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婚約者

九条グループ本社、最上階。


今日から私の居場所は、ふかふかの絨毯が敷き詰められた秘書室だ。首から下げた社員証は、ゴールドに輝く正社員仕様。けれど、中身の私は昨日までと何も変わっていない。


「おはようございます。本日より配属となりました、佐藤花です」


扉を開けると、そこには静寂と、冷徹な三組の視線があった。

筆頭秘書の氷室ひむろが、手にしていたタブレットを置き、品定めするように私を上から下まで眺めた。


「……信じられない。その靴、合皮でしょう? 廊下を歩く音一つで、会社の品格が損なわれるの。元派遣がどの面下げてここへ来たのか知らないけれど、場違いだと思わないかしら」


「品格、ですか。確かにこの靴は2900円ですが、機動力は抜群ですよ。氷室さんのその繊細なヒールだと、災害時に社長をお守りして走るのは難しそうですね。……私は、自分の足でどこまででも走れますので、ご安心ください」


「……っ、皮肉のつもり?」



そこへ、社長室から九条社長が顔を出した。氷室たちが一斉に背筋を伸ばす中、社長は私と目が合うと、すれ違いざまに低く囁いた。


「……無理にかしこまる必要はない。普段のお前のままでいろ。その図太さが、ここの淀んだ空気を入れ替える」


社長の言葉を背に、私は自分のデスクへ向かった。

さっそく氷室が、嫌がらせのように山積みの資料を私のデスクに置く。


「これ、今日中にすべて要約して。派遣さんなら、こういう単純作業は得意でしょう?」


「ええ、得意です。派遣時代はこれの倍の量を『今すぐやれ』と言われてきましたから。ただ、氷室さんの指示の出し方、少し非効率ですね。付箋の貼り方を変えれば、あと15分は短縮できますよ。……やっておきましょうか?」


「……余計なアドバイスは不要よ」


氷室が顔を引きつらせて去っていく。続いて、サブ秘書の二階堂がわざとらしく私を外して、高級な豆のコーヒーを淹れ始めた。


「佐藤さんは自分で淹れてね。私たちは『選ばれた豆』しか飲まないから」


「お気遣いなく。私はインスタントで十分です。お湯の温度さえ正しければ、高級な豆よりも安定した味が出せますから。……二階堂さん、その豆、少し酸化していませんか? 保管場所、変えたほうがいいですよ」


「な……っ」


秘書室に奇妙な緊張感が漂い始めたその時、扉が開き、圧倒的なオーラを纏った女性が入ってきた。


九条社長の婚約者、一条美玲いちじょう みれいだ。


れん、お疲れ様。……あら、この騒がしいのは何? 掃除の業者を呼んだのかしら」


美玲は私を視界に入れることすら拒むように、氷室に問いかけた。氷室がここぞとばかりに応える。


「社長がどこからか拾ってきた『元派遣』の新人秘書ですわ、美玲様」


美玲は、ようやく私に視線を向けた。その瞳は、道端の石ころを眺めるような徹底した無関心に満ちていた。


「蓮も物好きね。こんな『育ちの悪そうなアリ』を隣に置くなんて。……佐藤さんだったかしら。私は蓮の婚約者よ。身の程をわきまえなさい」


私は美玲をじっと見つめ、淡々と答えた。


「一条さん、婚約者というのは大変ですね。……九条社長、実はプライベートでは驚くほど無頓着ですよ。脱ぎ捨てた靴下を裏返しのまま放置する癖があります。一条さんのようなお綺麗な方が、それを毎日直すのは……少し、勿体ない気がしますね」


「……な、何を言っているの。蓮がそんな、だらしないわけ……」


「事実ですよ。社長の隣にいるということは、そういう『生活』の面倒を見るということですから。……品格だけでは務まらない仕事なんです。私のようなアリの方が、案外向いているのかもしれません」


美玲が顔を引きつらせて後ずさる。


社長室の奥からは、堪えきれないといった風な社長の短い笑い声が聞こえた。


(……見てなさいよ。あんたたちが守っているその『品格』という名の化けの皮、私の泥臭いリアリズムで剥がしてやるんだから。)


こうして、私の秘書としての初日は、いじめを淡々といなすという、静かな波乱と共に幕を開けた。



正社員・佐藤花。


私の本当の戦いは、この美しすぎる「お城」の裏側を暴くことから始まるのだ。



次回予告:


一条美玲の差し金で、花に命じられたのは「社長の全財産を管理する金庫番」だった。

1円でも合わなければ即解雇。

さらに、秘書室のメンバーによる「伝票隠し」が発覚し……。

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