18.踏み躙られる想い
この日は、よくない出来事が続いた。
返却された歴史のテストは二問間違えていて、クラスで一番を取れなかった。数学の授業では当てられた問題を解くことができなくて、黒板の前で立ち尽くした。舞踏の練習ではステップを間違えて、皆の前で盛大に転んだ。
――全部、アリアナに起きた出来事である。
帰りの馬車の中では、何故テストで間違えたのかと延々と責められ、挙句途中で馬車を降ろされた。薄暗くなっていく道をとぼとぼと歩きながら、どうか今日は父が帰宅していますようにと願う。父がいれば、これ以上彼女の八つ当たりを受けずに済むからだ。
しかしその願いは、あっさりと打ち砕かれた。
「随分と遅い帰りだこと」
玄関を潜るなり、使用人に食堂へと連れて行かれた私を迎えたのは、優雅に夕食の席に着いた義母とアリアナだった。父の姿はない。
「たくさん歩いてお腹空いたんじゃない? 可哀想だから、食べてもいいわよ」
クスクスと笑いながら、アリアナは自分の皿に乗っていた肉を床に落とした。
「どうしたの? 食べなさいよ」
「……」
下手に問答するよりも、従った方が早く終わる。私はゆっくりと床に膝を着いて、肉を拾った。アリアナが甲高い笑い声を上げる。
「あー嫌だ、汚い。やっぱり汚い私生児は、汚いものが好きなのね」
「喉も渇いているんじゃないかしら?」
ワイングラスを片手に、義母が立ち上がる。真っ赤なワインが注がれたそれを、床に這いつくばったままの私の頭の上で静かに傾けた。後頭部に冷たい感触が広がり、鼻先から赤い液体が滴り落ちてくる。
「あぁ、いい色の髪の毛になったじゃないか。今度はその忌々しい金髪を、汚い色に染めるのもいいかもしれないね」
「ちょっと伸びてきたし、前よりももっと短く切ってあげてよ、お母様。丸刈りにしたらいいんじゃない?」
「やり過ぎると、さすがにカルロスに妙だと思われるかもしれないわ。あの人はこんな汚物に興味はないだろうけれど、伯爵家の体裁は守らないといけないからね」
頭の上で交わされる恐ろしい相談を、心を無にして聞き流す。
酷いことを言われることにはもう慣れた。次は、服で隠れるところに鞭を打たれるのだろうか。あれは数日痛むから嫌だな、と絨毯に広がっていく染みを見つめながら思う。
「あーあ。せっかく昨日はレオン様と過ごせて気分が良かったのに、今日は本当に最悪だわ。その床、お父様が帰って来るまでに綺麗にしなさいよね」
どうやらこれで終わりらしい。ほっとして、雑巾を取りに行こうと立ち上がる。
「あ、待って。その床、アレで拭きなさいよ」
「あ……アレって……?」
アリアナは名案を思いついたようなキラキラした顔で、私の通学鞄の中から、今朝ユリウス様にいただいたハンカチを取り出した。
「や……! それはやめて!」
「どうして? あんたなんかが騎士様から施しを受けるなんて、一生あってはいけないことでしょ?」
赤く広がった染みの上に、ハンカチが広げられる。慌てて拾おうとした私の手を、アリアナの靴底が強く踏みつけた。
「ほら、早く拭きなさいよ」
「やめ……て……!」
「はっ! 私生児如きが、まさかユリウス様のことが好きなの? 気持ち悪い」
吐き捨てるように言いながら、私の手ごとハンカチを踏み躙る。真っ白だったハンカチが、赤く染まっていく。
「あぁ、そうだ。昨日何があったのかまだ聞いてなかったわ。ユリウス様に送ってもらって、何を話したの? まさかあんた、余計なこと言ってないでしょうね?」
「言ってない!」
顔を上げ、必死に叫ぶ。
「アリアナやお義母様のことは、何も話してないよ!」
「は? 私たちが悪者みたいな言い方しないでくれる?」
アリアナが目線を配ると、鞭を握った彼女の専属侍女が、私の背中にそれを振るった。
「っ!」
焼けるような痛みに悲鳴を上げそうになったが、喉の奥で堪えた。
早く終われ、早く終われ……!
痛みに耐えていると、今度は別の声がした。
「奥様。屋根裏部屋に、こんな物が」
「泥棒猫の娘も、やっぱり泥棒なんだねぇ」
恐る恐る顔を上げてみると、侍女がラパンが置いていってくれたお菓子と魔法書、それにさくらんぼ柄のティーカップを抱えていた。
目の前が一瞬、真っ白になる。
「なんで……」
「近頃飢えた様子がないから、不思議に思っていたんだよ。一体どこからくすねてきたんだい? えぇ?」
義母は紙袋に入ったお菓子を掴むと床にぶち撒け、靴の裏でそれらを踏みつけた。クッキーの砕ける音、ケーキの潰れる音が耳の奥で不快に鳴り響く。
「やめて!」
それは、あの子たちが一生懸命作ったお菓子だ。とっても甘くて、美味しくて、私に幸せを感じさせてくれたお菓子なのだ。
咄嗟に体が動いて、お菓子を守るように義母の足の下へと体を滑り込ませた。義母は私の丸めた背中に、尖った踵を押し当てる。
「魔法書……こんなものも、あんたには必要ないだろう。図書室で借りたのなら、失くしたと言って頭を下げな」
頭の上から、紙屑となった魔法書がバラバラと落ちてくる。
「このティーカップは、物はいいね。うちにあったかしら?」
「お義母様……何でもします! 次はアリアナのテストで必ず満点を取ります! ですから、そのカップだけは返してください!」
「本当かい? それなら、これは返してあげようか」
義母は微笑んで、ティーカップを私に差し出す。だが私の手に触れる前にそれは義母の手を離れ、無慈悲な音を立てて床で真っ二つに割れた。
「あらら。あんたがしっかり受け止めないからだよ」
容赦のない義母とアリアナの冷笑が、どこか遠くで響いていた。




