派遣会社から解雇通告
地下二階、旧書庫。
私は九条社長から預かったマスターキーで、重い鉄の扉を静かに開けた。潜入前、社長室で彼は私にこう告げた。
「私が自分で証拠を見に行けばいいのだが、私の侵入については、IDの反応で副社長がすぐに感知する。証拠隠滅や言い訳の方法を考える余地を与えてしまうだろう。今夜、私はあえて彼らの会食に付き合い、監視下に入る。私が『隙』を見せている間だけ、地下の警戒が緩む。……私が最高の囮を演じている間に、君は『透明なアリ』として、真実を運び出せ」
さらに、彼は氷のような無表情で付け加えた。
「万が一見つかれば、君は不法侵入を理由に即刻解雇になる。……だが、それでいい。派遣社員による単独の不祥事という形になれば、彼らは油断し、君が重大な証拠を持ち出したとは考えないだろう……君がすべてを失った瞬間こそが、私の反撃の開始合図だ」
私はスマホのカメラを回しながら、震える手で「二重帳簿」の原紙を掴んだ。
「責任は俺が取る」なんて言う上司に限って、真っ先に逃げる。でも、この男は最初から「君を切り捨てる」と宣言した。その残酷なまでの誠実さが、逆に私を突き動かした。
証拠の録画と原紙の確保に成功し、部屋を出ようとしたその時。
「……何をしている!」
背後から鋭い光が差し、私は警備員に羽交い締めにされた。
翌朝。
出勤してデスクに鞄を置く間もなく、私のスマホが悲鳴のような音を立てて震えた。派遣会社の担当、鈴木さんからだ。
「佐藤さん! いったい何をしてくれたんだ!! 九条グループから重大な契約違反による契約破棄の通告を受けたよ! 荷物をまとめてすぐにこっち(派遣会社)に来てくれ。退職の書類を用意してある。……うちからも、君を即刻解雇させてもらうよ!」
電話越しに響く怒号。周囲の正社員たちが、冷ややかな、あるいは憐れむような視線を私に投げかける。
(……やっぱり、社長に騙されたの?)
胸の奥が熱くなり、視界が滲む。必死に涙をこらえ、デスクの荷物を小さな箱に詰めていたその時、私のデスクの内線が鳴った。
「……私だ。今すぐ社長室に来い」
冷たい、いつも通りの声だった。
社長室に入る。
「いやあ、契約破棄された派遣社員さん。……そんなに泣きそうな顔をして、どうしたんですか?」
社長室の扉を開けるなり、デスクに優雅に腰掛けた九条社長が、意地悪く口角を上げた。私は堪えていた感情が爆発し、詰め寄った。
「どうしてくれるんですか、これ! 社長は、結局私をハメたんですか!?」
「まあまあ、落ち着いて。それより、約束のブツを出してくれ」
私は悔しさに震えながらも、カバンから二重帳簿の原紙と録画データが入ったメモリをデスクに叩きつけた。社長はそれを手に取ると、満足そうに頷く。
「……OK。完璧だ。……ところで君はもう、派遣会社から解雇されたかな?」
「正式な書類はまだですが、さっき連絡がありました。……クビです。今から退職届を書きに行かなきゃいけないんですよ!」
「OK。じゃあ、その前にこっちにサインしてくれる?」
差し出されたのは、一通の赤いクリアファイル。
中に入っていたのは、九条グループのロゴが入った「正社員雇用契約書」だった。
職種:社長秘書。
月収40万、賞与は年12カ月分相当……。
「……は?」
「引き抜き問題で派遣会社から後で責められないように、先手を打って君を『クビ』にさせたんだよ。解雇された人間を拾うのは私の自由だ。……これで副社長の闇も暴けて、有能な君も手に入る。一石二鳥だろう?」
社長は、これまでに見たこともないような不敵な高笑いを上げた。
(……この男、わざと私を解雇させたのか。最初から、この『契約』までが計算の内だったんだ。)
翌日。役員会議の終盤。
私は社長秘書として、彼の真後ろに堂々と控えていた。
「秘書さん、では『例のもの』を」
「承知いたしました」
私は手にしていたタブレットをモニターに接続した。
そこに映し出されたのは、言い逃れ不可能な裏金の証拠と、副社長の署名が入った原紙のコピー。
「……っ!? な、なぜ……」
青ざめ、ガタガタと震え出す副社長。私は首から下げた「ゴールドの社員証」を指先で弾きながら、これまでにないほど不敵に笑った。
「副社長。一昨日までは『派遣の不祥事』でしたが、今日からは『秘書室による内部調査』です。……言い逃れはできませんよ?」
九条社長の隣で、私は新しい人生の、最高にドロドロとした幕開けを確信した。
次回予告:
秘書室初登庁の花を待っていたのは、エリート秘書たちによる陰湿な洗礼だった。
「元派遣が、どの面下げて秘書室にいるの?」
一方、社長の身辺には「謎の婚約者」の影が……。




