29.筒抜け
やってしまったと気付いた時には、もう遅かった。ダンスを終えて主賓席の義母を見ると、凍てつくような目で私を見ていた。アリアナの方は、怖くて見ることができない。
「なんだ、リタ。ちゃんと踊れるじゃないか。もう一曲、踊る?」
「いいえ! 私はもう――」
「二人とも、とっても素敵なダンスでしたわ」
背後から、アリアナの声がした。意を決して振り返ると、彼女は聖母のように穏やかな笑みを浮かべている。
「ねぇ、リタ。私、お化粧直しに行きたいの。付き合ってくれる?」
「う……うん……わかった……」
アリアナは笑顔のまま、かすかに震える私の腕を引いて会場の外へ出た。
賑やかな喧騒が遠ざかっていくのと同時に、胸の中で嫌な音がどんどん大きくなっていく。
「アリアナ、ごめんなさい! 私――」
人気のない廊下に差し掛かった時、アリアナが立ち止まった。すかさず謝ろうとした私の頬を、彼女の右手が鋭く叩きつける。
「っ!」
「私生児の分際で、何を調子に乗ってるの? ちょっとユリウス様に目を掛けてもらっているからって、勘違いしてるんじゃない?」
激しい怒りを宿した目で、私の髪を乱暴に掴んで引っ張った。
「痛……っ! ごめ……ごめんなさい、アリアナ……!」
「よくもその汚い手で、私のレオン様に触れたわね! それも、あんな楽しそうに……! 人の男に手を出す女の血だけは、しっかりと受け継がれているのね。穢らわしい!」
アリアナはありったけの力で私を突き飛ばし、床に倒れた私の脇腹を、何度も尖った靴の踵で踏みつける。
「あんたは一生日陰で生きていくのよ! 私を引き立てるためだけにね! 勉強も、魔法も、何もかも全部落ちこぼれのままで、何一つ私より秀でてはいけないの! 何度、同じ事を言い聞かせれば理解できるの!?」
「い……っ……!」
「母親の形見を取り返したから、もう怖くないとでも? だったら、そのイヤリングも壊してあげるわ。もう一度、一から躾をし直さなくちゃね!」
「ダメ! やめて!」
咄嗟に耳を塞ぎ、イヤリングを庇う。
「私に逆らうなって言って――」
「アリアナ様!」
アリアナの手がイヤリングに伸びようとした時、廊下の端からディアナ様の声がした。アリアナはびくりと大きく肩を揺らし、すぐに笑顔を作る。
「ああ、騎士様。この子ってば疲れてしまったのか、転んでしまって。どうかされましたか?」
ディアナ様は困惑した表情で、私たちの元へやって来る。そして私とアリアナを交互に見た後、私に手を差し伸べ、立ち上がらせてくれた。
「アリアナ様……なぜこのようなことを……!」
「え? 何のことですの? 私はただ、リタと化粧室へ参ろうとしただけですわ」
「……全部、聞こえていましたよ。おそらく今、この会話も全て筒抜けです」
「……は?」
ディアナ様は乱れた私の髪を指先で整えてくれながら、そっと私の背中を押して歩き出した。その後を、アリアナが戸惑いながらついて来る。
「つ……筒抜けって、何の話ですの? ご説明いただけますか?」
「……会場にお戻りになられたら、お分かりになるかと」
ディアナ様の声音も、アリアナへ向ける目も冷たい。
一体何が起きているのか、私もアリアナも訳もわからぬまま会場へ戻った。
「騎士様。ここで何が分かると――」
声を上げたアリアナの顔が、大きく目を見開いたまま凍りついた。私も思わず彼女を振り返る。
「何……」
小さく呟いたはずのアリアナの声が、パーティー会場全体に響き渡った。
会場にいた全ての人たちの双眸が、一斉にアリアナへ向けられる。
「さっきの暴言……本当にアリアナ様……?」
「いや、まさか……あのお優しいアリアナ様が、リタ相手とは言えあんな酷いこと……」
「でも、あの騎士様の声も聞こえていたわよね」
「何で……? 何なのよ、これ!? なんで、私の声がこんな――」
一気に好奇の目に晒されたアリアナは狼狽し、誰の仕業なのかと大きく周囲を見渡した。そんな彼女の元に、義母が血相を変えて飛んでくる。
「アリアナ!」
「お母様……! 何が起きているの!? どこから? どこから私の声は聞こえていたの!?」
唇を強く噛み締めた義母の表情から、私を連れ出した後の言葉全てが聞こえていたのだろうと察せられた。




