34.ブロックス家のこれから
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事態が更に動いたのは、それから一月ほど後のことだった。
休日の午後、父からブロックス邸に来るようにと呼び出しがあった。迎えの馬車に揺られ、久しぶりに帰宅した私は、そのまま応接室へ通された。
部屋にいたのは、父と義母とアリアナ。そして、ユリウス様だった。
「ユリウス様……」
顔を合わせるのは、あのパーティー以来だ。ドレスの件のお礼を伝えたかったのに、あれから学校にも姿を見せなかったので、言えずにいた。
ユリウス様は小さく微笑んで、私にソファを勧めた。父の隣に私が座り、そのまた隣にユリウス様が腰を下ろす。向かいには、義母とアリアナ。
この二人と向き合うのは、まだ辛い。けれど義母は、私が入ってきたことにも気付かないかのように、俯いたまま微動だにしなかった。アリアナも、そんな義母の様子に戸惑っているようだ。
「これから話すのは、ブロックス家の今後に関わることだ。立会人として、騎士団のユリウス・ドラクレール卿に同席してもらっている」
父は一呼吸置いて、続けた。
「結論から言う。マクシーネとは離婚する」
……聞き間違いだろうか。父は今、離婚すると言った?
きっと私は、アリアナと同じ顔をしているだろう。目も口も大きく開いたまま、俯く義母を真っ直ぐに見据える父を見つめる。ただでさえ白いアリアナの顔が、更に蒼白になっていた。
「おと……お父様……? 今、なんとおっしゃいましたの……? り、離婚?」
「そうだ。マクシーネは、ベルナール子爵家に帰す。細かい取り決めは協議中だが、この決定を覆すつもりはない。ドラクレール卿に立ち会っていただくのは、離婚の証人となってもらうためだ」
「何故ですの!? もしかして……リタに手を挙げたから? それでしたら、もう二度と近寄らないとお約束いたしました!」
「それ以前の問題だ。マクシーネは私を欺き、決して触れてはならぬ逆鱗に触れた。私は、それを一生涯許すつもりはない」
「それって……?」
問いかけるように見ると、父は私を振り返って頷いた。
「ドラクレール卿にも助力いただき、十八年前のあの日、私にエリザの手紙と偽って渡した女を探し出した。私の予想通り、当時のマクシーネの使用人だった」
「偽造私文書行使と詐欺に加担した疑いがあると伝えると、あっさり認めてくれました。マクシーネ夫人が書いた手紙を、それぞれ差出人を偽って渡すように指示された、と。駆け落ちの日時を伝える手紙も、エリザさんの手に届く前に抜き取って、破棄したそうです」
父の言葉にユリウス様が補足を加えた。彼はふっと表情を和らげる。
「エリザさんが受け取った手紙を残しておいてくださって、助かりました。筆跡に封筒、便箋と、証拠がたくさん残っていましたから」
義母が静かに身じろぎしたのがわかった。その隣で、アリアナは話についていけていない様子だった。
「な……何の話をしていますの? そもそも、エリザとはどなたですか? 手紙? 偽造とか詐欺とか、何なんですの?」
「エリザはリタの母親……私が唯一愛した女性だ」
「唯一って……お母様がいらっしゃるじゃありませんか!」
「マクシーネを愛したことなど、一度もない。エリザを失って、もうどうでも良くなっただけだ」
「どうでも良くなったって……それでは、私は何なのですか!? お二人の間に生まれた私は――」
アリアナの目線が義母に留まる。義母は顔を歪ませ、涙を流していた。
「お母様? 私は……お父様の子、ですわよね……?」
「……っ!」
「ねぇ、お母様!! 私は、カルロス・ブロックスの嫡子、アリアナ・ブロックスですわよね!?」
誰も答えない。それが、答えだった。
「……アリアナに罪はない。これまで通り、伯爵家の娘として扱う。但し、私の血を継ぐ正統な娘はリタだけだということを、忘れるな」
怖いくらい、私を取り巻いていた世界が変わっていく――
取り乱したアリアナが退室を命じられると、私も息苦しさに耐えかねて、部屋から庭へ出た。
アリアナのことは可哀想だと思う。けれど、これまで受けてきた仕打ちを思い返すと、単純には同情はできなかった。義母――マクシーネに至っては、もっと酷い目に遭えばいいという黒い感情まで湧いてくる。
「リタ」
緑ばかりが目立つ庭をぼんやり眺めていると、背後から声を掛けられた。振り向いて初めて、辺りが薄暗くなっていることに気がつく。
「ユリウス様……」
「冷えてきたので、中に入られた方がいいですよ」
「いえ、このまま寮に戻ります」
「では、寮まで送ります」
いつかのように、私はユリウス様と向き合って、騎士団の馬車に揺られた。
