40.ようやく、見つけた
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広い応接室で、私は書類の入った封筒を握りしめていた。
室内にずらりと並んだ屈強な私兵たちが、無言のまま私を睨んでいる。その圧に息が詰まり、嫌な動悸が止まらない。メイドが出してくれたお茶に手を伸ばしてみたものの、指先が震えてカップを持ち上げられず、そっと引っ込めた。
ここは、カーマイン侯爵の本邸。昨夜、父に無理を言って侯爵宛ての用事を作ってもらい、その書類を携えて訪ねたのだ。
公にはまだ、ラパンの予告状が届いたことは知らされていない。しかし、屋敷の中も外も騎士団と私兵で固められた厳戒態勢は、誰が見ても異常だった。門前で一度は追い返されかけたが、レオン様の学友だと告げて、どうにか通してもらえたのだ。
お茶がすっかり冷めた頃、ようやく扉が開いた。
「リタ……お前、こんな所まで来て何やってんだよ? 学校は?」
レオン様だ。
たった数日会わなかっただけなのに、ひどく懐かしくて、鼻の奥がつんと痛んだ。
「あの……しょ、書類を……アリアナと、こっ婚約破棄の、サインを……」
舌がもつれる。自分でも何を言っているのかわからなくて、焦れば焦るほど言葉が散らばっていく。気持ちとは裏腹に涙が込み上げ、とうとう堪え切れずにこぼれ落ちた。
レオン様は室内の私兵たちに視線を走らせる。
「席を外せ。リタと二人で話がしたい」
「しかし――」
「お前たちの目には、彼女が何に見えるんだ?」
私兵たちはレオン様に一礼し、静かに退室していった。
「すぐバレることだから言うけどさ、ラパンから予告状が届いたんだよ。うちの親父は、ブロックス伯爵みたいに何でも持っていけってタイプじゃねぇから、この有様だ」
いつもと変わらない調子で話すものだから、ほっとして、かえって涙が止まらなくなる。
「だから暫く、俺も学校には戻れねぇかな。えっと、サインだっけ? 俺ので良ければ今書くけど、親父のが必要なら書類を預かって――」
「なんで……ここまでする必要があるの……?」
「え?」
書類を受け取ろうとしたレオン様の手が、ぴたりと止まった。
「……学年末パーティー……貴方の言った通り、最低で最高のパーティーだったよ」
「……」
「エドワードも、貴方が破滅することなんか望んでない……!」
「……リタ」
「ようやく……ようやく、貴方を見つけたのに……!」
「リタ」
ふわりと、レオン様の体温が私を包み込む。
「……馬鹿だなぁ。ようやく自由になれたんだから、俺のことなんか放っておけばいいのに」
放っておけるはずがない。あんなにも会いたかったのに。こんなにも今、会えて嬉しいのに。
「ラパン……」
「お前に捕まった日のこと、覚えてるか? 口から心臓が飛び出すかと思うくらい、びっくりしたんだからな」
「……そんな風には、見えなかったよ」
「学校じゃいっつも先生に怒られてる落ちこぼれが、あっさりこの俺を捕まえちゃうんだもんなぁ。それに、あの時のアリアナの怒鳴り声! あれもマジでビビった!」
優しい声で話しながら、背中をぽんぽんと叩いてくれる。子どもにでもなった気がして、思わず笑みがこぼれた。
「ずっと同じクラスで顔を突き合わせてたのに、俺はアリアナとリタの歪んだ関係に全然気付いてなかった。あの夜がなかったら、何も知らないままアリアナと結婚してたんだろうなぁ」
「後悔……してる?」
「まさか。正直、婚約だって俺の知らないうちに進んでた話だしな。アリアナには悪いけど、好きでも嫌いでもなかった」
それを聞いて少し嬉しいと思ってしまった私は、性格が悪いかもしれない。
レオン様は私の呼吸が落ち着くのを待って、ソファへ座るよう促した。向かい合って腰を下ろすと、彼はふっと笑みを消す。
「リタみたいに、親父のせいで人知れず泣いてる人が大勢いるんだ」
「……うん」
「俺は、俺にできることをやりたい。俺の力で救われる人がいるなら、手を差し伸べたいんだよ」
「でも……」
「本当なら、俺が名乗り出て親父を糾弾するべきなんだろうけどさ。俺には、親父を引き摺り下ろすだけの力がない。世論を味方につけたラパンにしか、できねぇんだよ」
レオン様を止める言葉が、私には見つけられない。
「……カーマイン侯爵は、爵位を剥奪されるかもしれない」
「だろうな。貴族院がどう判断をするかはわかんねぇけど、俺の継承権は奪われないよう、出来る限り働きかけるつもりだ。立派な領主にはなれないかもしれねぇ。でも、陰で涙を流す奴のいないように治めたいって、そう思ってる」
だから、騎士団からのスカウトをあれほど頑なに断っていたのだ。腑に落ちると同時に、胸の奥に小さな棘が刺さる。
「レオン様は、本当にそれでいいの? 本当は、ユリウス様と一緒に騎士になりたかったんじゃないの?」
ほんの一瞬、レオン様の眉が跳ねた。
「騎士団って、もっとすげぇ奴らの集まりだと思ってたんだけどな。未だに俺一人捕まえられねぇような組織、こっちから願い下げだよ」
軽い口調だったが、私には強がっているようにしか聞こえなかった。
「これまでの包囲網だって簡単に抜けられたし、今回なんて自分の家だ。警備の配置も把握しやすい。だからリタは、何も心配するな」
「レオン様……」
「全部片付いて落ち着いたら、お茶でもしようぜ。今度は日の当たる、明るい場所でな」
テーブルの上では、すっかり冷めたお茶が静かに揺れている。私は返事の代わりに、小さく頷いた。




