第15話「母と娘。」
「梓さん。」
とある日の朝、敷島が漫画を読んでいる梓のところへやってきた。
「ちょ、ちょっと待って。今主人公たちがゾンビの大群の横を通る重要な場面なのよ……。緊張感が凄いわ……。なんて作画と表現力!」
と、本から目を離さずに梓は言った。
「あ、いえ、お話ししたいことがあるんです。」
敷島の言葉を聞いて梓は顔を上げる。真霜のベッドの方を見つめた後、
「場所を変えましょうか。」
梓は紙パックの紅茶を飲みながら屋上へ来た。
「……。やっぱり葉っぱで入れる方がいいわね……。それで話って何かしら?」
「真霜ちゃんの事です。」
敷島は梓をまっすぐ見据えて言った。
「そう……。」
梓は壁にもたれかかり、ストローを鳴らす。
「実は彼女、お母さんを無くしたんです、交通事故で。」
「……ええ。」
「真霜ちゃんとお母さんが一緒に道を歩いてきたときに、居眠り運転のトラックが突っ込んできて、お母さんは真霜ちゃんをかばったそうです。」
敷島はそう言って俯く。
「なるほど。だからなのね……。」
梓は泣きながら謝り続ける真霜の姿を思い出す。
「え?」
「あの子、小さなことでもすぐ怖がって謝るでしょう?知らない人に対して失望されるとか、怒られるんじゃないかって感情があるんじゃないかしら?勿論、酷くショックな出来事よ。でもそこまで人に対して怯えるきっかけになるのかしら?」
梓の言葉を聞くと、敷島ははっとする。
「それなんですが……。」
おずおずと言い出す敷島に梓は眉を上げる。
「現場は人通りがもともと少ない所らしくて、目撃者が他にいなかったそうです。加害者は眠っていて何も覚えておらず、被害者の内一人は亡くなりました。それで事件担当になった人が、思い出せない真霜ちゃんにしつこく……。」
そう聞いて梓は空になっていた紙パックを握りつぶした。
「チッ!腐ってる、どいつもこいつも。あの子が何したっていうのよ……?子供を守るのが社会ってもんでしょうが……。」
眉間に皺をよせ、唇をかむ梓。
「私が知っているのはこれくらいです。ですから真霜ちゃんが何か思い出して、パニックになったりするかもしれないと聞かされていました。」
「分かったわ。話してくれてありがとう、京ちゃん。任せなさい、とは言えないけれど"出来ることを精一杯やる"わ。」
屋上の扉の隣にあるゴミ箱に紙パックを投げ、梓は病室に戻っていった。
「梓……さん……。」
敷島は閉められた扉と、ごみ箱の前に落ちている紙パックの紅茶を見た。
「ちゃんと入れてください……。」
と呟き、ごみ箱に入れなおした。
「さて、続き続き……。」
そう言いながらベッドのカーテンを開ける。
「……真霜。あんた何してんのよ?」
真霜が梓の置いていた漫画をベッドに座りながら読んでいた。
「これ、読んでる……。」
漫画を梓の方へズイッと突き出す。
「そういう事じゃなくてね?ああもう……。とにかく返しなさい。」
梓はそう言うが真霜は首を横に振る。
「それは、どうしてかしら?」
梓の言葉を聞き俯いていた真霜だったが、やがて、
「返したら、戻らなきゃいけないから……。」
と小さな声で言った。
「……。」
少し驚いて梓は真霜を見る。
「別に追い出すつもりもないし、戻る必要もないわ。ただその15巻はまだ途中までしか読んでなくて、結末が気になるのよ。ほら、とりあえずこの1巻から読んでていいから。」
十五巻を真霜の手から取り、代わりに1巻を渡した。
「ここに、いていいの?」
「ええ、構わないわ。」
梓は真霜を少しずらし、自分もベッドに座って続きを読み始めた。しばらく読んでいると真霜が寄りかかってきた。渡した一巻を読んでいる気配はなく、寧ろ梓の持っている巻を一緒に見ているようだった。
「……読みづらいわね。」
と梓は心の中で思ったが敷島の話を思い出して、言うのは止めておいた。
「多分本を読むことが目的じゃなくて、私が目当てね。全く……。こういう子って突き放すと閉じこもるし、構いすぎたり、助けすぎると依存しちゃうのよね。」
最早漫画の内容は入らず、真霜の事を考える梓。
「依存すること自体この子の為にはならない。そして何より依存されても私は長くない……。」
「お姉さん?どうしたの?」
真霜が梓の顔を覗き込む。
「え?あぁ、何でもないわ。あと、私は梓よ。」
「アズ、サ?」
「そう。」
「アズサさん?」
「ええ、それでいいわ。さて、そろそろお昼ね。一度戻りなさいな。」
そう言うと真霜はむくれるが、渋々戻った。食事が運ばれてから、向こうのベッドのテレビが流れ出したが、
「真霜ちゃん、病院のこのテレビはイヤホンを使ってね。他の人が困っちゃうから。」
と、敷島が諭す声が聞こえてきた。
「……アズサさんに怒られる?」
真霜が小声で聞き返す。
「さぁ、どうかしら?怒られちゃうかもねぇ~?」
と、悪戯っぽい声で敷島が言う。するとすぐにテレビの音が聞こえなくなった。
「いい子ね。」
敷島は次に梓の食事を持ってきた。
「京ちゃん、あんたって子は……。」
梓は首を振る。
「なんです?大分仲良くなったんじゃないですか?」
食器を置きながら、敷島はニヤニヤしている。
「私を脅しに利用するのは止めて頂戴。それに私が何かしたわけじゃないわ。勝手にあの子がくっついてくるだけよ。私だって、ずっといれる訳じゃないわ。」
その顔に陰りを見せる梓だが、
「でもここ数日真霜ちゃんは明るく、素直になってくれました。梓さんのおかげだと思います。ありがとうございます。」
と敷島は笑ってその場を去って行った。
「私は何もできてないわ……。あの子の事はあの子でやらなきゃダメなのよ……。」
そう言いながら梓は、泣いている椥叉を思い出していた。梓はそう呟きながら、好物のエビフライを口に運んだ。
「なんだか、味が薄いわ……。」
食後に梓は微睡の中にいた。
『やだよ、おかーさん行かないでよ……。』
『おかーさんと一緒じゃなきゃヤダよ……。』
「椥叉…………。」
目の前に現れる娘は大きな声を上げて泣いている。頭を撫でようと手を伸ばしても届かない。
「どう、して?どうして私は、自分の娘に何もしてあげられないの、、?」
梓は頭を掻きむしって歯ぎしりをする。
「椥叉にこれを……渡さなきゃ。椥叉!」
手を伸ばして苦しむ。その時、伸ばしていた手が何かに触れた。
「……え……?」
ようやく梓は目を覚ました。気づくと真霜の小さな手が梓の弱った手を握っていた。
「まし……も?」
「アズサさん、大丈夫?」
真霜はもう片方の手で横になっている梓の頭を撫でている。
「敷島さん、呼ぶ?」
そう言われ、梓は体を起こす。
「大丈夫よ。ありがとうね……。」
額に汗を滲ませながらも笑顔を見せる。
「ナギサって誰?」
「あぁ、私口に出していたのね……。椥叉は私の娘よ。ちょうどあなたと同じくらいの年齢じゃないかしら?」
真霜の顔を見ながら梓は言う。
「……ふーん。」
「い(・)つ(・)か(・)会って、友達になってくれると嬉しいわ。」
「う(・)ん(・)!」
にっこり笑顔でしっかり頷く真霜だった。