「パーティーの時は、ありがとうございました。ドレスが……その、溶けちゃった時……」
「お礼なら、エドワードに言ってあげてください」
ユリウス様がにこりと微笑む。
「アリアナがリタに何かするかもしれないから、できるだけ気にかけてあげてほしいと、彼に頼まれていたんです」
「エドワードが?」
「何か嫌な感じがする、と言っていました。まさかあそこまで悪質だとは思わなくて、僕も驚きました」
孤児院の慰問の時に、アリアナの言動に思うところがあったのだろうか。折を見て、エドワードにも会いに行きたい。
「それから、レオンにも。お二人のダンス、素晴らしかったですよ。まぁ、それがアリアナの癪に触ったのでしょうけど」
あのダンスは本当に楽しかった。嫌なことを全部忘れてしまえるほどに。
柔らかい笑みを浮かべたまま、ユリウス様は続けた。
「最低で、最高のパーティーでしたね」
「……え?」
咄嗟に顔を上げた私の視線を、ユリウス様はさらりと受け流す。何事もなかったような顔で、脇に置いた鞄から一枚の紙を取り出し、私に差し出した。
「状況が変わったと思うので、改めてお尋ねします。魔法の授業、受けてみませんか? 技能の授業で輝く花を出してみせたと聞いています。先生も、大変興味があるそうですよ」
紙には、マルゴット・コランという名前と住所が記されていた。
「僕は直接指導を受けたことはありませんが、南部では名の知れた魔法使いです。騎士団への入団の可否を判断する権限も、お持ちなんですよ」
胸の奥で燻っていた想いに、ふっと小さな火が灯る。
「やってみたい……です。でも……」
胸に灯った火はゆらゆらと揺れて、今にも消えてしまいそうだった。
「私、ブロックスを離れようと思っていて……」
「離れる? なぜですか?」
「初めは、ママの形見を取り返せたので、もうここにいる必要はないと思ったからです。アリアナたちから……『落ちこぼれの私生児』という立場から、逃げたかった」
ユリウス様は静かに頷いて、耳を傾けてくれた。
「でも今は、居心地が悪くて。あれだけ私を白い目で見ていた人たちが、手のひらを返したように接してくるのが怖いんです。クラスメイトも、学校の先生たちも、ブロックス家の使用人たちも……お父様も」
「だから、リタのことを誰も知らない場所で、静かに暮らしたい。そういうことですか?」
私が頷くと、ユリウス様は何かを考えるように視線を宙に向けた。
「それは、非常に勿体無いと思いますけれど」
「勿体無い……ですか?」
「周囲が手のひらを返したと言いますが、本来の評価を取り戻しただけです。貴女は人一倍努力家で、才能にも恵まれている。今の反応こそが、正当な評価なんですよ。伯爵との関係だって、掛け違えていたボタンが、ようやく正されたところではありませんか」
「でも……」
「伯爵は、とても後悔されていましたよ」
「お父様が?」
「エリザさんの件を調べる中で、伯爵とご一緒する機会が何度もありました。その度に『リタには悪いことをした。償っても償いきれない』とおっしゃっていました」
今更後悔されても、遅い。最初から……偽の手紙を受け取ったあの時から、ママを信じて探してくれていたら、こんなことにはならなかったのに。
「許せないのでしたら、尚更ここに残ることをお勧めします。伯爵令嬢の肩書きを存分に利用して、我儘を言えばいいんです。魔法の授業を受けたいと言えば、伯爵はきっと惜しみなく授業料を出してくださいますよ」
にっこりと笑っているはずなのに、その笑顔はどこか黒い。
「それに将来、リタが結婚する時にも、肩書きは役に立つはずです」
「結婚……」
「例えば僕と結婚するとなったら、伯爵令嬢でいてくれた方がスムーズでしょう?」
「はい!? な、ななな何を……!?」
思わず裏返った声を上げた私に、ユリウス様は可笑しそうにくすくすと笑った。
「そんな可愛らしい反応をされると、冗談だと言えなくなるじゃないですか」
し……心臓に悪い冗談はやめてほしい……!
不覚にも赤くなってしまった顔で咳払いをして、居住まいを正す。
「正直なところ、父が何を考えているのか、私にはまだわかりません。だから、もう少し……父との時間を持ってみようと思います。魔法の授業のことも、やってみたいと伝えてみます」
「前向きなお返事を、お待ちしております」
「それから、ママのこと。調べてくださって、本当にありがとうございました」
「いえ」
ユリウス様は、ふっと口元に自嘲めいた笑みを浮かべた。
「肝心なところは、ラパンに奪われましたから。せめてそれ以外は、正攻法で貴女を救いたかったんです」
言葉は静かだったけれど、その奥に確かな怒りを感じて、私はそれ以上何も言うことができなかった。




