15.炊き出しの準備
――孤児院の院長先生への挨拶の後、私たちは幼い子供たちのお世話か、炊き出しの準備に別れることになった。私は子供たちのお世話に行きたかったのだけれど、アリアナに足を踏まれて阻止されたので、炊き出しの準備に回ることにした。
ちなみにアリアナも炊き出し班。レオン様とユリウス様を含むほとんどの生徒は、子供たちの方へ行った。
「子供って涎や鼻水垂らしたり、何を触ったかわからない手でこっちを触ろうとしてくるじゃない? そういうの、本当に無理なのよね」
人参を私に渡しながら、アリアナが小さな声でぼやく。当然ながらアリアナは包丁を握っているだけで、一つも切ろうとはしない。他の人が近くを通った時だけ、やっている風な動きをするだけである。
「でも純粋で、すごく可愛いと思うけど……」
「何それ、偽善者ぶらないでよ。私だって、レオン様と自分の子供だったら心の底から可愛がれるわ」
それはそうだろう。義母を見ているとよくわかる。
あまり問答を繰り返すとアリアナの機嫌を損ねるだけなので、私は曖昧に笑って作業を続けた。
「……貴族のお嬢様のくせに、包丁が使えるんだね」
「え?」
背後から声がして振り返ると、同じ様に包丁を握った孤児院の男の人がいた。琥珀色の髪の、私と同じか、少し年上の男の人だ。アリアナは咄嗟に私のまな板から、切り分けた人参を自分のまな板に寄せる。
「一緒に来た他のお嬢様たちは、ほとんど向こうに行ったのに。包丁なんか使えないし、火のそばに立ったこともないからだろう?」
「そんなことない……こともない、のかな?」
ちらりと厨房内を見渡せば、塩と砂糖の見分けがつかなくて困り果てているルフィナ様と、ジャガイモの皮を剥くのにひどく時間をかけている令嬢が二人、そしてそんな三人のお世話に奔走する先生の姿があった。
「私は小さい頃、ママと一緒に料理をしていたから」
「へぇ。自分で料理をする夫人もいるんだ?」
「あ、いや……」
ママは貴族じゃない。けれど敢えて言う必要はないので、黙っておいた。
男の人はジロリとアリアナを睨むと、彼女の包丁をさっと取り上げる。
「やる気がないなら、赤ちゃんのお世話でもしてくれる? それも嫌なら、せめてあの鍋でも掻き混ぜておいてよ」
「は……はぁ? なんなんですの、あなた――」
「さっきからあんたが何もしてないの、見てたよ。他の人にはやっている風に見せていたのも。あの先生に、バラしてあげようか?」
「……っ!」
アリアナの顔が真っ赤に染まる。
うわぁぁ……や、やめてよぉ……その怒りは、後から全部私に向かって来るのに……!
アリアナは何かを言い返そうと口をパクパクさせていたが、やがて踵を返して鍋の方へと向かった。
「プライドばっかり高くて、これだから貴族って嫌いなんだよね」
「……ごめんなさい」
「君は貴族っぽくないから、謝らなくていいよ。その頭、どうしちゃったの?」
「ああ、これは……短い方が、何かと楽でしょ?」
「ははっ。何それ、変なの」
彼は笑いながら、慣れた手つきで人参の皮を剥いて切っていく。
「上手だねぇ」
「分量をちゃんと測ったりするのは苦手だけど、切ったり焼いたりは得意なんだ」
玉ねぎに手を伸ばしながら、得意気に笑う。
「俺はエドワード。ここの最年長で十八歳」
「私はリタ。リタ・ブロックス」
「ブロックス? レオン様の婚約者の?」
「あ、いえ、それはあっちの……」
私は膨れっ面で鍋をぐるぐると混ぜているアリアナを指差した。
「……嘘だろ……レオン様の趣味、どうなってるんだよ……いや、貴族だもんな。きっと、家同士の事情があるんだよな……」
エドワードはショックを受けた顔で、何やらぶつぶつと呟いている。
「レオン様は、よくここに来るの?」
「まぁね。別邸に移り住んで近くなったからか、よく気にかけてくれるよ」
レオン様は確か、二年前にアリアナとの婚約が決まった折に、ブロックス領内に別邸を建てた。それ以来、学校の寮ではなく別邸に住んでいるのだとアリアナから聞いたことがある。
「あと、あのユリウスって騎士も近頃よく見かけるな。木剣や魔法書の寄贈もしてくれたし。あの人も貴族の出だろ?」
「うん。伯爵家の方らしいよ」
「ここに慰問に来る貴族のほとんどは、ただの民衆へのパフォーマンスに過ぎないけど、あの二人は継続的に顔を出してくれるんだ。女の子たちの間では、すっかり王子様みたいな存在だよ」
「あはは。確かに二人とも、王子様みたいに優しいしカッコイイもんね」
思わず声を上げて笑った直後、アリアナがすごい形相で私を睨んでいるのに気がついた。
「わ、私……お皿の準備してくるね」
「あ、うん。ありがとう……?」
私がアリアナより楽しんではいけない。逃げるようにエドワードから距離を取って、作業にだけ集中することにした。
炊き出しのメニューは、パンと牛乳、チキンと野菜たっぷりのシチューとお豆のサラダだ。子供たち全員に配膳した後、私たちも間に入って同じものを頂くことになった。
「おにくがいっぱいで、おいしーい! おじょーさま、ありがとう!」
私の隣に座った、まだ言葉もたどたどしい少女が、満面の笑顔で私を見上げた。
うぅ……! か、可愛い……!
