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縹の空  作者: 藍谷 紬
黎明の小鹿
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23/27

第23話「水底の残響、洋上の囀り。」

「アズサさんが死んだ。もう、いない……。いやだ、イヤだ。」

全ての欠片に触れた真霜はまだ深い海の底にいた。

頭を抱え、目をきつく閉じて首を振る。

否定しようとしても、梓との記憶は忘却を許さない。

「やめて!もうやめてよ!!どうして"私ばっかり苦しいの"!?なんで私の前からいなくなっちゃうの!?」

音が無い深海で独り叫ぶ真霜。

『何言ってるのよ。あれぐらいじゃ迷惑にはならないわよ』『我慢しなくていいわ。』『どうしたの?うなされていたけれど、、。』『はぁ、まあいいわ。』『あー、あなた真霜って言ったかしら?』『今度からはちゃんと初めから大人の手を借りなさい。』『ああもう、、。とにかく返しなさい。』『別に追い出すつもりもないし、戻る必要もないわ』『私は梓よ。』『いつか会って、友達になってくれると嬉しいわ。』『私はこれからコンビニに行くけれど、一緒に来る?』『あ、今日も梨があるわね。』『そうね。貰おうかしら。』『ふふ、ほらこっちに来なさい。あーん。』『私が何をした!?』『私が誰かを興味本位で貶めたか!?』『私が誰かを利益のために騙したか!?』『私が誰かを嫌いだからという理由で陥れたか!?』『私が誰かを無差別に傷付けたか!?』『私が自分の都合で誰かを殺したか!?』『私が何をしたっていうのよ!!あの子が何をしたっていうのよ!』『あの子をあんなにも苦しめるなら、、!私なんか、さっさと死ねば良かったわよっ!!!』『ちゃんと伝えるわ。』『私が大事だと思ってる事よ。』『自分の力で理解したものに本当の価値が宿るのよ。』『そこを自分で考えてみなさいって事ね。』『決まってるじゃない、自分には関係ないと思っているからよ。』『"ブレずにいること"ね。』『希望を見失わないようにね。』『いい子ね、精一杯やりなさいね。』



『じゃあね、真霜。』



「あぁああぁー!!」

一点の濁りも無い純粋で鮮明な記憶は、絶え間なく流れ込んで真霜の頭を満たしてゆく。

真霜にとってこれほどに残酷なことは無い。

「ナヅハ!ナヅハ……!助けてよ!」

悲痛な叫びも、願いも届くことは無く、それさえも自らの頭に反響するだけだ。

ナヅハに頼ってばかりの自分、アズサに縋るだけの自分、アズサの死を突きつけられた恐怖と、それに打ち克てない自分が余りにも憎く、嫌悪感に染まっていく。

半紙に筆の墨を垂らした時と同じ。

ぽつりと落ちてからじわりじわりと広がり、その墨は止むことなく注がれ始め、一面が黒くなっていく。

どす黒い負の感情に塗りつぶされそうになった時、その声は聞こえた。

「何しているのよ?真霜。」

声の主は呆れたように首を振っていた。

「……え?」

彼女は真霜から少しだけ先に立っていた。

背が少し高くて、ゆったりとした服を着ている、茶髪の女性。

「真霜、私の言葉を忘れたようね。希望を見なさい、とあれほど言ったでしょう?」

彼女はこちらには近づいてこようとはしない。

「私が死んでも、それから逃げて立ち止まって、目を閉じて、耳を塞いで座り込むだけかしら?」

真っ直ぐに真霜を見据えて言った。

「私の娘なら、強くありなさい。」

「……私は、アズサさんの娘なんかじゃないよ……。」

真霜は俯いたまま女性に言う。

「何言ってるのよ。確かに血のつながりはないけれど、それ以上に大事なものを私は教えたつもりよ?世間では娘とは言わないでしょうね、普通の人なら異常だと口を挟んでくるでしょうね。さて、私はあなたに何を教えたかしら?」

意地の悪い笑みを浮かべて彼女は尋ねてくる。

「そんな人たちは、お互いの事を分かってない……?」

真霜の答えに彼女は嬉しそうな顔で頷いた。

「分かってるじゃない。私はあなたを愛しているわ、それで娘足りうるとは思わない?」

「アズサさん……。で、でも……。」

彼女がそう言っても、光の宿らない目で海の底を見つめる真霜。

「いいのよ、私がそう言っているのだから。もう一度言うわよ。私の娘なら、強くありなさい。」

真霜の耳に、まるで水面に一滴の水が落ちるときの様に、その言葉は届いた。

「確かに苦しいわよね、悲しいわよね。きっと自分の境遇を呪っているわよね。そんな時も必要なことは認めるわ。でもね?自分の不運不幸を嘆く前に、一歩でも先へ進む。その努力は忘れちゃダメよ。」

