第24話「望まぬ拒絶、望まぬ喪失。」
「え?手術……?」
自分の耳を疑い、真霜は椥叉の言葉を繰り返した。
「そう、心臓の……。」
彼女の言葉に真霜は唇を噛む。
心臓の手術。
詳しいことは真霜には分からなかったが、椥叉がわざわざあんな時間に電話をかけてきたことや、今の椥叉の声色を聞けば、今までの状況とは何かが違うことは理解できた。
「ぁ……ぅ……。」
真霜は何と声をかけて良いか分からず、言葉らしい言葉は出てこない。
「心配しなくて、大丈夫だから……。」
きっと椥叉は自分に負担をかけまいとしているのは真霜にも分かった。
「で、でもやっぱり心配だよ。手術っていつなの?」
喉はカラカラに渇き、心臓は強く脈打ち、スマホを握る手を震えていた。
「……来週の火曜日。」
真霜はスマホのカレンダー見る。
「ちょうど一週間後だね、分かった。じゃあその日は行くね。」
「でも、そんな……」
「何遠慮してるのさ?友達の手術だもん、行くよ。」
真霜は明るく言ってみせるが、友人の声音は尚硬いままだった。
「でも、私は……。」
「さっきからどうしたの?なんか、変だよ?」
勿論、手術への恐怖もあるはずだと真霜は予想していたが、何かが違う。
恐怖というより、まるで自分を避けるような態度。
余り口を利かない様にしているような様子。
椥叉はもともと感情表現が豊かではない方だが、声だけでも真霜にはっきり伝わってしまっていた。
「別にそんなこと、ないよ?」
椥叉は言葉を詰まらせつつも濁す。
「……。ねぇ、椥叉。私ってここの所どうしてた?」
その問いに、電話越しでも椥叉が息を呑むのが分かった。
約七日と半日、時間にして約百六十時間。
それが、真霜が記憶の海の底で、曇りない恐怖の記憶を絶え間なく注がれた時間。孤独で届かない助けを求めていた時間。
当然の如く、その間の外の記憶を真霜は持っていない。
つまり、椥叉が入院している病院に行き、手紙を見てから今さっき目覚めた間の記憶が無いということだ。
確かにアパートの一件で椥叉と気まずくなったが、椥叉は病院で自分に謝ったのだから、それを引きずっているのもおかしい。
自分の記憶が抜け落ちている期間で何かがあったのではないかと真霜は考えた。
「…………。」
息が詰まる様な沈黙がしばし流れた。
「……ナヅハが、真霜の代わりに。」
椥叉はそれだけを口にした。後ろめたそうに。
「じゃあ学校にも行ってたって事?」
驚きの混じった真霜の言葉を椥叉は否定しない。
「誰も気づいてなかったよ。私も教室にいて話したときは全然気づかなった。あの時倒れたままだって思ったくらいだよ……。」
椥叉は小さく息を吐きながら笑った様だが、沈んだトーンは変わっていない。
その様子に真霜は確信した。
「ナヅハに、何を言われたの?何をされたの?」
「な、何もしてないよ、少し話をしただけ。悪いのは私だもん……、本当だよ。」
椥叉は慌てて言った。
何の話をしたのかは気になるが、この状態の椥叉から根掘り葉掘り聞きだすのは酷だし、余りにも無神経だと真霜は思い、
「なら、いいんだけど……。」
と引き下がった。
「ごめん、看護婦さん来ちゃうから電話切るね。おやすみ。」
「あ、ちょっと……!」
通話相手の返答を待たずに、椥叉は一方的に電話を切ってしまった。
真霜は、友人の声が途絶えてしまったスマホをゆっくり耳から離し、机の上に置いた。
「……おかしい。」
暗闇の中で、真霜は呟いた。
先ほどカレンダーを見たとき、自分が椥叉の病室で倒れた日から一週間が経過していることに気づいた。
ナヅハが真霜に代わって学校に行ったことを椥叉は知っているということは、椥叉は一度退院して学校に行ったということだ。
しかし電話での会話から考えるに、椥叉は今入院している。
それはおかしいのではないか、と真霜は思ったのだ。
「やっぱりナヅハが何か言ったんじゃ……?」
真霜がこうもナヅハを疑う理由は、手紙を読んだ時のあの言葉のせいだろう。
『待ちなさい!ダメよ!真霜!!それだけはダメ!!』
ナヅハがあんなにも大声を出したのは、真霜が知る限り初めてだった。
椥叉とナヅハは何かを話したはずだと真霜は確信していたが、うまく考えられない。
一週間も海の底に閉じこもって古い記憶を注がれ、しかもまだ目が覚めてから三十分も経っていない内に、椥叉の手術の事を聞かされ、真霜は頭がクラクラしっぱなしだった。
いつもならナヅハと話して頭を整理するのだが、それすら出来ない。
挙句そのナヅハ本人とも何があるのかを話さなければいけないのだから、真霜はたまったものではない。
眠る事も出来ず、頭もうまく回らず、真霜はベッドの上で膝を抱え大きなため息をついた。
「どうしよう……。」
電話を一方的に切った椥叉は大きく息を吐いた。
