38.ティーカップ
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翌日、学校が終わるとすぐに、レーニに無理を言って馬車を出してもらった。
向かった先は、ここ――孤児院。
「エドワード。少し二人だけで話がしたいんだけど」
夕食の準備をしていたエドワードを呼び出し、他の子どもたちが来ないよう、建物の裏手の隅へ連れ出した。
「リタ? 怖い顔して、一体どうしたんだよ」
「エドワード……」
私は正面から、エドワードの目を見た。
「ラパンの正体、知ってるよね?」
彼の瞳が揺れた。
「な、何? 突然……意味わかんないんだけど」
「私、ラパンが好きなの。たくさん……本当にたくさん、救ってもらった」
真っ暗な屋根裏部屋に差し出された手は、とても温かかった。優しい月明かりで照らしてくれて、私を窓から外へ連れ出してくれた。
「ラパンは、『あの人』だよね? だったら、止めなきゃ……! もしも騎士団に捕まるようなことがあったら、とんでもないことになるよ!」
「――わかってる……」
エドワードの声は、震えていた。
「わかってるよ、そんなこと! 俺も……こんなことになるなんて、思ってなかったんだ……!」
「エド……」
「俺が始めたことなんだよ。俺……前に、建築会社でバイトしてたんだ」
「建築会社って、あの事故に関わっていたっていう?」
エドワードは頷き、続けた。
「その時、教会の修繕工事の書類を見つけたんだ。設計図と工事の記録が食い違ってた。調べてみたら、資材の納入にも不正があって……おかしいって思ってた時に、あの崩落事故が起きた。原因は不良品と手抜き工事なのに、公には工事に不備はなかったことにされたんだ」
「もしかして……最初に匿名で社長と騎士団に証拠を送りつけたのって……」
「俺だよ」
ラパンは、自分がやったと言っていた。エドワードを巻き込みたくなくて、そう言ったのだろうか。
「必死に集めた帳簿も取引記録も、全部なかったことにされた。隣で母親を亡くして泣きじゃくってる子どもがいるのに、犯人は今も、立派な椅子にふんぞり返ってるんだ。俺、悔しくて悔しくて……直接関係ないのに、『あの人』に全部ぶち撒けてキレたんだ」
「……それで『あの人』がラパンになって、罪を暴くと約束したんだね」
「基準に満たない木材を納入したコーエン林業、必要な金具や建築資材の納入量を水増ししたテレーヌ商会、工事の杜撰な検査をしたカールズ子爵、建設会社から工事費削減による利益を受け取ったレスター伯爵……まだ圧力が掛かっていて公的な処罰は下ってない。それでも、ラパンが派手に動いてくれたお陰で世論が動いた。社会的に裁かれただけでも、俺は感謝してる」
「でも、ラパンは納得してない。公的な処罰を受けるように、次はその圧力を掛けている人物を狙うはずだよ」
エドワードは、固く拳を握りしめた。
「頼む、リタ! ラパンを止めてくれ! 次の標的は……ダメなんだよ……! 俺がどう言っても聞かないし、孤児の身分じゃこっちから会いにも行けない……! 近いうちに予告状を出すと言っていたから、時間がないんだ!」
「どういうこと? ラパンは誰を狙っているの?」
エドワードは唇を噛み、その名を絞り出すように言った。
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目の前に差し出されたティーカップは、白磁のさくらんぼ柄だった。満たされた琥珀色のお茶から、甘いはちみつの香りが立ちのぼっている。
「……ミヒャエル・ガロの陶磁器ですね」
私が呟くと、お茶を運んできた使用人の女性は、上品な笑みを浮かべて頷いた。
「さすが、リタ様。博識でございますね。うちの若様は、これの価値などちっとも気にされないお方でして」
「最近、このティーカップを一つ無くされたのでは?」
「あら、若様からお聞きになりましたか。侍女頭に大変叱られておりましたよ」
小さく笑った使用人は、頭を下げて応接室から出て行った。
カップを手に取り、お茶を一口含む。屋根裏部屋で飲んだあのお茶と、同じ味がした。
「……ずっと近くにいたんだね……」
込み上げてくる涙をぐっと堪えて、部屋の扉を見つめる。
彼が来たら、何から話そう。昨日エドワードと話してから、頭の中でたくさん考えた。けれど、ちっとも纏まらず、半ば衝動的に彼の家へ押しかけてしまった。
「失礼します」
ノックの音がして、ゆっくりと扉が開く。けれど、現れたのは彼ではなかった。
「わざわざ足をお運びいただきまして大変恐縮ですが、若様は本日こちらに戻られないとのことでして……」
執事だろうか。初老の男が、深々と頭を下げながら言った。
会えないかもしれないことは、予想していた。
「昨日も今日も学校に来られなかったので、心配なんです。体調を崩されているんですか?」
「いえ。少々本邸の方で用がありまして、昨日よりあちらに戻られているのです」
「カーマインの本邸にですか?」
「はい」
まずい。嫌な予感が、確信めいたものに変わっていく。
ラパンは――レオン様は、もう予告状を出してしまっているかもしれない。
戻られたらすぐに連絡が欲しいとだけ伝えて、私はカーマイン家の別邸を後にした。
コラン先生から名前を聞くまで、私は無意識のうちに、レオン様は魔法使いではないと思い込んでいた。技能の授業では剣技を選択していたし、剣の腕は一流だと聞いていても、魔法を使う姿は見たことがなかったからだ。
けれど、全部、辻褄が合ってしまった。
ブロックス家にブローチを盗みに入った手口も、外から侵入したのではない。最初から、中にいたのだ。
アリアナの暴言がパーティー会場に流れたのも、ネックレスに仕掛けがしてあったから。だから婚約破棄を言い渡した時に、レオン様自身の手でネックレスを外して、自然にエドワードに渡るようにした。そして、エドワードが仕掛けを取り除いて、騎士団に提出した――そう考えたからこそ、昨日エドワードに会いに行ったのだ。彼が共犯者でなければ、説明がつかないから。
ユリウス様を避けていたのは、その実力を知っていて、対峙すれば正体が露見しかねなかったから。エドワードを介して、ユリウス様の不在を調べていたのだ。
侯爵家の嫡男が怪盗ラパンだなんて、絶対に知られてはいけない。しかも、エドワードが教えてくれた、ラパンが最後に予告状を出そうとしている相手は――カーマイン侯爵なのだから。