「そんな事出来ない……。いくらやっても無駄に終わるもん。私には無理だよ……、アズサさん。」

彼女の言葉に首を振る真霜。

「無駄だと吐き捨てない!無理だと嘆かない!無謀だと笑わない!さっきも言ったでしょう?光を見なさい!」

彼女の大きな声に驚いて、真霜が恐る恐る顔を上げると、声色とは裏腹に彼女は笑っている。

「ほら、行きなさい。」

彼女はそう言って真霜の後方上を見つめた。

真霜も彼女につられて同じ方向を見ると、後ろから真霜の頭に温かい手が優しく置かれた。

冷たく、固まっていた真霜の頭と体を穏やかにほぐしていく。

その時、真霜は気づいた。

先ほどまで真っ暗だった世界に、針に通すような糸ほどに細く、しかし輝く光が差し込んでいることに。

「ここは記憶の海の底、見たくない記憶を閉じ込めている場所。ここに眠っていてはいけないわ。私の言った拾玖を覚えているわね?」

「……うん。

 壱 常に落ち着いて深く考えること。

 弐 慎重に行動すること。

 参 後悔するくらいならやること。

 肆 失敗からは必ず学ぶこと。

 伍 経験を積むこと。

 陸 自分の意見を絶対と思わず、先入観を避けること。

 漆 他人の意見を聞く、けれど飲み込まないようにすること。

 捌 自信を持つ、けれど油断しないようにすること。

 玖 因果推論を忘れないようにすること。

拾  常識にすがるのは止めること。

拾壱 頭は常に柔らかくすること。

拾弐 出来ると信じて努力をすること。

拾参 上を見上げて挑戦し続けること。

拾肆 どんなに困難な状況でも、希望を捨てず、立ち向かうこと。

拾伍 心に灯火ほどの勇気を持つこと。

拾陸 過去に囚われる必要はない、けれど忘れないこと。

拾漆 自分で自分を限界を決めつけ無いこと。

拾捌 立ち止まって泣くのではなく、それを糧にして前へ進むこと。

拾玖 いつどんな時も、自分が出来ることを精一杯やること。」

淀みない真霜の答えに彼女は満足そうに笑う。

「よくできました。"忘(・)れ(・)な(・)い(・)よ(・)う(・)に(・)ね(・)"」

優しく頭を掻き撫でられ、真霜が後ろを振り返ると、もう彼女はそこにいなかった。

「"梓"さん……。」

その時だった。

小さく、甲高く、美しい鳴き声。

「椥叉……?」

椥叉が選んでくれたストラップ、その鳴き声が聞こえてきた。

その音に引き寄せられるように真霜は浮上する。

少しずつ辺りが明るくなってくる。

通り過ぎゆく海の欠片の中に、椥叉との記憶が現れ始めた。


『はじめまして、綾紫野 椥叉と言います。』『どうして、私と話そうとするの?』『なら私の事も椥叉って呼んで?真霜。』『でも、話したいと思ったら話して。』『大抵の人は、自分の目に見えるところだけを切り取って、自分と同じだって安心する。それが正しいんだって思い込みたがる。』『苦しくても、”分かってる人がいる”って嬉しいんじゃないかなって事だよ。』『真霜も普段と少し違うよね?髪飾りとか。』『駅前のカラオケに行くのにこんなかかる人、他にいないよね!あはは!』『じゃあ一緒に歌お!』『なんか私たち、まさに大人に反抗する子供みたいだなぁって。』『私は~どこにいる?♪私は~何をする~?♪』


『ううん、これでいい、、これがいい。ありがとう、真霜。』


「そうだよ、まだ私は諦めちゃいけないよね……。私は……!」

欠片は天気雨のように真霜に降り注ぐ。

彼女の身体に染み込み、その心を鎮めていった。

水面が近づいてくると、真霜の意識がだんだんとぼやけ、水面の先から差す余りにも眩しい光に真霜は思わず目を細めた。


「……っ!」

眩しくて目を閉じたはずだったが、目を開けるとそこは暗く、静寂に包まれていた。

「ど、どこ?また、底に戻っちゃったの……?」

しかし辺りを見回すと、どうやら違う事に真霜は気づいた。

「あっ!……シマエナガ!」

まだどこかから聞こえてくる鳴き声の方へ手を伸ばすと、床にスマホが転がっていた。

「……床?」

そこは、いつもの真霜の部屋だった。

「私は一体?あ、そうだ!ねぇ、ナヅハ!?」

戻ってきたことにようやく思い至った真霜は、ナヅハの名前を呼んだが返事はなかった。

「どうしたんだろう……。あれ?椥叉からの着信……?」

意識を取り戻したばかりの真霜は、まだ頭がクラクラしていたが、スマホの着信履歴を開いて呟く。

着信は三時間前、現在は夜中の一時。

「どうしてそんな時間に私に電話を……。」

真霜は、自分の鼓動がいつもより早くなってくるのを感じていた。

背筋に冷や水を注がれているような不快感。

すぐさま発信ボタンを押し、コールが鳴り始めた。

「……やっぱりもう、出ない、かな?」

耳からスマホを離し、通話終了ボタンを押そうとすると、スピーカーから声が聞こえた。

「もしもし……?」

「椥叉!?大丈夫?」

椥叉のか細い声に真霜は落ち着かない。

「その声、もしかして……真霜?良かった……。戻ったんだね?」

彼女は心底安堵したように言い、嗚咽をもらしていた。

「ど、どういうこと一体……?」

訳が分からず真霜は困惑していた。

「ううん。ごめん、何でもない。大丈夫。さっき電話したのは……。」

椥叉は何故か一瞬言い淀む。

「椥叉?」

「……今度、手術することになったんだ。」

静寂の真夜中、その声は静かに真霜に届いた。

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