第17話「絆の言葉を……」
翌週の朝、真霜は酷く寝坊をしてしまった。
「あれ?今何時……?」
ベッドから体を起こし、目をこすりながらテレビをつける。
「わ、もうお昼の1時……。」
夜遅くまで梓から借りた漫画を読んでいたからだ。ベッドサイドテーブルには1時間ほど前に運ばれてきたであろう昼食が置いてある。そして、今日も梨があった。
「昨日、結局梨食べちゃった……。」
折角食欲をなんとか殺して渡したのにも関わらず、梓と一緒に食べてしまった。
「それじゃダメ。ちゃんとアズサさんに食べてもらわなきゃ……。」
意を決し、梨の皿を持ってカーテンの外に出る。
「アズ、サさん。」
「どうしたの?入っていいわよ。」
梓の返事を聞き、カーテンを開ける。珍しくこの時間で、まだ梓も昼食を食べていた。
「あれ?アズサさんも?」
「ええ、なんだか昨日は眠れなくてね……。それで、どうしたのかしら?」
真霜は梓に歩み寄り、梨の皿を置いた。
「ふぬっ!」
鼻息を荒くする真霜。
「お、おぉ?やけに今日は気合入ってるわね……。あら梨……。またいいの?」
梓の言葉に真霜は二度ほど頷き、すぐにカーテンの外へ出て行った。
「あ!ちょっと!」
梓の次の言葉を聞くことなく、真霜は自分のベッドに戻った。
「アズサさん優しいもん。私が食べたいってバレたら絶対食べてくれない。」
ベッドに入った真霜はテレビをつけ、イヤホンをして昼食を取り始めた。
『そうは言いますがね、どうなんでしょうか?』
たまたま流れていたのは政治に関する討論番組だった。
『現在、男性は家事手伝いを余りしないのに、女性は仕事に家事、子育てを平行し、場合によっては介護をするケースもあります。それなのに、目先の数字だけを追って長期的な支援を行っていないのは問題ですよ。』
キンキンとした高く大きな声で意見を言う女性アナリスト。真霜には何がなんだかさっぱりだったが、何か大変な事は分かった。
「火事?蚕?チョーキテキチエン?」
首を傾げる真霜はチャンネルを変えた。しかし、どのチャンネルも今の時間はニュースばかりだった。
「つまんない……。」
イヤホンを取り外し、ため息をついた時、向かいのベッドから聞き慣れない声が聞こえてきた。
「ほら、こっち向いて。」
「嫌だ。」
するとシャッター音が聞こえた。
「もう……この子ったら……。」
「私……、トイレ行ってくる。」
足音が通り過ぎ少しすると、
「そう、か。何もできなくてすまない……。」
と、大人の男の声が聞こえた。
「誰だろ……?」
真霜はカーテンを開けて外に出る。やはり、声は梓のベッドカーテンの内側から聞こえるようだった。
「あなたは何も悪くないわ。こんな私だったのに今までありがとう。寧ろごめんなさい。私は椥叉に……。」
「何も言わなくていいよ。あの子だって分かってくれているさ。」
二人の会話を聞く真霜。
「どうして悲しそうなんだろ……?」
真霜はカーテンの隙間から梓のベッドの様子を伺っていた。背が高く、おっとりとした男が、梓のベッドの横に座っている。そして何故か男性の隣にイスがもう一つ置いてあったが、人はいない。
「むぅ……?」
何が何だか分からず、真霜は腕を組んで首を傾げていた。
「あなた、何してるの?」
「ひぁっ……!」
中を覗いていた真霜は急に話しかけられ、声を上げた。そこには真霜と同じくらいの背丈の少女が立っている。しかし、その少女の顔は酷く青白く、声も小さかった。
「あ、えっと……なんでも、ない……です。」
そのまま勢いよく真霜は自分のベッドに引っ込んだ。
「…………真霜ね。」
梓はふっと笑って呟く。
「え?何だい?」
「向かいのベッドに椥叉と同じくらいの年の女の子がいるのよ。他の人が来ることなんてないから、珍しかったんでしょうね。中身は結構椥叉に似てるのよ?」
くすくす、と笑いながら梓は言う。
「本当かい?それは珍しいね、はは。」
その時カーテンが開かれ、少女が入ってくる。
「あら椥叉。お手洗いの場所分かった?」
梓の言葉に小さく頷く椥叉。何故か椥叉は椅子には座らず、ずっと俯いて立っていた。
「ねぇ、お母さん……。」
椥叉は弱り切った小さな声で言う。
「ん?なに?」
「いつ……帰ってくるの?」
その言葉に梓は言葉を返せず、
「あ、そ、そうね……。いつかしら……。」
と、言葉を濁した。
「……いい。」
「え?」
椥叉の言葉が聞き取れず、梓は聞き返した。
「もういい!!お母さんなんて大っ嫌い!!どうして私を助げてぐれないの!?もう嫌だ!!!」
急に大声で叫んで涙を流しながら、椥叉は病室から飛び出した。
「椥叉!」
「僕が行ってくる!」
男性も立ち上がり、椥叉を追うために病室から飛び出していった。
「椥、叉……。」
梓は娘に渡そうと思っていた手紙の入った封筒を握り締める。
「私は、どうして!何もできないのよ!!!」
思わず梓は拳をベッドサイドテーブルに叩きつけた。
「私が何をした!?