「ごめん、真霜。ナヅハの言う通り、私は何もしちゃいけない。私といればお母さんの事を嫌でも思い出しちゃう。それはダメだよ……。これ以上真霜が辛い思いをしちゃだめだよ……。私は、なんでこんなに何も出来ないの……!?」
スマホを強く握りしめ、涙が滲んでくるが、頬に流れる前に袖でゴシゴシと拭う。
その時、ナヅハに張られた頬がチクリと痛み、ゆっくりと手を当ててみる。
「……痛いなぁ……。」
頬の痛みだけではない気がして、椥叉は一層悔しい思いがした。
翌朝になっても真霜はナヅハと話すことが出来なかった。
「大事な時にどこに行ったのさ、もう……。」
目の下に来いクマを作っていた真霜はため息をつく。
昨晩は結局一睡も出来なかったのだ。
「梓さん、私はどうしたらいいんだろう?」
眠れはしなかったが、一晩を通して真霜の記憶と意識ははっきりし始めていた。
夢とはまるで反対で、目を覚ました直後は靄がかかっていた様だったが、今ではあの記憶の海で何が起こったのか、自分がどういう状況にいるのかの整理がかなり出来ている。
海の底で昔の記憶に触れたこと、ナヅハが生まれたときのこと、椥叉とすでに出会っていたこと、梓は7年も前に死んだこと、あの記憶の海で梓に出会い、最後の言葉と勇気をもらったこと。
「そうだ……。諦めちゃダメだ!絶対に前を見続けなきゃ!曇ろうが、雨が降ろうが、風が吹こうが、雷が落ちようが諦めちゃダメ!よし!」
首を振ってから頬を両手で強めに叩いた。
「とりあえず学校の準備しなきゃ!」
いつもより少しばかり早く家を出て、ひとり静かな通学路を歩く。
「一体ナヅハはどこに行ったんだろう?」
真霜が気を失っていた七日間は周りから変に注目されぬようナヅハが真霜の代わりをしていたはずだが、真霜が目を覚ましてからは、一度たりとも彼女の気配は微塵も無い。
学校につき、授業を受け、奏と会話をし、昼食を食べ、また授業を受け、帰る。
表面上では、やっていることはいつもの生活と同じはずなのに、真霜にはとても空虚なものに感じられた。
椥叉とナヅハがいない。
それがここまで影響するのかと、真霜は正直驚いた。
ただ空虚なだけならまだしも、他人との会話に大きな溝を感じる、昔の自分に戻ってしまった様な気さえした。
「少しは変わったと思ったのに……。私は何も成長してないのかなぁ……?」
「…………」
帰り道を歩きながら、いつもの癖で頭の中でナヅハに向けた声を掛けるが返事はなく、そのたびに、
「あ、そっか。いないんだよね……。」
と深いため息をつくことを何度も繰り返した。
いつもであれば、
『そうね、何一つ成長してないわ。そのアホ面もいつも通り変わってなくて安心したわ。』
と、ストレートな悪口をこめて馬鹿にしてくるところだが、今日は彼女の息遣いすらも聞こえない。
それこそ母親のようにやかましいだの、お節介だの、細かい所にいちいち皮肉や嫌みを混ぜて口を出してくるところにうんざりしていた真霜だったが、今の真霜にとってはそれこそが何よりも恋しかった。
まるで乾いた風が砂を高く舞い上げるような荒野に、ひとり放り出されたような気分だった。
梓が死んでから真霜はすぐにナヅハを作り出し、ナヅハに頼って生きてきた。自分が生み出したが故に当たり前なのかもしれないが、ナヅハはその部分では文句のひとつ言わずに、ずっと一緒にいてくれた。
落ち込んでいる時は不器用なりにも励ましてくれ、筋の曲がったことをすれば叱ってくれ、良い事をしたときや成功したときは微笑んで褒めてくれた。
そして、真霜はそれを当然の物として受け取っていた自分にひどく腹を立てた。
自分にそれほどの事をやってくれる人が他にいるだろうか?
くだらぬ会話でも付き合ってくれ、苦しい時には助けてくれる。
なんとも自分に都合の良い存在にしてしまった。
今更ではあったがナヅハに会わせる顔が無いと真霜は思った。
真霜は、自分はいつも独りだと思い、自分は普通ではない、自分は不幸だとひとりで閉じこもっていた。
しかしどうだ?
誰よりも自分の事を理解し、誰よりも自分に寄り添ってくれる人がいた事を感謝するどころか、見向きもしなかった。
「無くしてから分かるって、よく言ったもんだなぁ……。」
学校から帰り、家の中で放ったその言葉は初めて出た本当の独り言だったのかもしれない。
誰に向ける訳でもない、小さな呟き。
これまでナヅハと話している所を見られたときは、独り言が多いと誤魔化してきたが、今となってはそれが現実になっている。
そんな虚無感の中、気を紛らわすためにいつも見ているゲーム実況の新着動画を開いた。
コメント欄では物凄く面白いと大評判だったが、真霜にとっては今まで見たものの中で、一番つまらなかったと感じてしまった。
「……はぁ。」
梓の言葉を思い出しても尚、無意識にため息が出てくる。
再びナヅハが真霜の前に現れたのは、翌週の月曜日の事だった。




