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その証明は、言葉の中に  作者: こなれたタオル


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11/17

仕組まれた罠

 夏期講習三週目は、情報漏洩の嫌疑はかけられたものの、特別変わったことはなく、そのまま一週間が過ぎようとしていた。


綾乃には金曜日だけの出勤前ルーティーンがある。いつもより、一時間半前に家を出て、駅前から少し離れた落ち着けるカフェで、授業準備をしながらコーヒーを飲む。

それがなによりの癒しであり、週末の授業への活力になっていた。


その日も同じように綾乃は「カフェ・ブルーバード」に行く。ドアを開けると、マスターの沢田さんが右手を挙げてあいさつしてくれる。


「こんにちは。いつもの、お願いします」


綾乃はカウンターに向かって声をかけながら、窓際の一番奥の席に向かう。そこが綾乃の定位置だ。幸い、今日も誰も座っていない。

大きな窓がある眺めのいい席で、綾乃にとって、通りがかる車や歩行者を見ながら、いろいろな想像をするのは、一つの息抜きのようなものだった。


今日は、授業で新しいことをしなければならないので、事前にチェックが必要だ。綾乃は自分用に買ってある、テキストとペンを鞄から出す。


そうこうするうちに、綾乃の鼻に優しいコーヒーの香りが漂ってきた。綾乃は酸味のあるコーヒーが好きで、いつもマスターにその時々で選んでおまかせで、淹れてもらっている。


「はい、お待たせ」


マスターはコーヒーを綾乃のテーブルに置くと、にっこりとほほ笑んでから、そのままカウンターの方へ戻っていった。マスターの沢田さんは綾乃の祖父の同級生で、子供の頃から祖父とよく一緒にこの店に来ていた。

だから、彼にとって綾乃は孫のような存在だと言ってくれる、他人の中で一番信頼できる人といっても過言ではない人だ。


綾乃は運ばれてきたコーヒーを、まずは一口飲む。


「はー」


自然に一息つく。それからテキストを開いた。


 店に入ってから三十分ほど経った頃だろうか。窓の外に、立ち止まる人影が見えた。だが綾乃は気にせず、テキストを読み続けていた。


少しして、一人の男性がカフェのドアを開けた。綾乃は、なんとなくその男性に目を向ける。見覚えのある人だった。


「あれ、高瀬先生。偶然ですねえ」


男性は笑顔で挨拶しながら、綾乃の席に近づいてきた。


「あ、すみません。どちらの…」


綾乃が恐縮したように答える。


「ああ、そうですね。青葉進学塾でお世話になっている、冴島健斗の父です」


「あ、冴島君の。ああ、以前、お迎えの際にお会いしたことがありましたね。こちらこそ、お世話になっております」


綾乃はあわてて立ち上がると、冴島に挨拶をする。


「先生、少し、お話いいですか?外で個人的に話すのは禁止と伺いましたけど、偶然同じ店に入ったのなら、問題ありませんよね?」


冴島は、どこか落ち着かない様子で周囲を見た。


「ええ、ああ、まあ、そうなんでしょうか」


綾乃は迷いながら答える。


「こちら、よろしいですか?」


「はい」


冴島がカウンターに手を挙げる。


「すみません、コーヒー一つ」


綾乃はテーブルの上のテキストとペンを端に寄せた。


「うちの健斗なんですけど、どうも、中学にあがってから私とあまり話をしたがらなくて。

特にうちは父子家庭なんで、本来ならどちらかの親なら話ができる可能性がありますよね。でも、それがないもんですから」


「中一の頃はほとんど私と話さなかったんです。

それが、中二になって高瀬先生の授業を受けるようになってから、塾が楽しくなったみたいで、家でも話をしてくれるようになったんですよ」


「そうですか。なにがよかったんでしょう。特別なことはなにもしてないんですけど」


綾乃は首を傾げた。


「それが、私もあまりはっきりはわからないんですけど、高瀬先生が健斗が書いた短い文章をほめてくれたみたいで。もちろん、先生からの直しもはいったけれど、それも、健斗の書き方や意見を尊重した直しだったみたいで。それをとてもうれしく思ったみたいです。」


「ああ、なるほど」


「ほかの先生は、やっぱり点数がとれる書き方を健斗に指導するみたいで。でも、そうすると自分の意見じゃなくなる!と、憤っていたことがあったんです」


綾乃は思い当たる節があった。


「確かにそうですね。私は、その辺は選んでもらってるんです。点数をとりたければ、そういう書き方をしてください。自分の意見を強くいれたいなら、それもよし。ただ、それは点数に結びつかないかもしれないよと。」


「面白い考え方ですね。親としたら点数とってくれないと、塾に入れた意味は?って思ってしまいますけど。でも、先生はその意見をいれつつ、いい感じに直してくれるって」


「さすがに、そこで放っておくわけにはいきませんからね」


綾乃はコーヒーカップを手にする。


「健斗が興味をもった先生は、どんな風なお考えを持っているのか、うかがってみたかったんです」


「そういうことでしたか」


そのままそれから、綾乃と冴島は三十分以上話続けた。


「綾乃ちゃん、そろそろ出勤の時間じゃない?」


マスターが話をし続ける綾乃に声をかけた。


「ああ、すみません。もう、そんな時間でしたか。」


冴島は鞄の中を少し探り、封筒を取り出した。

その手つきは、どこか迷っているようだった。


「先生、これを」


「え?なんですか?」


綾乃は思わずその封筒を手に取った。


「いえ、あとでということだったんですけど、

今の方がいいのかなと思いまして」


「何のことですか?」


「ああ。そうですよね。大丈夫です。わかってますから。ええと、『気持ち』です」


冴島は小声で言う。


「はあ」


綾乃は封筒の中をのぞいた。一万円札が見えた。


「え。ちょっと待ってください。こんな、受け取れませんよ」


「あ、そうですよね。やっぱりそうですよね。すみません」


冴島は封筒を綾乃から受け取ると、かばんに急いでしまいこんだ。


「先生、今日はありがとうございました。また、ご相談させていただくことがあるかもしれませんが」


「はい。でもその時は、塾でお話しましょう。」


「そうですね。では、また」


冴島は心なしか来た時よりも、足取りが軽い様子で店を出て行った。


「綾乃ちゃん、大丈夫?」


マスターが心配そうに近づいてきた。


「はい。大丈夫です。それじゃ、マスターそろそろ行きますね。また来週きます」


綾乃はテーブルの上のものを片付けると、会計を終え、塾に向かった。



 カフェの外には、大沢の姿があった。大沢はスマホの写真フォルダをチェックしていた。その中には窓際の席に座る綾乃の写真が何枚も保存されている。今日の写真だけではない。


大沢はその中から数枚を選んだ。


窓際の席で向かい合う二人。

笑顔で、顔を寄せ合っているように見える一枚。

封筒を綾乃が手にする瞬間。

その封筒を開けて、中をのぞき込んでいる写真。


「よし、これでOK。美玲先生に送信っと」


そして、まるで何事もなかったかのように、そのまま駅に向かって歩いて行った。

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