し出す。

 そこに、ソムリエが合わせたワインを流し込む。

 フランス・ローヌ地方の赤ワイン、『コート・ロティ』。シラー種特有の黒胡椒のようなスパイシーさと、スミレの花のような香りが、ジビエの力強さをエレガントに昇華させる。


「……美味しい。血の味がするのに、すごく洗練されているわ」

「復讐と同じだな」


 井上も鹿肉を咀嚼しながら言った。


「野蛮で残酷な行為だが、極限まで計算し、洗練させなければ、相手を倒すことはできない。……君の書いた記事は、まさにこのソース・グラン・ヴヌールのようだった」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 冴子はワインを飲み干し、少し熱を帯びた瞳で井上を見つめた。


「ねえ、井上さん。……復讐が終わった今、あなたはどうするつもり? 抜け殻になっちゃうのかしらって、少し心配してたのよ」

「……正直に言えば、あの日……すべてが終わった直後はそうだった」


 井上は苦笑し、フォークを置いた。

 廃墟となった西園寺邸の物置部屋で感じた、あの底なしの虚無感。


「だが、帰る場所があった。……俺の帰りを待って、他愛のないメッセージを送ってくれる仲間たちがいた。だから、俺はもう過去の亡霊じゃない」


 その言葉に、冴子は満足げに目を細めた。


「そう。……なら、よかった」


 冴子は身を乗り出し、井上の耳元に顔を近づけた。

 香水の匂いが、ワインの香りと混ざり合う。


「私のペンは、まだあなたから離れる気はないわよ。……『復讐鬼・井上健太郎』の物語は終わったかもしれないけど、『新時代の覇者・井上健太郎』の物語は、これから始まるんでしょう?」

「……随分と買い被られたものだ」

「私、面白い男のそばにいるのが好きなの。……広報役員のポスト、まだ空いてるわよね?」


 冴子の悪戯っぽい笑みに、井上は降参したように両手を上げた。


「ああ。君の指定席だ。……これからは、破壊するためではなく、俺たちの城を『守る』ために、そのペンを使ってくれ」

「契約成立ね」


 二人は再びグラスを合わせた。

 血生臭い戦場を共に駆け抜けた者同士だけが共有できる、静かで確かな絆。

 極上のジビエとワインの余韻が、二人の新たな門出を祝福していた。


 食事を終え、井上がアマン東京のスイートルームに戻ったのは午後10時を回った頃だった。


 ドアを開けると、いつもの落ち着いた静寂……は、そこにはなかった。


「ちょっと心! その箱、私の化粧品が入ってるんだけど! 逆さまにしないで!」

「えー、だって重いんだもん! 舞永さん、筋肉あるんだから運んでよ!」

「私は引っ越し業者じゃないわよ。……あ、優香ちゃん、その箱はキッチンね」

「は、はい! わわっ、ハイちゃん、足元ウロウロしないで!」


 広大なリビングには、無数のダンボール箱が積み上げられ、その間を女性たちが慌ただしく行き交っていた。

 木村心、森舞永、清水南、林優香、山崎桃子。

 そして、井上と共に帰還した斎藤冴子も、「あらあら、派手にやってるわね」と呆れ顔で靴を脱いだ。


 足元では、仔猫のハイと、黒猫のローが、空になったダンボール箱を出たり入ったりして大興奮の鬼ごっこを繰り広げている。


「……何の騒ぎだ、これは」


 井上が目を白黒させながら尋ねると、ダンボールにマジックで『医療器具』と書いていた桃子が、くわえタバコのまま振り返った。


「見て分からない? お引越しよ。……いつまでもホテル暮らしってわけにはいかないでしょ。防犯上も問題があるし、何より、猫が二匹もいて手狭になってきたわ」

「法的にも、新会社『新生・帝都ホールディングス』の本社機能と、代表の居住地は明確に分けて登記する必要があります」


 南がタブレットを片手に、事務的に補足した。


「……それはそうだが、勝手に話が進みすぎじゃないか?」


 井上が苦笑すると、奥のキッチンから、一人の女性が完璧な姿勢で歩み出てきた。

 メイドの池田茉莉だ。

 彼女は、いつものダークスーツではなく、クラシカルな黒のメイド服に身を包んでいた。西園寺家に潜入していた時の「偽りの従者」としてではなく、今度こそ本当の意味での「井上健太郎のメイド」としての正装だ。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 茉莉は、絵画のように美しいカーテシーをして見せた。


「事後報告になり申し訳ございません。ですが、新しいお屋敷の準備は、すでに整っております」

「……新しい屋敷?」

「はい。西園寺家の旧邸宅のような、呪われた土地ではありません。都心の閑静な高台に、旦那様と……我々全員が暮らすのに十分な広さを持つ、素晴らしい洋館をご用意いたしました」


 茉莉の言葉に、井上は言葉を失った。

 全員が暮らす。

 それはつまり、この7人の厄介で、美しく、そして愛すべき共犯者たちが、これからも一つ屋根の下で井上と共に生きていくということだ。


「……マジか」

「マジだよ、おっさん」


 心がダンボールの陰から顔を出し、ニカっと笑った。


「アンタ一人にしといたら、また変な復讐とか始めそうじゃん。私たちがしっかり監視しててあげるよ」

「それに、ボスの作るご飯、毎日食べたいしね」


 舞永がウインクをする。


「私も、女優のお仕事がない日は、家事のお手伝いしますから……!」


 優香が控えめに手を挙げた。


「アンタの身体のメンテナンスは、一生私が診てあげるわ。……逃がさないから」


 桃子が妖しく微笑む。


「法務、広報、そして警護。完璧な布陣ですね。……これなら、新しい帝国を築くのも容易いでしょう」


 南が眼鏡を光らせ、冴子も「最高のネタの宝庫ね」と笑い合う。


 7人のヒロインたちが、井上の周りを囲むように立っていた。

 誰もが、それぞれの傷を抱え、闇を知っている。

 だが、その瞳には、過去への囚われではなく、未来への強い意志が宿っていた。


「ミャウ!」「ニャッ!」


 ハイとローが、井上の足元に駆け寄ってきて、スラックスに爪を立ててよじ登ろうとする。


 井上は、その光景をゆっくりと見渡した。

 胸の奥に空いていた巨大な虚無の穴が、温かい何かで満たされていくのを感じた。

 10年間、孤独な泥水を啜り続けてきた灰谷守の魂が、ようやく本当の安らぎを得た瞬間だった。


「……勝手にしろ」


 井上は口元を緩め、深く息を吐き出した。

 それは、諦めではなく、これ以上ないほどの喜びを含んだ溜め息だった。


「その代わり、家賃と食費はきっちり働いて返してもらうぞ。……俺の会社の社員としてな」

「「「了解、社長ボス!」」」


 女たちの明るい声が、スイートルームに響き渡った。

 

 復讐の旅は終わった。

 顔を変え、名前を捨て、地獄の底から這い上がってきた男。

 その体は目に見えない傷だらけだが、彼の帰る場所には今、これ以上ないほどの温かい光が灯っていた。


「さあ、荷造りだ。……新しい城へ行くぞ」


 井上の号令で、再び部屋は賑やかな喧騒に包まれる。

 傷だらけの王子様の凱旋。

 だが、彼のおとぎ話は、ここで終わりではない。

 本当の「ハッピーエンド」に向けてのセカンド・ライフが、今、幕を開けたのだ。

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