10.紅茶とチョコチップクッキー
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ユリウス様の再来訪に驚いて一時忘れそうになったけれど、今日は朝からずっと心がソワソワして落ち着かなかった。
だって今夜は、ラパンがまた来ると言った日なのだから。
本当に来るだろうか。いや、きっと来ない。一日中頭の中で意見がせめぎ合い、それだけで何だか疲れてしまった。
期待して外れた時が辛いので、私は最悪の事態を想定しながら、屋敷の階段を一段ずつピカピカに磨き上げていった。
今夜も父は帰って来ない。だから夕食にありつけなかったし、今日は鍋底の焦げたソースを舐めることができただけだった。
ひもじさと戦いながら、屋根裏部屋へと引き上げる。ひとまず魔法書を開いて読んでみるが、ラパンのことが気になってちっとも頭に入ってこない。
ラパンは来る。目撃者である私の口を封じるために。前回のようにあっさりと私に捕まらないよう、窓からではなく思いもよらないところから現れるに違いない。そして私の心臓をひと突きして、颯爽と去っていく――それが、私が考え抜いた最悪の事態である。
「私がここで音もなく死んでいたら、誰が気づいてくれるのかなぁ……?」
翌朝、食卓に私の姿がなくても、きっと誰も何も思わない。以前学校が休みの日に高熱を出して起きられなかった時は、二日間誰も様子を見に来なかった。死体が腐って異臭を放ち始めて、初めて見つけてもらえるかもしれない。
この最悪のシナリオ通りにならないよう、私は狭い屋根裏部屋で神経を研ぎ澄ませ、ラパンの急襲に備えた。
やがてそれにも疲れてきた頃――
コンコン。
窓ガラスが小さく音を鳴らした。静かに立ち上がり、ゆっくりと窓を覗く。窓の向こうに、口元に笑みを浮かべたラパンがいた。
「本当に来た……」
呆然と立ち尽くしていると、ラパンは何やら私に向かって手を動かす。
……あ。窓の鍵を開けて欲しいのか。
鍵を外して窓を開けると、闇夜に浮かんだ白兎は小さく頭を下げた。
「この間みたいに、勝手に魔法で鍵を開けたらいいのに」
「ご冗談を。前回は知らずに侵入してしまったけれど、レディの部屋に無断で立ち入るほど、私は野暮じゃない」
紳士的な言葉を紡ぎながら窓を潜るラパンから、私は大きく後退る。
「本当に来るとは思わなかった? それとも、リタの口を封じに来たと思って警戒してる?」
「……両方」
「一応私も、リタが罠を張り巡らせているのではないかと警戒しながら来たんだよ」
暫し、私とラパンはお互いの腹のうちを探るように無言で視線を交わした。
先に折れたのは、私。
「折角来てもらえたのに、お茶もお出しできなくてごめんなさい。この屋敷に私が自由にできるものは、何一つないの」
「お気遣いなく。そんなことだろうと思って、持参したからね」
は? 持参した?
私がキョトンとしていると、ラパンはマントの内側から水筒とティーカップを二つ取り出した。
「リタの好みが分からないから勝手に選んだよ。蜂蜜入りの紅茶だけれど、飲めるかい?」
「え? あの? あ、だ、大好き……」
「それは良かった」
ラパンは床に胡座をかいて座ると、水筒からお茶をカップに注ぐ。軽くカップに手を添えると、ふわりと湯気が立った。
「はい、どうぞ」
「……」
「毒なんて入っていないよ」
ラパンは笑って、自分のカップに口をつけた。
「交換する?」
「い、いえ! いただきます……!」
琥珀色の液体を含むと、幸せな甘さが口いっぱいに広がった。学校では時々飲めるけれど、それよりもずっとずっと美味しい!
「良ければ、お茶菓子もあるよ」
ラパンはマントの中から、袋に入った大きなクッキーを取り出した。
「そのマント、どうなってるの……?」
「それは勿論、秘密だよ」
手のひらほどもある大きなチョコチップ入りのクッキー。夕食を食べていない私の口の中に、どっと涎が溢れる。
「こ、こ、これも食べていいの? 本当に? 私、貴方に払えるものは何もないよ?」
「どうぞ。リタの口に合えばいいけれど」
ラパンを警戒するという理性は、チョコチップクッキーを前にして完全に弾け飛んでしまった。もしもコレに毒が入っていたとしても、チョコチップクッキーを食べて死ねるのなら本望だ。
大きく口を開けて齧り付く。蜂蜜入りの紅茶よりも遥かに甘くて香ばしく、あっという間に一枚食べ終えてしまった。
「全部食べてもいいよ」
「ありがとう!」
遠慮なんてしていられない。全部で四枚あったクッキーを、私はぺろりと平らげた。
「ああ……幸せ……殺すなら今のうちに殺してね」
「物騒なことを」
紅茶も飲み干した私は夢心地の眼差しで言ったけれど、ラパンは苦笑しただけだった。




