第16話「少女、恩返し未遂。」
「なるほど、タイトルが……。こういう意味が込められて最初から描かれていたのね……。伏線回収がやけに壮大だわ……。」
朝から梓は漫画を見ながら涙を流していた。
「梓さ……って。うわ!何泣いてるんですか!」
「うわって何よ!こっちは余りの展開で涙が止まんないのよ!」
梓は本を閉じて鼻を啜る。
「最近ずっと漫画読んでますね。そんな面白いんですか?」
脈拍を測る道具を取り出しながら敷島が尋ねる。
「そりゃもう……。最初と中盤はそんなでも無いのよ。けど、最後で緊張感のある戦闘や逃走、主人公とメインキャラ達の葛藤……!人の命について描いたいい話だわ……。完成度が足りない部分もあるけれどね。」
しみじみと、しかし情熱的に語る梓はまるで子供のようで敷島は微笑ましかった。
「あなた、ゾンビ作品は見たことあるかしら?」
「いえ、私はそういうモノは苦手なので……。」
ポンプを押しながら敷島は返事をする。
「ああいうジャンルってメインキャラが全滅したり、戦いはまだこれからも続くって終わり方が多いのよ。勿論連載上の関係もあるけれどね。でもこれは結構違うわ。最初から決まっていたということが分かるの。世間の評価はあり得ないほど低いけれど、私は好きよ。」
その作品は酷く一般受けが悪かったが、異常なメッセージに気づいたごく一部のファンが掲示板でひそやかに騒ぎ、マニアック界隈では意外に好まれているらしい。世間における芸能人のスキャンダル、余りのアホの多さに辟易し、普通と違う人生を歩み、普通に憧れた梓はそのごく一部にあたっていたのだろう。
「時間があれば読んでみますね。」
「ええ、そうなさい。私が…………。」
と、そこまで言って梓は顔を曇らせる。
「どうしました?」
「い、いえ。私が……いつか解説するわ!しっかり読んでおくのよ!」
梓はいつもより声を大きく、何故か偉そうに言ってみせた。
「ええ、わかりました。」
作業を終えた敷島はその場から立ち去った。
「ありゃ読んではくれないでしょうね……。」
看護婦は酷くハードな職業であるが故、比較的長編漫画をのんびり読めないこともだろうし、何より話をしていて梓には分かっていた。
「人が勧めたマイナーな作品は映画であれ、アニメであれ、ゲームであれ、漫画であれ、本当に見てくれる人って滅多にいないのよね……。」
梓は小さくため息をついた。
「少し歩きましょうかね……。」
梓は病室から出て行った。
「今日は雨……。」
梅雨も近づき雨の降る日が増えてきた。中庭の大木のベンチに行くことも出来ず、晴れていても前日の雨が残っていて座ることが出来ない日がほとんどだった。
「はぁ、……。」
思わず再びため息をついていた。
「椥叉……。」
梓はポケットに入れたままの椥叉へ渡す手紙を取り出す。
「大丈夫かしら……あの子……。」
入院することが決まった時の娘の表情は今の梓の頭の片隅に残っている。大きな声で泣いて梓にくっついていた。
「あの子には、自分の事は自分で解決できるっていう自信をつけてもらわないといけないわ。まだ早いと思ってたけど……。」
手に持っている封筒を見つめ、自分の心臓に手を当てる。
「分かってくれるかしら……?」
その時、
「アズサさん。」
と、真霜が廊下を歩いてきていた。
「あら真霜、どうしたの?」
梓はしゃがんで真霜の目線に合わせる。
「これ。」
真霜が渡したのは梓の携帯電話だった。
「ん?私のね。どうして?」
「なんか、音楽がすっごい音で鳴ってたから。」
梓は渡された携帯をパカッと開く。
「・・・・・。」
しばらく驚いた様子でいる梓。
「……?どうしたの?アズサさん?」
