第12話「いのちの筆跡Ⅰ。」
「すごい綺麗だね~。」
真霜のアパートに上がった椥叉は言った。
「そうかなぁ?押し入れとかクローゼットに突っ込んでるだけだよ。」
真霜は鞄を机の上に下ろし、キッチンの方へ向かう。
「今週末、愛華も来れればよかったのに……。」
と言って、椥叉は小さくため息をつく。
「どうして?」
冷蔵庫からタッパーを出しながら真霜が聞く。椥叉は真霜の机の上にある髪飾りを置ける棚を見ている。
「私、友達の家に泊まるなんて初めてだし、ちょっと不安だけど、3人くらいいたら、イメージ通りの女子会みたいだなぁって。」
椥叉が意外なことを言うので真霜は驚いた。
「愛華を反射的に誘ったのは私だから言いにくいけど、椥叉は人数が増えるのを嫌がると思ってたよ。」
「勿論、全然知らない人とか、私の事が大っ嫌いな人とかだったらいい気分じゃないけどさ、愛華は多分いい人だと思うから。」
椥叉は顎に手を当てて言う。
「悪い子じゃないよね。私もそう思う、まぁ私が驚いたのは、賢哉くんとの事だけどね。」
笑いながら真霜は言う。
「驚いたって?」
「そ、実はあの子、隣のクラスの金田賢哉くんって子と少し前から付き合ってるの。確か椥叉が転校してきた辺りじゃなかったかな?」
タッパーを電子レンジに入れながら続ける。
「話してすぐ分かったけど、あの子は流行とかに敏感ですぐ飛びついたりして、それで飽きっぽい所もあるんだよね。だから私はすぐ別れる方に賭けてたんだけどね。」
「私が転校してきたのが五月で、今七月だから一ヶ月くらい?そんな長くないよね?」
「いやいや、あの感じなら長い方だと思うよ。最近の愛華の口から出てくるのは愚痴じゃなくて惚気ばっかり。あと二か月も持てばいいねぇとは思ってるけどね。」
「中々真霜も辛辣だね。さっき私が愛華の事を言ったのもそれが気になってたからなんだよね。」
机に寄りかかって笑う椥叉。
「愛華の恋バナ、というかそういうたぐいの話が聞きたかったの?」
温め終えた肉じゃがを、二つの皿にそれぞれよそう真霜。
「そういう事。全然そういうことに縁ないからね私。」
「ホント?そんなに可愛いのに?」
「あら?そう?私にも言ってくれているのかしら?」
急にナヅハが口を挟んできた。
「あんたには言ってない!」
家であるが故に、ナヅハへの返事をまたも声に出してしまった真霜は、咄嗟に口を抑える。
「ふふ……ナヅハ?」
椥叉は皿を受け取りにキッチンへ来て笑う。
「ごめんね、椥叉に似てるからって調子乗っちゃってさ。」
「ちょ!バカ!真霜!」
ナヅハは焦って真霜に言うが遅かった。
「え?」
「へぇー、ナヅハって私に似てるんだ?」
首を傾げる真霜、無邪気に尋ねる椥叉、俯いて首を横に振るナヅハ。
「あ!えー、えっとね。」
口を滑らせたことに気づいた真霜は目が泳ぐ。
「目元が、似ている、、、かな?」
真霜は何とかごまかしてキッチンから出た。部屋真ん中に置いてある小さなテーブルに肉じゃがの皿を置く。
「あ、クッションとか無かったね、後ろの襖から出していいよ。」
向かい合うように座った時に真霜が言った。
「よっと、あ、これだね。あれ?真霜、このいっぱいある箱って何が入ってるの?」
ラベルもない同じような箱が、多く置いてあることを不思議に思って椥叉は聞いた。
「あーそれね。休みの日に習字で書いたやつ、捨てないで貯めてるだけだよ。」
そう言って真霜は手を合わせて、肉じゃがを先に食べ始めた。
「ふーん、見てもいい?」
「ひーよ、へふに。」
熱かったのか口が回っていない。箱を開き、椥叉は大量に詰められていた半紙の内の一枚を適当に取り出した。
「………………………………ぇ?」
椥叉はしばらく黙って半紙を見つめていたが、やがて
「そんな?……え?……どうして?…だって、これは……でも、そんなはず…。」
