第13話「木陰の腰掛。」
「あと、三年か……。」
綾紫野 梓は、人のいない病院の中庭で呟いた。
「とうとう来ちゃったのね……。」
梓は中庭の真ん中にある大木のもとのベンチに座り、青い空を見上げる。桜が散り、少しばかり気温が上がり始めた五月。木の葉から漏れてくる陽は、梓の長い茶髪に光を落とす。
「椥叉には何もしてあげられなかったなぁ……。」
娘の椥叉も梓と同じく身体が丈夫ではなく、入院していた梓に会いさえ来れていなかった。
「やっぱり悪化したのは、私のせいなのかな……?」
椥叉は体が弱いとはいえど、動けないほどではなかったが、梓が入院した1年前から急激に体調を崩していた。
「でも、正直、思っていたよりは頑張れたわね……。」
生後すぐに、長生きは出来ないだろうと医者に宣言されていた梓は今年で30歳を迎える。
「私は、やれることはやったわ……!」
生の意味を問い続けてきた梓は今になって誰に対するでもなく強がって見せる。
「はぁ……。」
目を閉じてため息をついた後、梓はいつの間にか穏やかな眠りに入っていた。
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「ん……。」
木陰の向きが少し変わった頃に梓はゆっくりと目を覚ました。
「寝ちゃってたのね……。部屋に戻ろうかしら。」
と、動こうとしたとき、身体の右側に違和感を感じた。
「あら?」
そこには、梓に身を預けるようにして眠る少女がいた。
「確か、この子は……。」
梓は、病院のスモックを着ているこの少女に見覚えがあった。
「昨日向かいのベッドに来た子よね……?」
昨日梓は検査室で一日がかりで検診をしていたために話すことが無かった。挨拶ということで彼女の父が果物を置いてくれていったらしいのだが、本人と会話を交わさなかった。彼女たちの病室にはベッドは4つあったが、他の患者はおらず、これからは梓とこの少女の二人きりになる。
今朝体温を測りに来た看護婦が、
「大丈夫だと思いますが、女の子の様子がおかしかったら連絡していただけませんか?」
と言っていた。理由を詳しく尋ねるのは野暮だと梓は思ったが、何をしておかしいと判断すればよいか分からず、
「癇癪でも起こすの?」
と聞いた。
「あ、いえ、そういう訳でもないのですが……。」
看護婦は目を伏せ言葉を濁した為、梓はそれ以上追及せずに承諾したのだった。
「この子の様子を、ね。」
恐らく昼食を終えた後、散歩をし、ベンチで休憩していたら眠ってしまったのだろう。
「私と同じね。」
その時少女の身体がビクリと動き、彼女は頭から梓の膝の上にコトンと落ち、梓が膝枕をするような形になってしまった。
「はぁ、これじゃ動けないじゃないのよ……。」
ため息をついた梓は少女の顔を見る。彼女の寝顔は笑っている様に見え、穏やかに呼吸を繰り返している。じわじわと弱っていく梓の身体とは違い、とても体温が高い。気づけば梓は少女の頭を撫でていた。
「ふふ……。」
まるでその少女が娘の様で、梓は可笑しかった。どのくらいそうしていたのだろうか?少女がゆっくりと目を覚ました。梓がそれに気づくと同時に、彼女と目が合った。
「……おはよう。」
梓は言った。しばしの間視線を梓に少女は固まっていたが、
「ひぁぅ……!」
と小さく甲高い声を上げ、飛び起きて走り去ってしまった。
「あれま……。」
しかし無理もない、昼寝から目覚めたら先に眠っていた人に膝枕をされ、頭を撫でられていたのだから。
「怖がられちゃったかしらね。」
こんなことを体験したことのない梓は少女がいなくなってしまい、なんだか寂しい思いがした。やがて梓も立ち上がり、その長い茶髪を揺らしながら病室へと戻った。病室へ入った時、窓際の梓のベッドの向かいにある、ドアから入って右奥に見えベッドには少女が戻っていたのだろう、ベッドカーテンが閉められテレビの音がしている。梓は少し気になりながらも、ベッドに戻って週刊誌を読み始めた。そしてたまたま載っている芸能人のスキャンダルの記事を見て、
「はぁ……。全く。」
と呟くと。
何故か少女が見ていたはずのテレビの音が消えた。
「……………?」
一度不思議に思った梓だったが、再び雑誌の記事に目を落とした。
「有名な俳優とか女優がどこで何をしていたって勝手じゃないのよ……。犯罪をしてるって確定してる訳でもないでしょうに。彼らの仕事はテレビの中。全く持って暇な人がいる者ね。」
と、思う梓だったが、
「いえ、それを読んでる私も相当な暇人ね……。」
と自嘲気味に笑った。
気づけば、カーテンの隙間から夕陽が差し込んでいた。窓の方のベッドカーテンのみを開き、外を眺めるが、三階のここからは大きな木の先端が少し見えるばかりだった。そうしていると看護婦がカートを押してくる音が聞こえた。