私が誰かを興味本位で貶めたか!?
私が誰かを利益のために騙したか!?
私が誰かを嫌いだからという理由で陥れたか!?
私が誰かを無差別に傷付けたか!?
私が誰かを殺したかっ!?
私が何をしたっていうのよ!!あの子が何をしたっていうのよ!
どうせこんなになるなら……!あの子をあんなにも苦しめるなら……!
私なんか、さっさと死ねば良かったわよ!!!
……どうして私は、まだ生きているのよ……!?」
頭を抱え、一人で怒鳴り散らす梓。
「いいえ違う。私があの子を傷つけた……。私があの子を騙した……。大っ嫌いって思われても仕方ないわよね……。」
梓の瞳から涙が溢れる。悔しさか悲しさか、熱くも冷たい涙が梓の頬をつたう。
「椥叉ぁ……!」
小さく、しかし叫ぶように、梓は娘の名前を呼んだ。
「ぢがうっ……!」
泣いていた梓に声が聞こえた。
「……え?」
顔を上げると、真霜がカーテンのそばに立っていた。
「真、霜……?」
「ナギサは、アズザさんのごと、嫌いじゃないっ!」
小さな手はスモックの裾を強く握りしめ、身体を震わせていた。
「ナギサは……!アズザさんのごとが、大好きだよ!じゃなきゃ、あんな、嫌いどが、言わないっ!」
下唇を噛みしめる真霜。
「アズザざんが、大好きだから悲じいのっ!苦じいのっ!!何にもできなくて悔しいのっ!!」
「真、霜……。」
「私は、お母さんが大好きだった!ずっとお母さんと一緒にいだかった!でもお母さん……いなくなっちゃった……!」
そのつぶらな瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「私のお母さんは、私の事好きだったのかな……?もう分かんないよ……。私のお母さんはっ!」
梓をまっすぐ見つめ、歯を食いしばる。
「もう、私と一緒には、いてくれないだもん……!!」
頬へと流れる涙はぼたぼたと床に落ちていく。眉を寄せ、唇を強く噛んで泣き声が流れ出さないように、必死に口を一文字に結ぼうとする。
「アズザさんも、ナギサのこと……好きなんだよね……?ならちゃんと、伝えてよ!
ナギサに"大好きだよ"って伝えてよ……!そーすれば、ナギサもアズサさんの事ちゃんと大好きって言えるもん……!」
大粒の涙で頬を濡らし、顔はしわくちゃになり崩れそうになりながらも、真霜は"笑顔"を梓に見せた。
「……、っ!」
どれだけ苦しいのだろう?どれだけ悲しいのだろう?母を亡くし、母への愛情は自分の一方通行だと思って咽び泣く、小さく孤独な少女が涙を流しながら伝えている。自分と同じ思いをしてほしくないと、自分の様に苦しんでほしくないと、暗い夜に独りで泣かなくて済むように、大好きだと伝えてと、少女は"笑顔"で言ったのだ。
「あ、あぁ……。お母さん……!お母……さん……会いたい、会いたいよぉ……。」
真霜はその場で小さく呟く。もう二度と届かない言葉を。もう永遠に叶わない想いを。
「真霜っ……!」
梓も涙が止まらなかった。目の前の少女の余りの痛々しさと、少女の運命の不遇を呪った。しかし、梓は真霜を強く抱き、笑顔を見せた。
「ありがとう真霜……!」
彼女の想いを無駄にしない様に、強く。
「ちゃんと伝えるわ。ちゃんと……!」
その言葉を聞くと、真霜はほっとしたような表情を見せ、梓の腕の中で気を失った。




