見えてきたもの
カフェ・ブルーバードの店内には、午前の静かな時間が流れていた。
カウンター席に座った黒田は、落ち着かない様子でスマホの画面を何度も確認していた。
「黒田君、落ち着いて。ほら、コーヒーでも一口飲んで」
沢田が淹れたての一杯を黒田の前に置く。
「ありがとうございます」
黒田は言われるままに、コーヒーに口をつけた。さわやかな酸味と苦みが舌を刺激する。
「それ、綾乃ちゃんのお気に入り銘柄なんだ」
「へえ。おいしいですね」
香りを大きく吸い込んでみる。ちょうどそのタイミングで、綾乃が店のドアを開けた。
「お待たせしました」
綾乃は黒田が思っていたよりも、気落ちしている様子はなかった。いつもの窓際の席ではなく、奥のテーブルに向かって行く。慌てて黒田もそのあとを追った。
「大変でしたね」
「ええ、まあ」
綾乃が短く答える。
「実は並木先生から頼まれて、今回の件、僕が少し調べているんです」
「そうですか」
沢田がすぐに、綾乃の前にカフェラテを置く。
「これ、飲んで」
「ありがとうございます」
綾乃は沢田に笑みを見せると、黒田に向き直った。
「黒田君、ここは塾じゃないし、どうやら私はクビみたいだから。
もう砕けた感じで話すね。そのほうが黒田君も気が楽でしょ?」
まるで冗談を言うような口調で綾乃が言った。
「わかりました」
「あーあ、まさかこういう展開になるとはなあ。ホント、びっくりだよ。
私がやるはずだった授業は、普通に進んでるの?」
綾乃がカップに指を掛けながら言う。
「ああ、柏木先生と、あともう一人の先生いますよね。その先生が多めにコマ入ったみたいです」
「なるほどね。まあ、順調ならよかった」
「いや、ぶっちゃけ順調じゃないと思いますよ?特に、柏木先生は」
「どういうこと?」
「柏木先生、自分で考えた作文の書き方のわりに、なんか指導がイマイチらしくて。生徒からも、高瀬先生のほうがいいって声出てるみたいで」
「そうなんだ」
カップに口をつけながら、綾乃は視線を下に向けた。
黒田はポケットからスマホを、バックパックからノートパソコンを出した。
「それじゃ、わかったことを報告します」
「うん、お願い」
綾乃は覚悟を決めたような表情で黒田を見た。
「まず、先週の件です。履歴には何も残っていませんでした。僕が確認しました」
「そうだったんだ。よかった。でも、なんでそんな噂が流れたんだろう」
「……誰かが高瀬先生のこと『問題起こす人』って印象付けたかったんじゃないですか?」
「そうかな。あのあと、タイミングよくメールと写真が送られてきたことを考えると、そういうことなのかもしれないね」
黒田は頷くと、一旦自分の方へパソコンの画面を向けて、キーボードを叩いた。
「そのメールと写真ですけど、僕見たんですよ。さすがにコピーはさせてもらえなかったんですけど。ただ、その写真ここで撮られたものだって、すぐに気が付いたんです」
「そうなの?それって先週の金曜日の事だよね?」
「そうです。先生のルーティーン知ってる人が撮ったみたいですね。顔はぼかしてありましたけど、先生がここの窓際の席で男の人と会って、金みたいなものを受け取ってるような感じの」
綾乃は納得したように言う。
「やっぱり、それか。なんか、変だと思ったんだよなあ。それね、冴島健斗君のお父さんでね、話した内容は、まあ、普通に健斗君のことに関する相談なんだけど。話が終わりそうになったころに、お父さんがお金を私に、渡そうとするわけ。
しかも、なんだか私が要求したみたいな感じになってて。そういう口調だったの」
「その冴島健斗の父親に確認をとる必要があるみたいですね。これは、並木先生に報告しておきます」
「誰がそんな写真を……」
「それを昨日調べたんです。僕と同じ大学の学生で、その人が、ある人に頼まれて高瀬先生の普段の行動を調べて、写真を撮らせてました」
「え?それ、確実な情報なの?」
「ええ、もちろんです」
黒田は得意げにボイスレコーダーをテーブルに置いた。
「あー、よかった」
綾乃はやっと少し笑うことができた。
「ねえ、そこまでわかっているなら、ちょっと私の話を聞いてくれる?」
「なんですか?」
綾乃は鞄からスマホを取り出した。昨夜送られてきた、あのアドレスの写真を黒田に見せた。
「どうやら、相手は私を精神的にも潰しにきてるみたいでさ」
最初は、綾乃が差し出したスマホの画面を普通に見ていた黒田だった。しかし、時間がたつにつれ、だんだんと険しい表情になっていく。
「これ、先生の彼氏さんってことですよね?」
「そうだね。その人が、誰かほかの人と付き合ってるみたい」
綾乃は呆れたような諦めたような調子で答える。
「これも、あのメールを送った人なんですかね」
黒田は次々と写真を確認していく。その中の一枚を見ているときに、手が止まった。
「あれ?」
画面に顔を近づける。
「これはもしかして……」
「高瀬先生、この写真、僕に転送してください」
黒田は顔を上げると、一枚の写真を指さしながら言った。
「うん。いいよ。え、なにかあった?」
「いや、見間違えかもしれないんで、パソコンで拡大してみますね」
黒田のノートパソコンのクリック音だけが、静かな店内に小さく響いた。
「あ、これだこれだ」
黒田は綾乃から転送された画像の中に、気になる部分を見つけた。
「え、なに?」
「高瀬先生、ここに何か見えませんか?」
綾乃は目を凝らして、黒田が指さす場所を見た。
「あ…」
「そうです。あの、特徴的な指輪ですよ。あの人が右手の人差し指にはめてる」
写真の中では圭太が上半身裸で寝ている。窓ガラスには映らないよう、細心の注意を払ったのだろう。
だが、ルームランプの金属部分に、わずかな反射が残っていた。
黒田は画面をさらに拡大する。
丸くゆがんだ光の中に手が映り込んでいる。
人差し指と思しき指に、見覚えのある指輪がはまっていた。
「よく見つけたね、これ」
「いや、前に自分で写真を撮ったときに、こういう曲面の場所に自分が映り込んじゃったことがあって。それで、もしかしてって思ったんです」
「はー。またか……。ホント、手が込んでるね」
綾乃はカフェラテのカップに手を伸ばした。泡はすっかり消えて、表面は静かになっていた。




