19.無力
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ユリウス様にいただいたハンカチは、どれだけ水で濯いでも綺麗な白色には戻らなかった。ラパンに貰ったティーカップも、割れてしまってはもうどうしようもない。
私は屋根裏部屋で頭から毛布を被り、ハンカチとティーカップを抱きしめていた。カップの破片が指に赤い筋を付けたけれど、不思議と痛みは感じない。それよりもずっと、胸が苦しかった。
苦しくて、苦しくて――私は光の中に行くどころか、その光に憧れることすら許されないのだと、改めて思い知った。
「……リタ?」
不意に毛布の向こうから声がした。ゆっくりと顔を覗かせて、声の主を見る。
「ラパン……」
そうだった。今夜は、ラパンと会う約束をしていた日だった。
「窓を叩いても返事がないから、勝手に入らせてもらったよ。……何かあった?」
「あ、ごめん……! 全然気付かなかった。あはは。約束してたのに、私ってば本当にダメだね」
「リタ。無理に笑わなくていいよ」
毛布ごと、ラパンの大きな腕が私を包み込む。とても温かくて、せっかく止まっていた涙がまた溢れてきた。
「借りてた魔法書、失くしちゃった……」
「うん」
「ティーカップも……割れちゃった」
「うん」
「お菓子も……子供たちが一生懸命作ったお菓子も、全部、無駄にしちゃった……」
「……うん」
「ごめん……ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
ユリウス様のハンカチも。みんなの厚意を、無駄にしてしまった。踏み躙ってしまった。
「リタが謝ることではないだろう?」
「わた……っ、私が、弱いから……! 大事な物……ママの形見だって、何一つ、自分の力じゃ守れない……っ!」
悔しい。惨めなまでに、私は無力だ。
「リタ……」
ラパンの腕にぎゅっと力が込められる。
「ごめん、リタ。君を悲しませたのは、私のせいだ」
「違う。ラパンのせいじゃ……」
「私が早く実行しなかったせいだよ」
そっと私を離して、ラパンが私の顔を覗き込む。仮面の奥で、優しい緑の目が揺れていた。
「本当は準備はとうに整っていたのだけれど、リタとのお茶会が楽しくて引き伸ばしてしまった。本当は使用人の名簿も、詳しい庭の見取り図や鍵の保管場所も必要なかった。ただリタに会う口実が欲しかっただけなんだ」
「え……」
「明日、予告状を騎士団に出す。次に会えるのは、形見を君に返す時だけだ」
言いたいことは沢山あるのに、声が出てこない。
私も貴方とのお茶会が楽しかった。これからも同じように会いたいよ。ねぇ、どうして孤児院のお菓子を持っていたの? 貴方は誰? 私の依頼が終わったら、また別の家をターゲットにするの? どうしてそんなことをしているの?
頭の中は言葉で溢れているのに、どれも口に出してはいけないような気がした。
「以前、食堂に置くようにと渡した兎の置物は覚えているかい? あれを回収して、形見を渡す時に私に返して欲しい」
「うん……分かった」
自分でも思ったより、小さな声で頷いた。ラパンはにこりと笑うと、小さな声で魔法式を唱える。
「【花】」
ラパンの掌に、ポンっと一輪のピンクの花が現れた。バラに似ているけれど、もっとふわふわとしていて、恐らくラパンの創作した花だろう。その花を、私の耳に掛ける。
「大丈夫。あの夜、君は私を捕まえた。これからリタの世界は変わっていくよ」
何の根拠もないのに。あまりにも自信満々に言うものだから、本当にそうなるような気がして、思わず笑ってしまった。
「それにしても、ブロックス伯爵は不思議な方だね。花卉産業を手がけている割には、ご自身の住処には花がほとんどない」
「嫌いなんだと思う。昔、お義母様が部屋に花を飾ろうとしたら、そんなものは飾るなって怒ったことがあったから。家の中でも仕事を思い出して嫌なのかも」
ブロックス家の広い庭には、緑の植え込みや芝生はあって丁寧に手入れされているものの、花はほとんどない。前庭に、お客様をお出迎えするための花が申し訳程度に咲いているだけである。私がこの屋敷に来た時からそうなので、今まで特に疑問に思ったこともなかった。
「こんなにも綺麗なのに、勿体無いね」
「……っ!」
違う違う違う、花が、ね! 私の方を見ながら言うから、なんか照れちゃったじゃない!
熱くなった顔を手で扇いでいると、ラパンがマントを翻した。
「あ……! いつ実行するの?」
「騎士団の動きを見ながら、いい日に」
「絶対に、捕まらないでね」
ラパンは笑いながら窓から身を乗り出す。
「私に自首しろと言ったのは、誰だった?」
「それは……っ!」
今はもう、捕まって欲しいなんて思わない。できることなら、怪盗なんて辞めてほしい。けれど彼が怪盗でなければ、こうして出会うこともなかったのだ。
矛盾する想いに口籠もっているうちに、ラパンは片手を振って闇夜に消えていった。