「梓さん、夕食ですよ。あれ?どうかなさいました?」
細い眼で外を眺めていた梓を見て看護婦が尋ねた。
「あ、いえなんでもないわ。ありがとう京ちゃん。」
「京ちゃんは止めてくださいって……。」
敷島京子は夕食をサイドテーブルに置きながら言う。
「あら冷たいわね、今更じゃない。私とあなたの仲でしょう?」
敷島は梓が入院して以来ずっとコミュニケーションを続けている看護婦だった。そう言われて照れていたが、なんだか嬉しそうにもしていた。敷島は次に少女に夕食を置きに行くと、その時梓はベッドカーテンの隙間から少女を見た。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。私が悪い子だから、ごめんなさい……。」
少女は耳を塞いで泣いていた。敷島はしゃがみ込んで少女の膝を布団越しに優しくポンポンと叩く。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
優しい声で尋ねるが少女は泣くばかりだった。
「どういうことかしら……?」
昼間は確かに怯えて逃げたが、その時の表情とでさえ全く違っていた。梓は夕食を取り始める。しばらくの間、敷島のなだめる声と少女のすすり泣く声が聞こえていたが、やがてどちらの声もしなくなった。
「はむ……もぐ……。」
主菜のサバの味噌煮を食べながら考える。
「あんな子の様子を私が見る?大分無茶な話よね。京ちゃんがやってるみたいに慰めればいいの?でも、あんなんじゃいつまで経ってもあの子の為には……。」
口に運んだものを飲み込んだ時に梓ははっとする。
「何を考えているのよ?私は。私はどうせ長くは持たない……。何の関係もない面倒な子の事を考えたって仕方ないじゃないのよ……。」
食事を終え、梓が先日買い込んだ長編漫画を読んでいると、
「梓さん、食器片づけても……。デザートはよろしいんですか?」
「えぇ、今日はいいわ。お願いね。」
梓はニッコリ笑ってそう言った。
「あの、向かいの子の様子を見るって話だけど……。」
冊子をぱたんと閉じて話を切り出す。
「あ、はい。何でしょうか?」
「私は……私には、あの子と何の関……。」
『関係もない』
と言いかけたとき、病室に食器が落ちる音が響き渡った。
「けぃっ!?な、何ごと!」
梓の声は思わずひっくり返っていた。向かいのベッドからの音だった。
「だ、大丈夫!?」
敷島は急いで少女のベッドへ向かい、カーテンを開けた。
「あっ、えっと……!」
少女は盆ごとひっくり返してしまった食器を必死な表情で片付けようとしていた。
「あの、ご、ごめ、ごめんなさい……。」
立っている敷島と梓を見て少女は目を合わせずに謝る。
「いいのよ!それよりケガしてない!?」
敷島の言葉に辛うじて頷いた少女。
「ほら、ベッドに座ってて。すぐ片付けるから。」
「私も手伝うわ。」
先ほど関係ないと言おうとした 梓だったが少女の顔を見て罪悪感がこみあげてきていた。
片づけが終わるまで少女はベッドの上で怯えた表情をしていた。
敷島が梓の食器と片付けた少女の食器を持って出ていこうとしたときに、
「あ、あー。急にデザートの梨が食べたくなったわねぇ。ねぇ京ちゃん、それやっぱり食べてもいいかしら?」
と、梓が言うと、敷島はきょとんとした後笑った。
「ふふ、そうですか。じゃあ仕方ないですよね。」
「何よその笑いは。」
「さて、なんでしょうか?」
そう言って敷島は帰って行った。
「あの、いいかしら?」
ベッドの外から梓は少女に声を掛けるが返事が無い。
「……入るわよ?」
少女はベッドに座ったまま梓を見上げた。
「ご、ごめんなさい……。」
「あら?どうして謝るの?」
少女は目を伏せ、
「かんごふさんと、お姉さんに、メーワク掛けちゃった、から……。」
「何言ってるのよ。あれぐらいじゃ迷惑にはならないわよ、私なんてあの看護婦に味噌汁かけたことあるから。気にすることないわ。」
梓はベッドの横でしゃがんで少女と目線を合わせる。
「で、でも……。」
「はいストップ。何も言わなくていいわ。お姉さんお腹いっぱいでこれ食べないの。食べる?」
彼女は一瞬梓の手にある梨の皿を見たが、はっとして首を振る。
「我慢しなくていいわ。食べたくなかったらそのままにしておいていいから。」
とベッドサイドテーブルに皿を置いて、少女の頭を優しく撫で梓は自分のベッドに戻った。
先ほど少女が皿をひっくり返した時、梨以外はほとんど食べ終え梨もいくつかは食べてあった。
デザートを食べてる時に何かの拍子で落としてしまったのだろう。
「災難な子ね……。」
梓はいつもより幾分早くベッドの明かりを消し、さっさと布団をかぶった。
ベッドフレームにあった、ネームプレートにあった少女の名前を思い出す。
『 琴ノ葉 真霜 』