と小さな声でぶつぶつ言いだし、持っている手が震え始めた。真霜は肉じゃがを食べながら、
「あはは、下手でしょ?まぁでも別に上手くなるのが目的…」
と、言いかけたところで椥叉が真霜を振り返った。
「じゃ、ない…か……ら……。」
椥叉の表情を見て真霜は言葉を失った。
「ま、ましも…これ、ど、どこで……?」
消え入りそうな小さく震えた声だったが、その声にこもっているであろう、驚愕や恐怖という感情のせいで真霜の耳にははっきりと聞こえた。
「ちょ、ちょっと待って?急にどうしたの、椥叉?大丈…」
「いいから答えてっ!!」
真霜の言葉を砕くほどの勢いで叫んだ椥叉。そんな椥叉を見たのは初めてで、真霜は完全にパニックに陥っていた。
「な、何よ椥叉……どうしたっていうの?」
「答えてよ!……この…これを!!どこで!!」
椥叉は猛烈な勢いで真霜に埋め寄ったが、その椥叉の身体も震えていた。
「・・・・・!」
ナヅハも完全に絶句し、思考が停止している。真霜が怯えて答えられないというのを悟ると、紙を握り締め、おぼつかない足取りで、しかし走る様にアパートの玄関から出ていった。鞄は部屋に置きっぱなしで、靴を履くことすら忘れて。一気に静寂が訪れたアパートの一室で、真霜は未だ状況が飲み込めず、身体を震わせていた。
「なんで……?どうして……椥叉?」
先に正気を取り戻したのはやはりナヅハであった。
「ま、真霜!!」
「え、あ、ナヅ、ハ?」
ナヅハの声に辛うじて反応する。
「立ちなさい!椥叉を……!!」
しかし、そこでナヅハの言葉は途切れてしまった。
「……追いなさい、なんて言える訳、ないじゃないのよ……。間違いないわ、彼女は知っていた。この『梓の哲学』を……。もう取り返しのつかないことをしてしまったわ…。」
ナヅハは声には出さなかったが、肘をついて頭を掻きむしり、歯ぎしりをする。
「一体、どうすればいいのよ……!?」
「…………。」
真霜は現実感の無いこの状況から抜け出せずに、手の付けられていない、まだ湯気立つ肉じゃが見つめていた。
「はぁっ!はぁっ!はっ!」
真霜のアパートから飛び出した椥叉は必死に家を目指していた。途中で転んでひざを擦りむき、石を踏んで足裏から血が流れていたが構わずに走り続けた。家の玄関に着くと、鍵をポケットから出すが鍵穴にうまく嵌らない。息は上がり、手は震え、足もがくがくになっていた。なんとか玄関を開けると、一直線に部屋のクローゼットへ向かい、クローゼットの中の段ボールを乱暴にどかす。
「はぁっ!……はぁっ……!」
ズキズキと胸が痛むが、アルバムの入っている箱を開け、アルバムに挟まっていた一枚の紙を取り出す。その二つ折の紙と、真霜の家から持ってきたぐしゃぐしゃになった紙を床に並べた。そしてその二つの紙に書いてあることは、一言一句違わず同じだった。
「そんな、そんなはずない……。だってこれは!………あっ!うっ!」
胸の痛みが一段と強くなり、スマホでいつもの病院に電話をかけ、その電話が切れると同時に椥叉の意識も途切れた。
翌日の朝、真霜は感情が抜け落ちたようになって食パンを齧っていた。
「………………。」
あれから全く言葉を出さず、ぼーっとしている。
「ちょっと真霜、ジャム、垂れてるわ。」
ナヅハもいつもより力が無く、声も小さかった。時間になり、学校へ行くために真霜は家を出た。
「……それ渡すの?」
ナヅハは、真霜が持っている椥叉の鞄と靴を見て言った。
「そりゃ、無いと困るでしょ?こういうのって。」
通学路の途中で愛華と会った。
「おはよー真霜ーって!何よ、その顔……。」
愛華は真霜のどんよりした顔を見てぎょっとする。
「ごめん、今日は放っといて……。」
力なく笑う真霜は愛華より先に学校へ向かった。教室に行っても、ホームルームが始まっても椥叉は学校に姿を見せなかった。
「あの、先生。綾紫野さんって……?」
