02.私生児
「……あらヤだ」
一限目の用意をしていたアリアナが、小さく呟いた。顔を上げて教室を見回し、誰もこちらを見ていないのを確かめる。それから私の鞄から何食わぬ顔で筆入れを取り出し、自分の机の上に置いた。
「アリアナ。筆入れ、忘れたの? だったら――」
「あら、リタ。貴女、筆入れを忘れたの? 持ち物はちゃんと確認しなさいって、いつも言っているのに……しょうがないわね、貸してあげるわ」
私の声を掻き消す声で言いながら、アリアナは私の筆入れからペンを一本取り出し、それを私に差し出した。
いや、それ……私のなんだけどなぁ。
でも、口答えはしない。私はただ、こう言えばいい。
「ありがとう、アリアナ」
アリアナは満足そうに微笑んだ。
「……私生児の尻拭いをさせられて、アリアナ様がお可哀想だわ」
「でも、ちっとも嫌なお顔をなさらないんですもの。聖母のようにお優しい方よね」
私たちのやり取りを聞いていたクラスメイトが、コソコソと囁き合う。
そう、私とアリアナは腹違いの姉妹だ。屋敷にいる母親はアリアナの実母であり、父の正妻。彼女がアリアナを身籠っている間に、父が不倫して出来た子どもが私だった。
私のママは父に捨てられ、心を病んで、私が幼い頃に亡くなった。それ以来、私は父に引き取られたのだ。
夫の不貞で出来た子どもを、義母が可愛がれるはずもない。父が仕事以外に興味がないのをいいことに、私は義母に辛く当たられ続けている。義母がそうであるので、アリアナを含めあの屋敷の人間は誰もが、私を汚物のように扱った。
更にアリアナは、私を引き立て役にするのが上手かった。すっかり私は薄汚い私生児で、アリアナはそんな私を家族として受け入れる聖女様――ということになっている。
「そうですわ、アリアナ様。昨日、また怪盗白兎の予告状が騎士団に届いたのをご存知ですか?」
「まぁ。またですの?」
【怪盗白兎】――普段誰とも会話をしない私の耳にも届くほど、巷を賑わせている泥棒だ。
私は一限目の教科書を読むふりをしながら、クラスメイトとアリアナの会話にそっと耳をそばだてた。
「ええ、今度は貿易商のミハエル・テレーヌのお屋敷だそうですわよ。前回のコーエン林業社長のお屋敷では、高価な時計や宝石がいくつも盗まれたのだとか」
「これで四件目ですわね。恐ろしいこと……」
「私のお父様は、警備の数を増やしたとおっしゃっていました。アリアナ様のお屋敷も、どうか用心を」
ラパンは律儀なことに、盗みに入る家を事前に国営騎士団に通達する怪盗だ。だったら警備の数を増やすのは予告状が届いてからでも良いのではないかと思ったけれど、他人の家のことなので黙っておいた。
ラパンがこれほど人々に騒がれているのは、予告状を出す怪盗だからというだけではない。その風貌が、何より特徴的らしいのだ。
名前の由来通り、白い兎を思わせる仮面を着け、白いマントを纏って闇夜にどこからともなく現れる。そして不思議な魔法を操り、家々の屋根の上を跳ねるようにして去っていくのだとか。
うーん、実にミステリアス。
「何? ラパンの話?」
教室の後ろから、アリアナたちの会話に加わる声が上がった。
アリアナはそちらをチラリと見て、頬をピンクに染める。
「レオン様……おはようございます」
「アリアナ、ルフィナ。それから、リタ。おはよ」
レオン様は人懐っこい笑顔を、私にも向けてくれた。
レオン・カーマイン様。カーマイン侯爵家の嫡男で、アリアナの婚約者だ。身分や出自を問わず分け隔てなく接する――良く言えば優しく、率直に言えば大雑把で細事に頓着しないお方である。
「レオン様も、ラパンに興味がおありですか?」
「興味って言うか……何考えてんのかな、とは思う。泥棒に入るのに、わざわざ予告状を出したりしてさ。絶対に何か意図があると思うんだ」
「意図、ですか?」
アリアナは顎に人差し指を添えて、あざとく小首を傾げてみせる。
「一件目に予告状が届いたカールズ子爵は、この怪盗騒ぎで騎士団の調査が入って、建設会社との黒い繋がりが明るみに出たらしい」
「まぁ。そうなんですの?」
「二件目のレスター伯爵も、その件に関わってるんじゃないかって噂がある。前回のコーエン林業社長もきな臭いし、今回の貿易商も何かあるかもな」
私は相変わらず教科書に目を落としたまま、聞き耳だけを立て続けていた。
レオン様の言う通りなら、ラパンは悪人たちから財産を盗んでいるということだろうか。そして予告状を出すのも、皆の注目を集めて悪事を世に知らしめるため? なんだかおとぎ話の義賊みたいで、いまいち現実味がない。
「ではレオン様は、ラパンは悪人ではないと?」
ルフィナ様が尋ねると、レオン様はバツが悪そうに、明るい茶色の後ろ頭を掻いた。
「別に擁護するわけじゃねぇよ。ただ、ラパンの動きには俺も注目してるってだけだ」
それから、はっとした顔で両手を合わせる。
「いけね! 先生から、一限目は訓練室に集合って皆に伝えとけって言われてたの、忘れてた!」
あはは、と軽やかに笑ってから、レオン様は大きな声でクラスメイトたちに教室の変更を伝えて回った。侯爵家の人間とは思えない気さくさに、思わず私の顔にも笑みが溢れる。
「……うざ。レオン様が穢れるから、見ないでよね」
耳元で囁かれたアリアナの低い声に、私の笑顔が凍りついた。
「将来の義兄なんだから、別に見るくらいは……」
「私の許可なく喋るんじゃないわよ」
アリアナは私と腕を絡ませると、二の腕の一番柔らかい皮膚を爪の先でつねり上げる。
いいい痛いっ!
「さぁ、リタ。訓練室に移動しましょう」
他の人からは見えない角度でつねられ続けながら、私たちは訓練室へと移動した。