「うん、とっても美味しいね」
「うふふっ。沢山お食べなさいね」
少女の逆隣で、アリアナが聖女の微笑みを湛えながら、自分のシチューを少女の皿へと移してあげる。
「いいの? おじょーさま、おなかすいちゃうよ?」
「私はいいのよ。今日はあなたたちに、お腹いっぱいになってほしくて来たのだから」
そう言ってアリアナは、パンも牛乳もお豆のサラダも、周りの子供たちに全部あげてしまった。
私にはわかる。アリアナは単に、食べたくないだけだ。れっきとした料理人が作り、清潔な器に入れられたものでないと、彼女は口にしないのである。
「アリアナ。まだおかわりも沢山あるし、そんなこと気にしなくて大丈夫だぞ? お前がもたないだろ」
「まぁ、レオン様。私のことを気に掛けてくださって、ありがとうございます。でも私……この子たちを見ていると、心が苦しくて喉を通りませんの」
「どうして、あたしたちをみると、くるしくなるの?」
無垢な瞳で少女が問うと、アリアナは自分に酔いしれたような顔のまま言葉を紡いだ。
「だってあなたたちは、ご両親を亡くされているのでしょう? 隙間風の入るこんな家で、大勢で肩を寄せ合って……その心境を想像するだけで、とても胸が痛みますわ」
「『こんな家』で悪かったな。まるで俺たちが絶望の淵に立っているような言い方だけど、俺たちは『こんな家』でも、未来に希望を持って生きてるんだよ」
飛んできたのは、エドワードの言葉だった。
「エ……エド! なんて失礼なことを――」
「ご馳走様。飯は美味かったから、食料を恵んでくれたことには感謝するよ」
「エド! ご、ご無礼を申し上げて申し訳ございません……!」
エドワードは立ち上がり、さっさとどこかへ行ってしまった。院長先生や孤児院の大人たちは、青い顔でアリアナに頭を下げている。
気まずい空気が流れる中、子供の食べこぼしをナプキンで拭いてあげながら、ユリウス様が口を開いた。
「僕たちがこの子たちに与えてあげられるものは、物的支援と、困ったことがあれば助けてくれる人たちがいるという安心感です。憐れみではないと、僕は思いますよ」
「わ……私はそんなつもりでは……!」
「アリアナが面倒見の良いご令嬢だということは、ここにいる生徒たちみんなが承知しています。少し言葉が行き違っただけですよね」
にっこりと笑ったユリウス様の隣で、まだ一人で食事もできない幼い子供が粗相をする音がした。
「おわっ!? ちょ、雑巾! ユリウス、お前ここの掃除頼む! 俺はこいつ、着替えさせてくる!」
「レオン様!? いけません、レオン様にそのようなことはさせられません! ユリウス様も、どうかそのままに!」
「ユリウス様、私たちが片付けるからやめてー!」
慌てて子供を抱えて食堂を飛び出して行ったレオン様を、大人たちが慌てて追いかける。さらに汚れた椅子を雑巾で拭き始めたユリウス様を、周りの子供たちが必死で押さえ込んだ。
突然のてんやわんやで、アリアナの失言は有耶無耶となったのだった。