真霜は首を傾げている。
「来週、か……。」
と、梓は呟いて携帯を閉じた。
「さてと、真霜。私はこれからコンビニに行くけれど、一緒に来る?」
立ち上がって梓は尋ねる。真霜は梓の手を握って頷いた。
「ね、面白くない?真霜。」
同意を求めて言う梓。
「うーん。難しいこれ……。」
二人は一緒にベッドに座って漫画を読んでいた。
「やっぱり三年生には早かったかしら……?」
腕を組んで唸る梓。その時ベッドの外から、
「真霜ちゃん?あれ?どこ行ったのかしら……。」
という敷島の声が聞こえてきた。
「こっちにいるわよ。」
敷島が梓の声を聞いて、梓の方のベッドカーテンを開ける。
「あらあら。本当に仲良くなりましたね……。」
昼食のお盆を持って敷島は目をぱちくりさせる。
「そういう訳でもないと思うけど……。あ、今日も梨があるわね。頻度高くない?樽見河病院の院長の好物が梨ってわけ?」
「まぁ、それも否定はしませんが、梨がいっつもストックしてあるそうで。やっぱり患者さんにも人気あるんじゃないんですか?実際梓さんも梨大好きでしょう?」
敷島は肩をすくめながら言った。
「・・・・・。」
その会話を聞いて真霜は黙って梓の顔を見ていた。
「……何よ?真霜?顔に何か付いているかしら?」
梓が聞くが、真霜は首を振って自分のベッドに戻っていった。食事を始めてしばらくすると、アズサのベッドカーテンの向こうから真霜の声が聞こえていた。
「アズ、サさん。いい?」
「へ?ひひわほ。」
真霜はカーテンを開ける。
「んっ……。一体どうしたのよ?」
梓は口の中の物を飲みこんでから言った。
「これ……。」
真霜が差し出したのは手の付けられていない梨の皿だった。
「……?私にくれるの?けど、それはあなたも好きでしょう?」
「アズサさんも前私にくれた。アズサさんも好きなのに、くれた。」
「…………。」
真霜の言葉を聞き、梓は黙って梨の皿を見る。あの夜に渡した梨を食べたのだ、真霜も梨が好きなのはなんとなく梓も分かっていた。
それがこうして差し出してきた。
「……。そうね。貰おうかしら。これで梨は私のものね。」
と、言って梨の皿を受け取る。
そのまま出て行こうとする真霜にこういった。
「でも二皿だとさすがに多いわねぇ……。誰か一緒に食べてくれないかしらねぇ?」
その言葉にピクリとして足を止める真霜。
「ねぇ、真霜?気持ちはとっても嬉しいわ。けれど全く我慢しなくていいのよ。私があなたにあげる事とあなたが私にあげるのでは意味が違うわ。子供のうちくらい我が儘を言っていいのよ?それを躾をしつつ聞いてあげるのが私たち大人の役割なんだから。」
すると真霜は振り返る。
「が、我慢なんてしてないもん。」
とは言いつつも彼女の視線は梨に向かっており、梨の皿を梓が揺らせば真霜の頭も揺れる。
「ふふ、ほらこっちに来なさい。あーん。」
フォークに差した梨を差し出す梓。それにつられて真霜は歩みより、遂にかぶりついた。
「はむ、もぐ、しゃく……。」
美味しそうに食べる真霜を見て思わず頬が緩む梓。
「どんなおいしい梨を食べても、私にこの顔は出来ないわ……。」
そう思い、梓はいくつも差し出すが、
「アズサさんも一緒に食べるの!」
真霜がフォークを持って梨を梓に食べさせた。
「おいしい?」
「ええ、とっても……。」
何故かは分からなかったが、梓は涙が出そうになった。結局二人分を二人で食べただけになったのだが、二人ともそれで良かった。敷島は食器を取りに行こうとしていたのだが、二人の様子がカーテンの隙間から見え、声を掛けるのをやめて部屋から静かに出ていったのであった。