朝のホームルームが終わってから真霜は担任に尋ねた。
「あぁ、綾紫野さんね。昨晩体調を崩して入院していますよ。」
「そう、ですか。先生ごめんなさい、体調が悪いので早退します。」
そう言った真霜の顔色を見て、担任はすぐに頷いたのだった。学校の門を出てからすぐ家とは反対にある駅の方向へ歩き出した。真霜は学校から出て駅の方へ向かっていた。
「行くの?」
ナヅハの言葉に真霜は黙って頷く。
「き、今日はあなたも体調が良くないわ。日を改めましょう?ね?」
ナヅハは内心かなり焦っていた為、真霜を止めようとするが、真霜は歩みを止めない。ナヅハは今までで一番の恐怖を感じていた。
"真霜が壊れる"という、彼女にとっての一番の恐怖を。
無理やりにでも止めたかったのだが、真霜が強い意志を持って行動している限り、ナヅハが真霜の身体を操ることは出来ず、黙って見ているしかなかった。乗り込んだ電車にはいつも以上に人が乗っていたが、真霜には寧ろいつもより少ない様に感じた。視界に映る人々が全て作られた表情のマネキンに見えて仕方なかった。音も余り聞こえず、何も感じない。視界に色彩は宿っておらず、灰色に塗られていた。唯一真霜の視界で色を持っていたのは渚の持ち物であるカバンと靴だけだった。駅名は聞こえなかったが真霜はいつの間にか電車を降り、何も考えていないのに病院への道を歩き、気づけば椥叉の病室の扉の前で立ち尽くしていた。深呼吸をしてから、ゆっくりと扉を開け、窓際のベッドのカーテンの前に立った。
「な、椥叉……。いる?」
「え?ま、真霜!?」
カーテンの向こうのベッドからは素っ頓狂な声が聞こえた。
「入って、いい?」
「う、うん。」
どちらもぎこちない会話に真霜は居心地が悪かった。中に入ってみると、椥叉はベッドの上に小さい箱を乗せ、その中の小さな箱やアルバムを見ていた。
「椥叉、これ。鞄と靴、置いとくね……」
「ごめんなさい!」
真霜が置こうとしたとき椥叉は頭を下げて謝った。
「ど、どうしたの?」
「昨日は本当にゴメン!私、そのパニックになっちゃって、急に大声出したり、自分勝手なことしちゃって……本当にごめんなさい!」
涙声になっていたが、椥叉は必死に涙を見せまいと力を入れて震えていた。
「だ、大丈夫だよ!気にしてないから。ちょっとビックリしただけだから……。それで、一体どうしたの?私が書いたあの紙に何か?」
椥叉が謝ってくれたことで内心ほっとした真霜は、昨日の事について尋ねた。しばらく椥叉は躊躇っていたようだったが、やがて小さな箱の中から、ぐしゃぐしゃに丸めた跡がある四つ折りの紙を真霜に渡した。
「これは……?」
「……読んで。私の、お母さんからだよ……。」
その椥叉の言葉が耳に届いた瞬間、ナヅハは全身が凍り付く思いがした。
「ま、待ちなさい! ダメよ!! 止めなさいっ真霜!! それだけはダメッ!!!!」
ナヅハは、真霜の頭が割れるかと思うほどの悲痛な叫びを上げた。
「な、何さ、ナヅハ……。痛いよ……。」
頭を押さえて真霜は涙目になっていた。
「だ、だめ……。本当に、その"手紙"だけはダメ!!止めなさい!今すぐ捨てなさい!」
ナヅハの声は震えていたが、間に合わなかった。真霜はその紙を開き、一行目を口に出した。
「椥叉、真霜へ。 」
それを見て真霜は首を傾げる。
「どうして、私の名前を?」
ナヅハはこれ以上読ませないように叫んでいたが、真霜には全く聞こえていなかった。
その代わりに、彼女の頭の中には子供の泣き声が聞こえていた。
『あは、あはは……。変な……変な字!うっ、うう……変だよ……!どうして……アズサさん……!ひぐっ……うあ、ああぁ!!』
真霜は、どこかで覚えのある声を聴きながら手紙を読み進めていった。
最後の一文を読み終えたとき、真霜の視界は涙で滲み、その場で気を失って倒れた。




